香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊やガムラン音楽に関すること、日々の気付きや学び、海外生活で見聞したこと、大好きな植物や動物に関してなどを、私が感じたことを気ままに、ゆるゆると書いていきます

王家の墓へお参り

いつも読んでくださってありがとうございます。

 

今日も引き続き、ジャワ滞在時の記録です。

8月12日に、マンクヌゴロ王家のお墓にお参りに行きました。

ここのところ、基本的に、少なくとも年に1回以上は行っていたのですが、去年は行きそびれたこと、そして今年は、11月に、マンクヌガラン王宮のブドヨという、重要な舞踊を、王さまからの許可をいただいて、東京で公演させていただくので、その報告とお礼を兼ねてのお参りです。

いつもは、Astana Mangadegという、マンクヌゴロ1世から3世とその家族のお墓のある場所に寄ってから、Astana Girilayuという、マンクヌゴロ4世、5世、7世、8世とその家族のお墓のある場所に行くことが多いのですが、今回は、時間の関係で、Girilayuのみ行ってきました。両方とも、ソロ郊外、カラガニャール郡にあるLawu山中腹の小さな丘の上にあります。

余談ですが、Astana Mangadegのすぐ下には、マンクヌゴロ王家と縁戚関係にあり、インドネシアの第2代大統領であったスハルトのお墓のあるAstana Giribangunがあります。

Astana Girilayuへは、結構な上り坂もあり、いつも車で行きます。バイクだと、二人乗りでは登り切れないこともあるとか。いつも、Astana Girilayu近くの、上り坂の、あるカーブで、かならず、クラクションを鳴らします。そこにいる精霊(?かなにか?)に、通らせていただくよとの挨拶のためだそうです。ソロから、約1時間で着きます。

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ここに行くとき、必ず、お供えの花を持っていきます。今回は、ピンクのバラの花びらに、ジャスミンとイランイランの花びらを少し混ぜたものを用意しました。また、生前、非常に仲良くしていただいていた現王の弟君Gusti Heruのために、お好きだったチューベローズの切り花、日本から梅酒や日本酒を用意していきました。

 

お墓に着くと、墓守の方々が迎えてくれます。そして、持ってきたお花を供えるための準備をしてくれます。今回は、ちょっとお手伝いしてみました。

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上の写真はもっていった花です。

 

ちなみに、別の時の写真ですが、花市場の様子もアップしますね。

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花を売っている市場の写真でした。

 

今回持っていったのは、大量のバラの花。とても良い香りがします。がくを外して花びらだけにします。

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そして、これは、ジャスミン(melathi) の花と、イランイラン(kenanga)の花

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以下の写真のように用意します。

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休憩場所で、出していただいたお茶をいただいた後、お墓にお参りします。

 

今回は、あまり写真を撮らなかったので、何年か前に参拝した時の写真を使いますね。

休憩場所から、お墓の方に入る階段の方を見ています。この階段から、靴を脱いで、裸足で参拝します。

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まず、正面にマンクヌゴロ4世の壮麗なお墓が見えてきます。

必ず、ここから参拝します。

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こんな感じの建物です。

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この建物に入る時、そして中では、座って、膝行します。

以下の写真が、マンクヌゴロ4世のお墓に花を供えているところ。お墓の前に、銀のお盆のようなものが置かれており、そこに、花びらをお供えします。

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そして、同じ建物内にある、マンクヌゴロ4世の王妃、後継ぎとなるはずだったけれども若くして亡くなった王子のお墓の順に参拝します。

ジャワの方は、お墓の下の方を、トントンと叩いたり、触ったりして、お祈りしています。

 

ちなみに、マンクヌゴロ4世は、文学者としても非常に有名な王で、現在でもガムラン演奏の時に使われる歌で一番ポピュラーといってよいものは、彼の韻文詩です。また、他の芸術も経済もかなり発展し、現在も残っている、マンクヌガラン王宮の壮麗な大プンドポは、彼の時代に作られました。イタリアから輸入した大理石が使われているそう。また、彼の時代に、私が修士論文でテーマとしていた、ジャワのオペラともいわれるラングンドゥリヤンが作られました。論文を書く前にも、書かせていただきますとの報告に、お墓参りをした覚えがあります。

マンクヌゴロ4世とご家族のお墓に参った後は、マンクヌゴロ5世とその王妃のお墓へ。マンクヌゴロ5世時代は、マンクヌガランの踊りの特徴のひとつともいわれる、ウィレンと呼ばれる戦いをテーマとした踊りが多数作られたようです。現在でも踊られています。また、ワヤン・ウォンも発展し、現在のような衣装になったのも、彼の時代と言われています。

そして、マンクヌゴロ7世とその王妃のお墓へ。マンクヌゴロ7世の時代に、今回東京で公演させていただく、ブドヨ・ブダマディウンが作られました。王妃様は、ジョグジャカルタ王家の王女様で、ブドヨ・ブダマディウンは、ジョグジャカルタ様式舞踊の影響を大きく受けています。マンクヌゴロ7世は、芸術に造詣が深く、彼自身が舞踊の指導に当たっていたとか。また、この時代にジョグジャカルタから持ち込まれ、マンクヌガラン様式に変化させた舞踊も、現在でも多数踊られています。また、マンクヌゴロ7世と王妃の一人娘で、数年前に亡くなられた美人で有名なGusti Nurulとその旦那様のお墓にお参りさせていただきました。Gusti Nurulは、オランダの女王ユリアナの結婚式で、ジャワ舞踊を披露しています。その時のガムラン音楽は、なんと、マンクヌガラン王宮から生のラジオ放送で放送され、その音楽に合わせて踊られたとのこと。それがインドネシア初のラジオ放送とされ、この王女様はインドネシアのラジオ放送の歴史でも、重要な人物とされています。

そして、マンクヌゴロ8世とその王妃、後継ぎとなるはずだった王子の墓の順に参拝しました。ちなみに、現王はマンクヌゴロ9世ですので、現王のご両親とお兄さまにあたります。この時代までは、王家や貴族の方々にとって、踊りは必須の教養で、王宮でのワヤン・ウォンなどにも、王族の方々が出演されていたそうです。

 

ちなみに、マンクヌゴロ5世からのお墓のある建物は、マンクヌゴロ4世のものと比べるとシンプル。

以下は、マンクヌゴロ7世のお墓のある建物。

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そして、マンクヌゴロ8世のお墓のあるところは、壁のない、プンドポ風のものになっています。

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そして、一段下にある、敬愛するGusti Heruのお墓へ。

もう5年は経つともいますが、まだお亡くなりになったとは信じられない気持ちもあります。

お好きだったチューベローズ(Sedap malam)の花、梅酒、日本酒などをお供えしました。今度の、ブドヨ公演についても報告しましたよ。うまく行くように力をお貸しくださいと。

みんなでお墓の前に座っていると、いきなり、上から、すごい勢いでオレンジ色の実が落ちてきて、割れました。

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上を見ると、大きな木はあるものの、その上には実はなっておらず、どこから落ちてきたのか不思議でした。

みんなで、「Gusti Heruが、わかったよ!と言っているに違いない。もしくは、Gusti Heruのいたずらかも」と話していました。そんなお茶目な方だったのです。

 

そうして、お墓参りを終え、ソロに戻りました。

ブドヨ公演の前にお墓参りに行きたいと思っていたので、実現できてうれしかったです。これで、心おきなく、11月のブドヨ公演に集中できそうです。

 

読んでくださってありがとうございます。

あなたにとって素敵な一日となりますように。