香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊やガムラン音楽に関すること、日々の気付きや学び、海外生活で見聞したこと、大好きな植物や動物に関してなどを、私が感じたことを気ままに、ゆるゆると書いていきます

響いた言葉~YesとNo

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

ここのところ、ちょっと久しぶりに感情のアップダウンが非常に激しい時があり、あまり考えたくないことや、不安やらが浮かんできて、完全にそれに囚われてしまい、苦しくて、そんなことが浮かんでくる自分が嫌になり、自己嫌悪に陥ったり、こんなに苦しいなら人生なんて終わってしまえ~なんて、考えたりしていました。

 

そんなときに、目に留まったのがOshoの本に書かれていたこと。

最近は、しばらく前に入手した『究極の旅―OSHO禅の十牛図を語る』を、少しずつ読み進めていたところでした。

Osho(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の本は、実はすでに父が持っているものが家に数冊あったのですが、読んでおらず、私自身が、たぶん1年ほど前に『TAO永遠の大河ーOSHO老子を語る』1~4巻を購入したのをきっかけに、少しずつ、休み休み、ゆっくり読みはじめました。

究極の真実が語られていて、何度でも繰り返し読みたい本。

でも、日常生活のごたごたに巻き込まれて、なかなか読み進めなかったり、ジャワに持っていくには本が重すぎて持っていけず、しばらく読まなかったりして、なかなか読み終わらない本。

でも、これらの本は、私にとっては、これまで、日本で子供のころから触れてきたこと、感じてきたこと、大人になって、アメリカやジャワや日本での経験から何となく感じていたこと、ジャワ芸能や文化を通して学んできたことが、こういうことだったのかと、多くの気付きや納得があります。

同時に、思いもかけない、ハッとさせられることもたくさん。

 

ちょっと話が逸れましたが、今回、ハッとさせられたのは、YesとNoについて。

うまく説明できるかどうかは分かりませんが

自分なりにまとめてみると、

 

<心>というか、<エゴ>はいつも否定的に、「ノー」を言うようにできているということ。心にくる最初のものが「ノー」で、「イエス」というのは至難の業ということ。

 

「イエス」と言う方が簡単な時に何度「ノー」と言うか、沈黙を守ってきたことだろうか。

 

「イエス」という時には、必ずエゴに反する。エゴは「イエス」を食えず、「ノー」を食って生きている。

 

「ノー」と言うことは、自分はあたり前の人ではなく、権力があるという感覚を与える。

 

エゴがそれ自身を養い、それ自身に栄養を補給するのは「ノー」の毒によってである。

 

ここで言う「イエス」は、<服従>や<妥協>ではなく、<降参>であること。すなわち、トータルに実存とともにいること。

 

<降参>でエゴを明け渡す。<降参>は、ただ自分は<somebody>であるという間違った観念を落とし、 楽になる。そこに<私>という感覚はないけれども、あなたの個性は無くなるのではなく手つかずののままで、そこにとてつもない成長が起こるだろう。

 

といったようなもの。

 

前回の接心に関するブログ記事でも少し触れた「絶対他力」、「身心脱落」ですね。

 

私には、とても響いた部分ですが、わかりにくいですかね…。

まあしょうがないか~。

興味のある方は、Oshoの本を読んでみてください。(丸投げですね~。)

 

 

日曜日に出席した、阿部敏郎さんのセミナーでもそんな話が出ました。

同じような時期に、同じようなメッセージが入ってくるので面白いものですね。

 

それは、

どういうことが浮かんできても

それに対して、

ああ浮かんで来たわ~。以上!

で終わるということ。

そのことに対して、「ダメ!No!」と言わない。

Noに対してNoと言い続けると、それがどんどん雪だるまのようになっていって収拾がつかない。

 

なんだかものすごく納得。自分自身でもそういう経験がたくさんあるから。

2週間ほど前に、その前何週間かに渡って浮かんでは消え浮かんでは消えしながら、ぐるぐるしていたネガティブな考えや感情にマックス押しつぶされそうになっていた時、これは、それを打ち消すのではなく、見るだけで良いのではないかという結論に、なんとなく達していたのですよね。

今回、それがさらにクリアになった感じ。

たしかに、Noはそういったものに栄養を与えているわ~。

 

つまりは、そういう状況にYesということ。

ただ、そういう状況にある。それを、何の判断も評価もせずに、ただあるということ。

 

 

あるがままでこれしかない

 

それにストーリーを持ち込まない

目の前のことに何ら評価、判断をさしはさまない

 

それが結果

何かになろうとするのではなく、ただあるということ。

 

でも、人は、あるがまま以外に何かあると思ってしまう。

そして、ストーリーを作り上げる。

それで苦しんでしまうのですよね。

 

結局は

全ては今!

今があるだけ

あるがままでこれしかないに尽きる。

 

 

いろんな嫌な感情が湧いてくる自分がつくづく嫌になり、苦しかった。一方で、自分自身が自分を苦しめているのをわかっている、外から冷静に眺めている自分がいるのも知っていた。

でもどうしたらよいのかわからなかった。

というかもしかして苦しむのが好きなのか?

 

ただ、どんな覚者だって、この世に生きている限りは、怒りがわく時もあれば、心穏やかでない時もあるということ。そんなものがなくなった人はいないということ、最近、よく耳に入ってくる。

なんだかちょっと勇気をもらった感じ。

 

どういうことが浮かんできても、それは仕方のないこと。

でも

ああそうか。以上!

で、終われる練習、しよう。

 

結局、自分がすべての創造主なのよねぇ…。

 

それにしても、阿部さんのセミナー

「幸福な富者への道」というセミナーだったのに、

「あなたの夢が叶おうが、欲しいものが手に入ろうが、あなたは今以上には幸せになれません!(きっぱり)」ですって(笑)

 

確かにその通り~!

いま幸せなのかどうなのか。

今しかないよね。

 

おかげさまで、阿部さんのお話には、いつも助けられています。

 

あ、おかげさまで、嫌な気分のぐるぐるは、この10日ほど前から徐々におさまり、快調。

また、姿かたちを変えて戻ってくるだろうけど、楽にやり過ごしたいものです。

そして、優しい気持ちで過ごしていきたいものです。

 

読んでくださってありがとうございました。

わけわからないことを書いていたらすみません。

 

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

 

<今日の植物(家の植物シリーズ)>

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デンマークカクタス(シャコバサボテン)エバの開花」photo by Kaori



 

 

接心

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

しばらく前になりますが、11月8日から10日、浜松の方広寺にて、いまここ道場の接心に参加しました。のちに思い出せるよう、記録しておこうと思います。

去年の10月以来、約1年ぶり、3回目の参加です。

 

ジャワにいるとあまり座禅はせず、もっぱら瞑想(それもジャワでは忙しすぎてサボり気味)だったので、ちょっと久しぶりの座禅でした。
今回は無字三昧
座禅や経行の時にトライしてみるも、私には、まだまだよくわからない…。
特に2日目は、座禅三昧で足の付け根が痛くてそれどころではない感じでした。

1日目はまだ大丈夫なのですが、2日目は一日のうちで、座禅をする時間が長く、もともと股関節の固い私にはなかなか厳しい。だんだん短時間でも耐えられなくなってくる。


「無」って何だろうか。
わかりそうでわからない。深い。体感したいと思う。

今回から参禅も始めました。達磨大師から続く、老師との1対1の参禅の伝統。すごい伝統ですね。

 

今回の接心では、「無の器となる」「無の器となり、それを差し出す」「無の器は恵の器」といったような向禅師のおっしゃったキーワードが心に残っています。

そして、「世界の波動と同調する」ということ。

「身も心も投げ出して、お任せする(南無)」ということ。「身心脱落」

 そして、「スーパー宇宙温泉」

そのように、ゆったりと気持ちよく座る。

 

座禅では、寸胴のように、または、天井からぶら下がっている濡れ雑巾のように、中心軸を決めて座り、腹式呼吸することが大事。

頭で考えるのではなく、腹(肚)で考える、というより感じるためだと、私は理解しています。

 

座禅の前や後に読経をします。うちは曹洞宗で宗派は違いますが、同じ禅宗ですので、子供のころから慣れ親しんだお経と同じものも多い。

最近気になっているのは、「南無阿弥陀仏~」と3回唱えること。

「何それ、迷信!?」と思われる方もいるかもしれませんし、私もそう思っていた部分が以前はありました。

でも、「南無阿弥陀仏」は深い!

絶対他力」なんですよね。

最近、阿部敏郎さんと阿純章さんの圓融寺での講演会をネットで見た時に、「南無阿弥陀仏は、あなたが唱えているのではなくて、阿弥陀様があなたの中で唱えているのだ」と。

なんだか大きく納得。

 

話は大きく飛躍するけれども、この「南無阿弥陀仏」を唱え、合掌三拝をすると、いつも、ジャワ舞踊のガドコチョが頭にかぶるイライラハンという被り物の形状のことを思い出す。この被り物の形状の一部は、ガドコチョが自分を神の前に投げ出してお任せしたポーズを表していて、そうやって、彼は「生命の水」を得ることができた(自分の中に見つけることができた)のだという逸話を表しているということを聞いたことがある。もともと、ジャワ舞踊の衣装は影絵芝居の人形のコピーなので、本来ならば、ガドコチョの髪形をそれを表しているのだろう。

それにしても、ジャワも日本も、真実は同じだなぁと感じる。

 

ここの接心での楽しみのひとつは、他の参加者の方々との交流。コーヒータイム(今回はムラピ山(中部ジャワ)とマラバル山(バンドゥン)のコーヒーをお土産に持っていきました。)。

 

そしてシェアタイム。
「我以外皆我師」で、ハッとさせられることが多々ありました。
「残心」というのが心に残っています。

 

「残心」大切だなぁと思います。

投げやりにならなくなる。そこに最後まで意識を集中できる。今にいられる。

 

そして、方広寺のご飯はとてもおいしい!湧き水を使っているからでしょうか。それとも場の力?そして、きっと心を込めて作られているのですね。
精進料理なのに、とても満足感があります。私は、一度にたくさん炭水化物を摂取することができないので、ご飯は毎回ほんの少ししか食べませんでしたが、本当に幸せでした。米飯だけでなくお味噌汁もとてもおいしい。たくさん食べなくても、おいしいものって、少量でもこんなに満足感があるのですね~。また、食べる時に食べ物に集中して、じっくり味わって食べているのもよいのでしょうね。
最終日は、精進料理のうなぎ丼。よく出来ています。

方広寺の境内はとても広く、散策も楽しみの一つ。秋晴れで、葉の色も少し変わり始めていて、美しかったです。

 

 

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方広寺の亀背橋 2019-11-09」photo by Kaori

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方広寺境内の景色 2019-11-09」photo by Kaori

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方広寺の三重塔 2019-11-09」photo by Kaori

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方広寺の羅漢さまのうちの一体」photo by Kaori

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「奥山半僧坊大権現真殿」photo by Kaori

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「奥山半僧坊大権現真殿」photo by Kaori

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「岩五郎作、昇龍降龍」photo by Kaori

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「岩五郎作、昇龍降龍」photo by Kaori

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「半僧坊鉄下駄」photo by Kaori

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方広寺本堂」photo by Kaori




奥の宮にもみんなで行きました。けっこうな上り坂を15分ぐらいだったか登ると着きます。

 

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奥の院参道の入口」photo by Kaori

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「参道から奥の院を見上げる」photo by Kaori

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奥の院を見上げる」photo by Kaori

ここはなんだかエネルギーが違うなぁと、そういうことにあまり敏感でない私でも思います。でも、ちょっと怖い感じもします。そういう意味では、私にとっては、大神神社御神体三輪山に雰囲気が似ているように思います。

 

 

 そして、11月23日夜から24日の朝にかけては、向禅師の祥光寺でのミニ接心に参加。この時期にしてはとても暖かく、本堂濡れ縁での夜座も気持ちよかったです。

 

 

最近、自分でもあきれるほど、自分の感情のアップダウンに振り回されっぱなし。

自己嫌悪に陥りがち。

瞑想や座禅しても、その時は良くても、それをあざ笑うかのように、いろんなものが沸き上がってきて、手を焼いています。

頑固に染みついた善悪。比較。

自分を苦しめているのは自分自身と分かっているけど、まあ、どうしようもない。

それならば、それを見つめてみるのも良いかも。

それならば、それを愛してみるのかもよいのかも。

 

 

なんだか、よく分からない終わり方になりましたが、こんなところで。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

 

 

肩関節周囲炎、その後

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

今日は、肩関節周囲炎、いわゆる、四十肩、五十肩のその後について書きたいと思います。自分自身の記録として、そして、もしかしてどなたかの役に立つと良いなぁと思って、書いています。

 

肩関節周囲炎について、最後に書いたのは、今年の3月初め

下にリンクを貼り付けますね。

肩関節周囲炎の治療(ジャワにて) - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

 

その前には、1月に書いていますね。

肩関節周囲炎の治療 - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

 

 

肩甲骨辺りの痛みと違和感を感じ始めたのは去年の6月ごろ。それでも、11月ぐらいはそれほどひどくならず、動きの制限もほとんどありませんでした。急にひどくなり始めたのは12月に入ってから。そして今年1月がマックスにひどかったです。どういうところに治療に行ったらよいのかわからず、そのままになっていましたが、1月に入って耐えられなくなって、治療し始めました。そのことに関しては、上にリンクを張ったブログに書きました。

とにかく、左肩がひどくて、今年の1月から3月初めは、本当につらかったです。座っていても、寝ていても痛い。ちょっとした動きで耐えられないほどの激痛が走る。軽いものでも、左側で荷物が持てない。腕が上がらない。肩甲骨が動いていない。

そして、なによりも、左肩の一部の関節がくっついたような感じになってしまって、腕を横にあげると、肩先が盛り上がってしまい、まっすぐのラインにならない。その部分の美しいラインを作るために、十代の頃はかなり努力していたのでショックでした。そして、腰に手を当てられない。これは、踊り手にとって、かなりのダメージです。日常生活に支障がない程度に戻るだけでなく、踊り手にとっては、それ以上に動き、ラインも綺麗に戻せるレベルまで治すのが必須。そこまでちゃんと治るのかどうか、ちょっと不安でした。

そして、右肩も始まっていました。

 

1月終わりから3月半ばまで、ジャワでは、理学療法、鍼、マッサージ+薬草サウナにできるだけ行っていました。幸運なことに理学療法士さんが、結構当たりだったのですよね。ソロにあるその治療院は、普段は体に障害のある子どもたちの治療を行っている場所。夕方に一般向けに開いています。けっこう有名な場所だそうで、私の踊りの先生は、足を痛めた時に、ジャカルタのお医者さんにもソロのその場所を勧められたという話を聞きました。そして、そこで使われている機材の多くは、なんとジャカルタ日本大使館からの寄贈品。なんだか縁を感じましたね。

治療に加えて、理学療法士さんが教えてくれるエクササイズを、痛みに耐えながらも行っていました。理学療法士さんによると、毎日のそのエクササイズがとても大事とのこと。ただ単に治療院に通うだけでは、治るまでにとても長い時間がかかるとのことでした。

でも、少しずつ良くなっていたものの、いつになったらよくなるのか、本当に踊りに支障がないレベルにまで肩が戻るのか、不安でした。

そうしたら、3月に入ってから、急激に良くなってきたのです!スーッと楽になってきました。まだまだ動きは悪かったのですが、痛みが取れてきたのです。

実は、マッサージ+薬草サウナでは、いつも血の巡りが良くなるという漢方薬を出してくれていたのです。そして、その漢方薬の種類が変わった時に急激に良くなってきたので、それが効いていたのかもしれませんね。本当は、いろいろ飲むのは好きではないので、漢方薬を出してもらっても、飲まない時も多かったのですけれどもね。ちなみに、「もしかして効果があるかも」と思った漢方薬は、「牛头牌通血丸」というもの。日本では販売されていないようですね。安全性は良くわからないですが、これを飲んでいる時は、顕著に痛みが少なくなっていくような気がしました。

いろいろ通っていたので、何が良かったのか、それともただ単によくなる時期だったのか、実際のところはわからないですが、良くなってきたのは嬉しかったです。腕も前から上には、かなり上がるようになっていました。

ジャワからはいったん3月半ばに帰国しました。

 

痛みが取れてきていたので、ちょっと油断していたのですが、日本の病院での肺がん検診で、レントゲンを撮る時に、レントゲン技師の方が言われるように、腰に手を当ててひじを前の方に持っていくことができず、「肩甲骨が動いてないですよ」と言われてしまいました。「これでもかなり良くなってきているんですよ」と言うと、「これで良くなっているのですか?整形外科とかに通って、もっと動くようにしておかないと、年を取った時に困りますよ。肩甲骨が全然動いていないですから」と言われました。

かなり良くなったつもりでいたので、ちょっとショックでしたね~。

痛みがかなり取れてきても、動きはまだまだなんですね。

 

理学療法士の腕は、個人差が大きいとも聞きましたし、整形外科もどこに行ったらよいかわからなかったので、ジャワへ行く前に数回通った整骨院での鍼治療に週2回通うことにしました。

 

6月末に再度ジャワへ渡航しましたが、そのころまでには、かなり動きも良くなっており、可動域を広げることに主眼を置く、私が通っていたジャワでの理学療法では、あまり効果ないかなと思い、行かないことにしました。仕事も早引きしなければいけないこともありましたし。

そんなわけで、鍼(週2回)とマッサージ+薬草サウナ(週1回)だけ通うことに。

折りしも、鍼の先生が、もう料金はいらないと言い張って、受け取ってくれないので、お言葉に甘えて無料で。ここの鍼は、日本の一般的にある鍼とは違い、一本の鍼のみでの治療。一本の針を刺しては抜き、刺しては抜きしていきます。なので、大抵治療は5分もかからないぐらい。

ここの先生は、中華系のおじいさんですが、神経科の西洋医でもあり、中国鍼の治療師でもあった方。大きな病院の医者でしたが、そこはもう定年退職されて、今は、早朝と夕方のみ、自宅の治療院で鍼治療をされているそう。そして、社会奉仕/社会貢献のために、コミュニティの人たちに無料で鍼治療をしているそうで、市から表彰されたこともあるそう。

かといって、さすがにただで治療していただくのは、気が引ける…。たまに、お土産などを持っていきましたが、そんなもの持ってくる必要なしと言われる始末。

ただ、やはり無料というのはちょっと怖いですね。ここの先生は私のことがとても気に入っていたらしく、アタックが…。全くしょうがないですね...。まあ、しっかり治療はしてくれていましたし、アタックも陰湿な感じではなく、ちょこちょこっと、明るく冗談めかしてだったので、こちらも冗談でかわしていたのですが、だんだんエスカレートするし、かわすのも面倒になって、10月ぐらいからは行くのをやめてしまいましたけれども…。

でも、結構この鍼が効いていたような気がします。そして、風邪ひいた時とか、ねん挫などにも効くのですよね…。

ただ、並行して、マッサージ+薬草サウナにも通っていたので、実際のところ、何が効いたのかわからないですけれどもね。

 

8月に4週間ほど帰国した時は、接骨院の鍼、またはマッサージの治療(週2回ペース)に通い、ジャワにいるときは、鍼(9月ごろから回数を減らしていきました)とマッサージ+薬草サウナ(9月からは週2回ペース)などに通い、気がついたら、左手を腰に当てるのも全く苦ではなくなり、腕を横にあげた時に、肩先が盛り上がるということもなくなり、踊るのにもほとんど支障がなくなっていました。

ただ、たぶん少し肩が以前より内側に入っていて、踊る時の感覚が以前とは少し違い、その調整が必要な程度。でも、私自身が気になるだけで、他の人にはわからない程度でしょうね。

 

話は逸れますが、9月から怒涛のようにジャワで踊りを披露する機会があり、人生、よく出来たものだなぁと感心しています。肩がひどかった時期は、踊る機会が来ても、ちょっと支障の出そうな踊り(女踊りはあまり支障がなく、男踊りに支障がある感じだったので)の場合、勝手にキャンセルになることが多かったのですよね。本当によく出来ていますよね。ありがたいことです。

 

また、今年1月ぐらいから始まっていた右肩の痛みも、まだ痛みはあるものの、あまりひどくならない状態をキープしています。右肩も一応治療していることを考えると、あまりひどくない状態から治らないのは、やはり、治るのには、時間が必要なのかなという気がしています。でもひどくならないのは、やはり治療の効果なのかもしれません。

 

10月後半に帰国して、それから治療には通っていないですが、肩の状態はまあまあ。肩を回すことを心がけています。まだ、ゴリゴリ、グリグリいう状態。

それでも、日によっては少し痛みがぶり返したり、右肩の動きが少し悪くなったりしているので、四十肩は放っておいても治るとも言われていますけれども、治療はやはり有効なのかなという気がしています。

そして、すこし重い荷物を持つと、やはり、ちょっと悪くなるようです。やはり、重い荷物って、体にはかなり負担なのですね。

 

今は、ひどかった左肩も、まだ完治とはいかず、まだ少し動きの制限もあり、たまに痛みもありますけれども、何をするにも、全く支障がありません。

ひどい肩関節周囲炎でも、時間はかかるけれども、確実に良くなっていくということ!

どなたかの参考になれば幸いです。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

<今日の植物(家の植物シリーズ)>

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オンシジューム・アロハイワナガの花」photo by Kaori



 

 

 

 

 

 

 

ジャワの新年 ~ジャワでの出来事の記録

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

日本に戻ってきて3週間。いろいろ用もあってバタバタしていましたけれども、次回のジャワ渡航の前までに、ぼちぼちジャワでの出来事もブログに書いていけたらと思います。

ジャワにいるといろんな事が目まぐるしく過ぎていき、前日のことが、もう1週間前のことのように感じていました。踊りの公演に、仕事に、ジャワ舞踊やガムランの練習に、ジャワのいろんな行事に参加、コンサートの鑑賞など。ブログの更新もなかなかできず。書きたいことはいっぱいあったのですけれどもね。

日本に帰ってきて、少し落ち着き、ありがたいことにジャワにいるときより時間の余裕あるので、記録のために、思い出しつつ、楽しんで書いていけたらと思います。

 

さて、しばらく前のことになりますが、2019年9月1日は、ジャワ歴のスロの月の1日。いわゆるお正月でした。ちなみに、これは、西暦では毎年12日ぐらいずれていきます…。

みそかだった8月31日の夜は、ソロの王宮で儀式がありました。

ソロには2つの王宮があり、私は普段から舞踊やガムランの練習をさせていただいているマンクヌガラン王宮の儀式に参加させていただきました。以前も何度か参加させていただいていましたが、今回は久しぶりでした。5年ぶりぐらいですかね。ちょっと忘れてしまいましたが。

 

今回はマンクヌゴロ王家の親戚であり、いつも何かと良くしてくださるバサラさんにお誘いいただいたので、正装してマンクヌガラン王宮のプラチ(王宮内部)へ。

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「Malam Satu Suroの儀式の前にマンクヌガラン王宮のプラチにて、バサラさんと」

その後、プンドポの周りに並べられた椅子で、儀式が始まるのを待ちました。

 

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「マンクヌガラン王宮のプンドポにて。キラブが始まるのを待ちます」

 

王族の方々も大集合

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「マンクヌガラン王宮のMalam Satu Suroの儀式。王族の方々が集まっています」photo by Kaori

今回は、招待客も招待状の種類によって分けられていて、また、服装も前もってきっちり指示が出ていたようで、なんだか、いつもとは違った雰囲気。レベル分けされて、管理されている感じ。なんだか変わりましたね。差別化が進んでいるというか。以前のような和気あいあいした感じではないような気もします。

でも、例年のように、ちゃんと一般の人でも参加できましたよ。正装してこれば、行列(キラブ)にも参加できます。

 

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「護衛隊(?)も準備中」photo by Kaori

 

キラブは、中から持ち出されたプソコ(宝物、布に包まれた槍かな?)に付き従って、マンクヌガラン王宮の壁の周りをゆっくり一周します。

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「プソコが出てきました」photo by Kaori

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「プソコが出てきました」photo by Kaori


以前、お手伝いで参加した時は、各グループに松明を持つ人がいて、そこに時々お香を投げ入れる係だったのですが、今回は、そういうお手伝いもなかったので、適当なグループの後について歩きました。そして、今回は松明がなかった。その年によって違うのですね。

 

以下、お友達のカメラマンの方が撮影した写真を使わせていただきました。

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「Kirab Malam Satu Suro di Mangkunegaran」photo by Agus Budi Santorso

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「Kirab Malam Satu Suro di Mangkunegaran」photo by Agus Budi Santorso

マンクヌゴロ家の王様と王妃様です

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「Kirab Malam Satu Suro di Mangkunegaran」photo by Agus Budi Santorso

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「Kirab Malam Satu Suro di Mangkunegaran」photo by Agus Budi Santorso

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「Kirab Malam Satu Suro di Mangkunegaran」photo by Agus Budi Santorso

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「Kirab Malam Satu Suro di Mangkunegaran」photo by Agus Budi Santorso

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「Kirab Malam Satu Suro di Mangkunegaran」photo by Agus Budi Santorso

 

キラブの時はは靴も履かず裸足で、話すことも禁止で列を組んでシズシズと歩きます。(たまに靴を履いている人もいますが、本来は禁止です。)ちなみに、雨が降っても傘をさすのは禁止とか。今回は乾季であったこともあり、雨の心配は全くなし。

いつもは混んでいるこの辺りの道路も、この行列のために通行止めとなり、周りにびっしり見物人が並びます。そして、行列を守るための、警備の人たちも、ぎっしり。ボーイスカウトの人たちも、警備に駆り出されていました。

見物人もほとんど話すこともなく、静かに見守ります。

たくさんの人が集まっているのに、普段のソロではありえないような静寂の中、行列は進みます。今年は特に静かだったような気がします。観客も喋らないように、警備の人に言われていたのですかね。

普段は多くの音であふれているソロでは考えられないような静寂で、驚きとともに、ちょっと感動的な、本当に得難い経験でした。神聖な全く違う世界にいるような感覚でした。

 
キラブは、1時間ほどで終わったでしょうか。

キラブを終えるとボックスのご飯がいただけます。

 

マンクヌガラン王宮でも、王族の方たちがお供えした花びらやコインなどを入れた袋を投げる儀式(日本のもち投げを連想させます)などがあるのですが、その夜は他にもいくつかのイベントが行われていたので、近くの市役所のプンドポで行われていたコンサートを、私の踊りの先生のIbu Kurと、踊り仲間のみらいさんと、見に行きました。

見たかったブドヨは終わってしまっていましたが、先生方とおしゃべりしたり、いくつかの興味深い作品は見ることができました。

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「ソロ市役所のプンドポでmalam satu suroの行事のために公演された作品のひとつ」photo by Kaori

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「ソロ市役所のプンドポでmalam satu suroの行事のために公演された作品のひとつ」photo by Kaori

 
そこが終わったあと、マンクヌガラン王宮にとんぼ返り。早く戻らないと、瞑想が始まる前には、マンクヌガラン王宮の門が閉められ、入れなくなってしまいます。

バサラさんにお誘いいただいていたので、マンクヌガラン王宮のプラチへ行き、飲み物を飲みつつおしゃべりしながら、Semedi(瞑想)参加に備えます。時間が遅かったので、飲み物も食べ物もほぼなくなっていましたが、ちなみに、そこでの飲食もすべて無料。

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「マンクヌガラン王宮のプラチにて、瞑想前に記念撮影」

11時半頃には瞑想のための部屋に大勢で入り、それぞれの場所に陣取りました。運良く、もたれられる棚の前に座れ、少し楽でした。

でもジャワの正装で床で座って瞑想するのはなかなかキツイです。

いろいろアナウンスがあり、ジャワ新年の明けた0時きっかりに瞑想の始まりです。

黄色の布に包まれたプソコの槍が持ち出されて、真ん中辺りに立てられ、その後に、布に包まれた太い円柱型らしきものが、その右の台に乗せられ、最後に茶色の布に包まれた、長い槍のようなもので、先に平たい部分のあるものが持ち出されて、真ん中に立てられました。

ちなみに私たちは南側に横に長い半円を描くように座っていました。

すべての電気が消され瞑想の始まりです。

暗闇に中で、祭主(?) が、線香の束に火をつけて、皿のような容器で燃やしているのが見えます。ちょっと、天河神社宮司さまによる地護摩厳修神事を思い起来させるようなものでした。

火は強くなったり、弱くなったりしながら、割とすぐに消え、暗闇に戻ります。

瞑想中、何度かそれが繰り返されたように思いますが、瞑想していたので、よくわかりません。

瞑想が終わったのは午前1時20分頃。以前は1時ぐらいに終わっていたと思うので、今回は長かったようですが、あっという間に感じました。

プソコが出てきた順に片付けられ、最後の先に平たい部分のある槍のようなものの、平たい部分で、参加者の頭の上を、お祓いのように、スーッと横に動かしながら、かざしていきました。みんな手を合わせていました。

ある意味、日本ととても似ているように思います。

とにかく素敵な夜でした。このような素晴らしい儀式に参加させていただけて幸せでした。

 

他にも、大勢の人たちが、私たちが瞑想していた部屋の外の大プンドポで瞑想をしていました。

大勢での瞑想はやはり気持ちよいですね。

ジャワ歴のこの年がみんなの祈りで素敵な年になると良いですね。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

 

訃報と思い出 ~ Pak Yadi

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

今日、ジャワのカラウィタン(ガムラン音楽)の大御所である、Suyadi氏(Pak Yadi)の訃報が入ってきました。

私は個人的に学んだことはないのですが、初めて留学した当初から親しくしていただき、大事なことをいろいろ教えてくださった先生。大学の授業や、ガムランの練習会などで、いろんなアドバイスをくださいました。

人はいつか亡くなるもの、形あるものはいつか消えるものと分かっていても、寂しいものですね。

何年か前にストロークで倒れられ、少し体が不自由になられていたのですが、頭の方はとてもクリアでいられ、家までカラウィタンについてインタビューに訪れたのが、話をした最後になりました。ここ数年お会いしていなかったのですが、最近、気になって、どうされているのか、知り合いに尋ねてみたりしていたのですよね。訪ねていけばよかったなあと、今更のように思います。

 

今日も、Pak Yadiは客員で教えていらっしゃるソロの芸術大学で教えられた後、大学の教員であるSukamso氏(Pak Kamso)とお話をしていたそう。その時に、少し胸が詰まる感じがするという話をしていたけれども、話し方も普段通りに話していたそうです。そして、Pak Yadiが家に帰るための車を呼ぶために、Pak Kamsoが席を外し、ほんの3~5分ほど後に戻った時には、すでに、意識を失われて、手が冷たくなっていたそう。そのままお亡くなりになられたそうです。

苦しまずに亡くなられたことは良かったと思います。

ある意味理想的な亡くなりかたかも。私自身もそのように、他の人の手を煩わさずに、すっと逝けたらよいなぁと、最近常々思っているのです。

 

本当にいろんな思い出が思い出されます。

留学したての2004年頃、同じく日本からの留学生の友達と、Pak Yadiが指導している民間のグループの練習に参加しに行ったこと。あまり他ではやらないような、彼好みの、大きくて重い曲(ちょっと説明しにくいですが、ジャワガムランをされている方ならわかるかな)が多くて、まだまだ初心者の私たちは、曲がどこに行ったかもわからず、ついていけなくて大混乱だったこと。そしていつも落ち込み気味で帰ったこと。でも、そういう曲を練習できて非常に勉強になったこと。

何年かたって、かなり慣れてきたころにも、練習に参加させていただいていたことがありますが、その時に、例え、演奏が簡単な楽器を演奏するにしても、心と精神を込めて丁寧に演奏するようにと、言われました。当たり前なことですが、慣れてくると忘れがちなことを思い出させてくれて、ハッとしました。ちょっと専門的な話になりますが、私はその時クノンという楽器をたたいていて、ちょっと気軽に、ポンっとたたいていたのです。それに対して、Pak Yadiがくれたアドバイスでした。Pak Yadiはどんな楽器を演奏するにしても、敬意を払って、丁寧に、心を込めて演奏されているのだなと、尊敬の念を新たにしたものです。

そして、楽器を演奏せずに、楽器の間に座って聞いていた時にも、「あなたは太鼓を演奏するのだから、聞いているだけの時でも、手をたたきなさい(ジャワガムラン演奏時には、手をたたく部分があるので、その時にです)。そうやって、曲のスピード感を会得しなさい。太鼓奏者にとって、ちょうどよいイロモ(いろんな意味がありますが、ここでは曲のスピード)で演奏するのがとても大事だから」と。彼は、いつも、どんな時でも、真摯に学ぶ姿勢を崩さない人だったのだと思います。

他にもいろんなアドバイスをもらったと思うのですが、特に印象に残っているのはこんなエピソードです。芸に対する姿勢にいつも感服していました。忘れないうちに書いておこうと思いました。

 

そして、Pak Yadiは、嬉しいことに私の踊りをとてもかっていてくれました。Pak Yadiはマンクヌガラン王宮の演奏家でもあったので、マンクヌガラン王宮の舞踊練習でよく顔を合わせていたのですが、私の踊りを、「Bagus sekali. Halus sekali」とよく褒めてくれていたと、何人もの人から聞きました。私自身も、本人から直接褒められたことがあります。ジャワの人でもこんなにhalusに踊れる人はそういないよと。こんなにすごい演奏家からほめられるなんて、とても恐縮でしたが、とても嬉しかったです。

 

Pak Yadiのような真摯さを忘れずに、これからも踊りにも演奏にも、そしてほかのことにも向き合っていきたいと、改めて思いました。

 

そして、Pak Yadiには、いつも素晴らしい、素晴らしい演奏を聴かせてもらいました。

私が最初の留学を終えて帰国する前に、小さなお別れ会の演奏会でも主にRebabを演奏してくださいました。今思えば、とてもとてもぜいたくな演奏会でした。今では、そのうちのお二人が他界されたことになります。

 

Pak Yadiは、いろいろとても苦労されたようです。インタビューをした時、子供には自分と同じ道は絶対に行かせたくないと言っていらっしゃいました。

でも、本当に多くの人が、彼から大切なことを学んできたとおもいます。

そして、次世代につながっていくのだと思います。

 

Pak Yadi、本当にありがとうございました。

安らかにお眠りください。

 

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「マンクヌガラン王宮のハスの花」photo by Kaori

 

 

 

 

 

 

 

帰国

このブログにご訪問いただきありがとうございます。

 

さて、このブログ、最近、更新もご無沙汰になってしまっています。

今日、ジャワから帰国の途に着くのですが、ジャワにいると、書きたいことはたくさんあっても、やりたいことが多すぎて、書いている時間がない!

今回の2ヶ月滞在したのですが、仕事に、各地でのジャワ舞踊公演に、ガムランや舞踊の練習にフル稼働で、先月のことがすでに1年前ぐらいのような気がしています。

いろいろ、貴重な体験をさせてもらったので、おいおいシェアしていければなぁと思っています。

 

ジャワは、今年は乾季がなかなか終わらず、私は全く雨に出会わず。雨、降ったらしいのですが、私が違う街に行っている時だったり。

ちょっと雨が恋しいです。雨が降れば降ったで、いろいろ大変ではあるのですが。

 

朝早く、私が滞在していたソロを出て、ジョグジャカルタ空港に来ました。

空港の待合にあるレストランで、ジョグジャカルタの伝統ドリンク、wedang uwuh を飲みながら、フライトを待っています。

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伝統的健康ドリンクですね。

 

これから、シンガポールへ寄って、11時間以上のトランジット。

最近、シンガポール航空が一番お値打ちで、便利なのでシンガポール航空にしていますが、長いトランジットは、なかなか辛い。特にシンガポールに興味があるわけでもなし。

でも、シンガポールに入国して、街中をブラブラしようかと思っています。せっかくなので楽しみたいです。

 

なんだか、グダグダ書きましたが、読んでくださって、ありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

 

インターネットメディアで紹介されました

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

8月末にジャワへ来て1か月余り、忙しすぎて全然ブログが更新できませんでした。

あれ。ジャワに来たことも書いてませんでしたね~。まだあと3週間はジャワです。

 

今日も、お知らせのみ。先日、ジョグジャカルタのあるフェスティバルで踊った時のことに関して、インドネシアのインターネットメディアに取り上げていただいたので、そのお知らせです。

インドネシア語ですが、良かったらのぞいてみて下さい。写真だけでも楽しめるかも⁉

 

myimage.id

また、機会があれば詳しく書きたいなと思っています。

 

他にも、9月初めに別のところで、別の踊りを踊った時のこと、ジョグジャカルタの紙媒体の新聞にも取り上げていただけましたよ。

 

今回の渡航では、この1か月、フルタイムで仕事をしつつも、踊る機会をたくさんいただき、なかなかハードでしたが、これも私が望んだこと。ありがたいです。素直に望んだことって、かなうんだなぁと改めて実感。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。