香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊やガムラン音楽に関すること、日々の気付きや学び、海外生活で見聞したこと、大好きな植物や動物に関してなどを、私が感じたことを気ままに、ゆるゆると書いていきます

クリスマスに思うこと

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世間は今夜、クリスマスイブですね~。

 

私自身は、今はクリスチャンではないので、キリスト教徒の友人や知り合いたちに、クリスマスのお祝いメッセージを送る以外、特に何もしないですが、華やかな時期ですね。イルミネーションも綺麗。

 

以前、アメリカに住んでいた時、縁あって、洗礼を受けて、クリスチャンだったこともあります。正教会(オーソドックス)です。ギリシャアラブ諸国エチオピア、ロシアなどは正教会が多いですよね。カトリックよりも古いキリスト教です。

正教会のクリスマスは、年によって日が変動すると聞いたことがありますが、アメリカの私が行っていた教会では、他のキリスト教と合わせて、12月25日にやっていましたね。その方がいろいろ好都合なのでしょうね。

ただし、イースターは、正教会独自の日程でやっていましたよ。キリスト教徒にとっては、クリスマスよりイースターの方が重要ですものね。

 

日本では、12月24日でクリスマスが終わってしまうような印象ですが、25日がクリスマス。アメリカでは、25日が本番。24日は、動物たちのクリスマスと言われていて、うちでも飼っていた犬たちにお祝いしてあげていました。

25日は教会へ行った後、家族や、近い友人家族たちと食事をしつつ、お祝い。

子供たちが、長々と、大量のプレゼントを開けるのに付き合い、ちょっと退屈~と思っていたことを思い出します。

サンディエゴに住んでいた時は、その後、大抵、海に行っていましたね。

 

90パーセント以上がイスラム教徒のジャワでも、キリスト教徒の人口は多く、クリスマスパーティーは、他の宗教を信仰している人たちも招かれて、あちこちで行われていました。クリスマスのお祝いのパーティは、クリスマスの後、1月いっぱいぐらいまで、いろいろ開かれていてびっくりした覚えがあります。1月にクリスマスパーティーでジャワ舞踊を踊ったことも何度かあります。一番覚えているのは、マンクヌガラン王宮で、現王の弟君がご存命の時に、彼はキリスト教徒だったので、王宮で盛大にクリスマスパーティを開き、そこで踊らせてもらったことです。確か1月の半ばだった。

クリスマスパーティでも、ジャワガムランにジャワ舞踊。なかなか良いですよね!

ジャワの教会では、実は、ジャワガムランを使ったり、ジャワの影絵芝居なども行われるところも結構あるのですよ。物語はキリスト関係のもので。

 

ジャワに、正教会はほとんどなく、カトリックプロテスタントがほとんどだと思いますが、実は、正教会は布教をするときに、地元の文化を取り入れることを推奨したと聞いています。その土地の音楽や言葉で、礼拝をおこなうということです。そういうところ、正教会を気に行っていたのですけれども、でもやはりしっくりこず、アメリカを離れると同時に離れてしまいましたね。実は、私は中学からプロテスタント系の学校へ行っていたので、聖書の勉強などもかなりしたのですけれども。

でも、子供のころから、今は宗教の時代ではないという気がしていたのですよね。キリスト教も結局は囲い込みの面も多々ありましたから。どこから登っても頂上にはたどり着け、いろんな門、入口があってよいと思うのですが、これでなければいけないというような態度が、随所にみられるのに、ちょっと抵抗があって。

私も、結婚するときに元旦那が教会のクワイヤを指導、指揮をしていて、その、いろんな人間関係から、その教会で式を挙げた方が良いと思わなければ、洗礼は受けなかったかも。洗礼を受けなければ、教会で結婚式は挙げられませんからね。それでも、キリスト教は嫌いじゃなかったのですが、やはりぴんと来なかった。私には合わなかったのでしょうね。

 

ちょっと、話がずれましたね。

 

日本では、みんながしていることを、自分もしなきゃいけないような風潮が強くて、クリスマスでも、その辺りにとても違和感を感じます。

 

クリスチャンではない人に、メリークリスマスと言うことも、私が言われることも、私にとっては大きな違和感。成人してからほとんどの時間を海外で過ごしてきたからでしょうか。いつも、相手の宗教を考えて発言しますし、相手の宗教にずかずかと入り込まないように気を使っていましたから。宗教問題は繊細ですからね…。

本当はどっちでもいいのに、私の意識も頑なだわ〜。

 

まあ、日本では、こだわりなくなんでも取り入れて楽しむことは良いと思いますけれども、それが出来ない人たちが、出来ないことで悲しんだり、苦しむことがないようであればよいなと思います。

みんな違ってよいじゃないか!

起こることを、良いとか悪いとかジャッジ(判断、審判)せずに、そのまま受け入れて、楽しむしかない!

結局は、自分のジャッジがすべての幻想を創り出しているのだから。

 

私自身は、祝いたい気分だったら、一人でも祝い、家族や友人と一緒だったら、それを楽しみ、でも、特に何もやる気になれなかったら、何もせずに普段通りの感じですかね。

この日だけ楽しむのではなく、ジャワのように、1月に入ってしまっても、クリスマスにかこつけて、パーティするぐらいの感覚の柔らかさがあっても良いかも!

 

でも、このクリスマスという日が、人種や文化や考え方の違いや、恨みつらみを超えて、お互い思いやる日になればよいなぁと思っています。

 

クリスマスに思うことを、つらつらと書いてみました!

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

 

<今日の植物(家の植物シリーズ)>

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「クリスマスカラーハナキリン」photo by Kaori



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京にて

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先週末、ジャワ舞踊の練習や、友人たちに会ったりするために、東京へ行ってきました。今回は少し久しぶりで2か月ぶり。

最近、バスで行く根性がないので、いつも新幹線で。ちなみに、エクスプレス予約で、21日前までに予約すると、時間帯によっては割引があるので、前もって予定が分かっており、時間に余裕がある時は、それを利用しています。確か、乗車する時間が朝6時台か、11時から15時台までは、枚数に限りはありますが、割引があると思います。

新幹線で東京へ行く時の楽しみのひとつは、何といっても富士山。見えない時も多いですが、見えると嬉しくなります。いつも激写します(笑)。

今回は、晴れではなかったですが、富士山がきれいに見えました!それも、とっても雰囲気のある絵画のような富士山。雪も増えていて、美しい~!雲のかかり方も絶妙。

そんなわけで、何枚か写真をアップしますね。

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「新幹線から富士山を望む 2019年12月21日」photo by Kaori

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「新幹線から富士山を望む 2019年12月21日」photo by Kaori

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「新幹線から富士山を望む 2019年12月21日」photo by Kaori

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「新幹線から富士山を望む 2019年12月21日」photo by Kaori

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「新幹線から富士山を望む 2019年12月21日」photo by Kaori

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「新幹線から富士山を望む 2019年12月21日」photo by Kaori

 

ああ~満足!

以前、一度頂上まで登ったことがある(それもなぜかキツイ御殿場口から登りました)のですが、またいつか登りたいですね。

あ、でも、以前は結婚前の元旦那と登って、いろんな思い出があるので、なんとなく心のつかえが…(苦笑)。いろんな感情が襲ってきて、それを否定するわけじゃないけど、まあ、それも良しかな~。ジャッジはしない!

 

それでも、富士山の姿は大好き!最高の山だな~と思う。

今回も見られてとってもラッキー

 

東京では、久しぶりの何人かの友人と、それぞれお茶を飲んだり、ご飯を食べたりできたのも、楽しかった。

そして、私の話や悩みを聞いてもらったり。

私をいつも泊めてくださる友人もいて。

友人ってありがたいものですね!

けっこう孤独感にさいなまれる私ですが、私のことを気にかけてくれる友人たちがいることは、本当にありがたいです。忘れないようにしたいです。

 

土曜日の夜は、東京のガムラングループ、ランバンサリの練習に飛び入り参加させてもらいました。いつも、快く迎えてくださって、ありがたいばかり。そして、大勢で練習するのは楽しい。

 

そして、日曜日のジャワ舞踊練習会。

今回は、たっぷり、ハードな、鬼のような、でもとても楽しい練習をしました。

休憩を入れて6時間以上。

 

私は、肩が治ってきたことがうれしくて、ガガ(男性荒型)の舞踊の練習を、最近家で少しずつ再開していたのですが、せっかく広い場所なので、早めに行って一人で、クロノという舞踊を練習させてもらいました。満足!

肩のせいで、去年の12月ごろから今年の夏過ぎぐらいまでは、満足に男性荒型の舞踊を踊ることができなかったので、また踊ることができるようになって本当にうれしいです。

それでも、やはり荒型はキツイ!

 

そして、その後、じわーっと足腰にくる女性舞踊をたっぷり。

来年、2月24日(月・祝)に、東京の洗足学園で、マンクヌガラン王宮の舞踊、ブドヨ・ブダマディウンを上演させていただくので、1回40分ほどのこの曲を、計3回半、練習。

その後も、マンクヌガラン王宮の舞踊、モンドロリニを3回、ゴレッ・ランバンサリを1回練習し、最後の締めは、スラカルタ様式の男性優型の舞踊、トペン・グヌンサリ。

 

「寒いし、雨降るだろうから、早めに終わろうか」と言っていたのですが、結局、楽しくなってしまって、会場を借りていた時間のぎりぎりまで練習しました。

幸せだわ。

でも、久々に完全に筋肉痛です(笑)

 

ちなみに、ジャワではこんなに練習する人たちはいないです。ジャワでは、基本的に疲れることはしない…。もっとゆるゆるな感じ。なので、日本人には物足りなく感じることもしばしば。

「まだ全然出来てないのに、ここで練習終わるの?明日、本番だよ」と思ったこともしばしば。

やはり、民族の、文化の違いなのですかね。日本人って真面目だな~と、いつも思います。

まあ、どちらが良いということでもないですけれども。

日本人ももっとゆるくなったほうが楽なのにと思うこともしばしばあるので。それに、ゆるさの感覚も、ジャワ芸能には大事。

でも、私自身、もっともっとうまくなりたくて、そして楽しくて、ガンガン練習してしまったりしますけれどもね。

 

でも、こうやって、舞踊も、ガムランも、一緒に練習してくださる方々がいることは、何とありがたいことか。そして、そのためにいろいろ手配してくださる方々がいることは、何と素晴らしいことか。

私は、地元ではだれも練習する相手がいないので、本当にこのありがたさが身に沁みます。

でも、地元にいないからこそ、東京や大阪へ、果てはジャワまでちょくちょく出かけていって、みんなと練習しようという気にもなるわけで、それはそれで良いかなと思っています。

みんなと一緒だと、楽しいですし、気力も体力も湧いてくる気がします。

 

地元では一人で練習しています。一人でも練習できるだけのことは、ジャワでキリがないほど仕入れてきていますし、一人で練習できることはたっぷりあるのですけれどもね。なかなか根気がいりますね…。

でも、仲間のありがたさも人一倍感じることができるかなと思っています。

 

私も、普段身近にあるものは、当たり前にあるような気がして、感謝も何もないですけれども、よく考えてみたら、すべてが奇跡的に在るものだなぁと思います。

 

ジャワで暮らしていると、水が止まったり、停電になったりすることがしばしばあり、挙句の果てにプロパンガスのガス漏れがいきなり起きることも何度かあったので、そのたびに、水や電気のあることのありがたさや、安全のありがたさが身に染みたものです。

 

こうして、太陽が毎日登り、空気や風や水や火や、私たちを生かしてくれているものに囲まれていて、安心して眠れる場所があり、十分な食べ物も着るものもあり、ありがたいですね~。家族にも感謝ですね。

 

なんだか、だらだらと思い付きで書きました。

 

今日はこんなところで。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

好きなことを伝える機会があることは楽しい

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縁あって、1年と数ヶ月前から、月に2回ほどのペースで、ある場所にジャワガムランの演奏を教えに行っています。

仕事で日本にいない時期もあるので、その時は、他の先生に教えに行っていただいたりしながらも、ありがたいことに、続けさせていただいています。

 

ゆっくり、ゆっくり進んでいますが、今週から新しい曲。

今のグループにとって、ちょっとチャレンジングな曲で、でも難しすぎず、面白い曲をと思い、ラドラン・スマル・マントゥ(PL 6) という曲を選んでみました。スラカルタ様式のほう。私自身、あまり演奏する曲ではないのですが、教えてみると、やっぱり面白い!

 

一人で、たくさんの楽器のあるガムランを教えるのは、なかなか大変ですが、ガムラン経験者もいて、大変助けられています。私自身、先生としては未熟だなぁと自分でも思いますが、教えることで、私自身、たくさん学ばせてもらっています。

こういう機会をいただけることは、私にとって、本当に感謝しかないです。

そして、教えることは、結構好きかも、と思っています。楽しい!

 

思えば、2003年に最初にジャワに留学した時、アメリカから直接ジャワへ行き、アメリカへ戻る予定にしていました。そして、ジャワガムランが一人で指導できるように、多くのジャワガムランの楽器を(歌も含めて、ほぼすべての楽器を)まんべんなく学んだのでした。

私のアメリカでのジャワやバリの音楽の先生たちは、 すべての楽器が演奏できたし、踊りもできたので、それが当たり前で、そうなるべきだと疑いもしなかったこともあり、私は踊りも楽器も、一つに絞ることなく学んだのでした。

何より好きで楽しかったですし。もともと凝り性なのかも。

最初は留学は1年の予定で、期間が短いからと、個人レッスンもかなりの量をこなしていたのですが、結局、もっともっと学びたくなって、2年9か月いましたね。そしてその間、ずっと同じように走り続けた感じ。

そんなわけで、ジャワの芸術大学留学中の2年9か月ほどの多くの期間は、授業や市井のグループの練習に参加する他に、カラウィタン(ガムラン演奏)と舞踊を合わせて、一日2~3個人レッスン(4時間~6時間)はあたり前の毎日を続けたものでした。さすがに、踊りのレッスン3つやった日はへとへとだったので、なるべく、カラウィタンと踊りを混ぜるようにしていました。その頃は個人レッスン料もかなり安く(1レッスン3万~5万ルピアぐらい)、恵まれていましたね。

もちろん、かなり努力もしましたよ。大学の授業も、留学は3年弱だったとはいえ、その間ダブルで受講したりして、1年生から4年生の前期までの舞踊科とカラウィタン科の実技の授業は、(ジャワ以外の芸能の授業以外)すべて出ましたし、単位や学位をいただける立場ではなかったですが、外国人だからと甘く見てもらうこともなく、現地の子たちと同じように授業についていけるように準備をし、ちゃんとテストも受けていました。

カラウィタンの授業では、子供の頃から演奏している子たちに付いていくのは、かなり大変でしたけど、授業中に交代しながら演奏するのも、演奏できないと特定の楽器や歌うのを飛ばすことなく、授業で学ぶ全ての楽器や歌はできるように頑張りましたし。楽しかったのでね〜。

 

ジャワ舞踊も、アメリカに戻っていろいろ教えられるようにと、スラカルタ様式とマンクヌガラン様式の神聖な洗練された女性舞踊や、少しセクシーな女性、かわいらしい女性、恋する女性、勇敢な女性など様々な女性舞踊、かっこよく洗練された静かな男性舞踊(優型)や、荒々しい悪役の男性舞踊(荒型)、戦いの踊り、恋の踊り、チャキルやブリスロウォといった鬼系の踊りや猿の踊り、子供が学ぶ踊り、そして仮面舞踊に至るまで、習いつくした感があります。2週間ごとに新しい踊りを2~3曲学ぶペースでしたし。よくもやったものだと自分で感心したりして…。ほとんど気狂いですよね。

早く学べば良いというわけではないかもしれないけど、あの時の私には、それが一番良いペースだったと思います。私はたくさん学ぶことで、深くしていくのが合っているかなと思います。踊り込みは公演前にかなりしますしね。

衣装も舞踊団が作れるほどいろいろ揃えたものです。

まあ、教えられるようにというより、自分が好きなので、すべてやってみたのですけれどもね。いろんなキャラクターになりきって、踊り分けるのも楽しくて仕方がない。キャラクターを学ぶために、よくワヤンオランも見に行きました。

 

でもその間、人生いろいろ転換して、結局アメリカに戻ることはなくなり、予定はかなり狂いましたね。

 

日本に戻り、でも、その後もジャワといろいろ縁があって、多くの時間をジャワで過ごさせてもらいました。合計で10年ぐらいになるかも。

ジャワの芸術大学に留学していた時ほど集中して学ぶことは、その後ないですけれども、舞踊劇を学んだり、ジョグジャカルタにも縁ができて、ジョグジャカルタ様式の舞踊もゆるゆると学ぶこともできましたし、それ以前に学んだことも、少しずつ深めることができているなぁと思います。仕事や調査をしながらも、ジャワに長く生活して、呼吸をし、風土と文化を感じ、都会でも田舎でもいろんな人たちと出会い、上手い方たちと一緒に練習して、一緒に公演をし、多くの公演を見て、刺激を受けて、ジャワのフィーリングを自然に受け取ることができて。そう思うと、ありがたいばかりですね!感謝しかないです。

もともとプロのジャズ/モダンダンサーだったこともあり、ジャワ芸能でも、踊りはかなりやりましたが、カラウィタン(ガムラン音楽)の方は、一通りは出来ても、もう少しうまくなりたいものだと、最近つくづく感じています。ジャワ芸能をやっていると、どこまで行っても終わりはないですが、楽しみつつ進んでいきたいものです。

 

日本にいる時間も今は飛び飛びですし、今は、学んだことを誰かに伝えるということがあまり出来ていないのですが、日本で、ガムランも、そして踊りも、少しずつでも、私が好きで、学んできたことを伝えられる機会があることは、大変ありがたいです。

もっとこういう機会が増えると良いなぁ。

私が長い時間をかけて学んできたことに価値があると思ってくださる方もいることは、本当にうれしいことです。そして、ジャワ芸能を堪能するために、楽しむために、遠慮せずに、私をもっと利用してほしいです。

とはいえ、自分自身がその価値を一番よく知っているので、それだけでもよいのですけれどもね。でも、もし、私のやってきたことが、誰かの役に立つことがあれば、こんなに嬉しいことはないです。

考えてみたら、本格的に学び始めたのは2003年ですけど、最初にアメリカでジャワ芸能に出会ってからもう25年!びっくり!

ジャワ芸能から学べることはとても深い。そして、人生を豊かにします。もっと多くの人に、ジャワ芸能に触れていただけると良いなと思います。

私の住んでいる辺りでは、仲間がいないのがなかなか厳しいですが…。たまにめげそうになりますが、それでも、一人でも、場を清める気持ちで踊りの練習をしたり、カラウィタンの練習も続けていますよ。

もう少し、仲間を増やす努力をすればよいのでしょうがね。まだ、なかなか…。

何せ、自分の好きなように生きているので…。

 

慢心だけはせずに、これからも真摯に、でも楽しみつつ、愛を持って精進していきたいです。

まだまだ改善していきたいなぁというところたくさんあるし。楽しみ!

 

そして、みんなが仲良く集い、それぞれの能力を発揮でき、自由に芸術活動/創造活動ができ、それをたくさんの人に見てもらえる/伝えていける場を作れたら良いなぁと密かに(!?)考えています。

 

アメリカに戻ることがなくなって、その後、つい数年前までの長い期間、半分死んでいるような気持ちでいましたが、振り返ってみると、その間、多くのことを、一生懸命やって来て、楽しいこともたくさんあったなぁと思います。これで良かったのだと。

そう考えると、本当にすべては幻想ですね。 

 

いろいろあって、必ずしも自分が思ったように物事が進んでいくわけではないけれども、大きな流れの中で生きているのだなぁという気がします。でも、大きな流れで見ると、やはり、すべては自分が創り出していると気付きます。

そして、何があっても大丈夫。

心配せずに、楽しみつつ目の前のことをこなしていきたいです。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

<散歩中の景色>

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「散歩中の太陽」photo by Kaori

 

 

 

 

 

 

響いた言葉~YesとNo

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

ここのところ、ちょっと久しぶりに感情のアップダウンが非常に激しい時があり、あまり考えたくないことや、不安やらが浮かんできて、完全にそれに囚われてしまい、苦しくて、そんなことが浮かんでくる自分が嫌になり、自己嫌悪に陥ったり、こんなに苦しいなら人生なんて終わってしまえ~なんて、考えたりしていました。

 

そんなときに、目に留まったのがOshoの本に書かれていたこと。

最近は、しばらく前に入手した『究極の旅―OSHO禅の十牛図を語る』を、少しずつ読み進めていたところでした。

Osho(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の本は、実はすでに父が持っているものが家に数冊あったのですが、読んでおらず、私自身が、たぶん1年ほど前に『TAO永遠の大河ーOSHO老子を語る』1~4巻を購入したのをきっかけに、少しずつ、休み休み、ゆっくり読みはじめました。

究極の真実が語られていて、何度でも繰り返し読みたい本。

でも、日常生活のごたごたに巻き込まれて、なかなか読み進めなかったり、ジャワに持っていくには本が重すぎて持っていけず、しばらく読まなかったりして、なかなか読み終わらない本。

でも、これらの本は、私にとっては、これまで、日本で子供のころから触れてきたこと、感じてきたこと、大人になって、アメリカやジャワや日本での経験から何となく感じていたこと、ジャワ芸能や文化を通して学んできたことが、こういうことだったのかと、多くの気付きや納得があります。

同時に、思いもかけない、ハッとさせられることもたくさん。

 

ちょっと話が逸れましたが、今回、ハッとさせられたのは、YesとNoについて。

うまく説明できるかどうかは分かりませんが

自分なりにまとめてみると、

 

<心>というか、<エゴ>はいつも否定的に、「ノー」を言うようにできているということ。心にくる最初のものが「ノー」で、「イエス」というのは至難の業ということ。

 

「イエス」と言う方が簡単な時に何度「ノー」と言うか、沈黙を守ってきたことだろうか。

 

「イエス」という時には、必ずエゴに反する。エゴは「イエス」を食えず、「ノー」を食って生きている。

 

「ノー」と言うことは、自分はあたり前の人ではなく、権力があるという感覚を与える。

 

エゴがそれ自身を養い、それ自身に栄養を補給するのは「ノー」の毒によってである。

 

ここで言う「イエス」は、<服従>や<妥協>ではなく、<降参>であること。すなわち、トータルに実存とともにいること。

 

<降参>でエゴを明け渡す。<降参>は、ただ自分は<somebody>であるという間違った観念を落とし、 楽になる。そこに<私>という感覚はないけれども、あなたの個性は無くなるのではなく手つかずののままで、そこにとてつもない成長が起こるだろう。

 

といったようなもの。

 

前回の接心に関するブログ記事でも少し触れた「絶対他力」、「身心脱落」ですね。

 

私には、とても響いた部分ですが、わかりにくいですかね…。

まあしょうがないか~。

興味のある方は、Oshoの本を読んでみてください。(丸投げですね~。)

 

 

日曜日に出席した、阿部敏郎さんのセミナーでもそんな話が出ました。

同じような時期に、同じようなメッセージが入ってくるので面白いものですね。

 

それは、

どういうことが浮かんできても

それに対して、

ああ浮かんで来たわ~。以上!

で終わるということ。

そのことに対して、「ダメ!No!」と言わない。

Noに対してNoと言い続けると、それがどんどん雪だるまのようになっていって収拾がつかない。

 

なんだかものすごく納得。自分自身でもそういう経験がたくさんあるから。

2週間ほど前に、その前何週間かに渡って浮かんでは消え浮かんでは消えしながら、ぐるぐるしていたネガティブな考えや感情にマックス押しつぶされそうになっていた時、これは、それを打ち消すのではなく、見るだけで良いのではないかという結論に、なんとなく達していたのですよね。

今回、それがさらにクリアになった感じ。

たしかに、Noはそういったものに栄養を与えているわ~。

 

つまりは、そういう状況にYesということ。

ただ、そういう状況にある。それを、何の判断も評価もせずに、ただあるということ。

 

 

あるがままでこれしかない

 

それにストーリーを持ち込まない

目の前のことに何ら評価、判断をさしはさまない

 

それが結果

何かになろうとするのではなく、ただあるということ。

 

でも、人は、あるがまま以外に何かあると思ってしまう。

そして、ストーリーを作り上げる。

それで苦しんでしまうのですよね。

 

結局は

全ては今!

今があるだけ

あるがままでこれしかないに尽きる。

 

 

いろんな嫌な感情が湧いてくる自分がつくづく嫌になり、苦しかった。一方で、自分自身が自分を苦しめているのをわかっている、外から冷静に眺めている自分がいるのも知っていた。

でもどうしたらよいのかわからなかった。

というかもしかして苦しむのが好きなのか?

 

ただ、どんな覚者だって、この世に生きている限りは、怒りがわく時もあれば、心穏やかでない時もあるということ。そんなものがなくなった人はいないということ、最近、よく耳に入ってくる。

なんだかちょっと勇気をもらった感じ。

 

どういうことが浮かんできても、それは仕方のないこと。

でも

ああそうか。以上!

で、終われる練習、しよう。

 

結局、自分がすべての創造主なのよねぇ…。

 

それにしても、阿部さんのセミナー

「幸福な富者への道」というセミナーだったのに、

「あなたの夢が叶おうが、欲しいものが手に入ろうが、あなたは今以上には幸せになれません!(きっぱり)」ですって(笑)

 

確かにその通り~!

いま幸せなのかどうなのか。

今しかないよね。

 

おかげさまで、阿部さんのお話には、いつも助けられています。

 

あ、おかげさまで、嫌な気分のぐるぐるは、この10日ほど前から徐々におさまり、快調。

また、姿かたちを変えて戻ってくるだろうけど、楽にやり過ごしたいものです。

そして、優しい気持ちで過ごしていきたいものです。

 

読んでくださってありがとうございました。

わけわからないことを書いていたらすみません。

 

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

 

<今日の植物(家の植物シリーズ)>

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デンマークカクタス(シャコバサボテン)エバの開花」photo by Kaori



 

 

接心

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

しばらく前になりますが、11月8日から10日、浜松の方広寺にて、いまここ道場の接心に参加しました。のちに思い出せるよう、記録しておこうと思います。

去年の10月以来、約1年ぶり、3回目の参加です。

 

ジャワにいるとあまり座禅はせず、もっぱら瞑想(それもジャワでは忙しすぎてサボり気味)だったので、ちょっと久しぶりの座禅でした。
今回は無字三昧
座禅や経行の時にトライしてみるも、私には、まだまだよくわからない…。
特に2日目は、座禅三昧で足の付け根が痛くてそれどころではない感じでした。

1日目はまだ大丈夫なのですが、2日目は一日のうちで、座禅をする時間が長く、もともと股関節の固い私にはなかなか厳しい。だんだん短時間でも耐えられなくなってくる。


「無」って何だろうか。
わかりそうでわからない。深い。体感したいと思う。

今回から参禅も始めました。達磨大師から続く、老師との1対1の参禅の伝統。すごい伝統ですね。

 

今回の接心では、「無の器となる」「無の器となり、それを差し出す」「無の器は恵の器」といったような向禅師のおっしゃったキーワードが心に残っています。

そして、「世界の波動と同調する」ということ。

「身も心も投げ出して、お任せする(南無)」ということ。「身心脱落」

 そして、「スーパー宇宙温泉」

そのように、ゆったりと気持ちよく座る。

 

座禅では、寸胴のように、または、天井からぶら下がっている濡れ雑巾のように、中心軸を決めて座り、腹式呼吸することが大事。

頭で考えるのではなく、腹(肚)で考える、というより感じるためだと、私は理解しています。

 

座禅の前や後に読経をします。うちは曹洞宗で宗派は違いますが、同じ禅宗ですので、子供のころから慣れ親しんだお経と同じものも多い。

最近気になっているのは、「南無阿弥陀仏~」と3回唱えること。

「何それ、迷信!?」と思われる方もいるかもしれませんし、私もそう思っていた部分が以前はありました。

でも、「南無阿弥陀仏」は深い!

絶対他力」なんですよね。

最近、阿部敏郎さんと阿純章さんの圓融寺での講演会をネットで見た時に、「南無阿弥陀仏は、あなたが唱えているのではなくて、阿弥陀様があなたの中で唱えているのだ」と。

なんだか大きく納得。

 

話は大きく飛躍するけれども、この「南無阿弥陀仏」を唱え、合掌三拝をすると、いつも、ジャワ舞踊のガドコチョが頭にかぶるイライラハンという被り物の形状のことを思い出す。この被り物の形状の一部は、ガドコチョが自分を神の前に投げ出してお任せしたポーズを表していて、そうやって、彼は「生命の水」を得ることができた(自分の中に見つけることができた)のだという逸話を表しているということを聞いたことがある。もともと、ジャワ舞踊の衣装は影絵芝居の人形のコピーなので、本来ならば、ガドコチョの髪形をそれを表しているのだろう。

それにしても、ジャワも日本も、真実は同じだなぁと感じる。

 

ここの接心での楽しみのひとつは、他の参加者の方々との交流。コーヒータイム(今回はムラピ山(中部ジャワ)とマラバル山(バンドゥン)のコーヒーをお土産に持っていきました。)。

 

そしてシェアタイム。
「我以外皆我師」で、ハッとさせられることが多々ありました。
「残心」というのが心に残っています。

 

「残心」大切だなぁと思います。

投げやりにならなくなる。そこに最後まで意識を集中できる。今にいられる。

 

そして、方広寺のご飯はとてもおいしい!湧き水を使っているからでしょうか。それとも場の力?そして、きっと心を込めて作られているのですね。
精進料理なのに、とても満足感があります。私は、一度にたくさん炭水化物を摂取することができないので、ご飯は毎回ほんの少ししか食べませんでしたが、本当に幸せでした。米飯だけでなくお味噌汁もとてもおいしい。たくさん食べなくても、おいしいものって、少量でもこんなに満足感があるのですね~。また、食べる時に食べ物に集中して、じっくり味わって食べているのもよいのでしょうね。
最終日は、精進料理のうなぎ丼。よく出来ています。

方広寺の境内はとても広く、散策も楽しみの一つ。秋晴れで、葉の色も少し変わり始めていて、美しかったです。

 

 

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方広寺の亀背橋 2019-11-09」photo by Kaori

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方広寺境内の景色 2019-11-09」photo by Kaori

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方広寺の三重塔 2019-11-09」photo by Kaori

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方広寺の羅漢さまのうちの一体」photo by Kaori

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「奥山半僧坊大権現真殿」photo by Kaori

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「奥山半僧坊大権現真殿」photo by Kaori

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「岩五郎作、昇龍降龍」photo by Kaori

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「岩五郎作、昇龍降龍」photo by Kaori

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「半僧坊鉄下駄」photo by Kaori

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方広寺本堂」photo by Kaori




奥の宮にもみんなで行きました。けっこうな上り坂を15分ぐらいだったか登ると着きます。

 

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奥の院参道の入口」photo by Kaori

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「参道から奥の院を見上げる」photo by Kaori

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奥の院を見上げる」photo by Kaori

ここはなんだかエネルギーが違うなぁと、そういうことにあまり敏感でない私でも思います。でも、ちょっと怖い感じもします。そういう意味では、私にとっては、大神神社御神体三輪山に雰囲気が似ているように思います。

 

 

 そして、11月23日夜から24日の朝にかけては、向禅師の祥光寺でのミニ接心に参加。この時期にしてはとても暖かく、本堂濡れ縁での夜座も気持ちよかったです。

 

 

最近、自分でもあきれるほど、自分の感情のアップダウンに振り回されっぱなし。

自己嫌悪に陥りがち。

瞑想や座禅しても、その時は良くても、それをあざ笑うかのように、いろんなものが沸き上がってきて、手を焼いています。

頑固に染みついた善悪。比較。

自分を苦しめているのは自分自身と分かっているけど、まあ、どうしようもない。

それならば、それを見つめてみるのも良いかも。

それならば、それを愛してみるのかもよいのかも。

 

 

なんだか、よく分からない終わり方になりましたが、こんなところで。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

 

 

肩関節周囲炎、その後

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

今日は、肩関節周囲炎、いわゆる、四十肩、五十肩のその後について書きたいと思います。自分自身の記録として、そして、もしかしてどなたかの役に立つと良いなぁと思って、書いています。

 

肩関節周囲炎について、最後に書いたのは、今年の3月初め

下にリンクを貼り付けますね。

肩関節周囲炎の治療(ジャワにて) - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

 

その前には、1月に書いていますね。

肩関節周囲炎の治療 - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

 

 

肩甲骨辺りの痛みと違和感を感じ始めたのは去年の6月ごろ。それでも、11月ぐらいはそれほどひどくならず、動きの制限もほとんどありませんでした。急にひどくなり始めたのは12月に入ってから。そして今年1月がマックスにひどかったです。どういうところに治療に行ったらよいのかわからず、そのままになっていましたが、1月に入って耐えられなくなって、治療し始めました。そのことに関しては、上にリンクを張ったブログに書きました。

とにかく、左肩がひどくて、今年の1月から3月初めは、本当につらかったです。座っていても、寝ていても痛い。ちょっとした動きで耐えられないほどの激痛が走る。軽いものでも、左側で荷物が持てない。腕が上がらない。肩甲骨が動いていない。

そして、なによりも、左肩の一部の関節がくっついたような感じになってしまって、腕を横にあげると、肩先が盛り上がってしまい、まっすぐのラインにならない。その部分の美しいラインを作るために、十代の頃はかなり努力していたのでショックでした。そして、腰に手を当てられない。これは、踊り手にとって、かなりのダメージです。日常生活に支障がない程度に戻るだけでなく、踊り手にとっては、それ以上に動き、ラインも綺麗に戻せるレベルまで治すのが必須。そこまでちゃんと治るのかどうか、ちょっと不安でした。

そして、右肩も始まっていました。

 

1月終わりから3月半ばまで、ジャワでは、理学療法、鍼、マッサージ+薬草サウナにできるだけ行っていました。幸運なことに理学療法士さんが、結構当たりだったのですよね。ソロにあるその治療院は、普段は体に障害のある子どもたちの治療を行っている場所。夕方に一般向けに開いています。けっこう有名な場所だそうで、私の踊りの先生は、足を痛めた時に、ジャカルタのお医者さんにもソロのその場所を勧められたという話を聞きました。そして、そこで使われている機材の多くは、なんとジャカルタ日本大使館からの寄贈品。なんだか縁を感じましたね。

治療に加えて、理学療法士さんが教えてくれるエクササイズを、痛みに耐えながらも行っていました。理学療法士さんによると、毎日のそのエクササイズがとても大事とのこと。ただ単に治療院に通うだけでは、治るまでにとても長い時間がかかるとのことでした。

でも、少しずつ良くなっていたものの、いつになったらよくなるのか、本当に踊りに支障がないレベルにまで肩が戻るのか、不安でした。

そうしたら、3月に入ってから、急激に良くなってきたのです!スーッと楽になってきました。まだまだ動きは悪かったのですが、痛みが取れてきたのです。

実は、マッサージ+薬草サウナでは、いつも血の巡りが良くなるという漢方薬を出してくれていたのです。そして、その漢方薬の種類が変わった時に急激に良くなってきたので、それが効いていたのかもしれませんね。本当は、いろいろ飲むのは好きではないので、漢方薬を出してもらっても、飲まない時も多かったのですけれどもね。ちなみに、「もしかして効果があるかも」と思った漢方薬は、「牛头牌通血丸」というもの。日本では販売されていないようですね。安全性は良くわからないですが、これを飲んでいる時は、顕著に痛みが少なくなっていくような気がしました。

いろいろ通っていたので、何が良かったのか、それともただ単によくなる時期だったのか、実際のところはわからないですが、良くなってきたのは嬉しかったです。腕も前から上には、かなり上がるようになっていました。

ジャワからはいったん3月半ばに帰国しました。

 

痛みが取れてきていたので、ちょっと油断していたのですが、日本の病院での肺がん検診で、レントゲンを撮る時に、レントゲン技師の方が言われるように、腰に手を当ててひじを前の方に持っていくことができず、「肩甲骨が動いてないですよ」と言われてしまいました。「これでもかなり良くなってきているんですよ」と言うと、「これで良くなっているのですか?整形外科とかに通って、もっと動くようにしておかないと、年を取った時に困りますよ。肩甲骨が全然動いていないですから」と言われました。

かなり良くなったつもりでいたので、ちょっとショックでしたね~。

痛みがかなり取れてきても、動きはまだまだなんですね。

 

理学療法士の腕は、個人差が大きいとも聞きましたし、整形外科もどこに行ったらよいかわからなかったので、ジャワへ行く前に数回通った整骨院での鍼治療に週2回通うことにしました。

 

6月末に再度ジャワへ渡航しましたが、そのころまでには、かなり動きも良くなっており、可動域を広げることに主眼を置く、私が通っていたジャワでの理学療法では、あまり効果ないかなと思い、行かないことにしました。仕事も早引きしなければいけないこともありましたし。

そんなわけで、鍼(週2回)とマッサージ+薬草サウナ(週1回)だけ通うことに。

折りしも、鍼の先生が、もう料金はいらないと言い張って、受け取ってくれないので、お言葉に甘えて無料で。ここの鍼は、日本の一般的にある鍼とは違い、一本の鍼のみでの治療。一本の針を刺しては抜き、刺しては抜きしていきます。なので、大抵治療は5分もかからないぐらい。

ここの先生は、中華系のおじいさんですが、神経科の西洋医でもあり、中国鍼の治療師でもあった方。大きな病院の医者でしたが、そこはもう定年退職されて、今は、早朝と夕方のみ、自宅の治療院で鍼治療をされているそう。そして、社会奉仕/社会貢献のために、コミュニティの人たちに無料で鍼治療をしているそうで、市から表彰されたこともあるそう。

かといって、さすがにただで治療していただくのは、気が引ける…。たまに、お土産などを持っていきましたが、そんなもの持ってくる必要なしと言われる始末。

ただ、やはり無料というのはちょっと怖いですね。ここの先生は私のことがとても気に入っていたらしく、アタックが…。全くしょうがないですね...。まあ、しっかり治療はしてくれていましたし、アタックも陰湿な感じではなく、ちょこちょこっと、明るく冗談めかしてだったので、こちらも冗談でかわしていたのですが、だんだんエスカレートするし、かわすのも面倒になって、10月ぐらいからは行くのをやめてしまいましたけれども…。

でも、結構この鍼が効いていたような気がします。そして、風邪ひいた時とか、ねん挫などにも効くのですよね…。

ただ、並行して、マッサージ+薬草サウナにも通っていたので、実際のところ、何が効いたのかわからないですけれどもね。

 

8月に4週間ほど帰国した時は、接骨院の鍼、またはマッサージの治療(週2回ペース)に通い、ジャワにいるときは、鍼(9月ごろから回数を減らしていきました)とマッサージ+薬草サウナ(9月からは週2回ペース)などに通い、気がついたら、左手を腰に当てるのも全く苦ではなくなり、腕を横にあげた時に、肩先が盛り上がるということもなくなり、踊るのにもほとんど支障がなくなっていました。

ただ、たぶん少し肩が以前より内側に入っていて、踊る時の感覚が以前とは少し違い、その調整が必要な程度。でも、私自身が気になるだけで、他の人にはわからない程度でしょうね。

 

話は逸れますが、9月から怒涛のようにジャワで踊りを披露する機会があり、人生、よく出来たものだなぁと感心しています。肩がひどかった時期は、踊る機会が来ても、ちょっと支障の出そうな踊り(女踊りはあまり支障がなく、男踊りに支障がある感じだったので)の場合、勝手にキャンセルになることが多かったのですよね。本当によく出来ていますよね。ありがたいことです。

 

また、今年1月ぐらいから始まっていた右肩の痛みも、まだ痛みはあるものの、あまりひどくならない状態をキープしています。右肩も一応治療していることを考えると、あまりひどくない状態から治らないのは、やはり、治るのには、時間が必要なのかなという気がしています。でもひどくならないのは、やはり治療の効果なのかもしれません。

 

10月後半に帰国して、それから治療には通っていないですが、肩の状態はまあまあ。肩を回すことを心がけています。まだ、ゴリゴリ、グリグリいう状態。

それでも、日によっては少し痛みがぶり返したり、右肩の動きが少し悪くなったりしているので、四十肩は放っておいても治るとも言われていますけれども、治療はやはり有効なのかなという気がしています。

そして、すこし重い荷物を持つと、やはり、ちょっと悪くなるようです。やはり、重い荷物って、体にはかなり負担なのですね。

 

今は、ひどかった左肩も、まだ完治とはいかず、まだ少し動きの制限もあり、たまに痛みもありますけれども、何をするにも、全く支障がありません。

ひどい肩関節周囲炎でも、時間はかかるけれども、確実に良くなっていくということ!

どなたかの参考になれば幸いです。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

<今日の植物(家の植物シリーズ)>

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オンシジューム・アロハイワナガの花」photo by Kaori



 

 

 

 

 

 

 

ジャワの新年 ~ジャワでの出来事の記録

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

日本に戻ってきて3週間。いろいろ用もあってバタバタしていましたけれども、次回のジャワ渡航の前までに、ぼちぼちジャワでの出来事もブログに書いていけたらと思います。

ジャワにいるといろんな事が目まぐるしく過ぎていき、前日のことが、もう1週間前のことのように感じていました。踊りの公演に、仕事に、ジャワ舞踊やガムランの練習に、ジャワのいろんな行事に参加、コンサートの鑑賞など。ブログの更新もなかなかできず。書きたいことはいっぱいあったのですけれどもね。

日本に帰ってきて、少し落ち着き、ありがたいことにジャワにいるときより時間の余裕あるので、記録のために、思い出しつつ、楽しんで書いていけたらと思います。

 

さて、しばらく前のことになりますが、2019年9月1日は、ジャワ歴のスロの月の1日。いわゆるお正月でした。ちなみに、これは、西暦では毎年12日ぐらいずれていきます…。

みそかだった8月31日の夜は、ソロの王宮で儀式がありました。

ソロには2つの王宮があり、私は普段から舞踊やガムランの練習をさせていただいているマンクヌガラン王宮の儀式に参加させていただきました。以前も何度か参加させていただいていましたが、今回は久しぶりでした。5年ぶりぐらいですかね。ちょっと忘れてしまいましたが。

 

今回はマンクヌゴロ王家の親戚であり、いつも何かと良くしてくださるバサラさんにお誘いいただいたので、正装してマンクヌガラン王宮のプラチ(王宮内部)へ。

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「Malam Satu Suroの儀式の前にマンクヌガラン王宮のプラチにて、バサラさんと」

その後、プンドポの周りに並べられた椅子で、儀式が始まるのを待ちました。

 

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「マンクヌガラン王宮のプンドポにて。キラブが始まるのを待ちます」

 

王族の方々も大集合

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「マンクヌガラン王宮のMalam Satu Suroの儀式。王族の方々が集まっています」photo by Kaori

今回は、招待客も招待状の種類によって分けられていて、また、服装も前もってきっちり指示が出ていたようで、なんだか、いつもとは違った雰囲気。レベル分けされて、管理されている感じ。なんだか変わりましたね。差別化が進んでいるというか。以前のような和気あいあいした感じではないような気もします。

でも、例年のように、ちゃんと一般の人でも参加できましたよ。正装してこれば、行列(キラブ)にも参加できます。

 

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「護衛隊(?)も準備中」photo by Kaori

 

キラブは、中から持ち出されたプソコ(宝物、布に包まれた槍かな?)に付き従って、マンクヌガラン王宮の壁の周りをゆっくり一周します。

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「プソコが出てきました」photo by Kaori

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「プソコが出てきました」photo by Kaori


以前、お手伝いで参加した時は、各グループに松明を持つ人がいて、そこに時々お香を投げ入れる係だったのですが、今回は、そういうお手伝いもなかったので、適当なグループの後について歩きました。そして、今回は松明がなかった。その年によって違うのですね。

 

以下、お友達のカメラマンの方が撮影した写真を使わせていただきました。

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「Kirab Malam Satu Suro di Mangkunegaran」photo by Agus Budi Santorso

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「Kirab Malam Satu Suro di Mangkunegaran」photo by Agus Budi Santorso

マンクヌゴロ家の王様と王妃様です

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「Kirab Malam Satu Suro di Mangkunegaran」photo by Agus Budi Santorso

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「Kirab Malam Satu Suro di Mangkunegaran」photo by Agus Budi Santorso

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「Kirab Malam Satu Suro di Mangkunegaran」photo by Agus Budi Santorso

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「Kirab Malam Satu Suro di Mangkunegaran」photo by Agus Budi Santorso

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「Kirab Malam Satu Suro di Mangkunegaran」photo by Agus Budi Santorso

 

キラブの時はは靴も履かず裸足で、話すことも禁止で列を組んでシズシズと歩きます。(たまに靴を履いている人もいますが、本来は禁止です。)ちなみに、雨が降っても傘をさすのは禁止とか。今回は乾季であったこともあり、雨の心配は全くなし。

いつもは混んでいるこの辺りの道路も、この行列のために通行止めとなり、周りにびっしり見物人が並びます。そして、行列を守るための、警備の人たちも、ぎっしり。ボーイスカウトの人たちも、警備に駆り出されていました。

見物人もほとんど話すこともなく、静かに見守ります。

たくさんの人が集まっているのに、普段のソロではありえないような静寂の中、行列は進みます。今年は特に静かだったような気がします。観客も喋らないように、警備の人に言われていたのですかね。

普段は多くの音であふれているソロでは考えられないような静寂で、驚きとともに、ちょっと感動的な、本当に得難い経験でした。神聖な全く違う世界にいるような感覚でした。

 
キラブは、1時間ほどで終わったでしょうか。

キラブを終えるとボックスのご飯がいただけます。

 

マンクヌガラン王宮でも、王族の方たちがお供えした花びらやコインなどを入れた袋を投げる儀式(日本のもち投げを連想させます)などがあるのですが、その夜は他にもいくつかのイベントが行われていたので、近くの市役所のプンドポで行われていたコンサートを、私の踊りの先生のIbu Kurと、踊り仲間のみらいさんと、見に行きました。

見たかったブドヨは終わってしまっていましたが、先生方とおしゃべりしたり、いくつかの興味深い作品は見ることができました。

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「ソロ市役所のプンドポでmalam satu suroの行事のために公演された作品のひとつ」photo by Kaori

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「ソロ市役所のプンドポでmalam satu suroの行事のために公演された作品のひとつ」photo by Kaori

 
そこが終わったあと、マンクヌガラン王宮にとんぼ返り。早く戻らないと、瞑想が始まる前には、マンクヌガラン王宮の門が閉められ、入れなくなってしまいます。

バサラさんにお誘いいただいていたので、マンクヌガラン王宮のプラチへ行き、飲み物を飲みつつおしゃべりしながら、Semedi(瞑想)参加に備えます。時間が遅かったので、飲み物も食べ物もほぼなくなっていましたが、ちなみに、そこでの飲食もすべて無料。

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「マンクヌガラン王宮のプラチにて、瞑想前に記念撮影」

11時半頃には瞑想のための部屋に大勢で入り、それぞれの場所に陣取りました。運良く、もたれられる棚の前に座れ、少し楽でした。

でもジャワの正装で床で座って瞑想するのはなかなかキツイです。

いろいろアナウンスがあり、ジャワ新年の明けた0時きっかりに瞑想の始まりです。

黄色の布に包まれたプソコの槍が持ち出されて、真ん中辺りに立てられ、その後に、布に包まれた太い円柱型らしきものが、その右の台に乗せられ、最後に茶色の布に包まれた、長い槍のようなもので、先に平たい部分のあるものが持ち出されて、真ん中に立てられました。

ちなみに私たちは南側に横に長い半円を描くように座っていました。

すべての電気が消され瞑想の始まりです。

暗闇に中で、祭主(?) が、線香の束に火をつけて、皿のような容器で燃やしているのが見えます。ちょっと、天河神社宮司さまによる地護摩厳修神事を思い起来させるようなものでした。

火は強くなったり、弱くなったりしながら、割とすぐに消え、暗闇に戻ります。

瞑想中、何度かそれが繰り返されたように思いますが、瞑想していたので、よくわかりません。

瞑想が終わったのは午前1時20分頃。以前は1時ぐらいに終わっていたと思うので、今回は長かったようですが、あっという間に感じました。

プソコが出てきた順に片付けられ、最後の先に平たい部分のある槍のようなものの、平たい部分で、参加者の頭の上を、お祓いのように、スーッと横に動かしながら、かざしていきました。みんな手を合わせていました。

ある意味、日本ととても似ているように思います。

とにかく素敵な夜でした。このような素晴らしい儀式に参加させていただけて幸せでした。

 

他にも、大勢の人たちが、私たちが瞑想していた部屋の外の大プンドポで瞑想をしていました。

大勢での瞑想はやはり気持ちよいですね。

ジャワ歴のこの年がみんなの祈りで素敵な年になると良いですね。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。