香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊やガムラン音楽に関すること、日々の気付きや学び、海外生活で見聞したこと、大好きな植物や動物に関してなどを、私が感じたことを気ままに、ゆるゆると書いていきます

天河神社でジャワ舞踊を奉納

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

6月1日から4日まで、奈良県吉野郡天川村にある、天河大辨財天社での、瞑想リトリートに参加していました。

 

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「天河大辨財天社の鳥居」photo by Kaori

天河神社と2017年11月に初めてご縁をいただいてから、今回で5回目の訪問。そして、ちょうど1年ぶり、2度目の3泊4日の滞在です。

素晴らしい自然に囲まれた神社で、いまここに、ただあることを意識したすばらしい4日間でした。正式参拝から始まり、座禅、読経、瞑想、そしてこのリトリートを企画された阿部敏郎さんや、向禅師、柿坂宮司さまのお話を聞いたり、神仏の祈りと地護摩厳修のご神事に参加したり、神社をお掃除させていただいたり、柿坂宮司さまの真心のおもてなしに触れたり、参加者の皆さんと交流したり。そして、天河神社は、ただただ限りなく優しい、すべてを受け入れてくれるような場所です。今回、初日に正式参拝した時に、なぜか、弁財天さまと、私のハートからのつながり、太い絆を感じ、胸いっぱいに暖かいものが流れ込んできて、思わず涙がこぼれそうになりました。

こんなふうに感じたことは、どこにいても今までなかったので、自分自身、とても驚きました。

実は、ちょうど1年前に4日間天河神社に滞在して、夜、能舞台で瞑想をした時、弁財天さまが私の右脇にふわりと降りて来られたのを感じたのですよね。変な話だと思われるかもしれませんが。私自身、普段、そのようなことを感じる方ではないので不思議なのですが。顔などがはっきり分かるわけではないですが、その姿形のイメージが、いまでもはっきり残っています。その時以来、つながりが深まったような気がしていました。そのせいかもしれませんね。あの時は、瞑想中に、木々や山やカエルの声や、周り全てが私の中にあって、私の中で全てが起こっているような感覚があって、不思議でした。

今回、リトリートに参加して、余分なものが剥がれ落ちていき、非常にすっきりした、すがすがしい感覚です。キラキラした透明の衣をまとっているような感覚。そして体が軽いです。

そのリトリートでの経験で、いろいろ書いてみたいこともあるのですが、それは、機会があれば、おいおい書いていくとして、(と言いつつ、書いていないことがこれまでたくさんあるので、お約束はできませんが(笑))今回は、まず、弁財天さまの前で、天河神社能舞台で、ジャワ舞踊を奉納させていただいたことについて書きたいと思います。ジャワ舞踊をご奉納といっても、衣装も着ずに、普段の服で踊る素踊りで、音楽もガムランではなくて、バンドの即興でしたが、多くの素晴らしい能楽師、アーティストの方々がご奉納されている能舞台で踊らせていただけたのは、それは得難い経験でした。

あの能舞台は、とにかく華やかでかっこよい雰囲気にあふれた場所です。

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天河神社能舞台」photo by Kaori

ちなみに、この舞台は吉野檜で作られ、柱は全く節もなくまっすぐの、ほとんど手に入れるのは不可能のような材料だそう。一本一億円と聞きました。舞台の板も、一枚三千万円だとか。とても手をかけられ、大切に作られた舞台なんですね。神さまには最高のものをと、31年前に、何億円もかけてこの舞台を作られた今の宮司さまはすごいですね。明治の廃仏毀釈までは、全国に12万社も天河社があり、ここにも200人もの神主さんがいらっしゃったそうですが、廃仏毀釈後に廃れ、昭和40年代中頃までは、この神社は子供の遊び場になるほど廃れていたという話ですから。でも、歴代の首相は全員お忍びでやって来ていたのだとか。ここには何かがあるのでしょうね。

ちなみに、ここは神武天皇が「ひのもと」の啓示を受けられたまさにその場所でもあるそうです。

 

この能舞台は、拝殿のすぐ目の前にあります。

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天河神社の本殿(拝殿)」photo by Kaori


この写真は、能舞台のすぐ前の地面から撮影しているので、能舞台に登ると、もう少し高い位置から拝殿が見えます。 能舞台で踊ると、まさに神様に向かって踊るような感覚になります。

 

本当に、いろんな偶然が重なって実現したご奉納であったと思います。

実は以前から、ご奉納ができると良いなぁとは考えており、その機会があるかもというお話もいただいていたのですが、実現せずにいました。

今回、事前にある方から聞かれ、「衣装はかさばるのでもっていきませんが、ジャワ舞踊に使うサンプール(長い布)だけは、いつも持っているので持っていきます」という風にお伝えしていたのです。その方は私のジャワ舞踊を見に来てくださったことがある方です。

天河に着いた後、その方から、「いつ、突然(踊るように)ふられてもよいように、いつもその布は持っていてね。突然ふるかもしれないから」と言われたので、天河にいる間、いつもバッグに入れて持ち歩いていました。それでも、実現するかどうかの確証などなかったのです。

 

6月3日の昼前、初日に続いて、宮司さまが私たちがリトリートを行っている参集殿に来てくださり、いろんなお話をしてくださいました。その中で、地護摩厳修の話になり、宮司さまは、「私の護摩焚きは音の世界なのです」というお話をされました。

宮司さまは、心の赴くままにお話をされるので、話が飛んだり、聴きとりづらかったり、または、難しくて私が理解できなかったりで、はっきりとは分からないですし、誤解もあるかもしれませんが、少し書いてみますね。

昭和56年ごろまでは、護摩焚きの時は、般若心経や観音経をあげていらしたそうです。でも、その頃、「かごめかごめ」の歌にあるように、夜明けの晩であるということで、昭和57年ごろから護摩焚きに「音の世界」を取り入れられるようになったそうです。(間違っていたらすみません。そして、私も話のつながりがいまいちわからなかったりします。)そして、音は万国共通であること、それぞれの音に対応する神様の話(あめのみなかぬし様や、たかむすびの神様など)、神羅万象の音、音の波動、文化的にインプットされた音を超えた音を出していくこと、人だけではなく木や植物や岩との命と命での会話などに関して、話されていたと思います。(これも間違えていたらすみません。)

全て、理解できたわけではないですが、とても興味深いなぁ、もっと知りたいなぁと思いながら聞いていました。

さて、この部屋(参集殿)では、みんなそれぞれ好きな場所に座り、だいたい、座る場所が同じような場所になる傾向があったのですが、その時のセッションでは、たまたま私がいつも座っていた辺りに空きがなく、その時に空いていた、いつもと違う場所に座っていました。前の方の席が好きな私は、その時も一番前に座っていましたが、宮司さまがいらっしゃると、たまたま、そこの席が、宮司さまの目の前となったのです。

そのせいか、不意に、宮司さまに

「何か質問はありますか」と、指されて、聞かれたのです。

私は、「音の世界のお話がとても興味深くて、もっと知りたいなぁと思いました」

と答えると、

宮司さまは、ふと

「あなたは、なにかやっていらっしゃるの?」と聞かれたので、

「音楽もやっているのですが、インドネシアのジャワの舞踊をやっています」

とお答えすると、

なんと、驚いたことに

宮司さまが

「それなら、ぜひ、踊っていただきましょう。愛を持ってね」

とおっしゃってくださったのです。

隣にいた阿部さんも

「ぜひ踊っていただきましょう」

とおっしゃってくださいました。

 

話が、トントンと進み

まさか、こんな形でやってくると思わなかったので

本当にびっくりでした。

 

宮司さまも、なぜ、私が何か芸能関係をやっている人だとお分かりになったのでしょうね。

実は、宮司さまとは、個人的にお話ししたことはこれまでなかったのですが、集団ではお目にかかったことが何度かあり、その時にも、何度か、宮司さまがじっとわたしを数秒間見ているのに気づいたことが何度かあり、この大勢の中で、なぜ私をじっと見ていらっしゃるのかなと思っていました。でも気のせいかもしれないし、私は自意識過剰だけなのかなとも思っていました。でも、宮司さまは、多くの人のことをそうやってじっと見て、いろんなことを感じられているのかもしれませんね。

 

さて、その後、いつ踊る機会があるのかな、今回のリトリートでなくても、そのうちでも、私の舞踊を奉納させていただければ、嬉しいなと思いながら、少し、心の準備はしていました。

それでも、私はいつも、その場や、空気、自分の気持ちに従って、ぱっと変える性質なので、ゆるーくしか、心の準備はしていませんでしたけれども。

 

さて、お昼になり、みんなで禊殿までお弁当を持って行って食べたり、禊殿で瞑想したりした後、拝殿の方に戻ると、拝殿ではすでに、宮司さまが、翌日の早朝に予定されていた「神仏の祈りと地護摩厳修」のご神事の準備をされていました。また、そのご神事で演奏されるバンドの方々も、すでにサウンドチェックやリハーサルを始めていらっしゃいました。

私たちのために、多くの方々が、早くから動いてくださっていることに、ちょっと感動しました。

参集殿で、阿部さんのお話を聞いていたら、そこに宮司さまのお使いがいらして、今夜の7時2分が新月だから、明朝に予定されていたご神事を、その時間に合わせてやったらどうかと、ご提案されたのです。

それで、急きょ、夕方6時半ごろから、ご神事が執り行われることになりました。

非常に興味深いご神事でしたが、秘儀ということで、写真は撮っておらず、どこまで書いてよいのかわかりませんが、後で、滅多に起こらないような珍しいことが起きた、高いエネルギーのご神事であったと聞きました。機会があれば、このご神事についても、少し書けたらなぁと思っています。

 

さて、感動的なご神事が終わった後、

宮司さまが

「あの舞踊の方はどこにいったかな」

とおっしゃり、

「ここにいます」

というと、

「では、踊っていただきましょう」

と。

 

このタイミングで踊らせていただけるとは思っていなかったので、とても驚きました。

でも、実は、もしかしてこんなこともあろうかと、サンプールは、ご神事の間、ずっとバッグの上に置いていたのです。

 

宮司さまが

「バンドのメンバーも、インドネシアにも行ったことがあり、インドネシアの音楽も知っているから、彼らの演奏で踊っていただきましょう」

と。

 

それで、バンドと私のジャワ舞踊の即興セッションとなったのです。

 

私にサンプールを持ち歩くように言ってくださっていた方は、私が舞台に上がる前に、「本当に良かったですね。おめでとうございます」とささやいてくださいました。

 

ジャワ舞踊で使うサンプールの使い方は、踊りによって変わりますが、今回はどのように踊るか、その場で決めようと思い、融通が利くように、首からかけるだけにしました。

 

ゆっくりと女性舞踊のスンバハン(合掌)から始めました。

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「ジャワ舞踊奉納」photo by Coco

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「ジャワ舞踊奉納」photo by Coco

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「ジャワ舞踊奉納」photo by Coco

 

ゆっくり始めたのですが、バンドが意外にすぐに盛り上がって来たので、男性優型の動きに切り替えました。

途中で、宮司さまが、バンドの方にわざわざ歩いて行かれて、もう少しゆったり演奏するように言ってくださっているように、思いました。気のせいだったかな。

そして、舞台の上に一枚乗っていた座布団を自らどかしてくださったり、本当に、思いやりのある方です。

 

最初のうちは、どうしようかいろいろ考えながら踊っていたのですが、

途中で

「考えないで、この場、聞こえてくる音、空気に合わせて踊ればよい」という気持ちが湧いてきました。そして、そのように踊らせていただきました。すべてはその時の場の空気感、神気、バンドの音の響き、自然の音、見てくださっている方々の気を感じつつ、踊らせていただきました。

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「ジャワ舞踊奉納」photo by U

 

もちろん、伝統的なジャワ舞踊なので、決まりごとはたくさんありますが、その中での即興だからこその醍醐味もあるのです。

特に、ジャワ舞踊は表現することを抑えた舞踊でありますし、自分を出すということもありません。

 

また、ジャワガムランの演奏で、演奏者の経験があり勘もよければ、即興でもいろんなボキャブラリーで交流しやすいですが、今回は、全くボキャブラリーの違う、バンド。

私自身、バンドでジャワ舞踊を踊るのは初めてでした。これまで、即興もよくやってきましたが、即興で踊る時は、ジャワ舞踊の動きばかりで動くことはなかったのです。そして、バンドにとっても、おそらく初めてジャワ舞踊と合わせたのだと思います。

どうなるかなと思っていたのですが、そこはさすがで、しばらくすると、私の意図もくみ取ってくださるようになり、そこに交流が生まれました。

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「ジャワ舞踊奉納」photo by Coco

 

途中で、音楽がもっと盛り上がって来たので、男性優型の動きから、男性荒型の動きに切り替え、しばらく踊り、また男性優型にもどり、最後は、女性の動きに戻って、しっとりと終わりました。

 

約9分ほど踊らせていただいたでしょうか。

弁財天さまの目の前で、そしてパワフルな地護摩厳修のご神事のすぐ後に、あのような素敵な能舞台で踊らせていただけるのは、とても得難い経験でした。

弁財天さまにも喜んでいただけのなら、嬉しいです。

そして、同じく神々でもある、見てくださってみなさんにも。

 

踊り終わってみて、いろいろ考えていたようで、直感的に踊り、やはり無心だったのかなぁとも思います。でも、踊りは、その時の自分がすべて出てしまうので怖い。

果たして、愛を持って踊れただろうか。でも踊り自体が愛、交流だと思うのです。

 

 終わった後、踊りの説明をさせていただきました。

まず、即興で踊ったので、ストーリーや意味があったわけではなく、その場と音に合わせて、いろんなスタイル(型)で踊ったこと。

ジャワ舞踊にもいろんな種類があり、神にささげ、交流を持つ舞踊や、エンターテインメント性の高い舞踊など様々なこと。

そして、ジャワで考えられている、マクロコスモスとミクロコスモスの関係。人間の世界であるミクロコスモスが調えば、マクロコスモスも調い、舞踊は場を調える役割もあること。

そして、踊っている時は、自分がいないというか、何かが降りてくるというか、自分が抜けて、役のキャラクター(または、舞踊のラサ(フィーリングとでも訳しましょうか))がスポッとはいるような感覚であることなどを話したと思います。

阿部さんが、「自分が中空になるような感覚でしょう」とおっしゃっていましたが、その通りだと思います。

 

考えてみると、踊っている時は、まさに「いまここ」にいますね。

 

私の舞踊の後、すぐにみんなで瞑想をしました。

私は、踊ったすぐ後だったので、気持ちが高ぶっていたこともあり、あまり瞑想に集中できなかったような気もしますが、それでも、キラキラとした、色でいえば金色のようなイメージの、気持ちの良い波動を感じながら瞑想していたような気がします。

その後も、宮司さまの作られた歌(出会いの喜びを〜という歌です)をバンドの演奏でみんなで歌ったり、その曲で、宮司さまが、即興の歌詞で歌ってくださったり、阿部さんがバンドと共に歌ってくださったり、みんなで踊り狂って盛り上がったり、楽しい時間が続きました。最後はバンドがしっとりした、おやすみのナンバー(のように私には聞こえた)を、素敵な歌声で歌ってくださり、その夜はお開きになりました。

お開きになり、片付けが始まった時に、もう一人、若い男の子もコンテンポラリーの踊りを披露してくれましたよ。彼にとって大切な曲に振り付けしたものだそう。エネルギッシュで良いですね!途中から宮司さまが私に話しかけてくださったので、その受け答えで、途中までしか見れませんでしたけれども、見れて良かったです。

 

その夜から次の日にかけて、いろんな方たちが、私に感想を伝えてくれました。とても感動しましたとか、感動して涙が出そうになりましたとか、美しかった、かっこよかった、手の動きが美しかった、動きによってぱっと気が変わったのが良かったなど、身に余るお言葉をいただき、感謝感激です。

全てはお計らいだと感じたとか、芸能の神様でもある弁財天さまがお誘いくださったのではということを言ってくださった方々もいて、本当に、すべて起こることはお計らいだなぁと、改めて思いました。

 

実は、ビデオを撮ってくださった方がいて、後でビデオを見たのですが、ビデオを見ると、改めたいところしか見えない…。アラがよく見えてしまうのは、舞踊家の性ですね。もっとこうすればよかったとか、こういうところが見ていられないとか。もっとも、ものすごく練習した踊りの公演のビデオでも、私自身、満足することはめったにないのですけれどもね。ましてや即興であれば、アラが見えまくり。きゃ~~~。

 

でも、バンドとの即興で、いつもとスピード感も、音楽の感覚も全く違う中、よく踊った!えらいっと、自分をほめたいと思います!

(ん?おめでたい?笑)

 

それでも、もっともっと精進して、再度ご奉納できる機会があればよいなあとイメージしています。今度は、フルの衣装を着て、ガムランの生演奏で。

あの舞台にとても良く合うと思うのですよね。ジャワガムランの響きも、ジャワ舞踊の動きも精神性も。

 靖国神社能舞台でも、縁あって、仲間たちとジャワ舞踊をご奉納させていただきましたし、能舞台に縁があるのかな。ジャワ舞踊も能舞台に合うと思いますし。

 

全てはお計らいで、なるようになりますね!

 

今日はこんなところで。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日になりますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

5月19日 岸城神社で奉納公演~踊りながら歌うこと~ジャワ舞踊とガムランの関係など

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

また、ちょっとご無沙汰の更新になってしまいました。

 

2019年5月19日
岸和田の岸城神社のむすび市にて、奉納公演にジャワ舞踊で出演させていただきました。

岸城神社では、私の友人たちが毎年奉納公演を続けてきた場所です。私も何度か出演させていただいたことがあります。

今回も、お誘いいただき、感謝です。心配されたお天気も、晴になり、屋外での公演で、とても気持ちが良かったです。
お誘いいただいたのは、急なことでしたが、急で、特に練習しなくても、ガムランの生演奏で踊れる曲があること、演奏できる仲間があることは、本当にありがたいことです。これまでの、みんなの積み重ねの賜物ですね。

今回、舞踊4曲に加え、Wayang Kulitと、盛りだくさんの内容。

私が踊らせていただいたのは、ガンビョンというジャンルの踊りのうちのひとつ。ガンビョンは、ジャワ島の古都スラカルタを代表する舞踊ジャンルのひとつで、もともと農村の豊穣、子孫繁栄祈願の踊りから発展し、民間の芸人によって歌いながら踊られていました。そこから形が整えられて、現在に至っています。現在は、決められた形で踊ることが多いですが、もともとは即興性の高い舞踊で、太鼓奏者と踊り手の掛け合いで、舞踊が形作られていました。

ガンビョンの中でもポピュラーなものは、ジャワでも結婚式などで良く踊られますが、ジャワでも、多少の経験のある演奏家や踊り手はみんな知っているので、複数の踊り手で、複雑な踊りの隊形を使わない限り、特に事前練習はしないことも多いです。


今回は、私は、スラカルタのマンクヌガラン王宮様式の、Gambyong Langen Kusumaを、一人で踊らせていただきました。スラカルタ様式では、Gambyong Pangkurと呼ばれるものです。とてもポピュラーなガンビョンのうちのひとつです。マンクヌガラン王宮では、現在では正式にはGambyong Langen Kusumaと呼ばれますが、普段はGambyong Pangkurとも呼ばれます。ちなみに、Pangkurは使われている曲の名前です。

スラカルタ様式とマンクヌガラン様式のGambyong Pangkurは、ほぼ同じですが、少しずつ違うのですよね。演奏する方も、太鼓以外はほぼ同じです。厳密に言えば、踊りや演奏のラサ(フィーリングとでも訳しましょうか)も違いますが、まあ、その辺りは長い時間がかかることなので…。

現在のガンビョンでは、踊り手が歌いながら踊ることは稀ですが、マンクヌガラン様式でこの曲を踊る時は、踊り手が歌いながら踊るという伝統もあり、私も、今回、シンデン(女性歌手)のパートを歌いながら踊らせていただきました。

マンクヌガラン王宮でも、現在ではこの曲を歌いながら踊る人はとても少なく、もっとみんな歌いながら踊ることにチャレンジして、この伝統を残していってほしいなぁという意味も込めて、いつもチャレンジしています。

 

マンクヌガラン王宮での、夜の練習(パカルティ)で、この曲をよく歌いながら踊る練習をさせてもらっているので、今回も、その練習を生かせました!

録音されたものには、すでにシンデンのパートが入っているので、歌いながら踊るというのは、生演奏でのみ出来るこの曲の醍醐味ですね。 

これまで、ジャワや日本での公演でも何度か歌いながら踊らせていただいていて、かなり慣れてきましたが、やはり、まだまだ反省点もたくさん…。もう少し、かわいい感じで歌いたいですね…。 
歌のシンデンのパートは、曲のリズムとは合っていないので、曲のリズムに合わせて踊る踊りと一緒に歌うのは、なかなか難しいです。

私の場合、歌と踊りと意識を分けて踊っています。どちらにも集中しない感じです。

でも、その方がリラックスして、自然に踊れているようで良いという意見も…。余分な力が抜けているということでしょうかね。

私の場合、歌よりも踊りの方が得意で、踊りは自然に体が太鼓の音に反応していき、何も考えずに踊れるので、歌の方にもう少し多く意識を持っていっているのですが、それでも、思うように歌うのはなかなか難しいです。もう少し、歌も何も考えなくても自然に歌えるようになったほうがよいなぁと、今回思いました。

ジャワ留学中の3年弱(2003年~2006年)はシンデンの勉強もしていましたが、その後は、私の先生だった方がお亡くなりになったりして、勉強していないので、また機会があれば、シンデンの勉強もしたいなぁと、改めて思いました。ジャワ舞踊も、ジャワ音楽も一生勉強ですかね。楽しいです。

 

ちなみに、私のシンデンの先生だった方は、スラカルタで販売されているジャワ舞踊曲のカセットの多くで歌っていらっしゃるので、舞踊曲の録音を聴きながら、いつも懐かしく思い出しています。踊りや踊り手のことを理解して歌える方で、踊り手からは絶大な信頼と人気のあった方です。彼女が歌ってくれると、踊りやすいというのです。私も、彼女が踊りの曲の時に、どんなところに気を配って歌っているのか聞いていて、なるほどと思うことが多々ありました。それは曲によっても変わり、踊り手をサポートするような歌い方なのです。やはり、踊りをよく知っていることは、踊りの曲を演奏する演奏家や歌い手にとって、とても重要だと思い知らされます。

やはり、細かいところまで、踊り手の動き方や呼吸、踊りのラサ(フィーリング)などを意識して演奏したり、歌ってくださると、踊り手もとても踊りやすく、力が発揮できるものです。そこにちゃんとした交流、相乗効果が生まれますから。でもそんな演奏家は、今はジャワでも残念ながらとても少ないですね。

また、踊り手もガムラン(音楽)をちゃんと理解できている人が、少なくなっていると思います。踊りはうまくても、音楽の流れと合ってなくて、見ていて気持ちよくないこともあります。

以前、ジャワでは、演奏者も踊れて当たり前、踊り手も演奏できて当たり前だったのですが、今では、すっかり分業になってしまって…。西洋化の弊害でしょうかね…。

以前は、舞踊と音楽との境目がなかったのではないかと思います。

 

そして、現在では、生演奏で踊りの練習ができる機会が少ないことも大きな問題だと思います。そんな中で、マンクヌガラン王宮での練習は、演奏と踊りの練習が一緒にできる、数少ない貴重な機会となっています。

 

なんだか、話が逸れましたね。

 

とにかく、何年かぶりで、岸城神社で舞踊を奉納させていただけて、幸せでした。

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「岸城神社にて、奉納公演後の記念撮影」

 

 


神社好きの私は、ちゃっかり御朱印もいただきました!宮司さんが自ら書いてくださいました。よく見ると、だんじり岸和田城も入ってる!

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「岸城神社の御朱印」photo by Kaori

 

 

 

今回はこのくらいで。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

なぜ断食を行うのか

このブログにご訪問ありがとうございます。

 

今回は前回に続き、イスラムの断食に関しての話題。

 

断食ってなぜ行うのでしょうね~?

 

ジャワの友人に聞いてみたところ、

 

断食月

 

良くない行為、例えば、人の陰口をたたいたり、作り話をしたり、人を騙したりなどをの行為を自制する。

浪費しながら生きることや、無益な行為を自制する。

 

などを意識する月だそう。

 

そして、断食は、「神」にもっと近づくための訓練としてでもあるそう。

 

断食とともに、自分の行為を振り返り、正す時期ということでしょうかね。

断食明けの大祭の時期には、かならず「私があなたに対して何か悪いことをしていたら、すみませんでした」という風に、会う知り合いごとに、お互いに謝りますものね。

 

また、断食によって自分の欲望を律し、思いやりの心をはぐくむ。食事を共にしたり、寄付をしたりすることで分かち合うということでもあると感じます。

 

そして、身も意識もきよめて、神とひとつになるということでしょうか。(勝手な解釈ですけど。)

 

話は変わります。

私は、イスラムの教えについては、全く詳しくないですが、間近で暮らしていて、良い習慣だなぁと思うのは、一日5回のお祈りですね。

私がジャワでガムラン音楽や踊りの個人レッスンを受けていた頃、先生方が、キリの良い時間に、「ちょっとお祈りするね」と、お祈りしているのを、何度も間近で見ていました。時間は決まっているようですが、でも、夕方のお祈り以外は、その通りの時間というより、その辺りの時間でキリが良く、都合がよい時間で、お祈りされていましたね。決まった作法でのお祈りです。顔や手足を洗う時間を入れても、ほんの5分、あるかないかぐらいでしょうか。

でも、お祈りの後、決まって、先生方の顔はすっきりしていて、落ち着きと輝きがあるのですよね。

こういう風に、一日に何度か、日常生活の手を停めて、祈ることって、重要だなぁと思います。

祈らなくても、やっていることをすべて止めて、静かに感謝する短い時間があるだけでも、意識がずっと一日走り続けるように過ごすのとは、大きな違いですよね。

 

今日はこんなところで。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

<今日の植物(家の植物シリーズ)>

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「庭の紫蘭の花」photo by Kaori

 

 

 

 

 

断食月

このブログにご訪問ありがとうございます。

 

イスラム圏では断食月が始まりましたね。祈りの月ですね。

 

私が住んでいたジャワでは、イスラム教徒が大多数を占めるので、大勢の方が断食をしています。

私は、おなかがすくと機嫌が悪くなったり、手が震えたりするので、断食をトライしたことはありませんが、断食はすっきりするらしいですね。やってみたい気もするのですが、なかなか意志が弱く…。

 

ジャワでイスラム教徒の方は、断食をされない方もたくさんいらっしゃいますが、多くの方がされています。最近、ジャワでのイスラム情勢も変わってきて、以前に比べて熱心になってきたのではないかと感じます。

 

だいたいみんな朝のお祈り前(4時半ぐらい)までに、サウールと呼ばれる朝食を食べたり飲んだりしないと、その日は日没まで、何も飲むことも食べることもできないので、3時や3時半ごろに起きて、食べていらっしゃるようです。たまに、寝坊して食べられなかったという話も聞きますが、その場合でも、日没まで飲食はしないそうです。

 

ジャワは暑いので、食べないのはまだしも、何も飲めないのはとてもきついだろうなと思っていつも見ています。でも、結構平気で、日常通り、バドミントンなどの運動も行い、普通に活動している人が私の周りでは多かったですね。芸術大学にいた時は、先生たちの方が学生たちより元気で、学生たちがぐったりしていても、先生たちは平気という状況をよく見かけました。舞踊やガムラン楽器の個人レッスンも、私はかなりの数やっていたのですが、断食月でも、先生たちは個人レッスンをいつもと変わりなく教えてくれていましたね。私はレッスン中、水を飲ませてもらっていましたが、先生方は「どうぞどうぞ」といつも言ってくれていました。それぞれの信条や在り方が尊重されているのですね。

それにしても、断食ってすごいなぁと思っていつも見ていました。

そして、夜は毎晩タルウェという、お祈りの集会がモスクであるので、その後の8時半ごろからが活動の時間。その時間から、リハーサルや、ガムランや舞踊のコンサート形式の最終試験なども、普通にやっていましたね。

ガムランのリハーサルなど、夜中の12時までやって、それで3時半に起きるなんて、超人ですよね。

 

学生たちは、私がいた頃は、結構甘く断食をやっている子も多く、午後3時ぐらいになると「ああ、今日はもう耐えられないから断食はやめ!」となる子もいました。「それでもいいんだ」とすごく印象に残って覚えています。

旅行中の人、病人、生理中の女性(多分妊娠中や授乳中の女性もでしょうね)などは、断食はしなくてもよいようですが、まじめの人は、後でその分、個人的に断食したら、モスクに寄付を行ったりするそうです。

 

王宮では、ガムランの音を21日目まで鳴らせないので、ガムランを使った練習や上演はすべて休みになっていました。そして、録音の音源を使った舞踊練習なども、いつもより早めに初めて早めに終わり、断食明けの時間に食べ物や飲み物にありつけるように配慮されていました。

 

それでも、やはり工場などで働いている人の中では、倒れる人も出てきて、生産性は落ちるようですね。私がジョグジャカルタで一緒に働いていたNGOの職員たちも、一応5時まで就業時間でしたが、断食月中は、4時を過ぎると三々五々いなくなっていましたね。断食明けの準備があるので、その辺りは許されるようです。そして、ラマダン明けの大祭に向けてボーナスなどもでるよう。また、コメや油、砂糖なども職場などから支給されているのを見ました。私の仕事場だったNGOの事務所でも、近所の人々を招いての断食明けの食事会も行い、近所の方々にも、コメや油、砂糖などを配っていました。そういうことが、ジャワではとても重要だと感じます。

断食月中は、確かに仕事のペースは落ちましたけれど、人生、仕事だけではないですものね。そういう面が尊重されるのは素晴らしいと思います。

 

断食中は、みんなで集まっての断食明けの食事会が多く行われ、絆が強くなる機会でもありますね。イスラム教徒でなくても、食事会には招待されます。

 

ただ、ラマダン明けの大祭に向けて、お金が入用な時期でもあるので、治安が悪くなるのがちょっと残念です。

 

この断食月が滞りなく過ぎて、みんな楽しいラマダン明け大祭が迎えられますように。

 

今日はなんだか眠くて、あまり頭がまわっていません。

なんだか箇条書きに書いている感じ?

 

ということで、今日はこんなところで。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

 

<今日の植物(家の植物シリーズ)> 

 

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ルピナスの花」photo by Kaori

 

 

 

 

 

地元神社の月次祭と春季祭

このブログにご訪問ありがとうございます。

 

ここ数日暑いですね。家の辺りでは、連日、最高気温が25度以上の夏日が続いています。特に、5月3日、4日は27~28度ぐらいまで気温が上昇しました。

 

さて、今日は月の第1日曜日。毎月第1日曜日に行われる、地元の神社の月次祭へ行ってきました。

 

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「澁川神社本殿」photo by Kaori


4月に初参加した時に、月次祭の後、ものすごくすっきりして、とても良いなと思い、また参加したいと思っていました。ただ、実は、5月1日の令和の改元祭にも行ったばかりだし、前の晩、いろいろ作業していたら、寝るのが遅くなったので起きられないかもしれないし、今回は行かなくてもよいかなぁと思っていたのです。

でも、間に合う時間に朝すっきり起きれてしまい、これは、行けということかなと思い、行ってきました。そういうことってありますよね。

 

ちなみに、前回の月次祭に関しては、以下からお読みいただけます。

近所の神社の月次祭へ - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

 

 

ちょっと、ぎりぎりになってしまい、神社に着いた時に、ちょうど、みんな神社からいったん出て、歩き始めたところでした。無事合流し、大鳥居をくぐって中に入り、そこから、手水場で手を洗い、忌明社で、お祓いをしてから、拝殿に入ります。

 

私は4月の月次祭、5月1日の改元祭に続いて3回目ですが、今回が一番、一般の参加者が少なく、7~8人でした。いつもお手伝いにいらしている、おそろいの法被のおじいさま/おじさま方は、いつも通り15人ほどいらっしゃっていました。

雅楽を演奏される方々は、これまでで一番多く、演奏自体もよかったです。演奏が良いと、儀式もよいものになりますね。

そして、今日は、参加者以外で参拝者も少なく、神社はとても静かで、儀式に集中できました。

ここの月次祭では、参加者は全員、神前まで階段を上り、祭壇に玉串をささげさせてくれるのですが、これがやはりよいのです。5月1日は神社側の都合で、代表者のみ玉串をささげることになり、残念だったのですが、今日は、これだけでも行って良かったなと思いました。

今日は、祭壇の前は、とても華やかな、キラキラした、明るい、優しい雰囲気でした。金色のイメージ。空気に厚みがある感じ。

檀上で演奏されている雅楽の演奏も間近で聞くと、迫力がありました。

そして、なんだか「開いた」「広がった」感じがしました。

前回のように、すっきりしました。

 

せっかくなので、御朱印を書いてもらうことにしました。参拝の記録として、書いてくれる人がいるときは、同じ神社でも、行くたびに書いてもらうことにしているのです。その方が神社のためにもなると思いますし。

この神社では、月次祭だと、神社名を銀字で書いてくれるのですが、ゴールデンウィークということで、日付は金字になりました。そして、いろいろカラーのハンコも押してくれ、ちょっと華やかに。今回は特別だそう。

神社の方々も、喜んでいただくために、いろいろ工夫されてるのですね。

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「澁川神社の御朱印ゴールデンウィーク仕様」photo by Kaori

 

書いてくれるのを待っている間、法被を着たおじいさま方(なんとお呼びするのでしょうね)や宮司さんが、車にいろいろ積み込んで準備をしているなぁと思っていたら、なんと、末社の高龗(たかおかみ)社で春季祭をこれから行うと言うのです。

 

このお社は、実は私の家のすぐ近くにあり、散歩ついでに頻繁にお参りしているところ。もともと、丘のてっぺんにあったらしいですが、この辺りの宅地開発で、丘が崩されたため、住宅街の真ん中に、このお社があります。最初、お社ができる前は、札のようなものが立ててあっただけで、あやしい新興宗教か何かかしらと、ちょっと怖い感じがしていました。そのうちお社や、説明書きの看板などもたって、実は、澁川神社の末社で、地元の古くからあるお社だとわかり、お参りするようになったものです。他にお参りしている人を見たことが一度しかないほど、お参りする人はとても少ないです。小さなお賽銭箱がありますが、今日聞いたところによると、年に2度しか回収しないのだとか。あまりに参拝者が少ないので、なんだか、私がお参りしなければいけないような気がして、地元にいれば、散歩ついでに多いときでは週に3~4回ほど参拝しています。駅に行くにも通り道ですしね。

 

5月に春季祭があることは知っていたのですが、いつかな~と思っていたのです。偶然知れてラッキーでした!

「来たら」と誘っていただいたので、帰り道ついでによって、参加させていただきました。一般からの参加者は私一人。

 

春季祭自体は、簡単なもの。皆さんが、祭壇などを用意して、そこで、月次祭と同じように祭事がすすんでいきました。ここでも、一人一人玉串の奉納をさせていただけましたよ。

ただ、最初にお社を開扉し、最後に閉めたのが興味深かったです。

お社の中は、ちいさな帳が下りていました。神社によくあるような帳です。(すみません、名前わかりませんが)

お社を開けるだけで、なんだか辺りの雰囲気がガラッと変わったのに驚きました。

そして、良い風が吹いていました。

面白いものですね。

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「高龗社での春季祭準備中」photo by Kaori

 

ここの高龗さまは、龍神さまだそうです。雨乞いの神様として、昔は、龍神・雷神の飾りつけを付けた白い馬、黒い馬を奉納して祭事を行っていたのだとか。高龗さまというのは、あまり聞かない名前ですが、水を司る神様。京都の貴船神社のご祭神でもありますね。

あと、私も10月に立ち寄った吉野の丹生川上神社下社もそうですね。そこは、闇龗(くらおかみ)さまになっていますが、もともとは高龗さまだったようです。丹生川上神社下社には、白馬、黒馬もいました。

 

その時の記事は、以下からお読みいただけます。

天河神社とその周辺へ超特急の旅(2)~天川村と丹生川上神社下社編 - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

 

 

今日は、澁川神社の月次祭だけでなく、偶然にも、家から一番近い、馴染みのあるお社の春季祭に参加できて幸運でした。

それがあったから、今日は行けということだったのかも。

 

神社に行ったから、どうというわけでもないですが、やはり、すっきりする気がするのですよね。

興味のあることは、とにかく経験してみる私でした。

 

 

最後に、私の友人が教えてくれた興味深いサイトのご紹介

本物の奇跡が起きるミラクルサウンド スーパーエンジェルトーン 幸せをあなたに ソルフェジオ 周波数+ライフ周波数 睡眠中総合メンテナンス - YouTube

 

昨夜寝ている時に聞いてみたら、不思議と体の痛みのある部分が楽になったような気がします。そして、なにより気分が爽快に!

私の友人にもいろいろ良いことが起こったそう。

こういうことは、とにかく試してみる私。

しばらく寝るときに聞いてみて、どんな変化があるか試してみようと思います。

興味のある方はどうぞ。

 

こういう音楽を聴くと、ジャワガムラン音楽との共通点を感じたりします。ジャワガムラン音楽って、実はとてもいろんな深い意味があるのではないかと、昔から思っていますが、そういうことがもっと解明されていったらおもしろいだろうな。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神社での参拝と御朱印。植物たちへの愛。

このブログにご訪問ありがとうございます。

 

家の辺りでは、先週の土曜日以来、5日ぶりの晴れ空で気温も上がり良い気候です。

令和最初の太陽です。

 

 

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「令和元年5月2日の太陽」photo by Kaori


まだ、家の中に入れている寒さに弱い植物たち(洋蘭類、アデニウムサンゴアブラギリハナキリン、モリンガなど)も、久しぶりにベランダに出すことができました。気持ちよさそう。最近は、晴れていたり、曇でも暖かい日は、昼間はベランダに出していましたが、まだ、夜は家の中に入れています。でも、朝方そんなに冷える日もあまりなくなり、もうそろそろ、出しっぱなしでも良い季節になってきましたね。

そして、太陽のもとに出してもよいパワーストーンたちも、午前の太陽に当てて浄化&パワーチャージ。なんだかうれしそうでキラキラになります。

こういうことをする心と時間の余裕があるのがうれしいです。

 

家の辺りでは、平成最後の日と、令和最初の日、やんでいる時間もありましたが、かなり雨が降りました。でも、そのおかげか、いろんなものが浄化されてきれいになったように感じます。今朝、日課のすぐ近所の公園での散歩もしてきましたが、一気に緑が濃くなったように感じます。公園といっても、自然遊歩道のような感じで、自然のままの木々も多く、起伏もかなりあって、それなりの広さがあり、良い運動になります。

そういえば、この辺りに、天皇皇后両陛下が、最初の地方公務として6月のはじめにいらっしゃるのですよね。植樹祭です。

あ、でも私はちょうど、遠方に出かけている時でした。残念~。

 

さて、昨日の、令和初日の「初詣」について書きたいと思います。

 

まず、近所の氏神様へ。改元祭が10時からあると、前日聞いていたので、せっかくなので参加しました。でも、なんだかんだバタバタして、結構時間ギリギリに。御朱印をまず頼んでから改元祭に参加しようかと思っていたのですが、すでに、御朱印窓口は、10人ちょっと、人が待っていて、受付のおじいさんたちがかなりテンパっていて、全然受付できなさそうなので、御朱印は後にして、改元祭に参加しました。妹も来ましたよ。

 

4月に参加した月次祭(毎月原則第1日曜日)と同じような感じ。

その時のことは、以下の記事がからお読みいただけます。

近所の神社の月次祭へ - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

 

月次祭の時より、雅楽の演奏の方の数も少なく、おまけに雨で、そのせいか、笛の方が、音を出すのにかなり苦労されていました。

改元祭が行われていた拝殿のすぐ後ろに、賽銭箱や鈴があり、ひっきりなしに、お参りされているのが、聞こえていました。たくさんの方がお参りにいらしていたようです。

改元祭は粛々と進んでいきましたが、ちょうど、宮司が祭壇の上で、祝詞を奏上している時に、男女で大きな声で般若心経をあげてお参りしている二人が。

私は地元にいれば毎月1日にこの神社にお参りに来ていて、以前も一度、この二人をお見かけしたことがあるので、きっと毎月1日にいらっしゃっているのだと思います。

でも、宮司祝詞が始まるのと同時に般若心経が後ろで始まり、声が合わさってしまって、なんだか変な感じでした。

 

月次祭の時は、参加者全員がひとりひとり、神前に進み出て、玉串を奉納するのですが、今回は、次の予定が詰まっていて時間がないということで、代表者のみが玉串奉納。ちょっと残念でした。でも、また月次祭に参加して、玉串を奉納させていただこうと思いました。

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「令和元年5月1日の澁川神社」photo by Kaori


さて、改元祭が終わって、改めて、御賽銭をして、お参りをしてから、御朱印をもらいに行きました。

出来上がるのを待っている人、受付をしようとする人、30人ぐらいだったでしょうか。

この神社は、元旦はかなりの人が参拝のために並びますが、普段はとても静かで、御朱印ももらう人は、とても少なかったと思います。社務所もいつも開いているわけではなく、開いていても、氏子のおじいさま方が書いてくれる御朱印は、午前中のみ。

今回は、たぶん多いだろうとの予想で、別の部屋を用意し、御朱印を書く方も4人いらっしゃったのですが、特に受付辺りの方がパニック状態になっていました。

おじいさま方が、書く人も入れて7~8人で対応されていましたが、わけわからなくなっていて、受付するのも一苦労。

そして、受付した御朱印帳をどんどん上に積み上げていって、書いている方々も、そんなことは分からないから、上から取って書いていき、最初の方にお願いした人たちの御朱印が全然できない羽目に…。それじゃあいけないと、どなたかが、積み上げてあった御朱印を、脇の机に並べたのですが、そこは、もともとすでに書きあがったものが置いてあった机。そして、そちらに置いたことを他のおじいさま方に伝えないから、他のおじいさま方は、そこはすでに終わっているものだと勘違い。そして、新たに受け付けた御朱印帳を、そこをすっ飛ばして、書いている机に持っていく始末。

書いている一人のおじいさまが、「あれ、もうないのかな」と、ちょっと出ていらしたので、それまで黙ってみていましたが、「そこに机に置いてある御朱印帳、ぜんぶ書かれていないらしいです!」と思わず口を出してしまいました…。

ここでは、二つの神社の御朱印を受け付けていて、受付で1つだけか2つとも書くのか聞かれるのですが、それが書く人に全然伝わっておらず、書く段階になって、再度、みんな聞かれていて、それで余計時間がかかる羽目に。そして、番号札があるのに、番号札と御朱印帳の番号が合っていなかったり、御朱印の扱いになれておらず、バラバラと御朱印帳を落としてしまって、中に挟んである紙などが散ってしまう始末。見ていて、かわいそうになってきました。

きっと、私たちより前に受付された方で、1時間ぐらい待った方もいたと思います。そして、1ページあけておいてくれと頼んだのに、そこに書かれてしまったとショックを受けている人も。まあ、しょうがないですよね~。でも、多くの方は、和やかに待っていました。優しい人が多いですね。

私たちは、30~40分待ちましたかね…。4人も書く方がいらしたのに、1枚書くのに、5分ぐらいかかっていらしたのですかね…。おじいさま方、とても頑張っていましたが、何せ慣れないことで、パニックでしたね。

やっと終わって、料金を払うと、おつりが多すぎたり。

なんだか、ほほえましいというか。おじいさま方、頑張りすぎて倒れませんように。

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「澁川神社の御朱印、特別な日は金字です」photo by Kaori

 

 

そして、そこから、椿大神社

神社のはしごです。

椿大神社へは、日本にいれば、妹と毎月1回は参拝しているのですが、私は、5月は妹と予定が合いそうになかったので、せっかくなので5月1日に行ってみようかということになったのです。調べてみると、その日は高速道路も混雑していなさそうでしたし。

実際、道路は行きも帰りもスムーズで、全く渋滞しませんでした。

でも、この分だと、御朱印をもらうのに時間がかかりそうということで、妹が駐車スペースを探しているうちに、まず私が御朱印帳を持って、御朱印の受付へ行くことにしました。普段通り、参道を進んでいったのですが、本殿に参拝する人の長い列が出来ていて、びっくり。通りづらかったので、脇の方にいったん出て、御朱印の受付場所へ。

そこも結構並んでいましたが、やはりそこは大きな神社で、こういうことにも慣れていて、10分もかからずに、受付できました。とてもスムーズ。

そこから、いったん外に出て表に回り、改めて、いつもの順序で参拝しました。

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椿大神社入口」photo by Kaori

 

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「お稲荷さんの鳥居の赤と新緑のコントラストが綺麗」photo by Kaori

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「入り口わきにある庚龍神社にまず参拝」photo by Kaori



 そして、手水場で手と口を清めて参道を進み、いつものように、まず、御舟石座に参拝。

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「御舟石座の鳥居」photo by Kaori

ここはいつも独特の雰囲気があります。中は違う世界のようにも感じます。

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「御舟石座の鳥居の上」photo by Kaori

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「御舟石座の奥の林」photo by Kaori

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「御舟石座の説明書き」photo by Kaori

そして、本殿へ向かいます。

まだ結構並んでいます。

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椿大神社参道」photo by Kaori

 

本殿の参拝は、20~30分並んだでしょうか。もう少し脇の方まで広がって参拝すれば早かったのでしょうが、誰もそういう整理をする人がいなかったので…。でも、みんなのんびり参拝していましたよ。かなり雨が降っているのに、急いでも仕方がないですしね。

 

並んでいる途中で、ちょっと列を抜けさせてもらって、参道脇の大黒様や恵比寿様、高山土公神陵にもお参り。

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「高山土公神陵」photo by Kaori

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猿田彦神像」photo by Kaori

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「参道の狛犬」photo by Kaori

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「参道の木々」photo by Kaori

 

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天皇ご即位を祝うのぼり」photo by Kaori

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天皇ご即位を祝うのぼり」photo by Kaori

そして、やっと、本殿前へ

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「雨天の椿大神社本殿の屋根」photo by Kaori


無事にお参り出来ました。平成の感謝と、令和が平和で喜びに満ちた時代になるようにお祈りしました。
お参り終わった時には、御朱印も無事出来上がっていました!

 

そして、別宮椿岸神社へ。ここでは、少し並ぶ程度で、あまり混んでおらず。結構みんな本殿のみの参拝で帰ってしまうのですね。私は、椿岸神社が大好きなのですけれどもね。

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「椿岸神社の鳥居」photo by Kaori

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「椿岸神社参道」photo by Kaori

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「椿岸神社参道」photo by Kaori

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「椿岸神社の手水場」photo by Kaori

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「椿岸神社」photo by Kaori

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「椿岸神社の狛犬」photo by Kaori

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「椿岸神社の提灯」photo by Kaori

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「椿岸神社」photo by Kaori

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「椿岸神社に貼られていた紙」photo by Kaori


ここでも、平成時代の感謝をささげ、令和の時代が平和で喜びに満ちた時代になるよう、そして私も踊りや音楽などを通してたくさんの人に喜んでいただき、楽しんでいただけるように、お祈りしてきました。

隣のかなえ滝は、いつもにも増して、ものすごい勢いで水が流れていました。柄杓で水を受けるのが大変でした。

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「令和元年5月1日のかなえ滝」photo by Kaori

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「脇から椿岸神社の方を見ても神気に満ちているように見えます」photo by Kaori

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「水路も清らかです」photo by Kaori

そして、いつものように、行満堂神霊殿の方へ行ってみると、ほとんど人がおらず、静かなものでした。

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「行満堂神霊殿と新緑」photo by Kaori

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「行満堂神霊殿」photo by Kaori

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「行満堂神霊殿と新緑」photo by Kaori

ここは、近所の廃寺からの仏像や七福神などが祭られています。
今回は、開いておらず、外から参拝しました。周りの新緑が綺麗でした。

 

せっかくの令和初日なので、久しぶりに鈴松庵でお抹茶をいただくことにしました。

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「鈴松庵入口」photo by Kaori

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「鈴松庵のお庭」photo by Kaori

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「鈴松庵の茶室の床の間」photo by Kaori

「和顔愛語」の掛け軸が。良い言葉ですね。令和の時代、心掛けていきたいと思います。

お菓子は、岩根つつじというお菓子。

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「和菓子・岩根つつじ」photo by Kaori

とても綺麗でかわいらしい!季節の和菓子ですね。

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「鈴松庵のお抹茶」photo by Kaori

 お茶碗にはこいのぼりが。季節を感じますね。

ここのお抹茶は、かなえ滝の水でいれられているとか。

 

入り口近くの方には、洗心の掛け軸があり、すずらんが生けられていました。

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「洗心の掛け軸とすずらん」photo by Kaori

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すずらん」photo by Kaori

いつもは、ここでは、他のお客さんに会うことはまれなのですが、さすがにこの日は、何組ものお客さんが入っていらっしゃいました。

でも、とてもまったりできましたよ。ここで働いている方も、非常に感じが良いです。

 

駐車場わきの神社にも参拝

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椿大神社駐車場わきにある神社」photo by Kaori

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椿大神社駐車場わきにある神社」photo by Kaori

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椿大神社駐車場わきにある神社」photo by Kaori

 

 

 これで、椿大神社での参拝は終わり、そこから車で5分ほどで、いつも行っている小岸大神社へ参拝。

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「小岸大神社」photo by Kaori

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「小岸大神社本殿」photo by Kaori

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「小岸大神社、本殿の裏のお社」photo by Kaori

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「小岸大神社脇の森」photo by Kaori

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「小岸大神社で咲いていた花」photo by Kaori

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「小岸大神社参道の階段」photo by Kaori

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「小岸大神社、敷地入り口付近」photo by Kaori

 

非常に心洗われる参拝でした。

行って良かったです。

 

ちなみに、椿大神社でいただいた御朱印は、今回は3種類。

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「令和元年5月1日、椿大神社御朱印」photo by Kaori

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「令和元年5月1日、椿岸神社の御朱印」photo by Kaori

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「令和元年5月1日、寿老神の御朱印」photo by Kaori

でもなぜか、寿老神の御朱印が二つあってびっくり!

よく見ると、一つは平成最後の日になっていました。

きっと、間違えて、平成と書いてしまって、それで、二つ書いたのでしょうね。

大神社でも、御朱印を書くところは、結構テンパっていたのかも(笑)

ちなみに、こんな栞も入っていました。

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御朱印帳に挟まれていた栞」photo by Kaori

 

そんなこんなで、良い令和の始まりでした。

 

ちなみに、今日(5月2日)は天気が良かったので、植物の植え替えに精を出しました。近所の方に、私が育てた植物をもらっていただいたり。

今の時期庭に立つと、本当に、花々が咲き乱れ、植物たちが生き生きとしており、私の夢の場所だなぁと改めて気づくとともに、なんと幸福なんだろうと、植物たちにも、この場所にも、家族にも、感謝の気持ちがこみ上げてきました。

そういえば、いつも心を開いてゆっくり庭を眺めていなかったなぁ。植物たちはこんなにいつも私に語り掛けてくれていたのだと、初めて気づいた感じです。なんだかドキドキして、胸がいっぱいになりました。

植物の多くは、種から、または小さな苗から丹精込めて育てているので、とてもかわいいです。そしてとても癒されます。数が多すぎて、手抜きになっている部分も多く、植物には申し訳ないけれども、それでも、懸命に育ってくれています。

以下は植物たちのほんの一部です。

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「家の植物たち」photo by Kaori

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「家の植物たち」photo by Kaori

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「家の植物たち」photo by Kaori

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「家の植物たち」photo by Kaori

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ジギタリス・ダルメシアン」photo by Kaori

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ジギタリス・ダルメシアン」photo by Kaori

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ジギタリス・ダルメシアン」photo by Kaori

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「家の植物たち」photo by Kaori

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「今朝咲き始めたガザニア」photo by Kaori

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ルピナス」photo by Kaori

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「シラー・カンパニュラータ」photo by Kaori

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「5月1日の朝一番花を咲かせたスイートピー」photo by Kaori

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「種から育てて3年目のガーベラ」photo by Kaori




今日はかなり長くなってしまいました。長々とおつきあいください、ありがとうございます。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 




 











 

 

 

 

 

 

 

 

令和の時代、ようこそ!

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

遂に令和の時代になりましたね!昭和生まれの私にとって、3つ目の元号。この3つの時代を生かさせていただく幸運に感謝です。

 

気のせいかもしれませんが、令和に代わってから、空気が変わったように感じます。軽やかな、華やかな感じ。なぜか、白と金色のイメージが浮かんできます。

私の勝手な妄想かもしれませんが、面白いものですね。

 

令和の時代が、日本だけでなく世界が平和で、喜びに満ちた時代となりますように。

思いやりと、信頼、絆、助け合い、分かち合い、相互理解、相互尊重、柔らかな心で満ちる世界となりますように。

 

そのためには、まず自分からですね。

自分自身を愛し、そして愛を持って、多くの人に喜んでもらえるような、楽しんでもらえるような、そんな存在でありたいです。

 

そして、自分自身、楽しみつつ、日々を過ごしていければと思っています。

そして、様々な思い込みから自分を解放したいですね。

流れのままに、流れを信頼して生きていきたいです。

 

令和へと、日付が変わった時、実は、短い間だったですが、瞑想をしていたのですよね。なんだか、とても静かな時間で、気持ちが良かったです。白い光が上からきらきらと下りてきたような感覚。普段、瞑想していてもそんな感覚はないので、不思議でした。

 

そして、なんだか、家の神棚の前で、大祝詞を読みたくなって、読んでみました。

あまり読み慣れていないので、つっかえつっかえでしたけれど(笑)。難しいですね、大祝詞って。舌がもつれそう…。短い祝詞はたまにあげたりするのですけれど、これからは、大祝詞もたまにチャレンジしようかなと思いました。

実は家の父は、以前、10年間毎日大祝詞をあげていたというツワモノ。我が父ながら、すごいですね。今でも、毎月1日には大祝詞を、他の日には短い祝詞をあげていると思います。

それ以上に、うちの父が毎日あげていたのが、仏壇の前でのお経ですかね。以前、私が小学生の頃、父がアメリカに仕事で1年以上単身赴任していた時に、いろいろなことがうまくいかず、それで、お経を読み始めたら、いろんなことがうまく回り始めたのだとか。その後、ずっとですものね。

去年、しばらくの間、父が足を悪くした時、以前のように毎日は行わなくなりましたが、それでも、ちゃんと毎日手入れをし、誰かの月命日にはちゃんとお参りしています。(そして、その月命日は、かなりの数です)

父は、もしアメリカのことはなかったとしても、たぶん、うちの家族はそういうことに熱心な家系なのだと思います。父の姉は、全国の神社を車で巡ったという、こちらもツワモノ。仏壇へのお参りも、お墓へのお参りもとても熱心。まあ、彼女はいろいろ見えちゃう人なのでね。

そして、父方の実家にも、母方の実家にも、神棚も仏壇もあり、毎日ちゃんとお参りされていますし。もちろん、私の家にも、神棚も仏壇もあり、ちゃんと手入れされ、お参りされています。実は、私はその部屋で寝ているので、新しい時代を迎えるにあたり、ちゃんとお参りしたくなったわけです。

 

そんなわけで、神棚の前で大祝詞を何とか読み終わった後は、仏壇の前で、般若心経をあげました。これは、子供のころからよく読んでいるので、暗記していますね。父方の祖母が亡くなった後や、家の母が亡くなった後に、散々読んでいますから。たまに、同じフレーズのところから、違うところへ飛んでしまって、全然終わらず、ループ状態になったりもしますけれども…。あとは、大悲心陀羅尼なんかも、記憶していますね…。あれはマントラで音が大事なんでしょうね。なんじゃこりゃという感じで、意味は全然分かりませんけれどもね。

 

そんな感じで、令和が始まり、気持ちよく就寝しました。

 

朝から、よく参加している、ネットの座禅会に参加。実は、その前にヨガもあるのですが、ちょっと起きられず、座禅の前に、少し自分でストレッチをして、座禅と読経だけ参加。座禅。とても良いです。日本の宝だと思います。現代人の必需品と感じます。

 

そして、朝から、妹と地元の氏神様へ参拝して改元祭に参加、そして最近お気に入りの椿大神社へ。

その顛末については、また別の機会に機会があれば書きますね。

 

夜は、一人でジャワガムランとジャワ舞踊の練習をしましたよ。令和初めはGambir Sawitという曲をグンデルで。ちなみに、平成終わりはWilujengでした。踊りは、一人でもブドヨ・ブダマディウンを踊りました。とても気持ちよかったです。瞑想のようでした。踊りって祈りですね。大勢で踊るのも良いですが、一人で、自分のために踊るのも、全く違った感覚で好きです。自分のためというより、場を整えているような感覚もあります。

踊ると体に魂が入るようです。違う人になるよう。身体と魂が一致するよう。深く入っていけるよう。

そして、新しい時代になったからか、踊りの感覚も全然違うように感じます。

何だろうなぁ。

そして、なんだか、ずっと白いキラキラした光に包まれているような感覚。気持ちよい。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって、令和の時代が素敵な時代となりますように、心から祈念しております。

 

<今日の植物(うちの植物シリーズ)>

カトレアの一種ソフロレリア・レッドドール、3輪目が開花して満開です。

令和の元号のもととなった、万葉集の文章にも蘭がでてきますよね。カトレアのような洋蘭ではなく、シュンランという、日本を代表する野生蘭だそうですが。でもソフロレリアも、この佳き日にふさわしい、鮮やかな蘭ですね。花の幅が4.5㎝位のかわいらしい蘭です。

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「ソフロレリア・レッドドールの花」photo by Kaori

シュンランはよい香りのする蘭らしく、万葉集の一節にも「…蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(くゆ)らす」と書かれていますよね。

このソフロレリア・レッドドールは香りはないようですが、数日前から、素晴らしい香りの原種カトレアが開花しており、昼間はその香りで部屋が満たされ、幸せな気分でいます。こちらは、直径15㎝近くある、かなり大きな花。豪華です。

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「原種カトレア・ルデマニアナ・ミシマの花」photo by Kaori