香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊やガムラン音楽に関すること、日々の気付きや学び、海外生活で見聞したこと、大好きな植物や動物に関してなどを、私が感じたことを気ままに、ゆるゆると書いていきます

断食月の思い出(2) 〜 ジャワの思い出

ジャワでの断食月の思い出の続きです。

私が芸術大学の留学生だった頃、学生よりも先生たちの方が熱心に断食をしていたイメージがあります。断食月といっても、大学の普段の活動はそれほど変わりません。ちゃんと授業もありますし、試験もあります。舞踊科の学生は、熱帯の国で暑いなか踊って汗をかいても水を飲めず、午後になるとバテてしまって、ダンスフロアにゴロンと、まるで水揚げされたマグロのようにたくさん転がっていたことを覚えています。私の仲が良かった友人も、午後3時ぐらいになると、「ああ、今日はもうダメ。断食明けしちゃえ」と、よく断食を中止してました。対して、先生たちはすごく元気で、バテているとはおくびにも出さなかったですね。根性が違うというか。逆に学生たちを元気づけようと、普段よりエネルギー全開の先生もいました。凄すぎる・・・。精神力というか、気の持ちようなのですかね。

でも断食をどれだけ熱心にやるかは、本当に人それぞれでしたね。

私はジャワ舞踊やジャワガムランの個人レッスンも多く受けていたのですが、初めのうちは、断食をしている先生の目の前で水を飲むのが、すごく気が引けたものです。でも、みなさん、「飲んでいいよ。気にしないで」と言ってくれるので、遠慮しながらも、しっかり飲んでいましたね。友人たちがみんな、気にしなくてもよいと言ってくれるので、最近では、断食中の人の前でも遠慮しないで飲食しています。

断食月で困ったことは、昼間に開いている食堂を見つけるのが大変だったことです。ジャワでは、基本、買い食いです。現地の方も、料理をせずに買う人も多かったです。特に1人だけだと、食材を揃えて自分で料理するより安いです。市場で食材を買うと、少量では買えないですし、大量に買うと、結局使い切れず腐ってしまいます。少量でも買えるスーパーは高いですし。おまけに冷蔵庫がない家も多かったです。私も自分の冷蔵庫は2014年まで持っていませんでした。それまでは、少量の食材を、イブ・コス(下宿先のお母さん)の冷蔵庫に入れさせてもらうこともありました。今では、街では冷蔵庫を持っている家が多いと思いますけれども。それに、普段はたくさんの食べ物屋台が近所を回ってくるので、そこから買うこともできました。屋台の鳴らす音の違いで、家の中にいてもどういう食べ物が来たのかわかるので、便利でしたが、断食中は来ないです。私が初めてジャワに行った2003年頃は、断食月は朝食、昼食を買える場所がとても限られていました。私は(途中何年か日本に帰っていた時期もありましたが、)2016年前半までジャワに住んでいました(計8-9年になるでしょうか)が、最近では、以前より開いている食堂も増え、かなり楽になった気がします。

あと、多くのレストランでは、断食月は値段が上がっていました。断食月は、食事の集まりが多いので、高くても来てもらえるからでしょう。また、スーパーや市場でも、断食月に人気の食材の値段も上がっていました。もっとも、インドネシアでは経済成長率が年に8パーセントぐらいあるらしいので、年々、何もかも値段は上がっていますけれども。

断食明けの時間近くに食事処へ行くと、注文した食事を目の前に、断食明けを待っているたくさんの人がいます。アザーンの声が聞こえると、一斉に飲食を始めるわけです。なんだか少し違和感を感じました。その時間に食事処へ行って、断食明けを待つ人の前で食事を始めるのは、なかなか勇気がいりました。なるべく、時間をずらしていましたけど、私にも予定があり、かち合うこともしばしば。その時は、「信仰は個人の自由だから」とと腹をくくって、堂々と食べましたけど。私の友人たちは、それほど断食明けの時間にこだわらず、その時間が過ぎると、まず水を飲み、ゆるゆると、ゆっくりと少しずつ食べ始める人が多かったので、食事処で、すごい勢いで食べる人を見ると、断食明けの空っぽの胃に、そんなに一気に食べて大丈夫かしらと、他人事ながら心配になったりもしました。まあ他人事でしたね(笑)。

断食明けにまず食べるものでは、コラッkolak という、バナナやジャックフルーツ、キャッサバ、かぼちゃ、サツマイモを切ったものを、ココナッツミルクややし砂糖で甘く煮、パンダンリーフで風味づけされた、甘いスープのようなものが、一般的でした。美味しくて、私も大好きでした。また食べたいです。

断食月の間、夜はtarawihと呼ばれるお祈りが行われていて、モスクへ行く人が多かったので、夜の行事、例えばガムラン練習や、様々な公演も、時間を遅らせて始めることが多かったですね。もっとも、公演も少なかったと思います。また、私がお世話になっていた、スラカルタのマンクヌガラン王宮では、断食月の21日までは、ガムラン楽器を鳴らすことが禁止で、ガムランを使う練習はすべて中止になっていました。ただ、ガムラン音楽の録音を使うことは構わないので、録音を使った舞踊練習は続けられていました。普段から、録音を使った舞踊練習は、月曜日と土曜日の4時半から6時まで行われているのですが、それが断食月は4時から5時半に変更され、練習が終わったらすぐに飲食できるように配慮されていました。私からすると、断食明け直前の夕方に踊るのはきついのではないのかと、いつも思っていたのですが、結構みんな平気そう。断食月も最初のうちはちょっと辛いようですが、だんだん慣れてくるそうです。ちなみに、王宮の外では、断食月中もガムラン楽器を演奏できます。余談ですが、イスラム教徒は断食月に結婚はできないので、断食月前後は結婚式が集中していました。ジャワは交友関係が広く、また、結婚式は本人たちの両親の行う行事なので、本人の友人や親戚だけではなく、両親の仕事関係者や友人、そして近所の人々が招待されます。ですので、交友関係の広い人は、一日に結婚式を2~3件はしごということもしばしば。大変そうですね…。あ、また余談ですが、断食中は、男女の交わりもダメとのことでした。夜は大丈夫のようですが…。

また、私が働いていたNPOが事務所を置いていた現地NGOでは、従業員に特別手当を出していました。また、近所の人たちを招いて断食明けの食事を共にし、油や砂糖、米などの食材、お菓子などが詰まったプレゼントを渡しています。これは、事業を潤滑に進めるために欠かせない重要な要素です。他の会社などでも同じようにしているはずです。ただ、やはり断食月中は生産性が落ちるようです。私がいたところはNGOで比較的自由だったとはいえ、断食明けの準備があるからと、4時過ぎに帰ってしまう人も結構いました。断食中はそういうことも許されるわけです。工場などでも格段に生産性が落ちると聞きました。倒れる人もいたとか。生産性が落ちるのは仕方ないですね。断食、大変そうですもの。それに生産性より大事なものもありますよね。それも素敵なことだなぁと個人的には思います。

なんだか、思いつくことをだらだらと書いてしまいましたが、お付き合いいただきありがとうございました。日本にはない習慣で、私にとってはとても興味深いことばかりでした。読んでくださっているあなたにとって、なにか興味深いと思えることがひとつでもあれば幸いです。

今日もあなたにとってステキな一日になりますように。

 

<今日の植物(庭の植物シリーズ)>

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「ガイラルディア・アリゾナサンの花。今年の一番花です。」photo by Kaori