香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊やガムラン音楽に関すること、日々の気付きや学び、海外生活で見聞したこと、大好きな植物や動物に関してなどを、私が感じたことを気ままに、ゆるゆると書いていきます

十六夜コンサート

いつも読んでくださってありがとうございます。

 

前回も書きましたが、先週末の連休中は東京にいました。24日は、上野の水上音楽堂で行われた、小島夕季さんの十六夜コンサート~ジャワ舞踊の夕べを見に行きました。毎年この場所で秋に行って、今年で16回目ということ。これだけ継続するのがすごいことだと思います。これからも、ずっと継続してほしいなぁと思うコンサートでした。演奏はランバンサリ。私もいつもお世話になり、仲良くしていただいているガムラングループの皆さんです。夕季さんとは、マンクヌガラン王宮で同じ先生から学んでいました。私の方がずっと後ですけれども。夕季さんには、日本でもジャワでも、いつもとても良くしていただいています。素晴らしい方です。

 

ジャワでは、プンドポという屋根と柱があって壁のない空間で、ジャワ舞踊やガムラン、その他の芸能が行われることが一般的です。そして、観客も、静粛に見るのではなく、おしゃべりしながら、何かを食べたり飲んだりしながら、リラックスしてみています。上野の水上音楽堂では、そんな空間が広がっていました。屋根はあるけれども、壁がないので、風が感じられ、おりしも、気候もとても良く、とても気持ちよかったです。あまりに気持ちよくて、途中で寝そうになってしまった…。日暮れ時から夜までの、空や明るさや空気の変化が感じられるのも、とても良かったです。

そして、食べ物屋台!個人的には、Tetes Manisさんのジャムゥが、とっても美味しかったです。ジャワで飲むよりおいしいかも。

 

舞踊は優雅で、とても美しかったです。ゆったりとした空気感がとても良い。見ていて心が広くなる感じ。それにしても、夕季さんが、4曲踊られるというのがすごい。1曲はグループ十六夜の皆さんと一緒でしたけれども、毎曲、短時間で衣装も替えられていましたし。衣装のセンスもとても素敵でした。ガムラン演奏も、とても楽しめました。さすが、ランバンサリですね。そして、生演奏だと、音の豊かさが素晴らしいですね。

 

ジャワ舞踊とジャワガムラン、私自身も出会ってから24年、ジャワで本格的に学び始めて15年と、長く続けていますけれども、やっぱり良いなぁと改めて思いました。とても深く、同時に豊かな道ですけれどもね。でも気楽に、多くの仲間たちと、もっと多くの人に伝えていけたらなぁと思います。そして、進んでいけばとても深いけれども、始めたばかりの初心者でも楽しめるので、出来れば多くの人に学んでほしいなぁと思います。そこから広がる世界は多岐にわたって、大きいですよ。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

<今日の植物(庭の植物シリーズ)>

f:id:Kaoriok:20180926134035j:plain

「チョウマメの花」photo by Kaori

 

 

 

 

 

 

 

夕焼け

いつも読んでくださってありがとうございます。

 

昨日、素晴らしい夕焼けを目にしました。

f:id:Kaoriok:20180926082626j:plain

「夕焼け」photo by Kaori

f:id:Kaoriok:20180926082637j:plain

「夕焼け」photo by Kaori

f:id:Kaoriok:20180926082806j:plain

「夕焼け」photo by Kaori

f:id:Kaoriok:20180926082814j:plain

「夕焼け」photo by Kaori

f:id:Kaoriok:20180926082828j:plain

「夕焼け」photo by Kaori


ほんの短時間でしたけれども、とても美しかったです。美しい景色を見ると、心がパッと明るくなりますよね。自然の織りなす光景は、素晴らしいなぁ。そして、刻々と変化していって、一瞬たりとも、同じところに留まらない。

人間も自然の一部だから、同じはずですよね。私も、同じところにしがみついたりせず、変化に逆らわず、しなやかに生きていけたらなぁと思って見ていました。

とはいえ、なかなか難しい面もありますけど(笑)

 

それにしても、うちの周りは、電線が多すぎる。この辺りは、たぶん、電線の地下埋設の計画は、まだまだないんだろうけど、ぜひ、進めてほしい。景観が全く違ったものになるだろうし、電柱があちこちに立っていないことの利益は、いろんな面で大きいと思う。そして、この面では、世界的にも日本はとても遅れている。ジャカルタでも、日本よりずっと進んでいると聞いた。

 

同じ時間、偶然、妹も、職場近くて夕焼けの写真を撮り、送ってくれた。あの辺りは、すでに電線が地下埋設されている。

f:id:Kaoriok:20180926084042j:plain

「夕焼け」photo by Y. O.

街中にもかかわらず、空が広い。

美しい!

美しい景色は、人の心を平和に、豊かにしますね。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

 

「天空の祈り」 新宿でのご神事

いつも読んでくださってありがとうございます。

 

数日間、東京へ行っており、ブログはお休みしていました。

今回は、いくつか出席したいイベントや用事があり、いろいろ楽しかったです。いつも、東京の友人宅にお世話になって泊めていただき、本当に本当にありがたいです。

 

秋分の日、9月23日は、新宿文化センター大ホールで行われた「天空の祈り」というイベントへ行ってきました。縁があって、少しだけ、スタッフとして、ボランティアでお手伝いをさせていただきました。以前、このブログでも少し阿部敏郎さんのことを書いたと思いますが、このイベントは阿部敏郎さんとさとうみつろうさんが企画/主催されたもの。阿部さんにはいろんな恩があるので、微力ですが、こんな素敵なイベントのお手伝いをさせていただけて、光栄でした。

f:id:Kaoriok:20180925114205p:image

もともとチケットは買っていたので、お手伝いは、開演前と開演後のみで、本番は、じっくり、間近で見せていただきました。

自分の記録のためにも書いておこうと思います。

 

第一部はご神事。このご神事のために、天河大辨財天社の柿坂宮司さんをはじめ、神主さんや、お神楽のご一行、巫女さんたちがいらっしゃいました。

天川村から、はるばる運ばれた大きな榊の木が、神籬として、舞台中央に設置されていました。

 

プログラムを見ると、式次第は、

 

一、修祓の儀(しゅばつのぎ)ー 皆さまのお祓い、お清めの儀

一、降神の儀(こうしんのぎ)― 神籬(ひもろぎ)に、産土神をはじめ、八百萬神の御光臨をたまわる儀

一、献饌の儀(けんせんのぎ)― ご降臨いただいた神様に神饌物を献上する儀

一、斎主祝詞奏上

一、神楽「浦安の舞」奉奏(かぐら うらやすのまい ほうそう)― 皆様のご健康とご多幸をお祈りします

一、大鼓奉奏(おおつづみ ほうそう)

一、御笛奉奏(みふえ ほうそう)

一、斎主玉串奉奠(さいしゅ たまぐしほうてん)

一、代表者玉串奉奠(だいひょうしゃ たまぐしほうてん)

一、斎主一拝(さいしゅ いっぱい)

 

でした。

 

 神社という場ではなく、新宿のホールの中でのご神事。どんな感じになるのかなと思っていましたが、1800人が見守る中、厳粛に行われました。とても美しいご神事でした。特に印象に残ったのは、やはり、降神の儀の時の、宮司さんの祝詞と、「ウォー。ウォー。」という声の響き。天河神社で他の神主さんが「ウォー。ウォー。」とやられた時も、山の方に響き渡っていく、その響きにとても心を動かされたのですが、宮司さんのその声は、もっと低く、でも、なんというか、清らかな、そして、とても心動かされる響きでした。なぜか、この世の中はすべて響きでできているのだなという気がしました。

 

 巫女さんによるお神楽も、とても素晴らしかったです。お神楽は、こんなに良く見える場所で、集中して、じっくり見たことがなかったのですが、私自身が長い間踊っている、ジャワ舞踊の、ブドヨやスリンピといった種類の踊りに似ているなと、とても感じました。祈り、神と人のために踊る、神と人を繋ぐものといった感じがします。もっとも、柿坂宮司さんによると、神さまとは、私たち一人一人のこと。そう考えると、こういう舞踊は、そのことを思い出させるものかもしれませんね。もちろん、お神楽とジャワ舞踊のブドヨやスリンピは動きのテクニックも音楽も表現法も違いますけれども、多くの共通点が感じられました。舞踊は祈りですけれども、それは、意識して表現できるものではなく、長い間の真摯な繰り返しの稽古を通して、踊り手の動きから、自然に生まれ出てきて、見る人にも感じてもらえるものだと思います。一朝一夕で培われるものではないです。そして、踊り手の踊りに対する態度、精神性の高さ、舞踊への理解も非常に重要な要素だなと感じます。踊りには、踊り手の人となりがすべて出てしまいますから。慢心があれば、見る人にはすぐにわかってしまって、見ていられないです。心というか、精神を平らか、無心に踊ることができて、そして、培われた伝統に裏打ちされた舞踊のテクニック/表現があり、それがその人の中で昇華されて、ひとつの踊りとして踊られた時に自然に流れ出るものから、人は心を動かされるのかなと思います。その一方で、踊り手には冷静に外から客観的に自分を見れる目も同時に重要だと思います。そうでなければ、ただの独りよがりかも。そして、やはり呼吸かなと思います。どんな種類の舞踊でも呼吸がとても大事なのは、踊り手であれば常識だと思いますが、踊り手同士の呼吸、見てくださっている方々の呼吸を感じながら、交流をしながら踊ることがとても重要だと、常々感じています。見てくださっている方々は、踊り手と同じように呼吸していますから。呼吸を気と置き換えてもよいかもしれません。世の中、いろんな舞踊がありますし、それぞれ好みもあるでしょうけれども、「これを表現したい」とか、「これを感じてほしい」とか、「観客にこう感じさせてやろう」という踊り手の意識が強く感じられる舞踊は、私にとっては、逆に心に入ってこないなぁと思うのです。もちろん、表現したいものがあるのは、重要ですけど、それだけが先行して、踊りのテクニックにも裏打ちされておらず、昇華もされておらず、心のままに踊られても、なんだか、自己満足なだけで、響かないというか、深みがないというか、そんな風に感じてしまいます。身体の使い方のテクニックと精神の両方が同じように重要だと思うのです。なんだか、舞踊の話になると、熱くなっていろいろ書いてしまって、話がそれましたね…。でも、舞踊は、本当に深い道で、非常に楽しいです。踊りは若い人がするものと思う人がいるかもしれませんが、年齢を重ねても、年齢を重ねなければできない表現があるのです。長い年月、踊りと真剣に向き合ってきた人にしか理解できない境地、そういう人しか伝えられないことが確実にあるのです。ジャワでも、私は、若い人が踊るのを見るより、ある程度の年齢に達した素晴らしい踊り手の踊りを見る方が、感動が深いです。なので、私自身、踊りと共に年を重ねていくのがとても楽しみなのです。これは、踊りだけでなくて、私自身がやっているガムラン音楽でも同じです。また、他の芸術でも同じではないかと思っています。

 この辺で、ご神事の話に戻しますね。いろいろ書いたことなどをぼんやりと考えながら、お神楽を見ていましたけれども、動きの美しさ、精神性の高さもさることながら、その衣装や小物の行き届いた美しさにも、とても心を打たれました。そして、生演奏の素晴らしいことといったら。ため息が出るほどでした。私は雅楽が好きで、以前はよくCDを聞いていたのですが、本当にCDそのままのような素晴らしさで、そして、生演奏で、音響をとても考えられ造られたホールなので、非常に豊かな音でした。本当に美しいお神楽でした。心が豊かに満たされました。

 

 そして、大鼓と笛/石笛の奉奏。大鼓は、人間国宝大倉正之助さん。そして石笛の第一人者の横沢和也さんでした。もう、さすがというしかない、圧巻の演奏でした。お神楽とは全く違う、厳しい、ぴんと張り詰めたような空気。声と大鼓の絶妙の掛け合い、笛と石笛の妙。響きで震える空気。なんだか、心が洗われました。うまく表現できないですが、これだけでも、見に来たかいがあったかも。

 

 ご神事の所々で入る、雅楽の演奏も、それぞれの楽器の音が本当に美しくて、圧巻でした。素晴らしい演奏者を集められたのでしょうね。

 

 そんなこんなで、約一時間のご神事は、あっという間に感じました。天河神社が新宿に現れたような、荘厳な、ご神事でした。神道のご神事というのは、本当に美しいですね。柿坂宮司さんがおしゃるように、神さまというのは私たち一人一人であるということを思い出させるための、精妙な仕掛けなのでしょうかね。

 

 そして、第二部は惣領智子さんによる瞑想。智子さんは私の瞑想の先生です。本当に暖かい、気さくな方で、私は大好きです。もともとは有名な歌手でいらしたので、智子さんの声の力は圧巻。今回は、瞑想への準備として、2曲ほど、バンドと一緒に歌われた後、智子さんのソロでのガヤトリーマントラで、瞑想に入りました。智子さんのガヤトリーマントラは、とてもパワフルです。実はこれまでも、何度も生で聞いたことがあるのですが、今回のホールでは、そのパワーというか、エネルギーが半端ではなかった。目を閉じていても、わぁっと迫ってくるエネルギーをひしひしと感じました。このホールが音響を考えて、劇場の形も椅子も設計されているし、マイクもスピーカーも良かったということもあるでしょうが、やはり、1800人が瞑想に入るという場の力もすごいものがあったのかなと想像しています。瞑想は、大勢の方がやはり入りやすいなぁと最近感じていたのですけれども、今回も30分、あっという間でした。とても、気持ちよかったです。何年も前から、多くの人からリクエストされていた、智子さんのガヤトリーマントラのCDも、最近やっと録音され、前日に発売になったそうで、終演後に早速買いましたよ。まだ、バタバタしていて聞いていないですけれども、楽しみです。

 瞑想は、怪しいと思われる方もいるかもしれませんが、今では、多くの有名企業や学校、果ては幼稚園でも行われるようになり、すっかり市民権を得ましたね。私は、瞑想や座禅をするようになってから、心が調いやすくなり、いろんなことが楽になったと思います。ネガティブな感情の中に長い間とらわれることがなくなりました。特に現代人には必須のアイテムかなと思います。日本でもすっかりポピュラーになったヨガでも、実は、重要なのは動きのヨガではなくて、瞑想なんですよね。私は20年ぐらい前(だったかな?)に、ヨガの先生になるコースを、その時に住んでいたアメリカで受講したことがありますが、その時に、コースの初めにそのことを言われました。ジャワでも普通に瞑想はポピュラーですし、瞑想に対するアレルギー反応があるのは日本ぐらいかもしれませんね。もっとも、行ったことがないところの状況は知りませんけれども…。あれ。また話がそれましたね…。

 

 第三部は、阿部敏郎さん、さとうみつろうさんと、もと七福神のメンバーによる奉納ライブ。歌の内容も良かったし、阿部さんとみつろうさんのトークも面白く、無条件に楽しかったです。それにしても、もと七福神のメンバーの演奏の素晴らしいことといったら。個人的には、キーボードの方から目が離せませんでした。演奏がかっこよすぎる。そしてうますぎる。感覚が素晴らしすぎる。この人は、どんな曲でもかっこよくしてしまうのだろうなと感じました。七福神というのは、30年ほど前に、阿部さんがプロデュースしたグループで、まだ有名ではないけれども、うまい人を集めたのだそうです。ただ、グループはすぐに解散することになってしまったらしいですが、それぞれは、今も第一線で活躍している方たちばかりだそう。今回は、ギター、ベース、ドラム、キーボードの方が参加されていました。彼らのこんな素晴らしい演奏を聴けて幸せでした。

時間が、予定よりもかなりおしていたので、途中で帰らなければならない人も、ポツポツといらっしゃいましたが、最後まで、とても盛り上がりました。

 

 最後に、昇神の儀(しょうしんのぎ)があり、柿坂宮司さんが、また舞台に登られたのですが、その時に、「神さまが、まだ帰りたくないとおっしゃっているのだけれども、どうしましょう」と。そんなこともあるのですね。

f:id:Kaoriok:20180926073259j:image

神さまがいらしていたら、そりゃあ楽しかったでしょうね。楽しいのはお好きでしょうし。そういう意味では、踊りや音楽、その他の芸能や芸術って、神さまとのつながりはとても深いなぁと、あらためて思います。

それでも、人間にもいろいろ都合があるので、神さまにはお帰り頂くことになり、宮司さんの「ウォー。ウォー」という声とともに、昇神の儀が行われました。その前に、みつろうさんが、「さっきから、木から水をくれと言われているようなので、水をあげても良いですか」と、木に水をあげているのも印象的でした。確かに、私も、最後の方は、葉がしなっとなってきているなと気になっていたのですよね。

 

 最後に、阿部さんが、宮司さんへの感謝の気持ちを表すためにみんなで歌おうと、ひそかに用意した、宮司さまの好きな歌を、みんなで、宮司さんへの感謝を込めて歌って終わりました。

その歌詞は、

「生きてる喜びを

出会いの喜びを

いまここに出会いなす、あなたとともに

いまここに出会いなす、あなたとともに」

というもの。

去年の11月の天河神社でのご神事の時に、宮司さんが、集まった大勢の人のために歌ってくれたことのある歌です。

 

こうして、無事終演となりました。

 

本当に素敵なイベントで、今でも余韻が残っています。

祈りのイベントに、日本全国からこれだけ多くの人たちが集まったのもすごいこと。約1800人分のチケットが、ほぼ一晩で売り切れたというのもすごいですね。

私も、多くの人と再会できてとても嬉しかったです。

また、スタッフをさせていただいたことで、新しい出会いもたくさんあり、とても幸せでした。ご縁に感謝です。また、イベントも大きな混乱もなく、スムーズに終わり、嬉しい限りです。

 

こんな素敵なイベントを企画し実現してくださった、阿部さんとみつろうさんに感謝です。

阿部さんとみつろうさんから、お礼にとスタッフに、天河神社の勾玉御守と、大祓詞などが載った神拝詞を頂けたもの嬉しかったです。

みつろうさんには、本もいただき、またスタッフ打ち上げの食事代も出していただき、とてもありがたかったです。さすがですね。

 

柿坂宮司さんは、ご高齢なのに、とてもお忙しい中、日帰りで、遠い天河神社から新宿までいらしていただけて、非常にありがたかったです。実は、翌日は、天河神社でとても重要なご神事があるのだとか。そんな中来ていただけるなんて、この新宿での神事は、宮司さまにとっても、とても意味のあることだったのではないかと、想像しています。宮司さんの愛ですかね。とにかく、感謝あるのみです。

 

片付けは、多くの旧知の人と挨拶したり、うろうろしてしまって、それほどお手伝いできなくて、申し訳なかったのですが、片付けの最中に、柿坂宮司さんが書かれて、このイベントに合わせて出版された本を買ったのです。

それがこの本。

f:id:Kaoriok:20180926004736j:plain

 

 

まだ少ししか読めていないですが、とても温かいです。読んでいると、とても柔らかい心になり、心が震えます。

宮司さんの生きざま、そこから経験から得た宮司さん自身の考えが記されています。

これから読み進めていくのが楽しみです。

 

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

デング熱にかかった経験

いつも読んでくださってありがとうございます。

 

昨日、ジャワでの病気のことを書いたので、今日はその続きを書こうかなと思います。デング熱にかかった時の話です。

いつだったか、ちょっと忘れてしまったのですが、実はデング熱には、3回もかかったことがあるのです。

 

デング熱は、蚊を媒介してうつる伝染病です。ジャワでは、結構ポピュラー。でも、かかる人とかからない人がいるので、病原菌を持つ蚊に刺されても、必ずしも発症するわけではなさそうです。

私は、デング熱にかかる時は、決まって、ものすごくストレスがたまり、爆発した時。もっとも、ストレスが先か、デング熱が先かと言われると、分からない部分もありますが、でも、気持ちと病気は密接な関係があるなぁと思います。

 

デング熱は、血液中の血小板の値が異常にに下がる病気です。ですので、出血すると止まりにくくなるということです。危険なので、すぐに入院するように言われます。また、結構ふらふらになります。(余談ですが、私は入院中に生理になったのですが、ちゃんと、血は止まりました。その辺はどうなのでしょうね…。よくわからないメカニズムです。)

ただ、熱が出始めて、4日目ぐらいまで確定はできないようなのです。他の病気でも、血小板の値は下がるのですが、デング熱の場合、4日目から血小板の値がぐっと下がるようです。初めは、風邪をひいたかなと思うぐらいですかね。ゾクゾクしますし。

 

ちなみに、デング熱に、特効薬はないです。なので、病院で点滴をしながら、他に併発しないように、経過を見てもらいながら、回復を待つぐらいですかね。あまりにも、血小板の値が下がったら、輸血するそうですが、私はしたことはありません。

 

そして、私の経験だと、だいたい7日目ぐらいから、血小板の値が上がってきます。そして、充分上がったと判断されれば、退院できます。私の場合、だいたい入院期間は、5~6日でした。でも、退院する時は、まだふらふらです。ほぼ元通りまで回復したと感じるのは一か月後ぐらいでしょうか。でも、一か月後でも完全に体力が回復したという感じはしなかったですね。

 

デング熱は、回数を重ねるごとに、危険度が増すと言われています。私の場合、2回目が一番重く、なぜか、3回目が軽かったです。重いというのは、血小板の辺りが一番下がったということです。2回目の時は、経験したことがない、耐えられないほどの頭痛に、夜中に何度か襲われて、ちょっと怖かったです。夜中に看護婦さんを呼んで、薬で収まりましたけれども。後で、日本の知り合いのお医者さんに話すと、「私なら、頭痛があった時点でCTスキャンをとるよ。血小板の値が下がりすぎると、脳内出血の危険があるから」と言っていました。私は退院してから、一週間後の健診でも、まだふらふらだったので、そこで初めて、お医者さんが「じゃあ、CTスキャンでも取ってみようか」と検査してくれました。結果、何の問題もなかったので良かったのですが。

とにかく、デング熱は、安静にしていることがとても重要なようで、2回目にかかった時は、血小板の値が結構下がったので、「トイレにも行くな。おしっこはとってもらえ」と言われましたね。ちょっと動くだけでも、違うのですかね。でも、私はジャワに家族がいるわけでもないですし、夜に誰かが病室にいてくれるわけでもないので、普通にトイレに行っていましたけれどもね。ちなみに、ジャワでは、入院している人には、必ず、家族が付き添って泊まっています。

また、2回目の時は、経過が思わしくなかったので、入院して数日たってから、「点滴をドイツ製の良いものに変えよう」と言われ、「最初からそれを使ってくれよ!」と心の中で思いました。何か、文化の違いなのですかね…。

 

デング熱は、重症化すると、亡くなる人もいるので、決して油断したり、無理をしたり出来ない病気です。重症化するとデング出血熱というらしいですね。

デング熱は、現地の医者は慣れているので、日本で治療するよりも、現地でした方が良いと言われますが、ひどくなると、やはりシンガポールなどへ行ったという話も聞きます。ジャワの医療水準は残念ながら低いなぁと、折に触れて思います。

私は、ちゃんと回復することができて、本当に幸運だったと思います。

 

また、デング熱には、4種類があり、一度かかった種類は抗体ができて、その種類はかからないと言われています。本当かな?でも、同じ場所に4種類あることはないようです。3回目は、タイからインドネシアに戻ったばかりだったので、もしかしたら、タイから持って帰ってきたのかも…。

 

ジャワでの入院生活に関しては、また別の機会に書きたいと思います。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

<今日の植物(庭の植物シリーズ)>

f:id:Kaoriok:20180921235854j:plain

「桔梗の花」photo by Kaori

 

風が入る(ジャワでの病気)ということと、ジャワでの病気の経験

いつも読んでくださってありがとうございます。

 

今日は、うちの辺りは、一日中雨で肌寒いです。皆さんの地域はいかがですか?

急に寒くなったので、体調に気を付けたいです。

 

先ほど、「日本人のおなまえっ!」という番組を見ていました。

そこで、「風邪」の名前の由来をやっていました。

風によって、病が起こるという江戸時代の説がもとだそうで、風邪(ふうじゃ)が原因で様々な病気が起きたと考えられていたということ。例えば脳卒中痛風慢性胃炎に至るまで、さまざまな病気がそう考えられていたとのこと。

 

そういえば、ジャワでは、いまでも、なんでも「Masuk angin」で片づけられます。Masuk anginとは、文字通りの意味は「風が入る」です。masuk =入る、angin=風です。なんだか、風邪の意味と似ていますよね。

ジャワにはじめて行った頃は、masuk anginとは、風邪のことだと思い込んでいたのですが、脳卒中や心臓発作まで、ありとあらゆる症状が、masuk anginと呼ばれているのに気づき、びっくりしました。

ですので、わたしが、ジャワの人に「ちょっと体調が悪いんだけど」とか、「お腹が痛い」とか、「吐き気がする」とかいうと、大抵「それはmasuk anginだよ」という答えが返ってきます。

 

お医者さんだと、そうは言われないのでしょうが…。でも、実際のところ、病気の原因って、本当は何なのかわからないことが多いですし、病名だってお医者さんの推測ですから、風が入るって、実は的を得ている答えだったりして…。

 

話は飛びますが、以前、なかなか風邪が治らずに日本の近所の耳鼻科に行ったときに、何なのか聞いてみたら、「病名が必要なら、喘息と診断してもいいけど、それはいやでしょ」と言われ、「いやです」と言って、薬だけもらって帰ったことがあります。それで治りましたけれども。病名なんてそんなものなんだなぁと思いました。

 

でも、ジャワの医者では、日本では考えられないことを言われたりします。文化の違いなのでしょうかね。

私がジャワで腸チフスを患った時に、1か月近く、大病院の医者はそれに気が付かなかったことがあります。その先生は、私が病気にかかるといつも担当になっていた女医さん。私の症状がひどくなく、微熱が上がったり下がったりしている程度だったから気付かなかったのかもしれませんが…。何度か、37度を少し超したぐらいで、「微熱があるんだけど」と、病院に行くと、「季節の変わり目だからじゃない」と言われ、私が「え。インドネシア人は季節の変わり目には体温が上がるの?」と聞くと、「え、日本人は季節の変わり目には体温が上がらないの?」と聞かれるという感じで…。実際のところ、私はいつも季節の変わり目に体温を測っているわけではないので、実はどうなのかはわかりませんけれども、なかなか面白い問答でした。

それで、一ヶ月も、ちょっと良くなったり、だるくなったりを繰り返し、薬で胃が痛くなったりしていたのですが、一ヶ月たったところでやっと検査してくれて、チフスと分かったわけですけれども。私の場合、ごく軽かったので、入院はせずに、通院で直しました。原因がわかってからは、すぐに治りましたよ。原因はジャカルタの空港で食べたお寿司だと睨んでいます。でも、チフスは重症化して、何ヶ月も治らない人もいるので、軽くて本当に良かったです。

その時に、日本の大学からの派遣でジャワに長期滞在していたので、大学にそのことを報告すると、日本で血液検査をして、完全に治ったとのお墨付きをいただくまで、大学に来るなと言われました。ジャワでチフスが治ってから、一ヶ月ぐらいしてからの帰国だったのですけれども、一応、ジャワの病院で治ったという手紙をもらい、日本の空港の検疫で、「大学の方でこういわれたので、日本で検査のできる病院を教えてください」とお願いしました。検疫官の方は、「チフスなんて、日本で普通に生活していれば、人にうつることはないんだけどね。でも、一応特定伝染病に指定されているし、仕方がないかなぁ」なんて言いながら、検査のできる病院を教えてくれました。ちなみに、そういう検査のできる病院は本当に少ないです。

結果は、もちろん完治で問題なし。

 

なんだか、風邪から、話が飛びましたね。

実は、私は、ジャワで3回もデング熱にかかっており、その時はさすがに入院していました。その時の話は、また機会があれば、書きますね。

 

健康には気を付けたいものですね。

病気はストレスが大きく影響しているのだなと、ジャワにいる時に何度も実感したので、ストレスない生活を心掛けたいです。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

<今日の植物(庭の植物シリーズ)>

f:id:Kaoriok:20180920201211j:plain

シュウメイギク・ももいろブーケ」photo by Kaori

 

 

 

ジャワでの街中の交通事情

いつも読んでくださってありがとうございます。

 

今日は、8月にジャワに滞在した時の記録の続きです。

実は、昨年の12月にもスラカルタに滞在していて、その時にもびっくりしたのですが、今回はさらに、いろいろ便利になっていました。

 

それは、GO-JEKやGrabといった、スマホのアプリを使った配車サービスの充実です。世界的には、Uberが有名なのですかね。

もともと、ジャワには、Becakという自転車タクシーと、Ojekと呼ばれるバイクタクシーがありました。便利なのですが、どちらも、値段は交渉して乗る必要があり、その辺りが面倒で、どうしても、外国人だと高めになる傾向がありました。他にも、普通のメータータクシーがありました。でも、タクシーを呼んでも、なかなか来てもらえなかったり、場所の説明をするのが難しかったり、いろいろ不便もありました。そして、ジョグジャカルタでは、法律でタクシーの台数に制限がかかっていたので、混む時間になると、タクシーを捕まえるのは至難の業でした。また、バスやミニバスも走っていましたが、路線は限られていますし、夕方になるとぐっと本数が減り、暗くなるころには走っておらず、なかなか不便でした。

 

でも、ここ数年、GO-JEKやGrabといった、バイクや車の配車サービスが充実してグンと便利になりました。そのバイクや車を運転するのは、登録した一般人。彼らの仕事にもなりますし、使う方も便利でとても良いです。スラカルタでは、一昨年の暮れに行ったときはまだ見なかったと思うのですが、去年の暮れに行ったときは、もう、どちらを向いても、GO-JEKのジャケットを着たバイクドライバーを見かけるぐらいになっていました。ジョグジャカルタでは、スラカルタよりも先行して始められていましたけれども。そして、この夏に行ったときは、昨年暮れには、まだスラカルタには進出していなかったGrabも進出していました。

まず、助かるのは、とにかく安いこと。そして、アプリ上の地図で、乗る地点と降りる地点を入れるので、言葉での場所の説明が不要なこと。また、サービスを頼む時点で、距離に応じて、料金がわかっていることです。そして、たくさんのドライバーがいるので、待ち時間がとても短い。そして、バイクの配車サービスでも、ずっと、アプリ上 の地図で、どこを走っているのかわかるので、どこかに連れていかれるのではないかという不安があまりないです。

また、私は使っていませんが、食べ物のデリバリーもしてくれますし、お使いにも行ってくれるようです。

また、お金はアプリにチャージしておけるので、キャッシュレスでも使えますし、たくさんのクーポンがついてきて、無料で何回も乗れたこともあります。また、そのアプリから、携帯電話のプリペイドにチャージできたり、様々な料金の支払いに使えたり、本当に便利です。

 

f:id:Kaoriok:20180919235549j:plain

「GO-JEKのジャケット。バイクの後ろに乗っている時に撮影」photo by Kaori

 

日本でもこれほど便利になればよいのですが、日本ではいろいろ難しいのでしょうね。

 

ちなみに、ジャワでも、以前、タクシー会社ともめていたと聞きましたが、今回、スラカルタに滞在中にGO-CAR(GO-JEKの車の配車サービス)を使うと、2回に1回はタクシーがやって来てびっくりしました。どうも、GO-CARの配車の半分は、タクシーにすることになったようです。それでも、タクシーよりかなり安い値段で乗れるので、とても助かります。

また、料金は安いので、直接的に、ドライバーの儲けにはあまりなっていないと聞きましたが、ドライバーはポイントをためるのを目的にやっていると、プロの運転手である私の友人から聞きました。よく意味が分からなかったのですが、ポイントをたくさん集めると、会社からお金がもらえるのでしょうかね。どちらにしろ、ジャワでは、職のない人も多いので、こうやって、空いた時間だけでも、稼げる手段が増えるのはとても良いと思います。いろいろ問題はあるでしょうが、こうやって、さっと始められるしなやかさを持ったインドネシアをうらやましく思います。

 

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

 

ジャワの結婚式での舞踊

いつも読んでくださってありがとうございます。

 

今日は、8月のジャワ滞在時の記録の続きです。ジャワの結婚式での舞踊について。ジャワに住んでいた時は、機会があれば踊っていたので、以前のことについても交えて書きますね。

 

8月19日に、知り合いの御親戚の結婚式があり、ありがたいことに、お呼びがかかって踊ってきました。

もちろん、ジャワ舞踊です。今回は、マンクヌガラン王宮関係だったので、マンクヌガランのガンビョン・ルトノクスモを踊ってきました。残念ながら生演奏ではなく、録音の音楽でしたけれども。

以下は、着替えのための部屋での写真です。

f:id:Kaoriok:20180918225727j:plain

「結婚式で踊った時の楽屋で撮影」

 

スラカルタとその周辺の結婚式で踊られる一番ポピュラーな舞踊は、ガンビョンという種類の踊り。もともと農村で豊穣を祈るために踊られていた舞踊がもとになっているそう。

マンクヌガランのガンビョンは、踊れる踊り手が限られていますけれども、スラカルタの一般的なガンビョンを結婚式で踊る時は、生演奏であっても、まず前もって練習をすることはないです。なので、初めて会った人と一緒に踊ることもたまにあります。それほどポピュラーな踊りで、踊り手も演奏者も知っていて当たり前の踊りです。踊り手の数は、会場の広さや、経済力にもよりますが、必ず複数。スラカルタの結婚式の場合、式場の通路で踊ることが多く、縦長で、一列で踊ることが多いです。その場合、列の順番も、踊っている最中に、適当に入れ替わります。暗黙の了解で、スリシッグと呼ばれる、小走りでの移動の時に、前にいる人が後ろに向いたら、そこで入れ替わりというのがあるのですが、たまに入れ替わりを拒否されることも(笑)。その次の部分の振りがうろ覚えだったり、いまいち自信がないと、前に出るのを拒否して、しら~っと後ろに行ってしまったりします。それでも、何事もなかったのように、踊り手は踊り続けますが、そこには、実は、いろんなドラマがあったりするのです(笑)。

それに、演奏するのも誰だか知らない時も多く、たまに、ものすごく曲のスピードが早かったりして、びっくりしたりすることも。

もちろん、あまり踊られない踊りの場合は、事前に練習することもありますよ。あまり結婚式では踊られないような踊りをリクエストされることもありますし。私も結婚式で4人で踊るスリンピを踊ったことがあります。その時は、何度か練習をしましたよ。他には、仮面舞踊や、スラカルタのゴレッですかね。

または、直前に、ちょっと打合せするだけで踊る時も。けっこう、ゆるくて、いろんなことがありな感じです。だから、何が起こっても、すぐに対応できるのでしょうね。

他にも、男女で踊る恋の踊りを何度か結婚式で踊らせてもらったことがあるのですが、その時は、事前にパートナーに一緒に練習してもらいましたね。慣れていなかったこともあるのですが、やはり、いろんなパターンがあるので、パートナーとの打ち合わせは必要になってきます。パートナーも毎回変わりますしね。男女で踊る踊りも、何曲もあるのですが、一度、踊りの途中で、男女それぞれの踊り手が歌う場面があるドゥリアスモロという踊りを結婚式で踊らせていただいたことがあります。その時に、直前になって、主催者に、どうしても、歌の場面だけ、通路に置いてあるマイクスタンドのところに行って、マイクを使って歌ってほしいと言われ、歌の場面といっても、ゆっくり踊りながらだし、急にマイクスタンドのところに行ってマイクに向かって歌うのはおかしいだろうと言ったのですが、どうしてもと言われ…。そんな時でも、ジャワだといろいろゆるくできているので、臨機応変に対応できてしまうのですよね。男性のパートナーの方が、違和感なく、しかも、とってもかっこよくマイクを取りに行ってくれ、踊りの流れを切らないように、動きながらも、何事もなかったかのように、私のためにマイクを持っていてくれ、「さすが!」と感動したのを覚えています。まあ、その方は、ワヤン・オランのスターの方だったですし、百戦錬磨で、そのくらいは、お茶の子さいさいだったのでしょうけど。私が、まだ、ジャワに行って2年目ぐらいの時でしたかね。

 

結婚式で踊るのは、実はなかなか大変だったりするのです。まず、スラカルタとその周辺では、お客さんは座席に座っていて、食事は係の若い男性や女性がお盆で運んできます。食事は、前菜から始まり、スープ、メイン、デザートと続くので、その人たちの出入りも激しい中を縫って、踊るわけです。また、お客さんたちも、順番にあいさつに行くために、通路を出入りします。また遅れてくるお客さんもいます。そして、だいたい、ビデオ撮影をしており、そのコードが通路にたくさんあったり、間近で、すごく明るい照明を当てられて、撮影されたり、いろいろ起こります。そして、食事や飲み物を運んでいるので、床が結構濡れていたり、汚れていることも多々あります。みんな靴を履いているので気にならないかもしれませんが、踊り手たちは裸足です。そんなこんなで、いろいろ気を使いながら、注意しながら、それでも、平然と、何事もなかったかのように、にこやかに踊るわけです。

ジョグジャカルタの結婚式でも踊ったことがありますが、ジョグジャカルタでは、立食パーティ方式が多いです。その場合、新郎新婦がいる台の前にスペースがあって、そこで踊れるのですが、立食パーティで、お客さんは、食べ物を取りに行ったり、そこで並んだり、食べたり、いろんな人とおしゃべりしたりで忙しく、座る場所もほとんどないし、あまり、踊りを見ていないかも。もっとも、スラカルタでも、みんな食べるのに忙しく、興味のある人しか見ていないと思いますけれどもね。それなので、外国人の踊り手が重宝されるのかも。外国人だと、お客さんも興味を持ってくれる確率が高いですからね。でも、私自身は、外国人だからと誘われるのよりも、普通に、一般の踊り手として踊りに誘われる方が好きかも。ジャワの踊り手たちに交じって、外国人であることは知らせないで踊る方が好きです。もっとも、私の場合、普段、化粧していない時でも、日本人だとばれないことがほとんどなので、踊り手の中に、日本人が一人混じっているとお客さんがわかっていても、どれなのかわからないこともあるようです(笑)

まあ、普通の結婚式で踊るというのは、そんな感じです。それでも、お祝い事ですし、心を込めて踊りますし、それに楽しいですけれどもね。

 

結婚式では、踊り終わったら、前にいる新郎新婦とそのご両親に握手をして挨拶をし、一緒に並んで写真撮影をして終わりです。だいたい、その時には、お客さんたちが、順番に新郎新婦とその両親にあいさつに行き、写真撮影をしている時で、その間を縫って、それを行うわけです。なかなかタイミングが難しかったりします。生演奏の場合は、踊り手の写真撮影が終わるまで、ずっと、音量を落として演奏し続け、踊り手がはける時に、音量を上げて、その中で踊り手は花道を通って退場し、曲も終わるということをします。録音の場合、写真撮影の前に曲が終わってしまうので、目立たないように退場して行きますけど。

 

結婚式で踊る時、踊り手は、自宅でメークをしてから、結婚式場に来ることも多いです。結婚式場では、メークや着替えをするスペースが限られますし、新郎新婦や親戚が、メークや着替えをするのにごった返していることが多く、落ち着いてメークができないので、自宅でやってきた方が楽なのです。ですので、アイシャドウの色だけ、事前に決めておいて、自宅でメークします。そのメークも、時代によって流行り廃りがあり、最近は、以前よりも濃い傾向にあると思います。そして、目の下のきわに白を入れて、目をより大きく見せるのが流行っている感じ。ちなみに、私の場合、メークには1時間ぐらいかかるでしょうか。

多くの踊り手はバイクで移動していると思いますが、ヘルメットをかぶると、かなり濃いメークをしていてもあまりわからないので、その状態でバイクで結婚式場に行きます。もちろん、私もそうします。

そして、結婚式場では、衣装への着替えと、メークの手直しをします。そして、ジャワの子たちは、本当に手際が良く、サーッと出来上がってしまいます。また、終わった後の着替えと片付けもとても速い。あっという間にいなくなります。私も含めたはいつも取り残されそうになります。ジャワの方たちは、いつもはのんびりなのに、なぜひきがこんなに早いのだろうといつも不思議に思います。演奏家の方たちも、終わったら、あっという間にいないです。

 

それは置いておいて、だいたい、早めに準備をするので、準備完了から踊るまで、結構時間があったりします。その間に、余裕があれば、食事をしたりします。結婚式で出している食事を持って来てもらえることが多いです。それでも、お腹いっぱいになると踊りにくいので、私はあまり食べずに、終わってから食べるようにしています。

でも、油断している時に、急に、アナウンスの人が舞踊の名前を言ったりして、急いで出て行って踊ることも、しばしば。それでも、出て行けば、必ず平常心です。その辺りのギャップが面白かったりします。だいたい、踊り手の名前をアナウンスしてくれるのですが、私の名前は間違えられることがしばしば。それどころか、ジャワの踊り手の名前も間違えられることも多かったりします。どうしてそうなるのでしょうね。ゆるいですね。たまに、おかしくて、笑いをこらえながら踊りに出て行ったりします。

 

なんだか思いつくままに、いろいろ書いてしまいました。

まとまりがないですが、楽しんでいただけましたら、幸いです。

 

今回は、ほとんど写真を撮らなかったので、数年前に結婚式で踊った時の写真をアップしますね。

 

f:id:Kaoriok:20180918223600j:plain

「結婚式でのガンビョン・パレアノム」

この時は、結婚式場ではなく、ご両親の自宅前の道路を結婚式場にしたものですけれども。特に、少し田舎に行くと、みんなこんな感じで、家の前の道路を通行止めにし、家のその近所の人の家の前まで、結婚式場として、屋根を作ったり、じゅうたんをひいたり、飾りつけをしたりして、準備します。

あ、ちなみに、ジャワの結婚式は、本人たちが行うのではなく、両親たちの行事です。ですので、本人たちの知り合いだけではなく、両親の知り合いや関係者、近所の方たちがこぞってやってきます。ですので、お客さんの数はものすごいです。

 

以下は、男女ペアの踊り

f:id:Kaoriok:20180918223930j:plain

「結婚式でのカロンセ」

 

そして、下の写真は結婚式場で踊った時のものです。こんな感じの通路で踊ります。この時は男踊りを踊りました。

f:id:Kaoriok:20180918225304j:plain

「結婚式でのメナッコンチャル」

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。