香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊やガムラン音楽に関すること、日々の気付きや学び、海外生活で見聞したこと、大好きな植物や動物に関してなどを、私が感じたことを気ままに、ゆるゆると書いていきます

インターナショナル・ガムラン・フェスティバル(3)〜 出演編

いつも読んでくださってありがとうございます。

 

まだ、本調子とまではいかないですが、おかげさまで、かなり体調も回復してきて、先週末から月曜日にかけて、無事、大阪での練習やレッスン、イベント出演を終えることができました。そして、自宅に戻って、台風の備えをしました。大阪でのイベントに関しては、また別の機会に書くかもです。

 

さて、前回の続き、中部ジャワのソロでのガムラン・フェスティバルに関してです。今回は、私が出演させていただいた時のことに関して。

 

私は、東京のガムラン・グループ、ランバンサリからお誘いいただいて、舞踊で参加させていただきました。8月10日に、Beteng Vastenburg にて、翌11日にソロのSMKI (芸術高校)にて、出演いたしました。

スケジュールも出演ステージも、結構直前まで確定せず、そして、前日や当日の変更もいろいろあり、いかにもジャワらしかったです。ジャワでは、何事にも動じない心の余裕が必要です(笑)

そして、ジャワでは、すべて大抵なんとかなってしまうのです。

10日午前8時に予定されていたサウンドチェックは、その時間に、使う予定だったガムランセットが、別の会場で使われていることがわかり、急遽、午後2時に変更に。午後2時に行ってみると、別のグループがサウンドチェックしており、午後3時に変更となりました。実は、別の会場で行われているセミナー/ディスカッションに参加したかったのですが、結局参加できずに残念。

そして、野外ステージで、強い西日が照りつける中、日焼け防止のための長袖ジャケットを着込み、帽子をかぶり、ある人はサングラスをかけるという、側から見たら、なんだか怪しい集団に見える格好で、リハーサルをしました(笑)

前日、この場所でのサウンドのバランスがあまりに悪かったのを聞いていたので、いろいろ注文を出しながら、入念にチェックしていたと思います。

ただ、ステージの踊れる場所が、かなりの横長で、奥行きがあまりなく、おまけにガムランは舞台の脇の方にあり、踊り手とのコミュニケーションが必要な太鼓奏者から踊り手が見えず、他のほとんどのガムラン奏者からも踊りが見えないという、悪条件でした。舞台は全然考えて作られていないなぁという感じでした。そして、なぜか、各グループ、違うガムランセットを使う設定になっていたので、踊り手のすぐ後ろの一段上にあるガムランは使わせてもらえず。踊り手にとっても、あまりに横長すぎて、お互いににコミュニケーションの取りにくい舞台でした。

リハーサルの時間が変わったので、メークなどを始める時間まで、時間の余裕がなく、かなりのバタバタになってしまいました。いつも、自分でメークをするのですが、今回は、現地で、メークをしてくれる方を頼んでいて、お金はかかりましたが、らくちん。そして、メークもとても勉強になりました。メークのやり方も、流行り廃りがあって、変化が早く、最近は、ソロでもかなり濃いメークになってきているなぁと思います。

まだ、衣装も頭飾りも付けていませんが、メークは、以下の写真のような感じでした。

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会場の控室は落ち着かなそうなので、ホテルでメークと着付けをして、主催者側の用意したホテルで、会場へ向かいました。 

出演順も、本当は最後で、11時過ぎになる感じであったので、お客さんがその時間まで残っているか、ちょっと心配だったのですが、直前に、順番が変わり、最後から2番目になって、多くのお客さんが残っていてくれ、ラッキーでした。いろいろ問題はあったとはいえ、その悪条件の中にしては、上手くいったと思います。お客さんも、舞台が遠かったため、多くの人は立ち上がってまで、よくみようとしてくれたようで、ありがたかったです。いくつか反省点もあったけれども、全体的に、とても楽しい舞台でした。

 

翌11日は、ソロの芸術高校のプンドポでの公演。ここでも、最初は、4チーム演奏することになっていたと思うけど、いつの間にか、3チームになっており、そして、そのうちの1チーム(というか個人)が病気で急に出演できなくなり、出演時間を早めてほしいと言われ、ちょっと慌てました。急に言われても、メークさんに頼んでいる時間もあり、関わる人が多すぎて、急な変更は難しいからです。でも、2チームだけになったので、余分に何曲か演奏させてもらうことができました。実は、このフェスティバルでは、1チーム30分と区切られていたのですが、それを守っているチームはまれで、ほとんどみんなオーバーし、ひどいところは、1時間半も使ったところも。日本人は真面目なので、ちゃんと30分で終わるようにプログラムを組んできていました。それが、短すぎるというコメントもあったので、芸術高校では、もう少し長く公演することができて、良かったなぁと思います。踊りは一曲だけなので、変わりはないのですけれどもね。

そして、やはり場所が良かったです。こういう伝統的な曲の公演には、やはりプンドポが一番ですね。そして、踊り手同士や、踊り手と演奏者間のコミュニケーションもとりやすい。とても、気持ちよく踊ることができましたし、前日よりもずっと良かったと感じます。多くの人が、とても良かったと言ってくれました。

この舞台が実現したのは、本当に多くの人たちの協力があったからだと、感謝でいっぱいです。非常に、貴重な、楽しい経験をさせてもらえました。

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「Gambyong Pareanom Gaya Mangkunegaran」photo by Agus Budi Santoso

 

後日、批判なども聞きましたけれども、それについて私が感じたことを少し。

ちなみに、今回踊った舞踊は、マンクヌガラン王宮のガンビョン・パレアノム。ソロで一般的に踊られているガンビョン・パレアノムとは、かなり違うもので、踊り方も、楽しみ方も全く違います。踊る方もそれを心掛けて踊っています。

今回、とても感じたのは、一般的には、芸術関係者でも、マンクヌガラン王宮のガンビョンについて、どういうものなのか、知らない人がほとんどなのだなということ。マンクヌガランのガンビョンの衣装が一般的なガンビョンと違うことも知らずに、批判する人もいるぐらいですから。まあ、見る機会も少ないですしね。外国人の私が言うのもおこがましいですが、長くマンクヌガラン王宮で踊ってきた私からはっきりいえば、マンクヌガランの演奏家であっても、特に若い人は、踊りが分かっていないなぁと私自身が感じることがたびたびあるので。(なんだか傲慢な意見ですみませんが、実際にそう思いますし、他の踊り手たちも同意見の人が多いので。)たまにマンクヌガランの踊りを見ている人でも、結局は、マンクヌガラン王宮に深くかかわり、直接、マンクヌガラン王宮の先生方に真摯に学び、長く踊りの練習をマンクヌガラン王宮で、現地の他の踊り手たちと練習して、切磋琢磨した人たちでないと、理解できないことが多いのだなということ。そして、ソロで一般的に踊られるガンビョンと同じ視点でコメントされても、困るなぁということ。

ちゃんと理解されるためには、多くの人に、正しく知ってもらう、学んでもらうこともとても重要なのだなぁと思いました。そういうことを伝えていくことも重要だし、私自身、これからも心掛けていきたいなと思います。

公演を2回とも見てくれて、マンクヌガランの踊りにも40年以上関わっている、私の先生のうちの一人のコメントを紹介しますね。

マンクヌガランのガンビョンは、ソロで一般的に踊られているガンビョンと、同じ視点で見たり、批判したりすることはできないよ。マンクヌガランのガンビョンは、もっと高い視点(芸術的視点)を持つ人(orang yang wawasannya tinggi)が楽しむものなのよ。そして、今回の公演で、踊り手からすでに、kenes(すみません、どう翻訳してよいのかわかりません)さが出ていて、とても素晴らしかったと私は思う。そして、カラウィタンのイラマ(スピード)も非常に気持ちよくて、とても良かった。他の人に何と言われようと、それはその人にとっては真実でも、必ずしも、的を得てるとは言えないよ。批判する人たちは、ただ単にその人には、この踊りが感じ取れなかっただけということだし。なので、マンクヌガランの踊り先生たちから、学んできたことを尊重し、真摯に、そして、いろんな批判に惑わされずに、これからも楽しんで踊っていけばよいよ。私は、今回、あなたに足りないところは見つけられなかったし、素晴らしかったと思うから、自信をもって。私自身も、人に何と言われようと、良い気分で、いつまででも、楽しんで踊っていくつもり。

そのように言ってくれて、私が漠然と感じていたことがクリアになり、いろんなことが納得できるとともに、とても嬉しかったです。そして、彼女の踊りに対する姿勢からも、いろいろ学ぶところがありました。もちろん、私自身は、まだまだ成長して、うまくなっていく余地があると思うし、決して慢心せずに、注意深く、自分自身でチェックしながら、これからも練習を重ねていくつもりだけれども、やはり、この踊りをよく理解し、普段から踊っている方からのこういうコメントは信用できるし、嬉しいですね。それに、彼女は、良くなければ、はっきり言ってくれる人ですし、私自身もこれまで何度も辛口の意見をもらっているので、余計にうれしいです。それに、このコメントは、しつこく、何が良くなかったか、どういうところを直した方が良いか、何度も聞いたうえでのコメントでしたし。「とても素晴らしかったけれども、強いて言えば、本当は、みんなの踊りのレベルを合わせた方が良い。でも難しいよね。あれだけ個性の違う5人が一緒に踊って、良くまとまっていたと思う」とのコメントもいただき、勉強になりました。

そして、愛のあるコメントはとても良い影響を聴く人に与えますね。もちろん、批判も重要だと思いますし、そこから学ぶことも多いです。でも、いろんなコメントや批判は、その人のバックグラウンドや、どういう意図で言っているのかを吟味して、受け取る必要があるなぁと感じました。そうでなければ、うっかりすると、違った方向に進んでしまうかも。まあ、どんなコメントでも、ある種の思い込みと、その人の都合という面がぬぐえないですけどね。それでも、直接いろいろと言ってくれる人はありがたいものです。裏でいろいろ言われるよりは、ずっとましですね。裏で言うのは、悪口にしかならないと思うので。私自身も気を付けたいですけれども(笑)。

批判もありましたけれども、それよりも、良かったと言ってくれた人たちの方が、ずっと大勢いたことを大切にしたいなぁと思います。私にとっては、とても貴重なことです。

そして、私も、何かコメントをするときは、注意深く、愛のあるコメントを心掛けたいなぁと思いました。愛のないコメントは、毒にしかならないような気がします。

そして、こういう、大勢がかかわる芸能は、そのグループの中でできる最高のパフォーマンスをすることが、重要だと思うのです。すべて最高のパフォーマーだけを集めるのも違うのと思いますし、集まった人たちの中で、そして限られた環境の中で、どう、素敵なパフォーマンスができるのか、お客さんに楽しんでもらえるのか、みんなで作り上げていくのが醍醐味かなと思います。私には、多くの良い仲間たち、良き理解者たちがいてくれて、本当に幸せで、みんなに感謝あるのみです。

 

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。