2018年を振り返って
このブログにご訪問頂きありがとうございます。
今日は2018年最後の日。少し、今年を振り返ってみようかなと思います。
あっという間に過ぎてしまったような気もしますが、振り返ってみれば、いろいろあったなぁと思います。
嫌なことやむかつくことも色々あったけれども、概して楽しい一年だったと思います。何より、無事に不自由なく、特に困ることもなく、恵まれてこの一年を過ごしてこられたことに、感謝あるのみです。
私の周りの家族や友人、関わってくださる方々に本当に感謝しています。
ありがとうございました。
今年は新しい出会いもたくさん。
人付き合いは苦手意識が強いのだけど、いろんな人と出会うのは好きなような気がします。
念願だった日本でのジャワ舞踊/ブドヨ公演も、みんなで協力してやることができました。いろんなチャレンジもありましたが、協力して作り上げていけるのが幸せでした。一緒に作り上げていけた仲間たちに感謝の念が尽きません。
他にもいろんな踊る機会や、演奏に関わる機会をいただけて感謝あるのみです。そして、仲間たちとも、一人でも、たくさん練習もできましたし。人前で踊ったり演奏したりすることだけではなく、一人で踊ったり、演奏したりしていても、私にとってはとても意味のあることに感じます。私から舞踊を学んでくださっている方たちからは、逆に私の方が学ばせていただいています。そして、今年はジャワガムランを一から教えるという貴重な機会もいただきました。
今年、やりたくてもできなかったこと、たくさんありましたが、一番大きいのは、私は自分自身をあまり責めなくなったことかなと思います。「こうでなければいけない」が減ったというか。以前から、芸術や創造に携わる者として、そういう固定観念は破るように心がけていたのですが、それでも気が付くと、がちがちに縛られてしまっていますからね。そういう自分に気付けたし、固定観念がひっくり返されるような物事にたくさん触れられたのが幸運でした。
いろんな意味で、生きるのが本当に楽になりました。乱暴な言い方をすれば、なんだかどうでもよくなったというか。気楽になりました。
でも、投げやりなわけではないのです。それだけ、全体に自分をゆだねられるようになったというか、信頼できるようになったというか。うまく言えませんけど。
どういうことが起きても、最終的には大丈夫なのだということ。起きることが起きていて、そのようにしか起きえなかったということ。成るように成っていくのだということ。
そして、すべてのことは、想像(誤解?)の産物であることが、なんだかすっと腑に落ちたのです。以前からある程度わかっていたのですが、ここにきて腑に落ちたということは、そういう時期だったのかもしれませんね。まだまだ、あれっと思うことは多いですけれども、これからますます、いろんなことが腑に落ちてきそうな気配がしています。
まあ、そんなこんなで、これからも気楽に楽しんでやっていこうと思っています。最近は、流れに任せっぱなしです。
今年は、神社やお寺に多く縁のある年でした。近所の神社やお社はもちろんのこと、奈良の天河神社も、遠いにもかかわらず、何度もご縁をいただいて、数日ずつ滞在することもできましたし、そこでの「再誕の新生のワーク」に参加した後、少しずつ、いろんなことが加速して行っているように感じます。とても貴重な時間でした。阿部さんにも、一緒に参加した仲間たちにも感謝です。天河神社は本当に明るくて華やかな雰囲気で、包まれるような感じです。鈴鹿の椿大神社、その近くの小岸大神社は、ここのところ毎月のように行くことができています。行かなければいけないことはないのですが、気持ちが良い場所なのですよね。身体が緩むというか。浜松の方広寺へも、今年は2度も接心で行くことができましたし。他にもいろんな神社やお寺に縁があっていくことができました。今年は瞑想や座禅をする時間をたくさん持てたのも、私にとってはとても貴重で、ありがたかったです。瞑想を教えてくださったともこさん、座禅を指導してくださったこっさんにも感謝です。そして、接心仲間にも!
今年もジャワにも行けて、ジャワの多く友人たちとも会うことができたのも嬉しかったです。来年は縁あって、もっとジャワに関わる時間が増えそうで嬉しいです。
植物たちからも多くの喜びをもらって、植物たちにも感謝です。
他にもいろいろありますが、全部は書かなくても良いですね。
2018年も残るは数時間。
感謝とともに今年を終えられること、なんと幸運なんだろうと思います。
このブログを今年始められたことも、とても良かったです!
読んでくださって皆さま、ありがとうございました。
どうぞよいお年をお迎えください。
また、2019年もどうぞよろしくお願いいたします。
<今日の植物(家の植物シリーズ)>