香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊やガムラン音楽に関すること、日々の気付きや学び、海外生活で見聞したこと、大好きな植物や動物に関してなどを、私が感じたことを気ままに、ゆるゆると書いていきます

パワーストーンにちょっとはまっています(笑)

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

最近、いわゆるパワーストーンにはまっていました。ちょっと落ち着きましたけれども、1ヶ月ぐらい、いろいろ調べまくっていました。

 

以前、ジャワにいるときに、日本からパワーストーンブレスレットを送ってもらった顛末を書きました。

以下からお読みいただけます。

カメラとパワーストーンを日本からEMSで郵送 - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

 

不思議な力のある女性に私に合わせて作ってもらったブレスレットですが、身に着けた途端、手のひらのびりびりが戻って来たのですよね。

戻って来たというのは、以前、長い間手のひらがびりびりしていたことがあるのです。ここ数か月していなかったので、忘れていましたが。

以前は、2017年10月1日に大神神社御神体三輪山に、妹に誘われて登った後。1年ぐらい、手のひらがびりびりしていたように記憶しています。

 

そして、今回、パワーストーンブレスレットを着けてみて、手のひらのびりびりが始まって、ちょっとパワーストーンに興味を持ち始めたのです。三輪山でももしかして、岩がビリビリの原因だったのかもと。

 

作っていただいたパワーストーンに入っていた石は、ほとんどが水晶。他に少しオパールとジルコン、ローズクオーツ(水晶の一種)が入っていましたが、ほぼ全体に透明のキラキラな美しいブレスレット。

でも、ブレスレットを作り直してもらう前に、その女性にあった時に、「あなたには緑が良いんだけどねぇ」と言われたことが気になっており、今回のブレスレットに、緑色のものが入ってくるかと思ったら、入っていなかったのです。それは、私が、普段でも使いやすいように、あまりカラフルにしないようにお願いしたからだと思います。(でも、ちょっと私の意図が理解されていなかったかな。)

それで、もしかして緑色もあった方が実はよいのかしらと思い、緑色のパワーストーンのことを調べ始めたら、私の誕生日からラッキーカラーを調べるあるサイトに行きつきました。それによると、私のラッキーカラーは、青・緑・黒・赤・紫だそう。そして、たどり着いたのが、ラリマー。その美しい色に一気に惹かれました。

そこから、憑りつかれたようにいろいろ調べて、今では、いくつかのパワーストーンのブレスレットなどを所有しています。

自分でも、改めて凝り性なんだなぁと気づいたりして。

でも、きっとそれらのパワーストーンたちも、私に縁があったから来てくれたのでしょう。

 

パワーストーンを身に着けるようになって、驚いたことがいくつかあります。

それは、パワーストーンたちが、日によって表情を変えること。石によっては、結構な色の変化があるのです。目の錯覚かと思いましたが、そうでもなさそう。

こういうことを書くと、怪しい人だとか、頭がおかしいと思われるかしら(笑)

 

まず、爆裂水晶。最初のブレスレットに二つ入っていた石です。二つ目のブレスレット(ラリマー、チャロアイトスギライト、アゼツライト、水晶の入ったもの)を購入して一緒に腕にはめた途端、すごく綺麗に、様々な色に輝き始めたのにびっくりしました。

ちなみに二つ目のブレスレットは、ラリマーがほしくて、いろいろ迷っているうちに、もう面倒になってきて、エイッと注文してしまったもの。ラリマー、チャロアイトスギライトは世界3大ヒーリングストーンと呼ばれているそう。アゼツライトも、その時初めて知りましたが、大きなパワーを秘めているそう。まだ、つけはじめて1ヶ月だからか、はっきりと効果を感じているわけではないですし、石も小さいですが、綺麗で、見ているだけでも癒されますね。知らず知らずのうちに、実は大きく癒されているのかも。

 

そして、ラピスラズリ。昔からラピスラズリが好きでした。ラピスラズリとガーネット、ヒマラヤ水晶のブレスレットがお値打ちだったので、購入したものですが、ラピスラズリが、日によって白っぽい部分が増えたり、濃い青に戻ったりするのです。そして、ガーネットは、最初買ったとき、とても暗く、黒っぽい感じだったのに、だんだん赤っぽく、美しくなってきたのです。たまに日に透かしては、綺麗だとうきうきしていたからでしょうか。ちなみに、このブレスレットはなぜかとても強い感じがするので、仕事をするときなどにはめています。

 

そして、美しい紫のマーブル模様のチャロアイト。これも、たまに、明らかに白い部分が増えたり、元に戻ったりするのです。そして、黒に近いような暗い色だったスギライトも、少し明るく、紫っぽくなってきました。美しいです。

 

透明感のある灰色っぽい一見地味な石ですが、光の加減や角度で、青や青緑、緑、黄色、オレンジ、ピンクなどの美しい遊色(ラブラドレッセンスというらしいです)の出るラブラドライト。どこかの店で見て、その美しさに見とれました。でもとても高くて、手が出ませんでした。

とても気に入ったので、ネットで、かなりお値打ちなものを見つけ、一連のブレスレットを購入してみましたが、安いので、どうかなと思っていました。届いた当初、綺麗だけれども、そこまで美しくないかな、やはり値段が安いからかなと思っていたのです。濃いめ青のラブラドレッセンスが出るものがきれいだと思っていたのですが、そのブレスレットは、青緑や黄色、水色が多く、ちょっとがっかりしていたのです。でも、身に着けて、太陽の下でお出かけしてみたり、その美しさを楽しんでいるうちに、明らかに、ラブラドレッセンスの色が濃くなり、今は、好みの濃いめ青のラブラドレッセンスが出る球がたくさん出てきました。きれいで、よく観察していて、「綺麗ね~」と石に話しかけていたからかしら。植物でも、ほめて、かわいがってあげると良く育ちますが、石もそうなんですね。本当に不思議です。でも、確かに石も生き物ですからね。

ちょっとしたことで輝きを増したり、興味深いです。

 

あと、知り合いの商店で作ったブレスレット。北投石を練りこんだビーズが、とても健康に良いということですすめられ、いろいろ体に悪いところのある私は興味を持ち、でも北投石だけだと味気ないかなと、他の石を合わせたのです。タンザナイトモルダバイト、水晶です。

たまたまルースの球があり、サイズが合い、気になった石を合わせたわけです。タンザナイトモルダバイトもその頃気になっていた石。両方とも、その時初めて見ました。特にモルダバイトは、とても気になっていて、でもモルダバイトはとても高価なので、安くしてもらったとはいえ、私としては思い切りました。迷ったのですが、モルダバイトを一粒入れた方が素敵でしたし、何とも言えない深い緑色に魅かれたのですよね。

店先で、自分でブレスレットに組ませてもらいました。

早速身に着けて仕事をしていると、眉間の辺りがジンジンして、なんだかすごいパワーを感じる!ちょっと耐えられなくて、外しました。

数日で慣れましたが、これは石酔いというのでしょうか。

他にも石酔いした石はあるのですが、よく原因もわからないので、あまり書きません。だいたい数種類の石を一緒に身に着けているので、どれが影響しているのか、はっきりしませんし。ブレスレットは石数が多く、ものによってはかなり高価になりますが、ペンダントは、1つか2つの組み合わせが多く、安いものも多いので、ペンダントも2つほど持っているのですが、ペンダントの方が私には、石酔いなど影響が強いように思えます。でも、浄化したり、大事にして、しばらく着けたり外したりしていると、石酔いはとまるようです。でも、小さなモルダバイト原石とギベオン隕石のペンダントは、3週間ぐらい経つ今でも、結構、眉間にきます。

だからなんだという訳ではありませんが。

 

パワーストーンって、どういうパワーがあるのか、私にははっきりわかりませんが、なんだか、興味深いなぁと思っている今日この頃です。

 

パワーストーンが関係しているか分かりませんが、ものすごい幸福感を感じることが増えたかも。これが何なのか分かりませんが、1年ぐらい前から、短時間ですけれども、みぞおちの辺りを中心に広がっていく、「すごい幸福感」と感じられる感覚が時々あったのです。(怪しい人みたいですかね~。)ちょっと至福の感覚です。瞑想や座禅を、(数か月やらない時もありますけれども、)それなりに継続してやったり、いろんな気づきがあったからかなぁと思っていました。その感覚が、パワーストーンを持ちはじめてから、頻繁に起こるようになり、不思議です。まあ、実は、パワーストーンとは全然関係ないのかもしれませんけど、何か関係あるのかなと興味津々です。

 

縁があって、私のもとに来てくれたパワーストーンたち。大事に扱い、変化を楽しんでいきたいなと思います。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

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平成の終わり

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

平成の時代が終わろうとしていますね。

平成が始まった時、何をしていたのか覚えていませんが、昭和天皇がお亡くなりになった時、友人たちとスキーへ行っていた記憶があります。暗い感じで平成が始まった記憶がありますが、今回は、ご退位ということで、お祝いムードで良いと思います。また、令和という名前も、意外でしたが、なぜか見た瞬間に気に入りました。

天皇には、日本のために祈り、日本のために尽くしてくだり、日本のために在ってくださって、本当にありがとうございましたという気持ちでいっぱいです。

 

不思議なことに、偶然にも、長い間気になっていたことで、今のこの時期に片付きつつあることも。

この平成の30年間、私にとっては激動の時代であり、本当にいろんなことがあったけれども、不要なものは、手放していけつつあるようです。

 

思えば、平成の時代は、日本にあまりいなかった…。平成3年には日本を出てしまったし。なので、平成の振り返りテレビ番組を見ていても、あまりよく知らなかったりします…。なので、「へ~。こんな風だったんだ」という感じです。

 

でも、何よりも、今こうしてあることのありがたさ。

ありがたいなぁ。

 

令和の時代になったら、雰囲気も変わるのでしょうかね。

 

令和は、いろいろあっても、みんな、心豊かに過ごせる時代になると良いなぁと思います。

 

私自身は、いろんな事が起こるでしょうが、ブログの題名にもあるように、流れる水のように、燃える火のように、静かな大地のように、自由な風のように、自然に過ごしていけたらと思います。

 

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

<今日の植物(家の植物シリーズ)>

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「挿し木から育てたウツギの花」photo by Kaori



 

 

マンクヌガラン王宮での舞踊練習 ~それにまつわる思い出といろいろ思うこと

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

引き続き、1月末から3月半ばまでジャワに滞在した時の記録です。

 

今回は、マンクヌガラン王宮でのジャワ舞踊の練習について。

でも、書いているうちに、だんだん思い出話が多くなってしまいました。(笑)

 

まず、背景に関して

私は、2003年からの留学当時から、ずっと縁あってマンクヌガラン王宮での舞踊練習に行かせていただいています。

話はちょっと逸れますが、実は、留学した時がジャワへ初めて行ったときでもあります。今考えると、行ったこともない土地によくぞ行ったなぁと思います。まあ、縁があったのでしょうね。あ、でも考えてみれば、アメリカに留学した時も、ハワイ以外のアメリカに初めて足を踏み入れた時でした。怖いもの知らずでしたし、それが普通だと考えていたのでしょうね。

その当時住んでいたアメリカ西海岸から、飛行機は日本経由だったにもかかわらず、日本にも寄らず、そのままソロへ行ったわけですが、もちろん、アメリカでは、ジャワ舞踊やジャワガムランに縁があったからこそ、ジャワ行きを決めたわけです。実は、当時はバリ舞踊とバリガムランもやっていて、どちらかと言えば、バリ芸能の方がその当時はやる機会も断然多く、舞踊もガムランもバリの方が断然よくできたと思います。でも、ジャワ舞踊もガムランにとても魅かれていたのですよね。良いジャワ舞踊の先生に出会ったことも大きかったかな。(ちなみに、その方はソロの芸術大学出身で、今でもアメリカに住んでいらっしゃいます。)そして、何より、バリには日本人が何百人もバリ芸能を学んでいると聞いていたので、ひねくれものの私は、そんな日本人がたくさんいるところに行ってもつまらないと思ったこともあり、ジャワ行きを決めたわけです。今は、日本は素晴らしいと思いますが、アメリカに出たころの私は、自由に生きたい私のような人間には日本は住みにくく感じ、あまり好きではなかったのです。まあ、他にもいろいろ複雑な事情も絡んでいましたが、それは置いておいて、何事も縁ですかね~。

 

かなり脱線しましたが、そんなわけで2003年9月からジャワへ留学したわけです。当時、アメリカで何度かお会いしたことがあった、ソロのもう一つの王家、カスナナン家の王族の方に連絡を取ってあったので、その方や、ソロの芸術大学の外国人受け入れ部署の関係者が空港まで迎えに来てくれていたことを覚えています。

 

カリフォルニア芸術大学留学中に、誘われたことから、カリフォルニアでジャワ舞踊・ガムランと、バリ舞踊・ガムランを始めたわけですが、先生方は、みんなジャワやバリの方々でした。そして、ジャワガムランの先生が、ジャワに留学するならソロにするように勧めてくれたので、ソロにしたわけです。

また、縁あって、ロサンゼルスのインドネシア領事館でのイベントで踊らせてもらったり、練習で使わせてもらったりしていたのですが、当時、経済担当の領事だった方の、お母様がマンクヌガラン王宮の舞踊の先生ということで、紹介を受けていました。タルウォ先生という方。もちろん本名はもっともっと長く、Suyati Tarwo Sumosutargyoとおっしゃいます。Tarwoさんというのは、旦那様のお名前ですね。ちなみに、ジャワでは苗字というものはないです。

タルウォ先生が、私がソロに行ったら学ぶべき先生のリスト(私のジャワガムランの先生に、いろいろ聞いてリストにしていたのです)に入っていたこともあり、アメリカにいる時から、縁を感じていました。

また、ソロに着いてから知り合った、日本人の舞踊を学んでいる方々も、みんなマンクヌガラン王宮で学んでいたので、その方々のご紹介もあり、ソロに到着して、早いうちからマンクヌガラン王宮の練習に参加することができるようになりました。

そして、タルウォ先生にも、留学してすぐに個人レッスンを受け始めました。

 

もう、16年近くにもなるのですね。何と早い。その間、素晴らしいことも、権力闘争などに巻き込まれて嫌な思いをしたことも、本当にいろいろありましたが、今でも関わらせていただけるのは、ありがたいばかりです。

 

さて、背景はここまでにして、私がマンクヌガラン王宮で参加させてもらっている舞踊練習は、主に3つあります。

 

まず、王宮の大プンドポの上で行われる練習。生のガムラン演奏で行う練習です。水曜日の10時から12時まで。平日の昼間なので、今回の滞在中は一度もいけませんでしたけれども、大プンドポは、音の響きが素晴らしく、そこでのガムラン生演奏での舞踊練習は至福です。私にとっては、大事な練習の場です。以前は、うまい踊り手と一緒に踊る機会も多く、多くを学んだ場でもあります。うまい踊り手と一緒に踊ると、エネルギーの交流をビンビン感じ、その中から、そこでしか学べないようなこと、言葉では言い表せないような、大事なこと、素晴らしい感覚を受け取れます。それを自分の踊りに生かしていくわけです。

タルウォ先生によると、昔は、この水曜日の練習は、みんな9時には来て準備をし、10時にちゃんと舞踊練習が始まっていたそうですが、だんだんみんな遅くなってきて、今では、10時に来ている踊り手はほとんどいないですね。(私はなるべく遅くとも10時には行くようにしていたので、知っていますけれども…。)着替える時間も必要なので、時間もかかり、たくさん踊りの練習をしたい私としては、踊りの練習の時間が少なくなることが残念です。何時に始まっても、必ず12時か、その前には終わりますので。残念ながら、最近、ますますみんな来るのが遅くなってきているような気がします。演奏家も必ず早くから来ている一部の方々を除いて来るのが遅く、10時過ぎに一応始まりますが、少ない人数で、グンディン・ボナンという種類の曲を演奏し始め、だんだん人数が増えていく感じです。

だんだんみんなが来る時間が遅くなるのは、やはり、王宮というか、王家としての求心力が無くなってきているのが原因なのでしょうかね。それだけ、魅力が無くなってきているとか。

まあ、経済を最重視する今の世の中では、それも致し方ないのかもしれませんし、のんびりしているところが、ジャワの良いところでもありますが、こういう面はちょっと残念に感じます。

あとは、昔からそうなのかもしれませんが、人間関係や権力争いの問題。本当に、みんな仲良くやればよいのにと、いつも残念に思います。私自身、なるべく中庸に立つようにしているつもりですが、なぜか決めつけられ、巻き込まれて嫌な思いをすることもあるので、本当に残念に感じます。もっとも、私にも欠点はあると思うので、一方的な見方をするわけにはいきませんけれどもね。

ジョグジャカルタの王宮での練習にも参加していましたが、もちろん、そちらでもいろいろ問題は耳に挟んでいましたが、練習時の雰囲気や、練習にくる踊り手や演奏家の人数の多さ、そして、みんな王家や王宮を愛し、敬意を払っている態度が随所に見られ、舞踊やガムランがとても隆盛している模様をみているので、マンクヌガラン王宮の状況は本当に残念です。争っている場合じゃないだろうと思うのですけれども…。

まあ、人間ですからいろいろあっても仕方ないかもしれませんが、多くの人が気持ちよく練習できる場になってほしいなと願っています。その方が、みんな気持ちよいと思いますし、マンクヌガラン王宮の芸能にとって大切だと思うのですけれどもね。

まあ、私自身は、踊りの練習がしたいだけなので、いろいろあってもあまり気にせずに練習に行きますし、何と言われようと、自分が思うように行動しますけれどもね。

この練習も参加させていただけて本当にありがたいです。そして、状況が変わるとコロッと(仲間外れにされるのが怖いからでしょうか)一斉に180度態度が変わる人たちの中にあって、いつも変わらない態度で接してくれる友人たちや先生方のありがたさが身に沁みます。何事も、良い経験ですね。

そして、みんなそれぞれの立場でいろいろあって大変なのでしょう。でも自由で豊かな心でお互いに接することができたらどんなに素晴らしいだろうと思います。

 

なんだか話が逸れましたね。

 

さて、マンクヌガラン王宮の舞踊練習は、月曜日と土曜日の夕方4時半から6時、録音した音源を使っての舞踊だけの練習もあります。こちらは、大プンドポの上ではなく、脇で行われています。こちらの練習も、4時半に来ているのはごくわずか。結局、5時ぐらいに始まり、一曲踊って長い休憩があり、もう一曲でおしまいという感じ。

以前は、もうすこし熱心にやっていた記憶があるのですけれども、最近は、練習に来る人もわずかで、なんだか、だらだらやっているという印象が否めません。覇気がないというか。

そんなわけで、私も行ける時は行きますが、無理して時間を作ってまで行こうという気にはなれないでいます。なので、今回の滞在でも、この練習に参加したのは一度きり。貴重な練習機会ではあるのですけれども、頑張って行っても、人が集まらずに練習がなしになることもよくあり、まあ、のんびりしているというかなんというか。

 以前はいろいろ勉強になる練習だったのですけれどもね。なんだか残念です。また、盛り上がることを願っています。

 

私がジャワ留学当初から参加し、今回の滞在でも、出来るだけ参加していたのは、Pakartiと呼ばれる練習グループ。マンクヌガラン王宮の東門側にあるプランウェダナンと呼ばれる小さなプンドポで、水曜日と日曜日の夜行われている、一般の方の参加もウェルカムな練習です。私が留学していたころから、多くの外国人留学生も練習に参加していました。そして、近所のおじさんたちも参加。最近では、若い子たちがものすごく増えましたね。そして珍しく、男の子の踊り手がとても多い。

私が留学していたころは、ガムラン練習が主で、踊りの曲もやりましたが、やっても1曲か2曲。それで、踊れる人がいて踊りたかったら踊るという感じの練習でした。そして、7時に始まり、9時きっかりに終わっていました。私は、芸術大学で、ジャワ舞踊だけでなく、ジャワガムランの授業もたくさん受けていましたし、Pakartiを指導してくださっているHartono先生にも、留学当初から舞踊曲の太鼓やボナンを学んでいたので、私にとっては、ガムランの練習ができる、貴重な機会でした。Hartono先生に学んだことだけではなく、よく、芸術大学の授業などで学んだ曲の練習をやらせてもらったものです。専門的な話になりますが、今のPakarti の練習ではほぼ絶対にやらない、Gd Onang onang などのirama rangkep のある曲も練習させてもらっていたのです。あの頃は、他のガムラン練習にもいくつか顔を出していましたが、Pakarti では、踊りの曲の練習もでき、いろいろリクエストを聞いてくれたのも貴重でした。

 

2006年に留学が終わって日本へ帰国後も、毎年ジャワへ行く機会があり、なんだかんだとジャワで長期滞在する機会に恵まれ、結局、トータルにすると、10年ぐらいジャワに滞在する機会があったように思います。その間、ジョグジャカルタに住んでいた時期も長いですが、毎週のようにソロに行き、ソロにいれば、この練習へ行ったものです。

2011年だったでしょうか。ある時、Gusti Heru(現王マンクヌゴロ9世の弟君)が、Pakartiの練習に頻繁に顔を出されるようになりました。彼自身も踊り手でいらしたので、多くのマンクヌガランの踊り手たちと仲良くされていて、彼が誘ったのか、その頃、多くの踊り手が練習に参加するようになりました。

Pakartiの練習も、いつもは9時きっかりに終わっていたのですが、Gusti Heruがいらっしゃるのに、さっさと練習を終わるわけにいかず、Gusti Heruにお伺いを立てながら、Gusti Heruがやりたいと思われる踊りを練習し、10時半ぐらいまで練習をするようになりました。

私もGusti Heruには、本当にいろいろ引き立てていただき、仲良くしていただき、いろんな場面でマンクヌガラン王宮の踊り手として踊る機会も与えていただき、いろんなところに遊びに連れていっていただき、舞踊衣装も彼秘蔵のものをコピーして作らせていただいたりして、本当に感謝でいっぱいです。残念ながら、彼は2012年の7月に50代前半の若さ(ちょっと年を忘れてしまいましたが51歳だったかな)で急死され、私はちょうど日本に一時帰国している時で、ものすごくショックでした。

いつも、Pakartiの練習に来るときは、8時前後にいらしたと思いますが、みんなで食べるように、たくさんのお菓子を持ってこられ、にこにこと明るく、そしてジョークも満載でいらっしゃっていたことを覚えています。

Gusti Heruがいらっしゃり始めたころは、多くのうまい踊り手のお姉さんたちが来てくださっていたのですが、来たり来なかったりで、忙しいのか、だんだん来なくなり、また、踊りのうまいお姉さんたちも、実は、踊りの振りは、実はあまり良く覚えていなかったのですよね。だいたい、大プンドポでの練習でも、覚えている人についていけば踊れてしまいますし、よほどポピュラーな踊りでない限り、みんな舞台などがある直前に思い出す/覚えるぐらいで。今でも、それは変わっていない部分もあります。

加えて、そのお姉さんたちがいらっしゃらないと、後は、まだ新しい子たちばかり。私は、もともとモダンダンサーで、振りを覚えるのは得意で、よく練習もしていてマンクヌガランの舞踊もよく覚えていたので、結局、私がいつも一番前で踊る羽目になっていました。私は外国人なのに、こんなことでよいのだろうかと思いましたよ。でも、きっとそれが私のお役目だったのだろうと思います。私自身、しっかり学んできましたし、誰よりも、多くの踊り(男性舞踊も女性舞踊も)を学んできた自負もあったので、学んできたことを伝えるつもりで、先頭に立って踊っていました。でも、マンクヌガラン内でも様式のいろんな解釈があり、私なりに解釈したり、取捨選択している部分もあり、そういう部分は私の解釈でみんなに伝わってしまっているだろうなとは思います。時々、私と同じように踊っている子を見て、ドキッとしたりしていました。その点は、どうだったのかなと、今でも思うことがあります。でも、人から人に伝わっていくものは、どんどん変わっていくのも、私自身、この15年間で多くと見聞きしていますし、いろんな批判はあっても、結局はその芸能自体を豊かにし、いろんな踊り手との交流や長い文化の流れの中で淘汰されていくでしょう。

 

話はずれますが、私自身、ちょっとした様式の解釈の違いで、「自分のやり方の方が正しく、伝統を守っている」と争っているのを、波はあるとはいえ、この15年間、マンクヌガランでずっと見て、双方から聞かされきているので、その辺りかなり辟易していますね。そんなこと、その時の状況や、踊り手の体型、癖や嗜好にによって変わる程度のことだと思うのですが。この15年間、本人たちは気付いていないかもしれませんが、私にすれば、どちらもかなり変わってきていると見えるのですがね。多少の違いがあっても、豊かになるだけでよいではないかと。芸能なんて、その時の文化や社会情勢によって変化するのが当たり前だし、変化しなければ、生き残っていけないではないかと、私は思うのですが。もちろん、守るべきところはあるのでしょうが、それは、いがみ合ったり、人を傷つけたりしてまで守るべきことなのかと思います。まあ、私には理解できない、感情の行き違いもあるのかもしれませんし、それでも、最終的には、芸能はあるべき形に落ち着いていくのだろうと、私は考えているのですが、私はいつも「みんな仲良くやってよ」と思いながら、見ています。そんなにいがみ合っていて、醜い顔になっているよ~と思いながら。

 

話を戻します。私は、私の存在が刺激になって、みんなが成長し、もっとマンクヌガランの芸能が発展すると良いなという気持ちもありました。なので、よく、最近踊られない踊りのリクエストもしたものです。長いバージョンの踊りや、しばらく踊られていなかった男性舞踊なども、いろんな人にその存在を聞いて、リクエストしていました。ある意味、外国人であるからこそ、心おきなく、そういうことができたのかもしれません。私自身、マンクヌガランの伝統である、女性が男性荒型も踊り、女性演者だけで行われるラングンドゥリヤンという歌いながらのジャワ舞踊オペラのようなものもやりますし。今となっては、やれる人が本当に少なくて、残念です。機会があれば、ジャワの子たちにもやるようにと、かなりプッシュしているのですが、マンクヌガランの踊り手(マンクヌガラン様式舞踊を理解している人)でやる人は、やはりとても少ないですね。私が大プンドポでの練習で、男性荒型を踊ったり、ラングンドゥリヤンのメナッジンゴ(男性荒型の役)をやったりすると、タルウォ先生がいつもとても喜んでくれてました。私自身、マンクヌガラン様式の男性荒型は彼女に学んだので、きっと、Tarwo 先生は、この伝統を残したいと願っているに違いないと思い、他の女性の踊り手もいつも一緒に踊るように誘っていたのですけどね。やりたい人はすごく少ないです。

 

さて、Pakarti に戻ります。私はと言えば、Gusti HeruがPakartiの練習にいらしていた頃は、実は、私はPakartiでは、もっとガムランの演奏の練習をしたかったのですよね。それで、いつも、いろんな人の視線を感じながら、ぎりぎりまでガムランのところにいました。どんな視線かと言えば、その頃、練習に来る外国人が多かったので、みんな、演奏したい楽器があるのですが、そこに私が座って演奏しているので彼らが演奏できず、早く立って踊ればよいのにという視線、そして、Gusti Heruはじめ、踊り手側からも、みんな振り覚えていないんだから、かおりが早く立って踊ればよいのにという視線。でも、私は、絶対に8時まではガムランを演奏するんだと意地になって決めていました。

あ、Hartono先生の奥様で、舞踊の指導をされているUmi先生は、もちろん、踊りは覚えていらっしゃいますが、Umi先生は、クプラッという、踊り手に合図を出す楽器を演奏されることが多いので、やはり、踊りを覚えていて、前に立って踊る人が必要だったのですよね。

それで、Hartono先生にもいろいろ気を使わせてしまいましたね。私が難しい楽器の練習ができたら、満足してさっさと立って踊るだろうと思われたのか(実際そうなのですが)、とにかく、私には最初から、太鼓、ボナン、グンデル、ルバーブなどの難しめの楽器をやらせて、早く満足させようとしているのを感じましたね。なんだか申し訳なかったですが、本当にありがたいことです。

 

ジョグジャカルタで仕事をし始めた2014年ごろからは、仕事も忙しく、ジョグジャカルタからソロの移動も、距離的には60キロしかないですが、交通事情が悪くてとても大変で、Pakartiの練習も、基本的に日曜日しか行けませんでした。また、ジョグジャカルタで学術調査に入っていた2011年か2012年ごろから始めていたジョグジャカルタ様式舞踊も熱心にやっていたので、ジョグジャカルタ様式と、マンクヌガラン様式、ソロ様式をきちんと踊り分けられるようになるべく(これがなかなか至難の業なのです)、なるべく多く踊る機会がほしかったので、Pakartiでは、最初の1曲のみ演奏して、その後は、ずっと踊りに入るようになりましたね。この頃はすでにPakarti では、踊り以外の曲は、最初に演奏するグンディン・ボナンと、最後に演奏する短い曲だけになっていましたし。

 

ガムランの方は、それまで学んだことを忘れない程度に、自宅で先生に練習に付き合ってもらっていました。

ソロ様式舞踊も、先生のご自宅で、個人レッスンという形ではなく、一緒に練習するという名目で、練習に付き合っていただいたり。本当に恵まれた環境だったと思います。

ジョグジャカルタ様式舞踊も仕事の後、週2回程度、結構フラフラになりながらでも、レッスンしてもらいに行っていました。

そして週末はソロへ行くことが多く、月曜の一番の列車でジョグジャに戻り出勤と、自分でもよくやっていたなぁと思います。

 

あれ、また話が逸れましたね。

さて、Pakartiの練習です。

2011年、2012年ごろから来始めて、今でも継続してきている子たちが何人かいますが、彼らが本当にうまくなって、頼もしいばかりです。嬉しいことに、今では、彼らから学ぶことも多いですね。

そして、新しい若い子たちも来ていますね。すぐ横に、マンクヌガラン芸術学院という、マンクヌガランの芸術を教える学校があり、学位はとれませんが、ディプロマがとれ、夕方から授業のようで、働いている子たちが通っています。そこの子たちが、多くPakartiの練習にも参加しています。

今回参加した時、外国人留学生で、Pakartiに参加する人が減ったなぁとは感じました。でも、ジャワ人の若い子たちも以前に比べて、ガムラン演奏の練習にくる人が増えたように感じます。それでも、たまに、ぽっと、いつも太鼓をたたいている人たちが誰もいなかったりする日もあり。以前は、Hartono先生が叩いていたので、問題なかったのですが、お年を召されて、手に問題があるので、ご指導だけで演奏はされず、演奏者の数が少ないと、いくら踊り手がたくさん来ても、練習にならないのですよね。

そんな日は、踊り手で太鼓が演奏できる人が太鼓をたたいたり、私自身も叩かしていただいたりしました。私にとっては、貴重な練習機会で、逆にありがたかったりして。踊り手なので、踊りの太鼓はよくわかっていますが、実際に叩いてみると、「あれっ」となることが結構あるのですよね。

Pakartiの練習で何が良いかと言えば、練習に来る人たちの感じがとても良く、雰囲気がとても良いこと。そして、多くの踊りの練習ができることですかね。もちろん、マンクヌガランの「どちらが正しいか」争いの一端になっているなど、気になる問題点も多々ありますけれども、明るい雰囲気の中で、和気あいあいと練習できることがどんなにありがたいことか。

そんなわけで、今回の滞在中も、少し無理してでも、出来る限り水曜日、日曜日は練習に参加していました。

 日本では、私の住んでいる辺りでは練習仲間が全くおらず、東京や大阪での練習の時以外は、一人で練習するのみなので、大勢で練習できるのは、とてもありがたく、楽しいです。そして踊ったり、演奏したりしていると、心が満ちていきます。

今回の滞在でも、私にとってとても大切な時間となっていました。

 

思ったより、かなり長くなりましたね。書き始めたら、いろいろ脱線してしまいました。

今回はここまで。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

<今日の植物(家の植物シリーズ)>

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「家のミディ/ミニ胡蝶蘭たち」photo by Kaori

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャワでのお葬式に関して少し…。

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

今回も、1月末から3月半ば過ぎまでのジャワ滞在時の記録と、その時に感じたことの続きです。

 

実は、今回の滞在中、何人か知り合いの方がお亡くなりになったのですよね…。

50歳代から70歳代の方々。

ジャワでは、長生きの方ももちろんいらっしゃいますが、日本に比べて、やはりまだ若い時にお亡くなりになる方が多いように感じます。私自身、若くして(20歳代~50歳代で)亡くなった友人が何人もいますし。

特に、今回はジャワに到着した日に、わりに仲良くしていた芸術大学の先生がお亡くなりになっていたのが、とてもショックでした。確か、まだ60歳ぐらいだと思います。

 

長くジャワに住んで思ったことは、残念ながら、ジャワの医療水準は概して低いということ。日本だったら助かったかもしれないと思う、すでに亡くなられた方たちも結構周りにいます。余談ですが、ジョグジャカルタの空港でシンガポール行きの飛行機の待合室には、シンガポールで治療や健康診断を受けるジャワのお金持ちがたくさんいます。

 

長生きが必ずしも良いとは思いませんし、死が悪いものだとも思いませんが、やはり、お別れというのは悲しく、寂しいものです。

それでも、受け入れるしかないですけれども。

そして、ジャワの方たちは、しなやかに受け入れる力が大きい方が多いような気がします。

 

ジャワは圧倒的にイスラム教徒が多いのですが、イスラム教徒の場合、基本的に24時間以内に埋葬となります。ですので、早朝お亡くなりになれば、その日の午後に、お葬式も埋葬もすべて終わることが多く、午後にお亡くなりになれば、次の日の午前中にはすべて終了することも多いです。ただ、家族が遠方にいて、すぐには来れない場合は、その限りではないようです。

そんなわけで、付き合いの濃いジャワでは、誰かが亡くなると、すぐに駆けつけなければならず、日本とはかなり事情が変わってきます。

芸術関係者が亡くなると、芸術大学の先生たちでも、少数の先生たちを大学に残して、みんなお葬式に行ってしまいます。

そして、お葬式も、自宅で、自宅前の道路を通行止めにして行うことも多いです。

 

私は、今回、仕事が忙しかったこともあり、急に抜けるわけにもいかず、お葬式は失礼してしまったのですけれども、行かないのかとびっくりされましたね。

ジャワでは本当に付き合いが濃いです。

 

今日はこんなところで…。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

<ジャワの庭の花>

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「ジャワのイランイランの花」photo by Kaori

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャワでの携帯電話と携帯電話番号の取得~これがなければ何も始まらない 2019年1月29日

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

先日に引き続き、1月末から3月半ば過ぎまでのジャワ滞在の個人的記録です。プラス、ジャワで生活していて思い出したことも少し加えています。

 

ソロ到着の翌日、とにかく、携帯電話番号がなければ何事も始まらないので、朝から携帯電話と携帯電話番号を買いに行きました。

携帯電話がないと困るというのは、縛られているようで、嫌な部分もあるのですが、仕方がないですね…。ちなみに、私は2003年にジャワへ留学したのですが、それまで住んでいたアメリカでは携帯電話を持っていませんでした。自由で良かったです~。

ジャワへ行って、初めて携帯電話を持ったのですが、それは家電話があまり普及しておらず、いろんな人と連絡を取るのが大変だったからです。特に、その頃はジャワ舞踊やジャワガムランの個人レッスンを、盛んにやっていたのですが、携帯電話がないと、その先生方と連絡を取るのも大変でしたので…。ちなみに、その頃は、SMSで連絡を取るのが普通で、なるべく安くあげるために、単語を短縮することが普通で、何のことやらわからないことも多々ありました。でも、だいたい母音を省略していたような気も…。

今は、ジャワではWhatsAppを使うことが多いですかね。Lineと似たようなアプリです。ジャワではWA(ウェーアー)と呼ばれます。もちろん、SMSもいまだ健在ですが…。

 

ジャワでは、携帯電話はプリペイド式が多く、携帯電話番号は、使い方や入れた金額によって有効期限が変わり、しばらく何もしないと、その番号は無効になり、使えなくなってしまいます。日本からでも、その番号に入金しておけばよいのですが、今回、こんなに早くジャワに戻ってくると思っていなかったので、また番号を変えればよいやと思って、番号を失効させてしまっていたのですよね。

ちなみに、現在、インドネシアの携帯電話番号にプリペイドの金額を入れるのには、便利な方法がいくつもあり、GojekやGrabといった、スマホを利用した配車サービスのアプリを使ったり、Link Aja!、Mandiri e-cash、Ovoといったスマホのe-cashアプリからも入れることができます。それらのアプリにお金をあらかじめ入れておけば、日本にいても、簡単に携帯電話のプリペイドのお金を入れることができるのです。それらのアプリには、インドネシアの銀行口座を持っていて、internet bankingの手続きをしていれば、日本からも入金することができますが、そうでなければ、インドネシアのコンビニなどで入金することができます。

 

さて、まず、朝ご飯というわけで、ソトを食べました。おいしい。

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「朝食のソト」photo by Kaori


そして、マタハリというデパートへ。私が留学していた時からある、老舗のデパートで、一階にはたくさんの携帯電話ショップがひしめいています。

携帯電話は、以前使っていたインドネシアで購入した携帯電話が壊れてしまっていたので、新しく買いなおすことにしたもの。お値段もお手頃で、でもramも私の使用法には十分にあるOppoというブランドのA3sという携帯電話にしました。思ったより大きい…。

買った携帯電話は使いやすいですが、やはりカメラがしょぼい。まあ、日本では、iphone 7を使っているので、それと比べたらいけないでしょうが、それにしても、使えない感じですね。安いから仕方ないですけれども…。

でも、赤い色でかわいい。

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「購入したスマホ」photo by Kaori




携帯電話は、結構すんなり買えたのですが、携帯電話番号を取得するのに、かなり時間がかかりました。SIMカードを買って、携帯電話会社のオフィスで、パスポートを持って登録に行かなければ使用できません。そして、そこが大抵混んでいるのです。

Telkomselという会社の携帯番号を使いたいので、Grapariへ。そこの入口外でSIMカードを買い、中でかなり待って、携帯電話用とモデム用の2つの番号をやっと登録でき、これで、みんなと繋がれるようになりました。

ちなみに、モデム用のSIMカードは、古いスマホに入れて、そこからデザリングをして、自宅でノートパソコンなどに繋ぐためのもの。家には、ネット環境がないので、いつもこうやってネットに繋げています。もちろん、新しいスマホでのデザリングでもできるのですが、電池が早くなくなるし、なんとなく、分けて使っています。

 

話はそれますが、SIMカードの種類について少し。最近は、TelkomselのSIMカードを使うことが多いのですが、あまり意識していなかったのですが、TelkomselのSIMカードでも、何種類かあり、それぞれ、使用ルールが違うことに気づきました。私は、Telkomsel=Simpatiだと思い込んでいたのですが、Simpatiは、Telkomselが出しているSIMカードの一種で、今は他にも、Kartu ASやLoopなどいろいろあるようです。今回、SIMカードを買う時に、そういう説明は一切なく、「(ネット接続のために)何ギガ入っているSIMカードを買いたいか」と聞かれ、大きめのギガ数のものを選んだら、Loopというカードだったわけです。Simpatiだったら、プリペイドのお金を入れれば、どんどんSIMカードの有効期限が長くなっていくのですが、Loopは全く違うのです。Loopは、現在の有効期限が切れるまで、次の有効期限がいつまでになるのか、出てくれないらしく、なかなか面倒です。そして、延長のルールもSimpatiと全く違う。なかなかややこしいです。これから、ジャワでSIMカードを買われる方、その辺り注意が必要です。でもLoopの方がお得な面もたくさんあるので、何が重要なのか吟味してSIMカードを選ばれたほうがよいと思います。また、もちろんほかの会社のSIMカードもたくさんあります。私は、Telkomselであれば、つながる場所が多いのでそうしていますが、山のほうなど、場所によっては、Indosatの方がつながるところもあります。

 

 

さて、無事に携帯電話の購入とSIMカードの登録が終わったのがお昼過ぎだったので、昼食は、以前よく行っていた、Gudanganが食べられる店へ。

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「昼食に食べたGudanganとテンペ」photo by Kaori

 

その後、やっと事務所へ出勤。


ジャワにいると、日本にいる時よりも食事の量が少なくなるので、仕事が終わるころには腹ペコ。そして、いつも行っている店に、cap cayを食べに行きました。

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「夕食のcap cay」photo by Kaori

 

なんだか、ソロにいると、同じような店にしか行きません。あまり食にこだわりがないというか…。もちろん、おいしいものが好きですけれどもね!食事に制限があるので、新たな冒険をするのが面倒だということもあり…。

 

今日はこんなところで。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように!

 

 

ジャカルタにて。そしてジャカルタからソロへ 2019年1月28日

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

さて、今日は昨日の続き。1月末から3月半ば過ぎまでのジャワ滞在の2日目です。

まあ、いまさらながらなのですが、記録のために。よかったらおつきあいください。

 

ジャカルタで宿泊したホテルは、なかなかおしゃれな感じでした。

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ジャカルタのホテルのフロント」photo by Kaori

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ジャカルタのホテルのロビー」photo by Kaori

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ジャカルタのホテルのロビー」photo by Kaori

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ジャカルタのホテルのロビー」photo by Kaori

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ジャカルタのホテルのカフェ」photo by Kaori



ここで、仕事のボスと落ち合い、朝食を食べて、仕事関係のミーティングへ。

 

 

その後、ランチで待ち合わせをしていたのですが、場所を迷っているうちに、蘭を販売しているところを見つけ、蘭を激写。やっぱり綺麗。気候も合っているから生き生きしているように見えます。

 

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「プラザスナヤン周辺のモールで見つけた蘭」photo by Kaori

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「プラザスナヤン周辺のモールで見つけた蘭」photo by Kaori

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「プラザスナヤン周辺のモールで見つけた蘭」photo by Kaori

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「プラザスナヤン周辺のモールで見つけた蘭」photo by Kaori




そして、無事たどり着いた串焼き うめな鳥で、ランチ。

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「串焼 うめな鳥でランチ」photo by Kaori

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「串焼 うめな鳥でランチ」photo by Kaori

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「串焼 うめな鳥でランチ」photo by Kaori



ジャカルタ在住のジャカルタのレストランに非常に詳しい方のご紹介。その方とも初めてお会いできてうれしかったです。

そして、やっぱりジャカルタの日本料理はおいしい!ソロやジョグジャカルタの日本料理はまだまだだからなぁ。うらやましい。


そしてジャカルタのハリム空港へ。初めて使いましたが、こじんまりした空港でした。

そこから、飛行機でソロへ。平日ということもあってか、かなり空いていたので、ゆったりできました。雨期なのでかなり曇っていましたが、着陸直前には、美しい山の姿も見えました。ラウ山でしょうか。

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ジャカルタからソロへ」photo by Kaori

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ジャカルタからソロへ」photo by Kaori

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ジャカルタからソロへ」photo by Kaori

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ジャカルタからソロへ」photo by Kaori

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ジャカルタからソロへ」photo by Kaori

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ジャカルタからソロへ」photo by Kaori



空港からタクシーでソロの家へ。実は、ソロの住居は以前から借りっぱなしになっているのです。長い間借りているので、それほど値上がりもしておらず、今のジャワの物価から考えても、格安の住居です。まあ、古い家で、普通に日本人だったら、いろいろちょっと大変に思うかもですね。トイレや浴室もいったん外に出なければなりませんし、キッチンは一応、外にありますが、シンクはないので、お皿などを洗うのも、しゃがんでやるので不便ですし、そこに水道の蛇口がないので、いちいち水をくむのが面倒です。そして、部屋に冷房もないですしね。洗濯機だけは、ジョグジャカルタに住んでいた時に購入したものをソロに持って来て使えるようにしてあるので、最近は少し楽になりましたけれども。それまでは、ずっと手洗いしていました。それでも、夜でなければ、洗濯機のところの水の出が悪く、多大な時間がかかったり、水を汲んで洗濯機の中に入れたりと、なかなか不便ではあります。まあ、お金をかければその辺は改善できるのでしょうが、自分の持ち家でもないですし、不便なりに何とかやっています。

 

ソロの住居には、ジャワでの生活に必要なもの、ほぼすべてそろっており、ガムランの楽器の小セット(ガドン)も置いてあります。以前、ジョグジャカルタにも住居があり、そこでもいろいろ揃えてあったので、持ち物が重なり、いつも行くたびに物の多さに自分でもあきれてしまいます。いろいろ整理したいのですが、いつも時間もなく、そしてなかなか手放せない私…。その辺、改善したいなぁと思っています。

 

それは置いておいて、ソロに着いて初めての夕食は、初めて留学した2003年当時から、たまに食べに行っていた魚料理の店へ友人と行きました。

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「ソロの魚料理レストラン Bandeng Segar Mbak Marにて」photo by Kaori

久しぶりに行って、美味しかった!


肩の問題などがあって、左腕で荷物を運ぶのがちょっと困難で心配しましたが、仕事のボスの配慮と助けもあり、無事に長い旅を終えて目的地までたどり着き、ほっとしました。

 

以上、ジャワ滞在二日目でした。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

 

ジャワへの道中 2019年1月27日

このブログにご訪問いただきありがとうございます。

 

1月末から3月半ば過ぎまで、仕事でジャワに滞在していましたが、その間、ブログの更新がほとんどできなかったので、その時のことを、記録のために、少しずつ書いていこうと思います。

 

 

まず、かなり日が経ちましたが、ジャワへの道中に関して。

前日(1/26)は、事務所のある神戸に行って、事務所の関係者の家に泊めていただき、当日(1/27)早朝にそこを出て、関空へ向かいました。大きなスーツケースはあらかじめ関空に送ってあったので、道中は楽で、空港バスを利用しましたが、遅れることもなく、スムーズに空港に着くことができました。

 

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「今回利用したマレーシア航空」photo by Kaori

今回、関空~クアラルンプール、クアラルンプール~ジャカルタ間で、初めてマレーシア航空を利用したのですが、なかなか快適でした。ただ、窓側も中央も、全部3列シートなのが残念。窓際2列、真ん中4列にすれば、すべての人が一人を超えるだけで通路に出れるのに。まあ、それは置いておいて、食べ物は、私はあまり味のこだわりがないのであてにならないかもしれませんが、それなりに美味しく、飛行機の中の食事にしては、量が多めだったと思います。それに、おやつもマフィンとバニラアイスと、二つも出てきました。

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「マレーシア航空、関空~クアラルンプール間の機内食」photo by Kaori

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「マレーシア航空、関空~クアラルンプール間の機内食おやつ」photo by Kaori


サービスは普通かな。

クアラルンプール国際空港での乗り換えも、スムーズ。以前、エアアジアをよく使っていた時は、LCC専用のターミナルで、だだっ広いのに、電車なども走っておらず、乗り換えのために、ひたすら遠くまで歩かなければなりませんでしたが、マレーシア航空が使っているターミナルは、遠めの搭乗口まではちゃんと電車が通っています。その辺が大きな違いですかね。

また、エアアジアの場合、飲み物や食べ物は別料金で買わねばならず、食べ物も持ち込み禁止なのですが、結構みんな空のペットボトルを持ち込み(空なら手荷物チェックでも持ち込めるため)、水飲み場で水を汲んでいく人が多かったのです。また、手荷物チェック場を過ぎたところからは、ペットボトルの飲み物も買えず、プラスチックのコップに、剥がすような薄い蓋が付いているもの(飛行機に持ち込みは困難)のみでしたし。そのせいか、水飲み場の場所は最低限。遠くまで歩いて水飲み場まで行く感じでしたが、マレーシア航空が使っているターミナルの水飲み場には、あちこちにありコップまで置いてあります。

もっとも、エアアジアを使っていたのは、3年ぐらい前までですし、今はどうなっているかわかりませんけどね。

 

それにしても、クアラルンプールの空港の手荷物チェックは関空に比べるとかなりゆるい感じでした。


クアラルンプール~ジャカルタ便は、時間が短いこともあり、食事は少なめ。でも、微妙な時間にもかかわらず、ちゃんと食事を出すのがえらい。

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「マレーシア航空、クアラルンプール~ジャカルタ間の機内食」photo by Kaori

 

あまり天気が良くなかったので、途中けっこう揺れることもありました。

 

ジャカルタでは第3ターミナル着。そして、イミグレーションまで、遠い!イミグレーションで結構並んで、そして、荷物を受け取るためのターンテーブルへ行くと、すでに回るのは止まっていて、まばらに荷物が残っているだけ。ぐるっと回ってみたけど、荷物が見つからずちょっと焦ったら、係員が荷物を降ろして一か所に集めているところでした。そんなわけで、意味もなくぐるっとターンテーブルの周りを一周する羽目に。


ターミナルを出て、タクシー乗り場が良く分からず困りました。言葉ができるのだから聞けばよいのですが、結構客引きの人もいて、それが面倒で、自分でてくてく歩いて探していました。でも、表示が分かりづらく、ちょっと迷ってしまい、警備員さんに尋ねたりしていました。

結局、高いタクシーは割合近くにありましたが、普通のタクシーは、結構遠かったです。そして、タクシー待ちの番号札を取るのですが、その機械の場所がとても分かりにくい。みんなもよくわからなかったらしく、並んでいるお客さんに、どこで番号札を取ったのか、聞いている人がとても多かったです。

かなり混んでいたので、やっとタクシーに乗れたのは、夜の9時。そこからgrogolのホテルに着いたのが9時半ごろ。けっこう、疲れました。空港で、ご飯が食べられるところが良く分からず、夕飯を食べずにホテルに着いたら、ホテルのカフェは、もうラストオーダーが終わったところ。しかたなく、ホテル屋上のバーに行きました。バーで、チキンウィングを食べ、ジントニックを飲んで、やっとちょっと落ち着きました。ホテルはなかなか素敵で、ベットがとっても大きい!

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ジャカルタのホテルの屋上」photo by Kaori

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ジントニックを楽しむ」photo by Kaori

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「ホテルの特大ベット」photo by Kaori

 

ジャカルタは暑かったですが、ホテルは冷房もきいていて、大きなベットで、その夜はゆっくり休めました。

 

そんなジャワ行き初日でした。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。