香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊やガムラン音楽に関すること、日々の気付きや学び、海外生活で見聞したこと、大好きな植物や動物に関してなどを、私が感じたことを気ままに、ゆるゆると書いていきます

ジャワ舞踊、男性舞踊の大御所から学んだこと(3)~気とオーラ

本ブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

最近、何冊かの良い本に出会い、いろいろハッとさせられることが多いです。それが、これまでジャワ舞踊やジャワ文化を通して学んだり、調べたりしたことと、いろいろシンクロしていたりして、なかなか面白いです。また、いろんなことが動き始めています。大きな流れの中で、身を任せている感覚です。いろんな意味で楽になってきています。

 

さて、今日は、前回の続き。東京で、ジャワ舞踊の大御所ダルヨノさんと、いろいろお話ししたり、踊りを見たりするうちに学んだこと、気付いたことなどのシェア、第3弾です。ダルヨノさんから学んだことも、最近の気付きとシンクロしているようで、でも相反するようでもあり、私にとってはとても興味深い流れです。そして、ダルヨノさんはジャワに帰られた後も、SNSを通して、たまに思い出したように、少しずつ、私の理解が深まるように、踊りに生かせるように、サポートしてくださるのが、とてもありがたいです。すごい先生です。そして、私も自分が受け取ったことを、次に伝えていけるように、まず、自分で体験し、そこから伝えていけたらなぁと思います。舞踊のことですし、やはり、自分が体験し、自分の体や感覚で感じてみないと、人には伝えられないことも多いと思うのです。ですので、私が書いていることは、今の時点の私が理解できること、または、私の推測となります。でも、ジャワ舞踊の奥深さを多くの人に知ってもらえればと、そして、踊る人たちの何かのヒントになればと願っています。

 

第1弾、第2弾の記事は以下からお読みいただけます。

ジャワ舞踊、男性舞踊の大御所から学んだこと(1)~エネルギーの伝達 - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊、男性舞踊の大御所から学んだこと(2)~時間とスペース、気、深いところとの繋がり - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

 

 

今回は、ちょっと専門的になるかもしれません。ジャワ舞踊をやっている人以外は分かりにくい部分があるかもしれませんが、何かのヒントになるかもしれないし、自分のためにも書き残しておこうと思います。

 

ダルヨノさんが、練習として教えてくれたのは、自分のオーラ、または、自分の体の感覚で、だんだんと広い空間を満たしていくというもの。

これは、これまで私自身、それほど意識してではないけれど、ある程度やってきたように思います。もともと、ジャズダンサー、モダンダンサーとして、舞台に立っている時に培ってきたことですし。そして、ジャワ舞踊でも、ある種の踊りでは、培ってきたと思います。

でも、ダルヨノさんがおっしゃるのは、それを、自分のいる空間のみではなく、地域全体へ、国全体へ、地球全体へとどんどん広げていくというもの。目を閉じて、それを意識してやっていると、私はちょっと怖くなることもあります。くつろいでの瞑想では、自分が自然にどんどん広がっていき、すべてが自分の中にあって、すべての音が自分の中から聞こえてくる感覚になることは、たまにあるのだけれども、意識して、自分から広げていくのは、なぜか怖い時があります。

でも、リラックスして楽しんでやっていると出来そうなので、少しずつやってみようかなと思います。一気には無理かもしれないので。何事も段階があるのかもしれませんね。ダルヨノさんによると、呼吸を意識しながら、ポジティブな祈りか、ポジティブなエネルギーをモチベーションとして行うとのこと。ポジティブのエネルギーと共にだったら、怖くなくなるのかもしれませんね。

(ちょっと、ポジティブという言葉に私は引っかかっています。ポジティブが必ずしも良いことだとは思えなくて…。まあ、それは置いておいて…。)

 

それでうまくいかなかったら、踊りながら意識してみるとよいとのこと。どちらにしろ、踊りに生かしていくものなので、次の段階では、踊りながら、それを感じていく練習になるのでしょうけれども。その時には、ブドヨのような踊りが良いということです。

 

ちなみに、ブドヨについては、以前、以下の記事に書いています。

マンクヌガラン王宮のブドヨ・ブダマディウン(ジャワ舞踊)に関して - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

 

11月18日に北とぴあでブドヨを踊った後、ダルヨノさんは、いくつかのアドバイスをくれました。ブドヨ上演時、ダルヨノさんは、歌に入ってくださっていたので、踊り自体は注意してみることができなかったそうで、いろんなアドバイスをいただけなかったのは残念ですが、関連することを伝えてくださいました。

 

ブドヨの踊り手には、ポジションに応じて名前があるのですが、その中で、中心的役割を果たすのが、バタッ(Batak)というポジション。11月18日に私が踊らせていただいたポジションです。そのポジションの役割について、ダルヨノさん自身の経験から話してくださいました。

ブドヨといえば、普通は、7人、または9人の女性による舞踊ですが、マンクヌガラン王宮には、マンクヌゴロ1世の治世には、3つのブドヨがあったことが伝えられています。ブドヨ・アングリルムンドゥン、ブドヨ・ディロドムト、ブドヨ・スコプラトモです。そのうちの後の二つは、男性の踊り手によるブドヨです。女性によるブドヨ・アングリルムンドゥンは、数奇な運命をたどって、1980年代にマンクヌガラン王宮に返され、今も、王の即位記念日の式典などに踊られていますが、あとの二つは名前と、どういう事柄が踊られているのかが残っているのみのようです。(ちなみに、3つとも、マンクヌゴロ1世の戦いがテーマになっています。)そこで、ダルヨノさんが、何年か前に、男性7人の踊り手によるブドヨ・ディロドムトを、再創作されました。そして、ブドヨ・スコプラトモは、現在、再創作の途中です。(出来上がってはいるけれども、まだ、変更したい部分があるとのこと。)私は、ブドヨ・ディロドムトを何度が見たことがあります。このブドヨに出演している踊り手は、いつもみんなスター級。本当に素晴らしい踊り手たちばかりなのです。存在感もオーラもすごいです。スターが7人揃って踊るようなものです。そんな中で、ダルヨノさんがBatakのポジションを務めるわけです。その時にどういう意識で踊られているのでしょうか。

 

Batakのポジションを踊る時は、ブドヨの中で起こっているすべてに意識(「気」)を向け、すべての他の踊り手を包むように、すべてを支えるように踊るのだそうです。Batakがブドヨの中で起こっているすべてに責任を持つのです。つまり、何が起こってもbatakの責任というわけですね。

 

う~ん。Batakは、非常に重要なポジションだとは思っていたけれども、そこまでの責任だとは、私自身は自覚がなかったです。ただ「ポジションの中のひとつ」という位置づけではなく、全然違う意味合いのものだったのですね…。先日の公演前に自覚していたかったですが、踊った後だったにせよ、こういう話をしていただけるのはとてもありがたいです。なかなか、こういう話をしてくれる人はいませんから。今後に生かしていきたいと思います。

 

あとは、ブドヨでは、最初と最後の座る前や、立ち上がった後、みんなで一斉に90度曲がるところがあるのですが、そこのところも、もっと、空気が重く動くようにというか、みんなで一斉に「気」を合わせて動くように回った方が良かったようです。そういうところも含めて、一つ一つの動きに、もっと意識と「気」を向けられるようにしたいものです。自分では注意深くやっているつもりでも、慣れてくると気を抜いてしまう部分があるのだなぁと、ハッとしました。

ブドヨは踊っていても、曲を聴いているだけでも気持ちよくなってしまいますが、ぼーっとして自分の中が「空 kosong」になってしまってはいけないとのこと。「中身 isi」が重要ですね。そういうところにも「気」のつながりがあるかなと思います。

 

また、ブドヨのみならず、どんな踊りでも、空間全体(先日の公演であれば、シアター全体)まで、「気」が届くようにする、「気」で包むようにするのだそうです。

このあたり、私は少し勘違いしていました。私自身、ジャスダンスやモダンダンスをやっていたころは、劇場の端まで、自分の気というか、オーラを届かせていましたし、そのことを意識していました。でも、ジャワ舞踊、特に女性舞踊はそういうものではないと思っていたのです。ジャズダンスやモダンダンスでは、自分を大きく見せよう、出来るだけ手も足も長く見せよう、シアターの端まで自分の気を飛ばそうとしますけれども、ジャワ舞踊、特に女性舞踊では、動きも大きくないですし、視線も落としています。ですので、自分を大きく見せようとはしない踊りだと思っていたのです。

それで、ダルヨノさんに「それは、男性荒型でも男性優型でも女性舞踊でも同じですか?」と聞いてみると、「同じであるべきだと思う」との答えが返ってきました。

それであれば、きっと、ジャワ舞踊では、モダンダンスなどとは違った「気」や「オーラ」の使い方なのだと思います。もっと繊細で精妙な。ジャワ舞踊では、「個性」は出ても、「自分」は出さないと思うので。私が、ジャワでジャワ舞踊を学び始めたころに、よく私の先生に注意されたのは、「表現しすぎ」ということでした。なので、モダンダンスのような舞踊と、ジャワ舞踊は、全く表現法が違うものだと思っています。それが、勘違いにつながっていたのかもしれませんね。でも、もっと場を「気」や「オーラ」で満たしても、良かったのですね。でも、ジャワ舞踊の場合は、非常に精妙な方法だと思うので、やりすぎないよう、間違えないように気を付ける必要はあると思いますが。

 

また、ダルヨノさんが「胸にリフレクター(反射板)があるように踊りなさい」というのも、少し驚きました。例として、ダルヨノさんが挙げていたのが、車のヘッドライト。ヘッドライトは、電球だけではあまり光が強くないけれども、リフレクターが付いているので、そこに光が反射して、強い光を放つことができます。そのようなリフレクターが胸にあるように踊る、そこから「気」を放射するということでしょうか。

そのように踊るのは、モダンダンスなどをやっていた時は、いつもやっていたことでした。でも、ジャワ舞踊も同じなんだと、いまさらながら、目からうろこが落ちました。ジャワ舞踊でも、男性舞踊を踊る時は、私もある程度やっていましたけれども、女性舞踊も同じとは…。

今後、このようなこと意識しながら踊って、いろいろ試してみたいと思います。

 

また、このように踊っていると、お客さんの「気」もわかるようになるそう。

 

お客さんの「気」に関しては、私自身が踊る時にはいつも意識していることで、とても重要だと考えています。お客さんの「気」によって、私自身、(群舞でなければ)踊り方も変えますし。踊りは、どういう場かや、一緒に踊る人、演奏者とだけでなく、見る人と一緒に作り上げていくものだと思うので。

 

ダルヨノさんのおっしゃるような訓練を重ねていくと、もっともっと人の「気」が感じられるようになるかもしれませんね。

 

今回も、ダルヨノさんから学んだことを、自分自身が思うところも交えて、自由に書いてみました。書くことによって、自分の中でもいろいろ整理ができたような気がします。

他にも、まだ、踊りのテクニック的なことなど、ダルヨノさんから学んだことがあるのですが、また、気が向いたら書いてみようと思います。

 

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「ダルヨノ氏によるクロノ・トペン」photo by Kaori

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。