東ジャワのクディリの聖なる洞窟でのフェスティバル(2019年10月の話です)
このブログにご訪問頂きありがとうございます。
Pak Praptoの訃報と思い出の記事を書いていて、そういえば、彼のお誘いで参加した最後の、東ジャワのクディリの聖なる洞窟で行われたフェスティバルについて、記事にしていなかったなぁと思いだしました。
実は、ジャワに滞在していた、8月末から10月末のあの2ヶ月弱、仕事の合間に、ありがたいことに、とてもたくさん、いろんな場所で踊らせていただいていたのですが、全然書いていませんでした。
思い立ったので、まず、クディリでのフェスティバルについて少し書いておきたいなと思います。
前記事にも書きましたが、Pak Praptoに9月末にばったりお会いし、その時にこのフェスティバルで踊らないかとお誘いいただき、二つ返事で引き受けました。
実は、日程が帰国の2~3日前だったので、一瞬迷ったのですけれどもね…。でも、仕事が休みの土日でしたし、こんなよい機会はないので。それにやはりPak Praptoにお誘いいただけたのがうれしくて。
東ジャワ発祥の物語、パンジー物語がテーマのフェスティバル。
パンジー物語と言えば、ソロ(スラカルタ)の舞踊では、トペン(仮面舞踊)
10月初めにPak Praptoと打ち合わせした時は、トペンでパンジーを踊ってほしいとの要請が。ただ、私のパンジーの面は日本に持ち帰ってあり、ジャワに置いてあったのは、グヌンサリの面。
たまたま去年ぐらいに新たに作ったグヌンサリの面がソロに置いてあったので、その面のデビュー。まあ、パンジーの親戚(奥さんのスカルタジの兄弟?)ということで、グヌンサリでも良いでしょうと。それで、トペン・グヌンサリを踊ることに。
以前はよく踊った演目の内のひとつですが、久々だし、新しい面なので、フェスティバルの数日前には、仕事が終わった後、夜にビデオを撮りながら練習。私は公演前は確認のために必ず練習のビデオを撮るようにしています。踊りが思いがけず、独りよがりになっていたり、自分のイメージとずれていることもあるので。独りよがりの踊りほど見にくいものはないと、私は感じるのです。特に面は一つ一つに個性があって、面によって、その面を活かすための顔の角度が変わってくるので、私にとっては確認が必須。
最初は、「何じゃこりゃ」という感じだったけど、修正を加えて2回目は、まあまあの出来だったのでちょっとホッとしました。実は、私は面が大好きで、グヌンサリの面もいくつも持っているのですが、この新しい面は、前の面と全然感覚が違う。目の位置や大きさが多少違うからでしょうかね。まだ慣れないのでフラつくけど、なかなか良い面だと思いました。
ジャワの仮面をつけての舞踊は、かなり視界が遮られるので、本当にバランスが取りづらい。おまけに、ソロ(スラカルタ)の仮面舞踊は、最初は仮面をつけずに出てきて、仮面を口でくわえて踊り、最後に仮面を外すのです。なかなか大変。でも、私は仮面舞踊が好きなんですよね。
さて、フェスティバルは、
東ジャワのクディリにあるSelomangleng洞窟にて
Pagelaran Seni Budaya Selomangleng
Majestic Panji Sekartaji
というイベントでした。
前日、ソロから電車でクディリ入りしました。同行者は、Pak Praptoのアシスタントの女性(とても明るく感じの良い方で、私はとても好きになりました)と、ソロからの出演者の皆さん、電車の中で、ジョグジャカルタからの出演者の方々にもお会いしました。
でも、Pak Praptoは、直前まで3か月滞在していたヨーロッパでの無理がたたってドクターストップがかかり、いらっしゃることができなかったのですよね。こういうフェスティバルが大好きな方だということで、とてもいらっしゃりたかったでしょうね。
私にとってもとても残念でした。
クディリまでは、電車で4時間ぐらいだったでしょうか。快適な電車の旅でした。
クディリ駅へは、実行委員の方々が迎えに来てくれ、まず、ランチにクディリのRawonという料理をご馳走に。
クロス・ジェンダーのパフォーマンスでとても有名な、ジョグジャカルタのDidik Nini Thowokさんも一緒でした。彼は、世界中の舞踊を学んでいて、日本の能などにも造詣が深い。日本へも公演のためによくいらっしゃっています。
私も何度かお会いして、お話ししたことがあるのですが、覚えていてくださいました。
そして、フェスティバルの会場へ。
このSelomangleng洞窟は、クディリ王国の君主で高名なアイルランガ王(西暦991年出生~1049年死去とされる)の娘、デウィ・キリスチが瞑想していた場所であるということ。
その日は、場当たりや、翌日の流れの打合せをしました。
踊る場所は洞窟前(下)の地面なので、石ころだらけでガタガタ。まあ、ジャワではよくあること。仕方がないですね。
Pak Praptoがソロでの打ち合わせの時に、「君が、洞窟の中から、ゆったりと(人物になりきって)出てきて踊ったら、わぁ~という感じになると思う。とても良いと思うんだよ」と言っていたので、それをやってみたかったのですが、かなり急で滑ることもあり、危ないし、衣装を着ては無理だろうと、断念。
洞窟はアイルランガ博物館の敷地内にあるのですが、博物館の建物の横には、何と、私の好きな聖天(ガネーシャ)さまらしき像が!
そして、弁天(サラスヴァティ)様らしき像も!
その晩は、クディリのホテルで宿泊。Pak Praptoのアシスタントのルトノさんと同室。
時間が結構あったので、近くのカフェに行って、しばしまったり。
最近、ジャワではコーヒーブームで、カフェに事欠かない。
フェスティバル当日は、早朝から準備して、朝行われた儀式に参加しました。
地元の中華系演者によるバロンサイも行われていました。
そして、クディリ市長の挨拶
市長の等の挨拶の後、白装束の神官の方(ヒンドゥー教か?)の後をついて、洞窟前に置かれた像のところまで歩きます。
その像は、上半身の部分が無くなっていましたが、重要なものなのでしょう。その像の前に置かれた石のコーナーの中では、公演時に踊らないように言われましたから。
でも儀式の時は、その石のコーナーの中で座り、像に向かって神官が祈りをささげています。そして、水を跳ね上げて清めています。私たちの方にも水をとばしてくれました。バリで見た感じに似ているかも。
それにしても暑かった!!
その儀式や諸々の挨拶の後は、すぐに、Didikさんの踊りが始まったけれども、観客が多すぎて、衣装を着たまま見るのは大変そうだったので、あきらめて控室に戻り、急いで着た衣装を直し、冷房のある部屋で涼むことに。
その後、予定は押しに押して、私は12時ぐらいには踊る予定だったが、結局踊ったのは、2時過ぎだったような気がする。朝から衣装を着けていたので、なかなか疲れました。
地面はぼこぼこで、小石もたくさん落ちていて、ところどころ段差もあり、なかなか踊りづらく、おまけに面をつけているので、視界がとても狭い。(というか、ほとんど見えない。)
それでも、それなりに工夫して踊りました。こういう、とても踊りにくい場所で踊ることは、ジャワでは日常茶飯事なので、「まあしょうがないな」とぐらいしか思わない。誰も文句はいなわいし、みんな工夫して表現する。
幸いなことに、その時間には、地面に影が出来ている場所もあり、その辺りを中心に踊りました。日が照っている場所の地面は白っぽいコンクリートとはいえ、はだしで踊るにはとても熱い。
それでも、風を感じ、地面を感じ、木々を感じ、周りの人々を感じながら踊っている時は、とても楽しかったです。
では、私が踊っている時の写真をご紹介
そして、やはり、パンジー物語発祥の地の東ジャワでこの踊りを踊るのは、やはり感慨深い、というか、ちょっと感覚が違うような気がする。場所の雰囲気が違うのですよね。
以前クディリに来た時にも、ちょっと感じたことだけれども、やはり、文化の香りが中部ジャワとは違うというか。
イベント自体は、音楽あり、シアターあり、踊りありだったけれども、私はどちらかと言えば後の方だったので、結局、一部しか見れませんでした。まあ、自分が出演しているので仕方ないですね。でも、多くの人と知り合えたのは、とても嬉しかったです。
私の似顔絵を描いてきてくれた方も。
私の写真をインターネットで探して、それをもとに描いてくれたようです。
また、絵描きの方々と知り合い、彼らがいつも集まっているRumah Panjiという場所を見せていただきました。素敵な絵画もたくさん!
このGoa Selomangleng は、Museum Airlanggaという美術館の広大な構内にあるのですが、その隣には、Pura Penatalan Agung Kirisuciというヒンドゥー寺院も。時間もなく、門も閉まっていたので、あいにく入れませんでしたが、なかなか面白そうな場所。
ソロへ戻る電車は夜遅かったので、いったんホテルに戻ってシャワーを浴び、寝ました。
ホテルの近所のカフェに寄ってまったりする時間もありました。
クディリは、仕事で何度か来たことがありましたが、それ以外では今回が初めて。
以前から、この辺りの文化に興味が湧いていたのですが、ますますもっと知りたいを思うようになりました。
こんな素敵な経験をさせていただけて、感謝でいっぱいです。
読んでくださってありがとうございました。
あなたにとって素敵な一日となりますように。