犠牲祭(2)
いつも読んでくださってありがとうございます。
今日は、この夏のジャワの滞在記の続きです。昨日は、8月22日の犠牲祭について書き始めました。今日はその続きです。
さて、マスジッドの様子を見てから、マスジッドの外にでて、警備に出ていたおじさんとおしゃべりしながら少し待つと、王宮の方から、王家の従僕、楽隊、食べ物でできた御輿(gunungan)などの行列がやってきました。
写真を中心にご紹介しますね。携帯電話で、片手で撮影していたので、あまり良い写真ではないですけれども…。
まず楽隊が入ってきました。
彼らは、兵士の格好でしょうか。
ジャワの正装をした方々
22種類のGununganがやってきました。女性と男性のシンボルだそう。最初にやってきたほうは、女性の方でしょうか。
モスクのゲートを入っていきます。
お供え物を担いでいると思われます。
ここからは、モスクの敷地内に入って撮影しました。
儀式で使われるガムラン・モンガンが演奏されながら入ってきました。
モスクの中にて。
これも、行列で運ばれてきたようです。
女性の方のgununganはこちらに置かれて、守られています。
こちらのgununganは、多くの人に取り囲まれています。祈りがささげられた後、これらの食べ物は取ってもよく、奪い合いが始まります。縁起物ということでしょうかね。
お祈りが終わって、奪い合いが始まりました。
あっという間に終わります。
スカテンの時は、もっとたくさんのgununganが出て、やってくる人も格段に多いので、もっとすごい奪い合いが繰り広げられるのですが、今回は、まだおとなしいものでした。遠巻きに見ていた私のところにも、足元に一つ飛んで来たので、拾いましたよ。
そして、行列は王宮へと戻っていきます。
Gununganの土台も戻っていきます。
実は、犠牲祭の時の、王宮から出る行列を見たのは、今回が初めて。スカテンの時は、何度も見ているのですけれども。今回は、規模は小さかったですが、やはり、興味深い行事でした。ただ、この王宮はここ数年、内部抗争でもめていて、多くの行事に大きな影響があるようで、残念です。みんな仲良くできればよいになぁと思います。文化は時代に合わせてどんどん変わっていくものですけれども、形は変わっても、先人たちの精神が、脈々と受け継がれていけばよいなぁと思います。
読んでくださってありがとうございました。
あなたにとって素敵な一日となりますように。