香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊やガムラン音楽に関すること、日々の気付きや学び、海外生活で見聞したこと、大好きな植物や動物に関してなどを、私が感じたことを気ままに、ゆるゆると書いていきます

カリフォルニア芸術大学での衝撃 ~ 私の歴史/記録(10)

今日は、昨日に引き続き、私の歴史/記録シリーズです。前回は、カリフォルニア芸術大学(CalArts)入学までを書きました。これまでのお話は以下からお読みいただけます。↓

私の歴史/記録 カテゴリーの記事一覧 - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

 

さて、無事に念願のカリフォルニア芸術大学舞踊科に入学できたわけですが、入学してみて、衝撃を受けたことがいくつもありました。カルチャーショックというべきでしょうか。

 

まず、トイレの落書き!壁にもドアにも落書きがあふれていました。隙間もないほど。ペンキで塗られた絵も多かったです。まあ、その落書きを読むのも楽しいと言えば楽しいのですが、自由というかなんというか。また、トイレットペーパーが持ち去られないように、鍵がかかっていたのも衝撃でした。

 

そして、舞踊科は、先生も含めて、男性はほぼ全員ゲイかバイセクシャルでした。男性でゲイかバイセクシャルではないのは、学生の数人のみでした。女性もゲイかバイセクシャルが多かったと思います。(ちなみに、女性の同性愛者もゲイと呼ばれていました。)ただ、男性よりも女性の方が、パッと見てわかりにくいので、何割ぐらいがそうなのか、確認したことはないですけど。舞踊関係者は、特に男性は、なぜか同性愛者が多いので、日本でも何人も知り合いがいて、特にショックでもありませんでしたが、男性のほとんどがゲイという状況がびっくりでしたね。

余談ですが、私の友人の中華系オランダ人のダンサーはバイセクシャルでしたが、「だって、僕は男だから、女だからと好きになるのではなく、人間が好きなんだもの」と言っていて、すごく納得した覚えがあります。もっとも、私は極めてノーマルですけれども。

 

あと、10月にハロウィーン・パーティがあったので、変装して大学のパーティへ行ったのですが、入り口でコンドームを配っていたのが衝撃でした。そういう状況になっても、コンドームだけは使ってねということでしょう。確かに、エイズも流行っていましたしね。ただ、そのパーティがあった夜にレイプ事件があり、ガテマラからの男子留学生が退学になりました。舞踊科で結構仲良くしていたのでショックでしたね。でも、それ以上にショックだったのが、男性が男性をレイプしたということです。そんなことあり得るのか。私は早くに帰りましたが、遅くまでいた人たちは、みんなけっこう酔っぱらっていたようですし、アメリカの大学では麻薬も蔓延していたので、もしかしてその影響もあったかもしれませんね。それでも、それはないだろうという感じでした。

 

また、舞踊科の場合、週に4日、バレエとモダンダンスの授業があり、結構汗をかくので必ず着替えるのですけれども、多くの人が、全部脱いで素っ裸になってから、着替えを着始めるのには、びっくりでした。ダンススタジオなどで着替えたりもしていたので、素っ裸の状態で、男女混じって、おしゃべりしていたりして。ダンサーは、体の線がはっきり見えるような衣装で舞台に立つことも多いので、身体に対する羞恥心は薄いとは思います。また舞台では、衣装の早替えもあって、とにかくいそいで全部脱いで、次の衣装を着、舞台に走り出るということはよくあります。でも、みんなの前で、ゆったりと素っ裸で、おまけにその状態でおしゃべりとは…。どこを見たらよいのかわからない…。でも、しばらくすると慣れるものですね。私も平気になりました。もう、裸を見てもびくともしません(笑)。

でも考えてみれば、日本でも公衆銭湯では裸でしたね。外国人には、それが信じられないようですが…。そういう意味では、日本はとても開放的な国なのかもしれませんね。

他にも、もともとアメリカ軍人だった男性で、手術をして女性の胸を形成していた学生もいました。彼(彼女?)は、日によって、男性の格好をしている時もあれば、女性の格好をしていることもありました。名前は女性の名前を使っていましたね。何科の学生か忘れましたが、確か演劇関係だったかな。ある日、ある授業でかわいらしい格好をした彼(彼女)が私のすぐ後ろに座っていて、てっきり女性だと思い込んでいたら、発言をした声が男でびっくりした覚えがあります。彼(彼女)は、女性の胸を持っていましたが、まだ男性の一物を持っていて、ある日、外部の工事作業員のいる前で、大学の寮のプールで素っ裸で泳いで、大騒ぎになったことがありました。

まあ、変わった人の多い大学ですよね。でも、それらをすべて受け入れるだけの度量のある大学でした。

とにかく、カリフォルニア芸術大学は、とても自由な校風でした。それが、創作意欲を刺激するのですかね。自分の中の殻を取り払い、創作するには絶好の環境でした。学生も、高校を卒業したばかりの人よりも、もう少し年上で、いろんな経験を積んできた人が多かったように思います。一癖も二癖もある感じの。もちろん、高校を卒業したばかりの人も、そればかりか、優秀で飛び級をして16歳で入学してきた子もいましたけれども。

そんなこんなで、非常に刺激的で、面白い学校でした。いつでも創作できるよう、大学は24時間開いていました。そして、いろんなことに、自由にトライできる体制が整っていました。コンセプトさえしっかりしていれば、裸で舞台や外で踊ってもかまわないわけです。実際、一年の内、少なくとも一人は全裸で踊る作品を発表していましたね。慣れてしまって、ああ、またかという感じでしたけれども。私自身も、上半身裸でなら踊ったこともありますよ。それは、ある先生の作品で、18人ぐらいの女学生が選ばれて参加した、とても美しい舞踊作品でした。最初に、後ろ向きで、Tシャツを脱ぎ、そのTシャツを持ったまま踊るので、後ろ向きでは上半身裸ですが、前を向くときはTシャツを胸の前に持ってきて隠すように振付されていました。でも、音楽科の男子学生などが、なるべく横の方から見ようとしていたいて、「そんなに胸見たいんか!」と思っていたのを覚えています(笑)。

他にも、ビデオで見たのですが、舞踊科の学生が大人数で、近所の原っぱで裸で踊っていたこともあるようです。完全に、コミュニティから浮いていますね…。あの周りは、かなり保守的な方たちが住んでいる地域なので、自由闊達なCalArtsの学生たちは白い目で見られていたようです。余談ですが、白人至上主義団体KKKの人も多く住んでいるような地域だったので、私も差別を受けたことがあります。

それにしても、ファインアーツ科の学生が、多くの男性の一物の写真を、大学のメインホールで展覧会していたのは、さすがにビビりました。大学内の男性にコンセプトを話して撮影させてもらったとか。コンセプトはよくわかりませんでした…。

裸のことがあまりにも衝撃で印象に残っているので、なんだか、そのことばかり書いてしまいました。でも大学ではもちろん、素晴らしい作品もたくさん生まれていましたし、素晴らしいダンサーや演奏家も多かったです。そして、科をまたいでの共同作品作りも活発に行われていました。

CalArtsは、もともとウォルト・ディズニーが作った学校が基になっているので、アニメーションも強かったです。他には、ジャズ音楽も有名で、学生でもすでにCDデビューをしているグループもありました。そのグループには、この大学の学生ではありませんでしたが、日本人ピアニストも参加していて、彼が、たまげるほどうまかったのを覚えています。一見、小さな普通の人なんですけど、演奏するとあそこまで変わるのかとたまげました。残念なことに、名前も忘れてしまったのですけれども。他にも、ジャズで留学している日本人が何人かいました。作曲科でも、ハッとするような素晴らしい曲を作る日本人男性がいました。私も、彼の作品からインスピレーションを得て、舞踊を振りつけたことがあります。なぜか、在学途中で行方不明になってしまい、名前も覚えていないのが残念です。映像分野でも後まで親交を持つことになる女性がいて、いろいろお世話になったのを覚えています。

先生方も、その分野で第一線の方々ばかり。その一流の演奏や作品が間近で見られるわけです。メインホールでは、毎週のようにいろんなコンサートや展示会がされていました。また、ゲストで来る方々も、一流の方ばかり。CalArtsでは本当に良いものをたくさん見させてもらいました。

 

今日は、なんだか変な話ばかりになってしまいましたが、この辺で終わりにします。

また、何か衝撃を受けたことを思い出したら書くかもしれません。とてもとても楽しい、学生生活でしたので。学生生活の思い出は、また別の機会に書こうと思います。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素晴らしい一日となりますように。

 

<今日の植物(庭の植物シリーズ)>

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「種から育てた金蓮花。今年の一番花が咲きました」photo by Kaori





 

 

 

 

カリフォルニア芸術大学(CalArts)入学に至るまでの思い出 ~ 私の歴史/記録(9)

今日は 私の歴史/記録シリーズです。自分の記録のため、そして、もしかして誰かの役に立つ情報かもしれないと思い書いています。前回は、ロサンゼルスで起きた暴動の時の思い出を書きました。これまでの同じカテゴリーの記事は、以下からお読みいただけます。↓

私の歴史/記録 カテゴリーの記事一覧 - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

 

さて、私は、カリフォルニア芸術大学(California Institute of the Arts 、通称CalArts)の舞踊科(School of Dance)入学を目指していたわけで、そのために必要なTOEFLのテストを日本にいた時から何度か受けていました。でも、なにせ、英語が一番苦手な科目だったため、なかなか良いスコアを取れずにいました。サンタモニカ・カレッジ(サンタモニカのコミュニティ・カレッジ)に通っている一学期の間も、何度かTOEFLのテストを受けた覚えがあります。当時、CalArtsへ入学するために必要なTOEFLのスコアは550点。舞踊の実技試験は受かっていたので、あとはTOEFLだけだったのですが、どうしても550点まで達しないのです。ぎりぎりまでテストを受け続けましたが、535点しか取れませんでした。

それで、Cal Artsのアドミニストレーションへ行き、それでも入学させてくれるか、聞いてみることにしました。そうしたら、学部長(dean)に聞いてみるといってくれました。すべて、学部長次第なのだそうです。学部長がオーケーを出してくれて、無事入学できることになりました。

その時に学んだのは、何でもだめだと思わずに、とにかく聞いてみる/頼んでみること。意外に簡単に通ったりするものです。自分が思っているより、全然重要なことではなかったりするのです。後日談ですが、私が入学した次年度とその次の年、台湾でも大学のオーディションを行い、台湾からほとんど英語が話せない学生を受け入れていたので、英語力は、実は全く問題にされていなかったのです。まあ、芸術大学なので、芸術に関する能力の方が重要なのでしょうね。しばらくすれば慣れて、英語だって話せるようになりますし、英語で論文を書くわけでもなかったですから。

それで、アメリカへわたって1年後の9月に、晴れてCalArtsの舞踊科に入学することができました。CalArtsは、ロサンゼルス市の北、ロサンゼルス郡サンタクラリタ市のバレンシアにあります。有名な遊園地、シックス・フラッグ・マジックマウンテンのすぐ近くです。郊外の、のんびりした場所でした。私は、その頃、ロサンゼルス市のウエストウッドに住み、ルームシェアをしていました。その辺りは、日本のスーパーマーケットも近くにあり、日本の食材は、ほぼすべて手に入り、便利な場所だったので、そこから、車でCalArtsまで、通うことにしました。

5番のフリーウェイ(無料の高速道路)の近くに住んでおり、CalArtsも同じフリーウェイの脇にあったので、毎日フリーウェイを使って片道30分を通いました。アメリカは道路が広く、フリーウェイも何車線もあって、快適。朝は、郊外から都市へ通勤する車が多くて渋滞していましたが、私は逆に都市から郊外へ朝向かうので、すいすいいけました。帰りも渋滞とは逆方向で快適でした。

CalArtsへ入学した時、学部長と個人面談がありました。その時のダンス科の学部長は、クリスティン・ローソンという、黒人の女性で、なかなか迫力のある方でした。ちなみに、この大学では、先生たちも全員ファーストネームの呼び捨てで呼んでいたので、私もクリスティンと呼んでいました。みんな平等という感じで、とても新鮮だったことを覚えています。そういう意識を植え付けられたというか。今でも、上下はなくみんな平等だと考えています。そうすると、どんな人でも対等に付き合えるように思えます。

さて、クリスティンと初めて面談した時、何を話したのか、あまり覚えていないのですが、そこで、今につながる出会いがあったのです。ジャワ舞踊との出会いです。

クリスティンが、「うちには、ジャワ舞踊を教えている先生がいて、彼女に今度日本人が入ってくると伝えたら、彼女はあなたにジャワ舞踊をやってほしいと誘っているわよ。どう?やってみたら?」と言うのです。その時の私は、ジャワのジャの字も知らないくらい、ジャワのことは何も知らず、せっかく、モダンダンスを学ぶためにアメリカに来たのに、なんでジャワ舞踊と思い、「そのうちにその授業も受講するかも」という感じて、適当にお茶を濁していたと思います。でも、その時からずっとジャワ舞踊というのが記憶に引っかかっていました。その後、どのようにしてジャワ舞踊を始めたのかは、また別の機会に書きますね。

CalArtsのダンス科では、それぞれの学生に、メンターと呼ばれる担当の先生がいて、様々な相談に乗ってくれていました。私のメンターはティナ・ユアンという台湾出身の先生。ニューヨークのアルビン・エイリー・アメリカン・ダンスシアターという非常に有名なダンスカンパニーの有名ダンサーだった方。とても愛情深い方でした。

そうして、私は、ついに目指していた大学に入ることができ、恵まれた大学生活を送り始めました。とても刺激的な大学生活が待っていたのです。

 

長くなるので、今回はここまでにしますね。

 

あ、余談ですが、自分自身の名誉のために。英語には苦労していた私ですが、アメリカで永く生活できたため、今は、英語には苦労しなくなりました。自慢になってしまうかもしれませんが、10年ぐらい前に一回だけ受けたTOEICテストも、990点満点中975点取りました。対策は、TOEIC 対策問題集を一冊買ってやってみただけ。問題集のテストでも900点は超えていましたけれど、まさか975点とは。これには流石にびっくりしましたけど。それでわかったのは、私は教科書などで学ぶ英語には、全く向いておらず、実践的に、感覚で学ぶことに向いていたということ。ここからわかったことは、これは全てのことに当てはまると思うのですが、一つの方法がダメでも、他の方法で大きな成果を出すことも可能だということ。その見極めと模索が大事なんだなぁということ。そして、人間は、どんなことに対しても大きな可能性があるということです。

 

今まで、私の歴史/記録シリーズは、時系列に沿って書いてきましたが、今後、時系列からは外れ、思いついたことから書いていくことにしますね。

 

読んでいただき、ありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

<今日の植物(庭の植物シリーズ)>

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「冬から咲き続けている金魚草。まるで金魚たちが踊っているよう」photo by Kaori



 

 

 

 

しんちゃんブログ

今日は、私のお友達、しんちゃんのブログのご紹介です。

もう知っていらっしゃる方も多いかもしれませんが、「わたしからあなたへ」というブログを書いていらっしゃいます。

sintamsc.hatenablog.com

 

しんちゃんとは、今年3月、浜松の方広寺で行われた接心で出会いました。接心では、世間でどんな高い地位がある人でも、そうでない人でも、それを脱ぎ捨て、若い人も年上の人も、すべて平等に一人の人間として在るために、「○○ちゃん」と、呼び合うルールでした。そんなわけで、しんちゃんと呼ばれているのです。

最初に出会ったのはその時ですが、その前から、実はしんちゃんのブログは読んでいたのです。

 

しんちゃんとなっちゃんの不思議な物語、本当に感動し、涙しました。そして、しんちゃんに起きた様々な不思議な出来事。

しんちゃんのブログを読む方は、ぜひ、初めから読んでいただきたいです。

sintamsc.hatenablog.com

私も、状況は違いますが、親しい人が自死しているので、とても救いになる部分がたくさんありました。

 

さて、接心でお会いして、「この人が、あのブログのしんちゃんか」と思いましたが、なかなか話しかける機会がなく…。私は、初めて会う人は、向こうから話しかけてきてくれるのではない限り、ちょっと緊張してシャイになってしまうのですよね…。その割には、たまに電車やスーパーなどで、気が向くと、知らない隣の人に話しかけちゃったりしますけど。ある意味二重人格ですかね…。

それは置いておいて、しんちゃんも、たぶん、どちらかと言えばシャイな人なので、接心では全く話す機会もありませんでした。最終日、方広寺の境内を散策している時に、ちょっと一緒になったので、「ブログ読んでますよ」と話しかけたぐらい。

でも、接心から帰る時、出会いがありました。本当は、ほかの友人が途中の駅まで車で送ってくれるはずだったのです。荷物を積み込み、乗り込むばかりになった時、その友人が、「あれ、ちょっと待って。でもしんちゃんの方が、たぶん近いはず。しんちゃんに送ってもらった方がいいんじゃない」と、「しんちゃん、送っていってくれる~?」と、車に乗って出発しようとしているしんちゃんに聞いてくれちゃったのです。それで、しんちゃんが途中の駅まで送ってくれることになりました。

私はすごくびっくりしました。何だろう、この突然の流れはと。実は、なぜか、もう少し、しんちゃんとお話ししたいなと思っていたのですよね。面白そうな人生を送っているなぁと思っていましたし。もう、これは神様(仏様?)の導きだと思いましたね。

帰りの車で、たぶん、一時間半ぐらい乗せてもらったと思いますが、その間、しゃべりづめだったと思います。なんだか、とってもウマが合うというか。私が、こんなにすぐに親しみを覚える人は珍しいです。縁があるのでしょうね。その後も一回しか会う機会がなかったのに、この親しみは何でしょうね。(私が勝手に親しみを覚えているだけだったりして…。(笑))ちょっと、考え方も似ているのかな。どうでもよい話でも聞いてくれる、優しい人です。

こういう出会いというのは不思議ですね。出会いから広がっていく縁も不思議です。ですので、私は人と出会うのが、怖い面もありますが、どちらかというとワクワクの方が大きいです。

実は、しんちゃんのブログを読んで、なぜか、しんちゃんはもう少し年が上(50歳ぐらい?)の人だと、想像していたのですが、実際のしんちゃんは、もっと若く、三児のお父さんでした。

 

しんちゃんに出会ったおかげで、他にもいろんな出会いがあり、私の世界もぐんと広がりました。また、しんちゃんのブログから、日々、いろんな良い刺激を受けています。いつも本音で、真摯な態度でブログを書かれているから、心を打たれるのでしょうね。私がブログを書き始めたのも、しんちゃんの影響も大きいかな。私のブログはまだまだグダグダですけれども、しんちゃんのブログから学ばせてもらっています。

しんちゃん、ありがとう!

 

と、いうわけで、しんちゃんのブログ、おすすめです。もっともっと多くの人に知ってほしいです。感動を味わってください。いろんな気づきもありますよ!

 

<今日の植物(庭の植物シリーズ)>

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「今にも花開きそうなハイビスカスの蕾」photo by Kaori



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャワ舞踊練習で感じたこと

昨日は東京でのジャワ舞踊練習会。来月の本番に向けて、みっちり練習しました。5時間ぐらいでしょうか。

 

今回、細かいところを合わせていくために、私は一回は踊らずに、外から客観的に見ていました。もちろん細かい修正はありますが、本当に良い感じに仕上がっていて、感動しました。それぞれ踊り方にちょっとした違いや個性はありますが、気持ちというか、呼吸が一緒だったのです。東京でのジャワ舞踊の精鋭が集まって、この練習会を始めて約一年半と記憶しています。最初のうちは、2ヶ月に1回、最近では月に1回のペースです練習しています。本当に、一緒に練習を重ねるごとに、一緒に踊っていて気持ちがよくなり、それが確実に昨日の踊りに現れていました。自分たちのことながら、よくも、ここまで心をひとつにして踊れるようになったなぁと感激です。お互いへの思いやりの心ですね。みなさんの人間性の深さが現れていました。

 

踊りというのは、本当にその人の人となりが全部出てしまうのですよね。裸で人の前に立っているようなものだと、いつも感じます。深いところまで、どんな人だかわかってしまうというか。このように、気持ちよく一緒に踊れる仲間たちは、本当に得難いです。ありがたいばかりです。

 

ちなみに、今度上演する踊りは、ブドヨという神聖さ/斎の強い種類の踊りのひとつで、マンクヌガラン王家に伝わるブドヨ・ブダマディウンというもの。7人の女性で、同じ衣装で、ずっとほぼ同じ振り付けでゆったり踊られます。戦いと愛のストーリーも背景にあるのですが、かなり抽象的に描かれます。ブドヨで変わっていくのは、フォーメーション。それは、星の運行を表すなど、他にもさまざまな深い意味があるとされ、国(世界)の平安を守るために踊られると言われます。また、それぞれの踊り手は、体の各部を表すと言われます。歌も荘厳な感じです。ブドヨについては、今回は詳しくは触れません。またそのうちに詳しく書く機会もあるかと思います。

 

それらは、知識としては知っていましたが、昨日の練習では、なぜか、それが実感として感じられたのですよね。不思議な感覚でした。フォーメーションに強い意味があるのも、感覚としてわかったというか。エネルギーとして感じられたというか。なので、言葉にはしづらいのですが。

 

それから、不思議な感覚があったのですよね。

私は踊っていて、自分が踊っているという感覚が薄れる瞬間が何度もあったのです。何かが私の中で私を動かしているという感じというか。誰かが一緒に踊ってくれている感覚というか。動きにいつもより内容があるように思える。

神様がいつも共にいてくれるという感じなのかな。先日、天河大弁財天社に行ったばかりなので、弁財天(サラスワティ)さまかしらと、勝手に思っていましたけど。それとも、私の内なる神様かも。いつもと同じように踊っているつもりでしたけど、感じるエネルギーがなんだか違いました。(でも、もしかして、今まで気付かなかっただけで、いつもそうだったのかも。)

それで、やはり、踊り手の体は依り代なのかもなぁと、改めて感じました。

それならば、私の踊りで、多くの人に喜んでほしいと、思いました。

余談ですが、他にも、いつも感じるのは、ジャワ舞踊は、祓い清める役割もあるということです。一人で、自宅で練習していても、場が清まったなぁと感じることもしばしば。でもジャワ舞踊は神聖な踊りだけではなく、コメディ、愛の踊り、戦い、舞踊劇まで、幅広く、興味は尽きないです。

 

話を戻します。他にも、昨日、帰りの新幹線でも、みぞおち辺りに、なんともいえない幸福感というか、至福感があったのです。そこに光があるというか、本当に形容しがたい、感じたことのないような気持ち良さです。実は、2月の練習会の帰りの新幹線でも、同じものを感じまして、その時は、私が日常的に行なっている瞑想や座禅のおかげだろうと思っていたのです。(ちなみに、瞑想や座禅は心身の健康のために行なっているので、何か特定の宗教に属している訳ではありませんので、ご安心を。瞑想もマインドフルネスも流行っているので、説明するまでもないかもしれませんが、一応(笑)。)その後、3月に禅寺へ接心に行ったときも、その感じが戻ってきたので、確かに、座禅や瞑想のおかげでもあるのでしょう。でも、もしかしてこの至福感は、長時間、ブドヨの練習を繰り返しすることからも来ているのかもと、はたと思いつきました。今日は瞑想したわけではなかったですし。もしかして、ブドヨってすごい踊りなのか?実のところはわからないですけど、その方が夢がありますよね(笑)。

 

私は踊っている時に、たまに、何か降りてくる感じがするというか、ゾクゾクするのです。昨日の練習では、そのゾクゾク感が半端なかったです。いつもは、その感覚は、練習の時じゃなく、本番の時が多いのですが。一体何だったんだろう。私が踊っている時だけでなく、みんなの踊りを見ている時も、ゾクゾクしすぎて困ったぐらい。あ。東京は予想外に寒かったですけど、風邪をひいた訳ではないですよ(笑)!暑いジャワにいる時でも、この感覚はたびたび訪れていましたから。

 

今日は、自分の興味が赴くままに、私がジャワ舞踊の練習で得た感覚をシェアさせていただきました。だからといって、どうってことないのですけれども、私は面白いなぁと思っています。世の中には、興味深いことがあふれていますね。人生は面白いですね。ある人にとってはどうでも良いことでも、ある人にとってはとても価値があることだったりする。どちらが良いということもないと、最近よく思います。

 

あ、ちなみに、ジャワではとても不思議な世界が身近にあります。日本も以前はジャワのように不思議な世界が身近にあったのかもと、想像しています。

 

読んでいただき、ありがとうございます😊

あなたにとって素敵な一日となりますように!

 

 

<今日の植物(庭の植物シリーズ)> 

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「クリナム・ボウエリーピンクの花」photo by Kaori

 

ジャワの影絵芝居

昨夜、東京のジャワガムラングループ、ランバンサリの自主公演、青銅音曲XXを見に行ってきました。私も昨年は舞踊でお誘いいただき、出演いたしましたが、今年はジャワの影絵芝居ワヤン・クリッ (Wayang kulit) 公演でした。演目はデウォルチ。インドのマハーバーラタのお話から取られていますが、この演目はジャワ独自のものだそう。本当に素晴らしかったです。

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「パンフレット」

 

ジャワで影絵芝居は、夜8時や9時ごろ始まって朝4時や5時ごろまで続きます。私もジャワにいる時には、時々見に行っていたものです。

今回の公演は、ぐっと縮めて、2時間20分ぐらいでしたが、とても見応えがありました。ダラン(人形遣い)は大阪在住のローフィット・イブラヒムさん。とても実力のあるダラン(人形遣い)であり、演奏家です。日本に13年ほど住んでいらして、日本語がペラペラ。今回の演目は、大部分が日本語で演じられました。ローフィットさんと奥さまのひろみちゃんには、私もいろいろお世話になり、仲良くさせていただいています。ひろみちゃんの歌も素敵だった!

ちなみに、ジャワの影絵芝居は、ダランが1人で人形をさばき、人物を声と人形の動きで演じ分け、語り、物語を紡いでいきます。多くの即興的要素が含まれ、ガムラン演奏者との掛け合いも見ものです。ガムランは大オーケストラで、今回は20人以上が演奏に入っていたと思います。演奏のジャワガムラングループ、ランバンサリは、すごい実力のあるグループです。

 

今回の演目、デウォルチは、パンドウォ5王子の1人、ブロトセノ(ビモ)が、「人生を完成させるた教え」を得るために、「生命の水」を探しに行く物語です。危険な森や、荒れ狂う海など、あちこち探しますが見つからず、海の底で、生死の境で出会ったのは、光に包まれた自分そっくりな小さな神、デウォルチでした。ブロトセノにデウォルチは自分の小さな体の中に入れと言います。ブロトセノは中に入り、そこに全てがあったのでした。

とても簡単に私が感じたことを書くと、ブロトセノは、悟りの世界を見たのだと思います。あちこち探したけれど見つからず、実は自分の中に全てがあったのだと、気づいたのだと思います。デウォルチは世界そのもの、そして、ブロトセノ自身もデウォルチであると、気づいたのだと思います。

ブロトセノは、その至福の場所に留まりたいと願いましたが、まだ、やるべきことが残っているから、戻るようにとデウォルチに言われ、戻ります。そして、彼のやるべきことを行ったのです。

 

深い。とても深い精神性です。

なぜ、私がジャワ芸能に惹かれるのか、改めてわかりました。ジャワ舞踊も同じように深いです。

ガムラン音楽も、至福で、なぜ私がジャワ長く留まっていたのかを思い出しました。あの音の世界に浸っていたいのです。日本でも十分幸福だけれども、またジャワに戻りたいと、切に思いました。

 

最近、ジャワの精神性について調査をしていたのですが、ますます深く知りたくなりました。きっと底なし沼でしょうけど。

 

まだまだ書き足りないですが、長くなったのでこの辺にします。とにかく、今回の公演も素晴らしかったです。出演者のみなさま、おめでとうございます。とてもとても素敵な夜でした。

 

読んでいただいて、ありがとうございます😊

素敵な1日をお過ごしください。

 

〈今日の植物(庭の植物シリーズ)〉

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「カトレアが咲き始めました」photo by Kaori 

 

ジャワ舞踊の衣装(1)

少しずつ、ジャワ舞踊の衣装に関しても書いていきたいなと思います。いざ書こうと思うと、知らないことがいっぱい。でもそれに気づくだけでも嬉しいです。これから、色々、調べていけばいいわけですから。さて、気をとりなおしていきます。

昨夜、ジャワ舞踊の衣装の一部をチェックしました。来月、東京で7人で踊る舞踊のための衣装の上着。一昨年の暮れ、この舞踊の公演を見越して、友人と4着ずつ同じ衣装を作りました。やっと日の目が見れそうです。今日から東京へ行くので、その一部を持っていこうとチェックしていたわけです。

ジャワ舞踊の衣装は様々な種類がありますが、来月着る衣装はこんな感じです。

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「ジャワ舞踊の衣装。Baju」photo by Kaori

後ろ側はこんな感じ

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「ジャワ舞踊の衣装。Baju」photo by Kaori


ちなみに生地はビロードです。裏地は綿かな。そこに、細かいビーズやスパンコールで飾りが縫い付けてあります。

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「ジャワ舞踊の衣装のビーズの飾り」photo by Kaori

細かいですね。もちろん、すべて手仕事です。

 

あれ、でも、セットの衣装なのに、柄に違いがあることに気づいてしまった。

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「ジャワ舞踊の衣装のビーズの飾り」photo by Kaori

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「ジャワ舞踊の衣装のビーズの飾り」photo by Kaori

違い分かりましたか?

ジャワではこういうことが普通にあるので、特に驚きでもなく、まあ、しょうがないかという感じです。注意してみなければわからない程度ですしね。舞台ではわからないでしょう。

 

ちなみに、ビーズで縫われた柄は、いろんな種類がありますが、私はけっこうこの柄が好きで、何枚も持っています。そのうち、違う柄のものもご紹介しますね。

また、ビーズで縫われた模様の部分が、ビーズではなくて金糸のものもあります。金糸を使うと値段が跳ね上がるので、私は一枚しか持っていませんが、また、その衣装を出したときにでも、ご紹介します。

ジャワでは、今、経済成長率が、日本の高度経済成長期と同じぐらいの年8%ほどあるので、ものの値段はどんどん上がっていきます。この衣装でも、10年ほど前の3倍ぐらいするかも。値段はご想像にお任せします。

 

これだけでは、着た時のイメージがわきませんね。ですので、数年前に、私がマンクヌガラン王宮で踊らせていただいた時の写真をアップしますね。踊り終わった後のものです。

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「マンクヌガラン王宮にて、ブドヨ・ブダマディウンの踊り手たち」

私がどこか分かりますか?ちなみに私以外はみんなジャワの方です。

 

ちなみに私はこれです。↓

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「マンクヌガラン王宮にてKaori」


この舞踊を王宮の大プンドポで踊らせていただけて、とても光栄でした。ついでに、踊っている様子は以下です。↓

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「マンクヌガラン王宮にて、ブドヨ・ブダマディウン」

 

ここで少し宣伝を。マンクヌガラン王家の許可を頂きまして、この舞踊を、東京で7月と11月に公演します。踊り手は全てジャワで研鑽を積んできた日本人です。7月16日(月祝)は16時~17時、靖国神社のみたままつりで奉納させていただきます。11月は18日(日)に北区の北とぴあ、つつじホールにて、生演奏で公演させていただきます。この時は、ジャワからゲストの踊り手さんもいらっしゃいます。11月の方はまた近くなりましたら、お知らせさせていただきますね。興味のある方はご予定しておいていただけると嬉しいです。

この記事がどなたかの役に立てば幸いです。

また、私のブログが、日本と異文化との架け橋になれば、幸いです。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

<今日の植物(庭の植物シリーズ)>

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「桔梗の花が咲き始めました」photo by Kaori



断食明け大祭(イドゥル・フィトリ)

今日は、イスラム教徒の断食明け大祭(レバラン)ですね。私が以前住んでいたインドネシアでは、Idul Fitri(イドゥル・フィトリ)とも呼ばれます。

インドネシアでは、この前後、計1週間ほど休みになります。多くの人は、自分の故郷へ帰るため、日本の盆と正月が一緒に来たような混雑となります。

 

まずは、ジャワのイスラム教徒の方へご挨拶。

 

Selamat merayakan hari raya Idul Fitri. Mohon ma'af lahir dan batin. Semoga Tuhan melimpahkan anugerahnya kepada kita semua. (インドネシア語

Ngaturaken sugeng riyadi. Nyuwun pangapunten sedaya kalepatan. Mugi lineburna ing dinten riyadi punika. (ジャワ語)

「イドゥル・フィトリおめでとうございます。今まで何か私が間違ったことをしていたら、お許しください。神様からの恵みで満ち溢れますように」といったような意味です。

 

イドゥル・フィトリを迎えた後、初めて会った時は、「イドゥル・フィトリおめでとうございます。」の後、「今まで何か私が間違ったことをしていたらお許しください」と言い合います。そのための集まりは、ハラル・ビハラル Halal bihalalと呼ばれて、あちこちで開かれます。同時に食事会もあることが多いと思います。イスラム教徒だけではなく、私のような外国人も、異教徒も、そのような集まりに参加して、謝り合います。ちなみに、ハラル・ビハラルは、アラブ社会にはなく、インドネシアイスラム社会特有のものだということです。

この時に使われる言葉は、インドネシア語では、簡略化して「Mohon ma'af lahir dan batin」と言います。若い友達同士だと「lahir batin〜」だけだったりします。Mohon ma'af = お許しください。lahirは生まれるという意味ですが、そこから身体的なことを表し、dan = & 、 batinは精神を表します。なので、ただ、身体的に謝るのではなく、心、精神の奥底から謝るという意味になります。誠心誠意謝るということですね。それまでのわだかまりなども流せるような気がします。良いシステムだなぁといつも思います。

余談ですが、lahir =生まれる=有形物、物質、肉体、外側 というのは、なんだか深いですね。生まれるのは、肉体、外側、物質、有形物のみで、内側(精神、本質)は、生まれもせず死にもせずに、ずっと続いているということを象徴しているようにも思えます。

先ほどのあいさつの時は、必ず握手をします。この時だけではなく、会った時と去る時はいつもです。ジャワでは左手は不浄の手なので、握手は必ず右手を出します。右手だけの握手もあれば、外側から左手を添えることもあります。そして、握手の後、右手を自分の胸に当てます。私は、それがくせになってしまって、日本にいても、握手をすると、その後、胸に手を当ててしまいます(笑)。そうしないと落ち着かないというか、無意識にそうしてしまいます。余談ですが、インドネシアでは、人にものを差し出す時は、必ず右手を使います。左手でものを渡すと失礼に当たります。それも、今ではすっかりくせになってしまい、日本でも、左手で人にものを渡せません。左手に持っていても、必ず右手に持ち替えてから渡してしまいます。なんだか、左手で渡すのが申し訳なくて…。習慣というのは怖いですね。

また、目上の人と握手をするときは、握手したまま、頭を下げて、相手の手を自分の額まで持っていき、相手の手の甲を自分の額につけます。私は、なぜかそれがなかなかできなくて…。どうしてもアメリカにいた時の「みんな平等だ」という意識が強くて…。本当は、ただ単に礼儀作法なのですけれどもね。その他に、親しい人と、または、女性同士の場合、両頬を、交互に当てて、あいさつしたりもします。

 

断食最終日の断食明け(日暮れ)の後、モスクからは、ずーっとお祈りの歌が、スピーカーから大音量で流れます。朝までだったかな。それが、うまい人だと良いのですが、いろんな人が交代で歌うため、下手な人もいたりします。それが大音量で流れてくるわけで、本当に耳を覆いたくなったりもしたことを思い出しました。うまい人だと、うっとりしたりして。ちなみに、モスクはあちこちにあるため、だいたい、複数のモスクからのスピーカー音が混ざって聞こえてくるわけです。大祭の時だけでなく、普段から、一日5回はアザーンが大音量で聞こえてきます。いつもそこまで大音量にしなくても聞こえるよと思うのですけど…。まあ、文化ですかね。

 

留学生たちは、学校も休みで、だからといって家族のもとに帰るわけでもないので、みんなで集まって、料理して、パーティなどをしていたことを思い出します。イスラム教徒は豚肉を食べられないので、普通のレストランやスーパーでも豚肉を見かけることはないのですが、実はジャワの豚肉はおいしいのです。ソロでは、パサール・グデという市場の上階に、肉売り場があり、そこには豚肉を売っていました。ジャワでも中華系の人は多く、豚肉を食べる人口もそれなりにいるのです。市場では、冷蔵庫もなく、肉が吊るしてあったり、置いてあるだけです。スーパーのパック詰めの肉しか見たことがない身には、最初はぎょっとしますが、肉は新鮮です。イドゥル・フィトリの時に、そこで豚肉を買って、とんかつにしたり、豚の生姜焼きをしたことを覚えています。イスラム教徒じゃないぞという主張?(笑)寂しさを和らげるため?(笑)普段はなかなか食べられないものを食べて、お祭り気分を味わうめ?(笑)いずれにしろ、豚肉は柔らかくてとてもおいしかったです。ちなみに、ソロでも、最近は豚肉が食べられるレストランが増えたような気がします。

 

なんだか、話がそれてしまいましたね。ちょっと文句も書いてしまいましたが、私自身は、イスラム教徒の友人も多く、イスラム教の素晴らしいところも見て知っているので、イスラム教を尊重しています。ちょっと、原理主義者には賛同できませんけれども、幸い、私の周りは良い人ばかりでした。ジャワの場合、純粋なイスラム教徒というより、いろいろな信仰が混じっている人が多いですしね。

 

あ、それから、子供たちはイドゥル・フィトリの時に、日本でいうお年玉がもらえます。ポチ袋に入れられたお金。そのお金は新札が良いのですが、ジャワでは、普段の生活で、新札を見ることはまれでした。お財布を持たない人もいるので、お札はくちゃくちゃ。首都のジャカルタに行くと、なんてお札が綺麗なのだろうと感激したものです。それで、イドゥル・フィトリの前には、道路沿いのある一定の場所で、何人かの人(10人ぐらいでしたかね)が並んで、新札をひらひらさせながら売っています。もちろん、額面より少し高めに…。この風景は、イドゥル・フィトリ前のジャワの風物詩ですね。日本なら、お金を売るなんて法律違反でしょうが…。

 

イドゥル・フィトリの時は、私はジャワに家族はいないですが、私の王宮の踊りの先生が、いつも必ず、ご家族の集まりの時に私を招待してくれて、とてもありがたかったです。その方は、お子さんが12人もいらして、その孫、ひ孫、玄孫まであわせると、もうなんだかわからなくなります。私も、個人的に親交のある方以外、いつも誰が誰だかわからずにいます(笑)。あまりに多いので、ご家族の交互にやってくるのだそうです。楽しい思い出です。また、私がお世話になっていた王宮でも、ハラル・ビハラルの集まりがあり、そこにも参加させていただいたりもしていました。

 

断食月が終わると、いつも、やっと普通の生活に戻るような気がしていました。断食月の間は、学生の集中力も低くなり、仕事の効率も悪くなり、踊りや音楽、影絵芝居のパフォーマンスも少なく、イスラム教徒は断食月は結婚できないので、結婚式もほとんどなく。夕方になると、みんなそそくさと帰ってしまったり、夜は、モスクへ行く人が多く、夜の行事は始まる時間が遅くなり、やはり普段とはかなり違いましたね。王宮でのガムランを使った練習も21日目まではできませんし。そんなわけで、イドゥル・フィトリが来ると、イスラム教徒ではない私でも、わくわくしたものです。

 

最後にまたまた余談ですが、以前、ジャワに住んでいた時に、イドゥル・フィトリの日付が、インドネシア政府の見解と、あるイスラム団体(確かムハメディアだったかな?)の見解が1日違い、みんな混乱していたことがありました。友人に「結局、いつなの」と聞いても、分からず。友人たちも、「今日かと思っていたら、明日だって。でも、もう面倒だから、今日、断食が開ける方のモスクへ行って、今日で断食は終わりにしたよ」という 感じだったことがあります。なんだか、ゆるいというか、インドネシアらしいというか。今年はどうなのでしょうね。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

<今日の植物(庭の植物シリーズ)>

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デュランタ宝塚の花」photo by Kaori