来年用の味噌と醤油の仕込み
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約1ヶ月ぶりのブログ更新になりました。日が経つのは早いですね~。
日本へは1月末に帰ってきていました。今回は、ジャワにいた時から体調がいまいちでギリギリのところで保っていてやばいなぁという感じでした。体調がやばいなぁという時は、ジャワにいる時はなぜか汗の臭いでわかるのですよね…。仕事以外にも、ジャワ舞踊やジャワガムランの練習をしたり、いろんな公演を見に行ったり、セミナーに参加したりしていたのですが、少し活動を抑えていましたね…。体調不良の原因はわからないのですが、暑すぎたのですかね…。雨期で毎日スコールが降る時期なのですが、2週間目からほとんど雨が降らず、蒸し暑いのなんのって…。ジャワの1月にしては異常な暑さでした。
日本に帰ってきて翌日から、今までないような感じでダウンしていました…。公演のための練習や、公演、個人レッスンを教えるなど、帰国直後から重なっていて、どうなることかと思いましたが、お医者さんに処方していただいた漢方薬がとてもよく効き、それに加えて、ご縁があった方のヒーリングセッションを受けたりして、1週間もたたずに回復できて助かりました!いろんな意味でもっと自分を大切にしたほうがよいですね。
さて、2月15日、西尾市のみやもと糀店さんが開催する味噌仕込み会に妹とその友人と参加してきました!毎年とても人気があり申し込み開始と同時に、週末はあっという間に満席になる
実は去年も参加する予定にしていたのですが、急な出張予定が入ってしまい、妹に私の分まで仕込んでもらってきたのです。今年は念願かなって行くことができました。
去年は豆麹のみの真っ黒になる赤味噌を仕込んでもらったのですが、今年は、妹と半分ずつ分けようということで、米麹と豆麹のあわせ味噌と、米麹のみの米味噌をそれぞれ仕込みました。妹は去年、米麹と豆麹のあわせ味噌を仕込み、それが好評で、欲しい友人がいるということで、あわせ味噌は12㎏、米味噌は8kg仕込みました。私は米味噌担当。
まず、塩と麹を計量しました。
塩(天日塩だそう)を900g、米麹を1.8㎏ 量りました。
妹はあわせ味噌を仕込んだので、塩、米麹、豆麹を計量
豆麹は緑がかってなんだかおいしそう。
アップで見ると、菌がたくさんついているのが分かります。(写真の加減で白く見えますが、実際は緑がかっています。)
同時進行で、交代で蒸したての無農薬の大豆を挽いていきます。これがなかなか力仕事。
それにしても、味見させてもらったこの大豆のおいしいことと言ったら!つやつやしていて美しく、香りも良い。よい材料を使うのでおいしい味噌ができるのですね。
それにしても、挽いたゆで大豆は、ミンチ肉にしか見えな
そして、桶で麹と塩を、拝むように両手でこすり合わせてほぐし、混ぜていきます。
この時の気持ちの良いこ
その後、挽いたゆで大豆と白湯(だと思う)を混ぜてなじませていきます。
これもなかなか力仕事。
そして、ソフトボールぐらいの大きさに、空気を抜きなが
私は丁寧にやりすぎたのか、置いてけぼりに。店主のお兄
そして、容器に思いっきり投げ入れ、押して空気を抜き、
参考までに、昨年妹が仕込んでくれた豆麹だけの赤味噌はこんな感じでした。仕込んで6日後の写真です。
ちなみにこれは、今はすごく色が黒くなって、おいしい味噌になっています。
ここでの味噌仕込みはここまで。
カビが生えないように、自宅に帰って酒粕で表面を覆いま
余談ですが、この酒粕、なめてみたらとっても美味しかった。
今回仕込んだ米味噌は今年10月か11月ぐらいから、あわせ味噌は1
そして、今回は、醤油も仕込みました!
醤油は、塩を水を混ぜ、乳酸菌を入れ、そこに、麹(たし
乳酸菌は塩分に強い種類だそう。ふつうは、それぞれの醸造所が使っている樽に、そこ特有の乳酸菌がついているそうなのですが、私たちはガラス瓶に仕込むので、乳酸菌を少量入れます。
ここでの仕込みはここまで。
その後、出来上がるまでの管理について説明していただきました。
冷暗所に放置しておくだけでよい味噌と違い、しょうゆは
でも、本物のしょうゆ!楽しみだなぁ。今年の12月ぐらいから使えるそう。
そして、味見させてもらった2年仕込んだ「きあげ醤油」のおいしかっ
ちなみに「きあげ醤油」とは、フィルターも通さず、加熱もしていない醤油のことだそうです。(今回、コーヒーフィルターを通しましたが、これはフィルターの中に入らないようです。)
これでおしまい。
ちなみに、味噌仕込みは1時間半ぐらい、醤油は説明も入れて30分ぐらいで終わりました。
みんなでわいわいがやがや、とっても楽しかったです。
そして、発酵って奥深い。菌って大切だなぁと思います。人を幸せにしてくれますね。
せっかく糀屋さんに行ったので、生麹も500gだけ購入。塩
帰りに糀店の近くで通りかかった神明神社に寄ってみました。垂れ下がった立派な注連縄と長い階段が気になって。三叉路の突き当りにあります。
階段は112段ありました。なかなか良い運動。
味噌と醤油をこの土地で作らせてもらって、ありがとうございましたとお参りしてきました。
帰りの道中は、不思議な綺麗な雲がたくさんでていました。
そして、安城のパンのトラ(本店)に寄り、おいしいパンと無料サ
名古屋市内にも支店がありますが、大繁盛で行列のできるパン屋さん。
カレーパンが好きなのですが、なかなか買えない。今回もなかったのですが、期間限定の、エビがゴロゴロ入ったグラタンパンがおいしかったです。揚げパンのカレーパンと生地が同じだと思います。ただこちらは黒かったです。
楽しい、幸福感に包まれた一日でした。
そして、気のせいか身体が軽い。
読んでくださってありがとうございました。
あなたにとって素敵な一日になりますように!
雨期の中部ジャワ
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先週から、インドネシアの中部ジャワのソロ(スラカルタ)に滞在してます。
現在は雨期の真っただ中。
だいたい、Imlek (中華新年・春節)までは、雨がよく降ると言われています。ちなみに、今年のImlekは1月25日(土)だそう。ソロでも市役所の辺りでたくさんの提灯が飾られ、盛大に祝われます。
先週は、本当に毎日のように、まさにバケツをひっくり返したようなゲリラ豪雨に、何度も見舞われていましたが、日曜日から今日(火曜日)まで、良い天気。今日、少し雨が降った程度。
でも湿度が高くて蒸し暑いのなんのって。
このブログを書いている夜8時半現在、ソロの私の住処では、(冷房がないので)部屋の中で、気温30度、湿度73パーセントです。
寒い日本から来た身にはこたえる。扇風機でしのいでいます。
昼間は、事務所の冷房のある一室にこもって仕事していました。
雨期(musim hujan) は、ソロにしては気温が低い方なのか、地元の人たちが「Musim dingin 寒い季節」と呼ぶのを聞いたことがあります。(でも、乾期をmusim dinginと呼ぶのもきいたことがある。その辺適当か。)とはいえ、毎日気温は22℃~33℃ぐらい。私にとっては暑い…。湿気高い…。
先日も、夜8時ぐらいに踊りの先生の家に行くと、先生はテラスの椅子で待っていてくれたのだけれども、「寒い…」と…。私にとっては暑かった…。
これが、しばらくソロにいると、少し気温が低めになると、寒く感じるようになるのですよね。人体は不思議だ。
ソロの住処の庭には、雨が降っていなければ、毎日たくさんの蝶々が舞っています。20~30羽。蝶々を写真に撮るのは至難の業ですが、撮影してみました。わかりにくいとは思いますが、一応載せますね。
移動の疲れと、気温差、湿度差のせいか、土曜日にはちょっとダウン。午後からずっと寝ていた。その後も、風邪気味だったり、お腹が痛かったりして、調子はいまいち。
そして「お腹が痛いのは大腸内視鏡検査の後遺症じゃないの」と友人に言われ、痛いところが、内視鏡検査直後に痛かった箇所に近いので、2日間ほど心配に襲われていました。
でも、よく寝たら調子が上がってきました。やはり睡眠って一番の薬かも。大腸も大丈夫な気がしてきました。(内視鏡検査からもう3週間近くたつので、よほど大丈夫だとは思うのですが…。)
さて、雨期は果物がおいしい季節。まだ、忙しかったり、週末はダウン気味だったりで、買い物にも行っていないので、あまり果物にありつけていないのですが、私の先生の家で、果物の王様、ドゥリアンをいただきました。
匂いは強烈で、それがだめで食べられない人もいますが、私は割合平気。でも、たくさんは食べられません。
割れ目から、パカッと割ることができます。
果肉はこんな感じ
果肉のひとつはこんな感じ
中の種は大きいです。
好きな人はたくさん食べるようですが、食べすぎも体に良くないよう。食べ過ぎて入院する人も。また、高血圧の人には良くないとか。
ちなみに、ドゥリアンはやはりとても臭いので、手も臭くなります。そんな時は、ドゥリアンの分厚い皮の実の入っていたところのくぼみに水を入れ、そこで少し皮の内側の白い部分(くぼみの部分)を削るようにして洗うと、匂いが取れます。
そして、食べ終わったドゥリアンもやはり臭いので、ビニール袋に入れて、遠くへ捨てに行く人も。その先の人が迷惑だと思うのですが…。
事務所ではサラック(スネークフルーツ)をいただきました。
皮が蛇みたいですよね。
果肉はさくさくとした食感です。
食べかけですが、サラックの果肉と種も
さて、今日は、月の第二火曜日。ソロにいれば、夜にRRI Surakartaのワヤンオランを見に行くのですが、バタバタしていて忘れていた…。
ワヤンオランは、ちょっと乱暴に例えれば、ジャワの歌舞伎のようなものでしょうか。特にRRI Surakartaのグループはレベルが高いですし、私は好きでよく見に行きます。私は、ジャワの人物表現は、ほとんどワヤンオランを見ることで学びました。
今夜はまだ始まったばかりだけれども、まだ体調がいまいちだし、今夜は一緒に行ってくれる人もいなさそうなので、行かないことにする。
それで、ネットで調べてみると、YouTubeでライブストリーミングされている。何と便利な時代だろう。人物の表情もよく見えるし、なかなか良いです。集中して見れて、セリフもよく聞こえるし、言葉の勉強にもなりそう。
興味のある方は、Punakawanというチャンネルで見られます。
ワヤンオラン、日本でもやりたいものです。
最近、ジャワの伝統芸能は、現地から本当に盛んにライブストリーミングされています。私としてはありがたい限り。
最近、ネットの発達で、距離があまりなくなってきましたね。
もちろん、実際に空気を共有し、その場にいる方が、私は好きですけれども、ネットで見ることは、それなりの良さがあるなぁと思います。
今日も思いつくままにつづってみました。
読んでくださってありがとうございました。
あなたにとって素敵な一日となりますように。
2020年(令和2年)の年初め
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遅ればせながら、明けましておめでとうございます。(日本ではもう遅いかもしれないけれども、ジャワならまだまだあり~。いまだにクリスマスパーティーが行われています。)
本年もよろしくお願いいたします。
年末年始、バタバタしておりました。
でも、初日の出も見れたし、近所の神社へ昼頃に初詣も行けました。
併設されているお稲荷さんにも
なんだかいつもより飾りが多い。
初めて見る提灯。狐さんも赤い涎掛け(?)してる。
鏡餅の上の方が、妙に平たいのが気になる。
有名神社というわけではないし、昼頃行ったので、割合空いていました。
ただ、正月から携帯電話のトラブルが続き、結局、近所の携帯電話ショップの仕事始めの3日、朝一番に予約を取り、携帯電話の機種変更をしました。たまたま違約金のかからない時期でしたし…。それにしても、iphoneって、3年たつと、電池も全然もたなくなるし、トラブルも増えますね。去年から長期のジャワ出張が多いこともあり、もう1年ぐらい持たせたかったのですが、仕方がない。
それにしても、機種変更にはものすごく時間がかかりました…。前の携帯電話を下取りに出したので、そのために、ちゃんとデータが移行されているのかの確認やら何やらで…。
4時間半ぐらい。誕生日だというのに。
でも、4日から移動なので、タイミング的にこの日しかなかったのです。
でも、おかげで、家に帰ってから設定しなければならないことがほとんどありませんでした。
翌日からジャワ渡航のための移動が始まるので、その点は助かりました。
夜には、家族と誕生日ディナーを楽しむ時間もありましたし、誕生日ケーキもいただきました!
2~3人用のホールケーキです。
ただ、ホールのままの時にろうそくを立てるのを忘れ、切ってしまったので、切ったものに1本ろうそくを立ててみました。
ちょっと、誕生日気分♬
荷物をまとめるために3日の大半を空けていたのですが、荷物をまとめる時間がなくなり、夜中過ぎまで荷造りする羽目に。
ただ、年末から、気分ががらっとかわったので、携帯電話も新しくなって、すっきり。忙しい時に時間がかかって大変でしたけれど、よい機会でした。
ジャワへの出発は5日早朝で、自宅から関西空港までその朝に行くのでは間に合わなかったので、関空近くで前泊する必要がありました。
せっかくなので、前日の4日の昼頃には大阪入りし、日本に居れば月に1回ぐらいのペースでやっているジャワ舞踊練習会をやり、時間を忘れそうになるほど熱心に練習しました!今年の踊り初め。
そしてりんくうタウンへ行くために、新大阪から日根野まで特急くろしおに乗ってみました。写真には撮れなかったのですが、先頭車両がパンダのようでした。そして中もパンダだらけ。
その夜は、りんくうタウンのホテルに前泊。
りんくうタウンのホテルは、ハタゴインという、まだ新しいホテル。りんくうタウン駅の5番出口から、徒歩で7~8分でしょうか。
シングルルームなので、客室は広くはありませんが、狭すぎず、シンプルな気持ちの良い部屋でした。
ロビー横には、広々としたライブラリースペースがあり、たくさんの漫画が置かれていました。
そして、大浴場があるのが良い。私はお風呂が大好きですが、ジャワではお風呂がありませんからね…。夜と早朝の2回も、大浴場のお風呂に入り、堪能してきました。
今回は、マレーシア航空を利用したので、関空からクアラルンプール空港、そして、クアラルンプール空港からジャカルタ空港への旅でした。
ジャカルタ到着は夜なので、ジャカルタ空港近くのホテルで宿泊。
Pop! Hotel Jakarta Airportというところ。ジャカルタ(スカルノ・ハッタ空港)から近いとはいえ、歩いてはいけないので、タクシーで移動。
ポップホテルは、可もなく不可もない感じ。安くて空港から近いのが良いですかね。部屋も狭すぎず。
でも、朝起きたらけっこう頭痛がひどかったので、あんまりよい気ではないのかもと思いました。
翌日、ジャカルタ空港から、最終目的地のソロへ向かいました。
途中で、宿泊を挟むので、あまり疲れないかなと思ったら、意外に疲れていました…。
やはり、飛行機に乗るのって、短い距離でも疲れますね。大荷物だし…。
それに、クアラルンプール空港での短いトランジット中に、翌日のジャカルターソロ間のスリウィジャヤ航空便がキャンセルになったと、チケットをオーダーしたTravelokaからメールが来ているのに気づきました。前の晩の遅い時間に来ていたので気づかなかった…。それで少し慌てました。
大急ぎで、スリウィジャヤ航空便の返金手続きをとり、ライオンエア便を予約。やはり、インドネシアの銀行口座を持っていて、インターネットバンキングが使えるのはこういう時に便利。
そして、クアラルンプールからジャカルタ行の飛行機が30分ほど遅れたおかげで、すべての手続きをクアラルンプールにいる時に終わらせることができました。ほっ。Travelokaというサイトのアプリで手続きしているのですが、飛行機の時間に近くなるほど、値段が変わったり、支払い方法に制限がかかるので、クアラルンプール空港にいる間に手続きできて本当に良かったです。
ライオンエアは安全性に不安があるので、他にチョイスがある時は、なるべく使わないようにとお達しがあるのでなるべく避けたいのですが、仕事の関係で、朝早い便が良く、他にチョイスがなかったので仕方がない。
それに、ライオンエアはこれまでも、しれっと、案内もなく2時間ぐらい平気で遅れることが多かったので、私はあまり好きではないのです。でも、便数が多いので便利ではあるのですが。
実は、後で気が付いたのですが、スリウィジャヤ航空からは、インドネシアの電話番号の方に、私の予約した便はキャンセルになったと、12月22日にSMSを送ってきていたのです。でも、インドネシアの電話番号はインドネシアにいる時しか使わないので、気が付いていなかった。これから、気をつけねばなりませんね…。
どうも、スリウィジャヤ航空はソロ空港から撤退したようなので、またまたソロ空港は少し不便になります…。ジョグジャカルタ空港も遠くへ移動になるし、もう少しソロ空港が便利になってほしいものです。
そんなこんなで、無事に中部ジャワのソロに到着。かなり疲れていましたけれども、少し休んだら元気が出てきたので、その日の午後から事務所で仕事。
仕事があることはありがたいなぁ。
日本でもいろいろ用があるため、今回の滞在は短め。
楽しみながら、粛々とこなしていきたいです。
そして事務所には、いまラブバードたちが3羽。
そのうち1羽はヒナで、手乗りです。
可愛い~~~!!!
そして癒される~~~!!!
と、思っていたら、これを書いていた2日後に油断しているうちに逃げてしまったとのこと…。戻ってきますように!
ソロにいる時にはいつも参加する、王宮での夜のガムランと舞踊の練習も参加しています。
私は日本では地元で練習する仲間がいないので、身近に一緒に練習する仲間がいるのは楽しい。
そして、チャレンジングな演目を練習させてもらえるのもありがたい。
ガムランの練習も日本では普段一人でやっていますけれども、やはり、一緒に練習してくれる人がいるとはりあいがある。
ありがたいことです。
新年だからといって、今年の目標や抱負を決めたりはしないのですが、心静かに、楽しみながら、喜びながら過ごしたいです。
みなさまにとっても、喜びに満ちた令和2年、2020年になりますように。
読んでくださってありがとうございました。
あなたにとって素敵な一日となりますように。
お礼参りに神社へ(2)
このブログにご訪問頂きありがとうございます。
いよいよ大晦日ですね。
大晦日といっても、ただの一日ですけれども、なんだか気ぜわしい。
そして、いろいろ終わらせて新年を迎えたいと思ってしまいます。
先日、29日に思いがけず、椿大神社へお礼参りに行けました。
椿大神社へは、日本にいれば、毎月妹と参拝しています。いつも運転好きの妹が車を運転して連れて行ってくれます。
12月は1日に参拝したので、今年中はもう行かないかなぁと思っていたのですが、妹がどうしてもお礼参りに行きたいというので、午前中に、母と親戚のお墓参りに行った後、椿大神社へ向かいました。
主に写真でご紹介しますね。
いつもの通り、まず、近くの小岸大神社へお参り。
12月1日に来た時は、まだ葉が緑で、ようやく黄色がかってきていたイチョウ。すでにすべて葉が落ちていました。
そして、小岸大神社でお参り。とっても光がきれいだった!
なんだか、この鳥居の上部が赤く染まっているのが気になる…。
そして、椿大神社へ
まず、庚龍神社でお参り
参道は、初詣の準備ができていました。
大きな角松
まず、御船磐座へ
そして、恵比寿様と大黒様にお参り
そして、高山土公神陵と、その隣の地球に乗った猿田彦さま
さらに参道を進んでいきます。
拝殿前でお参りします。
結構人は多かったですが、12月1日よりは混んでいませんでした。
お正月らしく、たくさんお酒が積まれていました。
御朱印の受付だけして、別宮椿岸神社へ
そして、かなえ滝
この日は、水量が多かったように思う。
小川を渡り
行満堂神霊殿へ
去年は、冬でも開けっ放しで、中に暖房器具はあっても、ちょっと寒そうでしたが、今回行ったときは、ビニールのカーテンのようなものがあって、風が直接入らないようになっていました!
いつもここにいらっしゃる顔見知りの職員の方に挨拶して、お線香を立てて、七福神さまにお参り。そして、仏像にもお参り。ここは神仏習合なのです。
そして、椿立雲龍神社
脇の亀甲石と太陽
松下幸之助社もあります。
以前、松下幸之助さんの記念財団から奨学金をいただいていたので、ここにもお参り。
最後に、社務所へ寄って、頼んであった御朱印をいただき、また、椿大神社から送られてきていて、自分でお祓いした自祓い御幣を納めて、駐車場へ。
最後にいつも、駐車場わきにある懸主神社へお参りします。
新年早々から、3週間半ほどジャワへ出張で、初詣には椿大神社へ行けそうにないので、年末に行けてよかったです。
2019年も、いろいろあったけれど、素晴らしい年だった。
2020年も良い年に違いないですよね!
楽しみながら過ごしていきたいです。
読んでくださってありがとうございました。
あなたにとって、毎日が喜びに満ちたものになりますように。
お礼参りに神社へ(1)
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年末ですね。
神社へお礼参りへ行く機会に恵まれました。
29日は墓参りの予定があり、30日は雨予報だったので、天気の良かった28日に。
いつも、一番近くに、比較的近年できたお社、高龗社に参拝。
もともと、丘の上にあったそうですが、宅地開発で、今の住宅地の真ん中に移動になったそう。近いので、普段から散歩ついでにお参りしたりしています。
すでに、角松が用意されていました。
葉ボタンがでかい!
そこから歩いて、澁川神社へ
手水場で清めて
白い玉砂利が敷かれた忌明社で、祓い清め
拝殿でお参りします。
その後、本殿の周りをぐるっと回るのが私の習慣になっています。
周りにもお社が
まず、神明社と八剣社があります。
澁川神社は、確か火災で焼失していて、11年前に再建されています。
木々も大きくなってきているようです。
拝殿の後ろの本殿
熊野社と八幡社
そしてお稲荷さんへ行く途中に津島社があります。
そして、澁川稲荷さんでお参り
今年一年のお礼参りをしてすっきり!
いろいろあったけど、よい年だったと思う。
恵まれているなぁと思います。
感謝あるのみ。
読んでくださってありがとうございました。
あなたにとって素敵な一日となりますように。
東ジャワのクディリの聖なる洞窟でのフェスティバル(2019年10月の話です)
このブログにご訪問頂きありがとうございます。
Pak Praptoの訃報と思い出の記事を書いていて、そういえば、彼のお誘いで参加した最後の、東ジャワのクディリの聖なる洞窟で行われたフェスティバルについて、記事にしていなかったなぁと思いだしました。
実は、ジャワに滞在していた、8月末から10月末のあの2ヶ月弱、仕事の合間に、ありがたいことに、とてもたくさん、いろんな場所で踊らせていただいていたのですが、全然書いていませんでした。
思い立ったので、まず、クディリでのフェスティバルについて少し書いておきたいなと思います。
前記事にも書きましたが、Pak Praptoに9月末にばったりお会いし、その時にこのフェスティバルで踊らないかとお誘いいただき、二つ返事で引き受けました。
実は、日程が帰国の2~3日前だったので、一瞬迷ったのですけれどもね…。でも、仕事が休みの土日でしたし、こんなよい機会はないので。それにやはりPak Praptoにお誘いいただけたのがうれしくて。
東ジャワ発祥の物語、パンジー物語がテーマのフェスティバル。
パンジー物語と言えば、ソロ(スラカルタ)の舞踊では、トペン(仮面舞踊)
10月初めにPak Praptoと打ち合わせした時は、トペンでパンジーを踊ってほしいとの要請が。ただ、私のパンジーの面は日本に持ち帰ってあり、ジャワに置いてあったのは、グヌンサリの面。
たまたま去年ぐらいに新たに作ったグヌンサリの面がソロに置いてあったので、その面のデビュー。まあ、パンジーの親戚(奥さんのスカルタジの兄弟?)ということで、グヌンサリでも良いでしょうと。それで、トペン・グヌンサリを踊ることに。
以前はよく踊った演目の内のひとつですが、久々だし、新しい面なので、フェスティバルの数日前には、仕事が終わった後、夜にビデオを撮りながら練習。私は公演前は確認のために必ず練習のビデオを撮るようにしています。踊りが思いがけず、独りよがりになっていたり、自分のイメージとずれていることもあるので。独りよがりの踊りほど見にくいものはないと、私は感じるのです。特に面は一つ一つに個性があって、面によって、その面を活かすための顔の角度が変わってくるので、私にとっては確認が必須。
最初は、「何じゃこりゃ」という感じだったけど、修正を加えて2回目は、まあまあの出来だったのでちょっとホッとしました。実は、私は面が大好きで、グヌンサリの面もいくつも持っているのですが、この新しい面は、前の面と全然感覚が違う。目の位置や大きさが多少違うからでしょうかね。まだ慣れないのでフラつくけど、なかなか良い面だと思いました。
ジャワの仮面をつけての舞踊は、かなり視界が遮られるので、本当にバランスが取りづらい。おまけに、ソロ(スラカルタ)の仮面舞踊は、最初は仮面をつけずに出てきて、仮面を口でくわえて踊り、最後に仮面を外すのです。なかなか大変。でも、私は仮面舞踊が好きなんですよね。
さて、フェスティバルは、
東ジャワのクディリにあるSelomangleng洞窟にて
Pagelaran Seni Budaya Selomangleng
Majestic Panji Sekartaji
というイベントでした。
前日、ソロから電車でクディリ入りしました。同行者は、Pak Praptoのアシスタントの女性(とても明るく感じの良い方で、私はとても好きになりました)と、ソロからの出演者の皆さん、電車の中で、ジョグジャカルタからの出演者の方々にもお会いしました。
でも、Pak Praptoは、直前まで3か月滞在していたヨーロッパでの無理がたたってドクターストップがかかり、いらっしゃることができなかったのですよね。こういうフェスティバルが大好きな方だということで、とてもいらっしゃりたかったでしょうね。
私にとってもとても残念でした。
クディリまでは、電車で4時間ぐらいだったでしょうか。快適な電車の旅でした。
クディリ駅へは、実行委員の方々が迎えに来てくれ、まず、ランチにクディリのRawonという料理をご馳走に。
クロス・ジェンダーのパフォーマンスでとても有名な、ジョグジャカルタのDidik Nini Thowokさんも一緒でした。彼は、世界中の舞踊を学んでいて、日本の能などにも造詣が深い。日本へも公演のためによくいらっしゃっています。
私も何度かお会いして、お話ししたことがあるのですが、覚えていてくださいました。
そして、フェスティバルの会場へ。
このSelomangleng洞窟は、クディリ王国の君主で高名なアイルランガ王(西暦991年出生~1049年死去とされる)の娘、デウィ・キリスチが瞑想していた場所であるということ。
その日は、場当たりや、翌日の流れの打合せをしました。
踊る場所は洞窟前(下)の地面なので、石ころだらけでガタガタ。まあ、ジャワではよくあること。仕方がないですね。
Pak Praptoがソロでの打ち合わせの時に、「君が、洞窟の中から、ゆったりと(人物になりきって)出てきて踊ったら、わぁ~という感じになると思う。とても良いと思うんだよ」と言っていたので、それをやってみたかったのですが、かなり急で滑ることもあり、危ないし、衣装を着ては無理だろうと、断念。
洞窟はアイルランガ博物館の敷地内にあるのですが、博物館の建物の横には、何と、私の好きな聖天(ガネーシャ)さまらしき像が!
そして、弁天(サラスヴァティ)様らしき像も!
その晩は、クディリのホテルで宿泊。Pak Praptoのアシスタントのルトノさんと同室。
時間が結構あったので、近くのカフェに行って、しばしまったり。
最近、ジャワではコーヒーブームで、カフェに事欠かない。
フェスティバル当日は、早朝から準備して、朝行われた儀式に参加しました。
地元の中華系演者によるバロンサイも行われていました。
そして、クディリ市長の挨拶
市長の等の挨拶の後、白装束の神官の方(ヒンドゥー教か?)の後をついて、洞窟前に置かれた像のところまで歩きます。
その像は、上半身の部分が無くなっていましたが、重要なものなのでしょう。その像の前に置かれた石のコーナーの中では、公演時に踊らないように言われましたから。
でも儀式の時は、その石のコーナーの中で座り、像に向かって神官が祈りをささげています。そして、水を跳ね上げて清めています。私たちの方にも水をとばしてくれました。バリで見た感じに似ているかも。
それにしても暑かった!!
その儀式や諸々の挨拶の後は、すぐに、Didikさんの踊りが始まったけれども、観客が多すぎて、衣装を着たまま見るのは大変そうだったので、あきらめて控室に戻り、急いで着た衣装を直し、冷房のある部屋で涼むことに。
その後、予定は押しに押して、私は12時ぐらいには踊る予定だったが、結局踊ったのは、2時過ぎだったような気がする。朝から衣装を着けていたので、なかなか疲れました。
地面はぼこぼこで、小石もたくさん落ちていて、ところどころ段差もあり、なかなか踊りづらく、おまけに面をつけているので、視界がとても狭い。(というか、ほとんど見えない。)
それでも、それなりに工夫して踊りました。こういう、とても踊りにくい場所で踊ることは、ジャワでは日常茶飯事なので、「まあしょうがないな」とぐらいしか思わない。誰も文句はいなわいし、みんな工夫して表現する。
幸いなことに、その時間には、地面に影が出来ている場所もあり、その辺りを中心に踊りました。日が照っている場所の地面は白っぽいコンクリートとはいえ、はだしで踊るにはとても熱い。
それでも、風を感じ、地面を感じ、木々を感じ、周りの人々を感じながら踊っている時は、とても楽しかったです。
では、私が踊っている時の写真をご紹介
そして、やはり、パンジー物語発祥の地の東ジャワでこの踊りを踊るのは、やはり感慨深い、というか、ちょっと感覚が違うような気がする。場所の雰囲気が違うのですよね。
以前クディリに来た時にも、ちょっと感じたことだけれども、やはり、文化の香りが中部ジャワとは違うというか。
イベント自体は、音楽あり、シアターあり、踊りありだったけれども、私はどちらかと言えば後の方だったので、結局、一部しか見れませんでした。まあ、自分が出演しているので仕方ないですね。でも、多くの人と知り合えたのは、とても嬉しかったです。
私の似顔絵を描いてきてくれた方も。
私の写真をインターネットで探して、それをもとに描いてくれたようです。
また、絵描きの方々と知り合い、彼らがいつも集まっているRumah Panjiという場所を見せていただきました。素敵な絵画もたくさん!
このGoa Selomangleng は、Museum Airlanggaという美術館の広大な構内にあるのですが、その隣には、Pura Penatalan Agung Kirisuciというヒンドゥー寺院も。時間もなく、門も閉まっていたので、あいにく入れませんでしたが、なかなか面白そうな場所。
ソロへ戻る電車は夜遅かったので、いったんホテルに戻ってシャワーを浴び、寝ました。
ホテルの近所のカフェに寄ってまったりする時間もありました。
クディリは、仕事で何度か来たことがありましたが、それ以外では今回が初めて。
以前から、この辺りの文化に興味が湧いていたのですが、ますますもっと知りたいを思うようになりました。
こんな素敵な経験をさせていただけて、感謝でいっぱいです。
読んでくださってありがとうございました。
あなたにとって素敵な一日となりますように。
訃報と思い出 ~ Pak Prapto
このブログにご訪問頂きありがとうございます。
今朝、母の墓参りに行き、その後、椿大神社へお礼参りに行く途中、ジャワでお世話になった方の訃報が入ってきました。
また会えると思っていたので、とても驚き、そして悲しい。
Suprapto Suryodarmoさん
私は、Pak Praptoと呼んでいました。
74歳だったそう。
ソロを始め、世界中の踊り手や音楽家、その他の方々に大きな影響を与えた人物、踊り手。
そして、私には大きな愛を持った人物に見えました。
慈愛と言った方がよいですかね。
私は、たぶん最初に会ったのは、2003年に留学し始めた直後だと思います。
その当時のことはあまり覚えていないのですが、彼の家であり、パフォーマンスも多く行われた素敵な場所、ルマ・プティへ様々なパフォーマンスなどを行ったときなどに、時々、お会いして、挨拶する程度でした。
また、その頃の、ソロの芸術大学で見かけるコンテンポラリーダンスの作品は、彼の作品に似通ったものがすごく多くて、とても影響の強い人なんだなぁと思っていたことを覚えています。
そして、私がソロで住んでいた貸家の隣家にも、よく、ヨーロッパの方々(多くはドイツ人だったと思います)が、Pak Praptoのところに来るためだけにやってきて、数ヶ月も滞在していました。詳しいことは聞かなかったので分かりませんが、Pak Prapto のもとで瞑想などをしていたようです。
彼はスピリチュアルリーダーでもあるのだなぁと思ったものです。
Pak Praptoと再び縁ができたのは、私がムラピ山の村、Tutup Ngisorへ行くようになってから。
そこで何度もご一緒させていただきました。
同じ家に泊めていただいていたので、いろいろお話ししたものです。
「日本人で、僕と怖がらずに話すのは君だけだよ」と何度も言われたのを覚えています。
「え~。そんなことはないでしょう」と返したのですが、あまり日本人と、親しく長く話したことはないそうで。(そんなことはないと思うのですが、なぜかそう言っていらした…。)
Pak Praptoの周りにいつもたくさんの人がいて、外国人も多いのを見ていましたし、私にとっては全く怖い人ではなく、親しくお話しさせていただいていたので、とても意外に思ったのを覚えています。
私は、アメリカにいた時の癖で、どんな人に対峙しても、へりくだることも持ち上げることもなく、平等な、対等な人間として接するからでしょうかね。まあ、相手にもよりますが、Pak Praptoは、それを受け入れてくれる人でしたから。
他のフェスティバルやアートイベントでも、結構ばったりお会いすることも多かったです。
また、一緒に飛び入りで、即興で踊ったことも何度かありました。
(昔取った杵柄で、私も即興で踊ることは好きですから…。)
そして、とてもスピリチュアルな方。
彼の踊りは、いつも祈りでした。
彼が踊ると、そこは祈りの場に変わりました。
また、私の尊敬するジャワ舞踊の大御所で、このブログでも以前ご紹介した、ダルヨノ先生も、「Pak Praptoは、本当にすごい。彼から学ぶべきだ。」と言っていたのが、とても印象に残っています。
私は、彼に学んだことがあるわけではなく、たまにあって話す程度でしたが、それでも、とても良くしていただきました。
彼が関係しているフェスティバルなどに何度も誘ってもらい、踊らさせていただきました。
彼自身は、伝統的な踊りを踊ることはなかったですし、彼の周りも、コンテンポラリーや即興で踊る人たちが多かったですが、私が伝統的な踊りを踊ることをとても尊重してくれ、それを生かしてくれ、引き上げてくれる人でした。
本当に多くの人を引き上げてくれる人だったなぁと思います。
それで、彼を慕っている人たちが、世界中にたくさんいるのでしょうね。
私が最後に会ったのは、10月初め。
私は、彼の人となりがとても好きでしたし、以前、ジャワ人の世界観についてインタビューをさせていただいたこともあり、私がジャワへ行く時は、特に会う予定がなくても、よく連絡していました。6月末から7月にかけてジャワへ渡航した時も、「ジャワへ来ましたよ」と連絡したのですが、Pak Praptoからは、「いまヨーロッパに3か月来ていて、9月末までいないよ」と返事が。
ああ、会えないなぁと思っていたら、9月末に、たまたま見に行ったソロ市役所の広場でのあるコンサートで、ばったり会いました。彼は出演者だったのですが、コンサート前に客席に座っていらしたので、ひとしきりお話ししました。
なんだか、とっても嬉しかった。
その時に、10月半ば過ぎに、東ジャワのクディリの聖なる洞窟であるフェスティバルに出演しないかと誘っていただきました。日本に帰る直前でしたが、日程は土日でしたし、即答でOKしました。後日、そのフェスティバルの打合せのために、ウィスマセニという、ソロの芸術大学の隣にある、芸術家たちがたむろする場所で待ち合わせ、お会いしたのが最後になりました。
白いシャツに茶色のベスト、茶色のシルクハットのようなものをかぶっていたような記憶があります。とてもダンディな感じでした。
ダルヨノ先生はじめ、多くの芸術家もそこにたむろしていらして、「専門家たちの前で話すのは恥ずかしいからさぁ」と言いながら、カフェからプンドポの方に移動。そこで打ち合わせしました。
その時、打合せが終わるころ、なぜか、Pak Praptoが私の顔を覗き込むように、何かを確認するように、何度も、繰り返し、まじまじと見るのです。そんなこと、今までなかったので、「何か?」と聞くと、「君、本当にジャワ人になったねぇ」と。
「以前は、まだ日本人らしさが残っていたけれども、今は全然残っていない」と。
それは、誉め言葉と受け取り、それはそれで嬉しかったのですが、私は、実はPak Praptoは、別のことを言いたかったんじゃないかという気が、その時にしていたのですよね。
私を見て、何が見えたのだろうかと。私自身、ここ1~2年でどんどん変わってきているのを実感しているので、Pak Praptoは何を感じたのだろうかと。
まあ、すべては私の想像のストーリーですけれども。
最後に、カフェで、Pak Praptoが食べていたマンゴーを食べきれないからというので、横からつまんでいただき、そのマンゴーがとてもおいしかったのが印象に残っています。
さて、クディリでのフェスティバルは、久しぶりにPak Praptoとご一緒できると楽しみにしていたのですが、彼はいらっしゃれなかったのですよね。
もともと糖尿病を患っていらしたのですが、ヨーロッパに3か月いる間に食生活が乱れて、悪化したらしく、お医者さんから、今は遠出をしてはいけないと、ドクターストップがかかったということで。
とても残念でしたが、そのフェスティバルに参加したことは、私にとって、とても素晴らしい経験となり、多くの良い出会いがありました。
クディリからソロに戻った後、お礼とお見舞いのWhatsApp (WA、日本のlineのようなメッセージアプリ)を送りました。彼からの返信は、にっこりマークや、キスマーク、ハート、虹のマークなどを多用する、とてもかわいいもの。「こちらこそ、参加してくれて、とても感謝しているよ。僕は大丈夫、元気だよ」とのこと。
「私は日本に戻るけれども、また1月にジャワに来るから、その時に、会いましょう」という私のメッセージからのPak Praptoの返信は、
「じゃあ、また会う時まで」
でした。
11月の半ばにも、なぜかメッセンジャーの方に連絡が来て
「元気ですか~?」
「元気ですよ!」
という、軽いやり取りを交わしたばかり。
そして、最近も踊っていらしたようですし。
WAでは、その人が、最後に接続した時間が分かるのですが、先ほど見てみると、Pak Praptoが亡くなったとされる時間の30分ほど前まで、WAをチェックしていたよう。
そして、Facebookでも、昨晩、盛んにいろいろアップしていらしたので、本当に急に亡くなられたのだと思います。
亡くなられたのはとても寂しいですが、彼の愛は永遠に残っていますね。
そして、もう今は解放されて、自由に踊られていることでしょう。
今日、椿大神社へ参拝して、参道途中にある、高山土公陵や、その隣の地球の上に猿田彦さまが乗っている像のあたりで、なぜか「ああ、ここ、Pak Praptoの雰囲気」と思いました。
美しい木々と自然があり、光があり、愛があり、祈りがあり。
そういうものを大切にされていた方のような気がします。
Pak Prapto 安らかに。
そして、ありがとうございました。
そして
「じゃあ、また会う時まで」
読んでくださってありがとうございました。
あなたにとって素敵な一日となりますように。