香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊やガムラン音楽に関すること、日々の気付きや学び、海外生活で見聞したこと、大好きな植物や動物に関してなどを、私が感じたことを気ままに、ゆるゆると書いていきます

年を取るという美しさ

老人ホームに入っている叔母に会いに行きました。遠方なので初めて訪れ、たぶん叔母と会うのは1年半ぶりぐらい。最後に会ったのはまだ元気で、ぼちぼち仕事をしつつ、一人暮らししている時でした。

今でも耳や目、歯はとても良くて、身体も比較的良さそうでしたが、ちょっと、認知症になっていました。80代後半だから無理もないのかもしれませんが。2‐3分前のことも忘れてしまい、同じことを繰り返し話します。でも、昔のことはよく覚えている感じでした。歩くのも、歩行器を使って、とてもゆっくり歩けるぐらい。でも、他の入所者と話している叔母を最初に見た時、「綺麗」と思ったのですよね。顔が輝いて見えたというか、たたずまいがすっきりしたというか。

確かに、年を取っておばあさんになっていましたが、そこに厳然とした美しさがあったのです。それに、目の感じも変わっていました。昔は、もちろん優しいところもあり、自立したすばらしい女性でありましたけれども、同時にかなりきつく、思ったことをズバズバ言う強い人で、目も厳しい感じでした。傷ついた人も多かったと思います。霊感も強く、いろいろ感じる人だったので、そんな人の目をしていたように記憶しています。けれども、今はなんだか、なんと表現してよいのかわかりませんが、少し童心に返ったようにも見え、ちょっと天使っぽくなっているように感じました。以前はずっと一人暮らしで、すべて自分の事を自分でしなければならなかったけれども、ここでは安心して世話してもらうことができ、話し相手も多いからかもしれません。また、今の自分の状況を、抵抗せず受け入れられているからなのかもしれません。いろんなものを手放したからなのかもしれません。何が叔母をそうさせているのか、私にははっきりわかりませんが、以前よりずっと綺麗に見えました。もちろん叔母だけでなく、私自身も変わったからそう見えるのかもしれませんけど。年を取るということは、ある意味美しいことだなぁと感じました。年を取ることは美しくなることなのかもしれませんね。もちろん、年を取ることは綺麗事ですまないこともたくさんあるでしょう。介護の問題なども他人事ではないです。でも、この美しさも忘れずにいられたらと思います。

実は、私は、年を重ねるごとに、この叔母に顔が似てきているのですよね。私も、もし長生きできたら、年をとっても美しくあれたらよいなぁと思いました。肉体的というより、精神的な美しさなのかもしれませんね。そのためには環境も重要でしょうね。

年をとっても、または、どんな問題を抱えていても、どんな人も安心して、美しく暮らせるような社会になっていけばよいなぁ。そのためには何が必要なんだろうか。

 

今日の花(庭の花シリーズ)>

f:id:Kaoriok:20180511164001j:plain

「清楚なクリサンセマム・パルドサム」photo by Kaori