香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊やガムラン音楽に関すること、日々の気付きや学び、海外生活で見聞したこと、大好きな植物や動物に関してなどを、私が感じたことを気ままに、ゆるゆると書いていきます

時間が育ててくれるもの

昨夜、梅干しを仕込んだ。

今年二回目の梅仕事である。

一回目は六月初め、近所のスーパーで買った南高梅を五キロ。

今回は、山形のくまさか農園さんに注文してあった谷沢梅を五キロ。

数日前に冷蔵便で届き、常温で少しずつ黄色くなり、よい香りがしてくるまで待っていた。

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〈谷沢梅〉

梅を洗い、乾かし、一粒ずつ手に取ってヘタを外す。ボウルに入れたアルコール(今回はたまたま家にあったジンを使用)の中で梅を転がして消毒し、塩で丁寧に漬けていく。

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〈塩に漬ける梅〉

六月初めに仕込んだ南高梅よりも小ぶりなので、同じ重さでも数が多い。その分、ヘタを取る作業もなかなか大変だった。

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〈梅のヘタ〉

けれど、不思議なことに、この作業は急ごうという気持ちにならない。

一粒ずつ梅と向き合っていると、自然と呼吸もゆっくりになっていく。

可愛らしい梅の姿や、部屋いっぱいに広がる甘い香りにも癒やされる。

ひとつひとつ手に取り、手をかけて作っていけることが嬉しい。

そんな時間を持てること自体が、ありがたいと思う。

もちろん、これで終わりではない。

梅酢が上がるのを待ち、アク抜きした赤紫蘇を入れて、さらに待ち、土用になれば三日三晩干す。

ざるにきれいに並べ、途中で何度もひっくり返す。

一日目の夜には梅酢に戻し、翌朝またざるへ並べる。

人ができることは、その都度、丁寧に手をかけること。

けれど、どれだけ丁寧に仕込み、きれいにざるへ並べても、梅酢がゆっくりと上がっていくこと、お日さまや風の働き、そして熟成そのものは、人の力ではどうにもならない。

味噌も同じだ。

わたしは今、二年前に仕込んだ梅干しと味噌を食べている。

梅干しは塩味の角が取れ、まろやかになったように感じる。昔から健康にもよいと言われている。

豆麹だけで仕込んだ味噌も、一度夏を越しただけではまだ若い。

二度夏を越して、ようやく「おいしくなったなあ」と感じる味になる。

 時間と自然の力、そして場の力が育ててくれるものがある。

最近、「心配するのではなく、信頼する」ということを何度も考えている。

梅仕事をしていると、その意味が少しわかる気がする。

信頼するとは、何もしないことではない。

自分にできることは丁寧に行う。

様子を見守り、必要な時には手をかける。

けれど、自分ではどうにもならないところまで抱え込もうとはしない。

あとは自然を信頼する。

あとは時間を信頼する。

人生も、どこか似ているのかもしれない。

急いでも、二年を一年にはできない。

けれど、その二年という時間が育ててくれるものは確かにある。

できれば、この梅も二年は保存しておきたいと思っている。

二年後、この梅を食べる頃、わたしはどんなことを感じているのだろう。

人ができることを丁寧に行う。

あとは、自然と時間を信頼する。

梅も味噌も、そして人生も、きっと同じなのだと思う。

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。

どうぞ良い一日をお過ごしください。

 

一本の茅

ここ数年は、氏神さまや椿大神社で茅の輪をくぐるほか、夏至の日には庭に生えている長い草を麻紐で結び、「なんちゃって茅の輪」を作っていた。

もちろん本物の茅ではないし、細くて、手で持ち、身をかがめてくぐるほどの小さな輪だけれど、それを作法通りくぐって神棚に手を合わせると、不思議と丹田に力が満ちる感覚があった。

今年は夏至の日が東京公演だった。
帰宅してからも雨が続き、自作の茅の輪を作る機会はなかった。

少し残念に思っていた。

そんな中、氏神さまへ茅の輪くぐりとお参りに行くと、茅の輪の横に茅が置いてあり、「見本のように自分で輪を作り、ご家族の健康のためにお持ち帰り、玄関などに飾ってください」と書かれていた。

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一本の茅を輪に結んだ。

それだけのことなのに、その輪を手に持って歩いて帰る間中、毎年感じていたのと同じように、丹田に力がみなぎる感覚があった。

「ああ、今年もこの感覚だ。」

思わず驚いた。

その日は夕方だったこともあり、境内には虫を探している親子がいるだけ。

静かな空気の中、ゆっくり茅の輪をくぐり、ゆっくり祈り、思いついて般若心経を唱えた。

神社で般若心経を唱えることを、不思議に思われる方もいるかもしれない。

でも、以前よく通っていた天河大弁財天社の朝拝では、般若心経も読まれていた。

氏神さまで般若心経を唱える方に出会うこともある。

なので、わたしには違和感はない。

七夕飾りの準備もされていた。

短冊には、

「世界が平和で皆が幸せであります ありがとうございます」

と書いた。

自然と出てきた言葉

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「お願いします」ではなく、「ありがとうございます」。

すでに感謝の中にいることを大切にしたかった。

「叶えてください」ではなく、「すでに与えられていること」に目を向けたかった。

翌6月30日早朝。

父とゴルフ場へ向かう途中、「氏神さまへ寄りたい」と伝えると、

「明日は病院で忙しくて朔日詣に行けそうにないから、ちょうど良かった。」

と父が言った。

一緒に神社へ行ったものの、茅の輪くぐりもお参りはそれぞれのタイミングで。

そんな距離感が、わたしたちらしい。

父は四十年ほど毎朝お経をあげてきた人だ。十年間ほど毎日大祝詞を唱えていた時期もあったそうだ。

今は年齢もあり二日に一度になったが、それでも祈りは父の日常の一部である。

わたしも子どもの頃から一緒によく読んでいたので、般若心経や大悲心陀羅尼、舎利礼文などは自然と覚えた。

神棚では節目ごとに大祓詞も奏上している。

だから、わたしにとって祈りは特別なものではなく、暮らしの中にあるものなのだと思う。

暗記している般若心経を神社で読むのも、わたしにとっては自然である。

最近、インスタグラムでよく見かける神主さんらしい方の投稿で、

「祓いは引き算ではありません。入れ替えです。」

という言葉が印象に残っている。

今年わたしが手放したいと思ったのは、

自分を責める心。
心配。
「〜〜でなければいけない」という思い込み

でも、それらも今までわたしを守ってくれた大切なものだった。

だから感謝して送り出した。

そして空いた場所には、

信頼。
安心。
豊かさ。
喜び。

それらで満たした。

今年の夏越で受け取ったものは、手放しと満たしだけではなかった。

一本の茅萱。

父との静かな朝。

世界の平和を願う気持ち。

そして、丹田の奥から静かに湧き上がる、確かな力。

それらすべてが、この半年への感謝であり、新しい半年への贈り物だったように思う。

新しい半年も、心配ではなく信頼を選びながら、一歩ずつ丁寧に歩いていこうと思う。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。

どうぞ良い一日をお過ごしください。

 

「あなたのせいじゃない」と、何年も言われていた

先日、「心配するのではなく、信頼する」という記事を書いた。

その中で、わたしは「自分を責める心を手放す」と書いた。

その翌日、糖尿病の定期受診があった。

約1か月半前に受けた75gブドウ糖負荷試験の結果を聞くためだった。

実は、この検査を受けるのは約10年ぶりである。

13年前、ジャワに住んでいた頃のことだ。

たくさん食べているのに、どんどん痩せていった。

足もよくつるようになり、そのつり方も少し変だった。伸ばしても治らず、しばらくすると自然に治る。そんな状態だった。

親しい方から「一度検査した方がいい」と勧められ、いろいろ調べてはいたが、食事もそれなりに気をつけていたし、運動もそれなりにしていて、どちらかというと痩せ型のわたしが、まさか糖尿病だとは思っていなかった。

もうすぐ日本へ帰国する予定だったので、日本で検査すればいいと思っていた。

ところが、ある時、尿がベタつくことに気づいた。

「まさか…」

そう思って血糖値を測ってもらうと、400近くあった。

すぐに現地の病院で糖尿病と診断された。

日本へ帰国した時のHbA1cは10を超えていた。

まずは一般的な治療を受け、薬を飲み始めると、HbA1cは順調に下がり、薬も少しずつ減っていった。

けれど、ある時ふと思った。

「このままでは薬はなくならない。」

「糖尿病もこれ以上は良くならない。」

「もっと自分でできることはないのだろうか。」

そう思い始めた。

ちょうどその頃、仕事が決まり、再びジャワへ長期滞在することになった。

それをきっかけに薬をやめ、厳しい糖質制限を始めた。

最初は本やインターネットで調べながら、自分なりに工夫していた。

その後、日本へ帰国するたびに京都の糖質制限を専門とする病院へ通うようになった。

体調はとても良かった。

自分でも驚くほど身体が軽かった。

主食は一切食べず、その代わりに肉や魚、卵などのたんぱく質と脂質をしっかり摂った。

糖質制限パンや糖質制限プリンまで自分で作っていたほどだ。

健康的に体重も増え、周りからも「健康そうになったね」と言われた。

以前はよくできていた口内炎も、その数年間は一度もできなかった。

もちろん血糖値も低く保つことができていた。

ところが、その後、長期間の厳しい糖質制限については様々な考え方があることを知った。

そして決定的だったのは、京都の病院での最後の診察だった。

担当してくださっていた先生が別の病院へ移られることになり、その最後の日の診察で、

「やっぱり、お米は少しは食べた方がいいですよ。」

とおっしゃった。

最後の日だったからこそ、本音を話してくださったのかもしれない。

そこで今度は、緩やかな糖質制限を勧める先生を探した。

幸い、地元でそのような先生に出会うことができた。

それが今の主治医である。

先生は、

「厳しい糖質制限は危険だから、主食はコントロールしながら食べた方がいい。」

という考えだった。

とはいえ、「ご飯を何グラム食べましょう」と細かな指導を受けたことはない。

希望すれば栄養指導も受けられたが、わたしは自分の身体の反応を見ながら、自分なりに食事を調整してきた。

それでも年々HbA1cは少しずつ上がっていった。

その後、ご縁があり、約2年前から4毒抜きも始めた。

糖尿病だけでなく、緑内障や甲状腺機能亢進症もあったので、身体全体が少しでも良い方向へ向かえばという思いからだった。

ただ、植物油をやめるとカロリー不足になり、お腹も空く。

4毒抜きでは「お米をしっかり食べる」ことが勧められていたので、少量を何度にも分けて食べるなど、自分なりに工夫を重ねた。

その結果、お米を食べる量が増え、HbA1cもかなり上がってしまった。

(ちなみに、甲状腺機能亢進症は改善傾向にあり、緑内障も進行が緩やかになっているように感じている。)

その後も食べ方を工夫し続け、最近はようやく少しずつHbA1cが改善してきた。

今も薬は飲まず、食事と運動で何とかコントロールしている。

ただ、主治医から、

「前回よりインシュリン分泌が減っている可能性があるので、一度調べてみましょう。」

と言われ、今回10年ぶりにブドウ糖負荷試験を受けた。

結果は2時間値で9.8。

10年ほど前は12だった。

普通の人なら100程度。

この病院へ通っている糖尿病患者さんでも、初期値で平均48ほど出るそうだ。

やはり、わたしのインシュリンはほんの少ししか出ていなかった。

先生は結果を見ながら言った。

「こんなへぼいインシュリンで、よくやってるよ。」

そして、何年も前から繰り返し言ってくださっていた言葉を、今回も静かに話してくれた。

「あなたのせいじゃない。」

「あなたの性格が悪いわけではない。」

「あなたの生活態度が悪いわけでもない。」

「体質なんだ。」

「昔の人みたいに、毎日川へ水を汲みに行くような生活だったら、問題なかったかもしれない。」

そして、

「でも、限界はある。」

今は何とかHbA1cを7台後半で保っている。

先生の目標はHbA1c 7.5以下。

実は2年ほど前までは、7.5を超えることはあまりなかった。

そのくらいであれば、合併症のリスクを抑えられるという考えだ。

ただ、先生によると、この状態が何十年も続けば、透析などの合併症や、がんを含めた健康上のリスクも高くなる可能性がある。

だから、

「薬を飲みたくない気持ちは分かっている。でも、メトホルミンという薬を一度考えてみてもいいかもしれない。」

と勧められた。

 

帰り道、いろいろな気持ちが湧いてきた。

「やっぱり、普通の人とは少し違う身体なんだ。」

「これだけ努力してきたのに、健康に関しては報われていないような気がする。」

「やっぱり、わたしが悪いのかな。」

そんな思いも浮かんだ。

それに、糖尿病であることを人に話すのは、今でも少し抵抗がある。

どこかで、

「自己管理が悪かったんでしょう。」

と思われる気がしてしまう。

みんながおいしそうに食べている時に、一緒に食べられない寂しさ。

いただいたものを遠慮しなければならない申し訳なさ。

そのたびに説明しなければならない面倒さ。

そんな小さなことが、少しずつ積み重なっていく。

 

でも、家に帰ってから気がついた。

先生は、もう何年も前から、

「あなたのせいじゃない。」

と言い続けてくれていたのだ。

受け入れられていなかったのは、わたしの方だった。

長い間、「病は気から」という言葉を聞くたびに、「わたしの心が悪いのだろうか」と、自分を責めてきた。

完璧でいられない自分を、どこかで責め続けていた。

どこかでずっと、

「もっと頑張れば。」

「まだ努力が足りない。」

そう思い続けていた。

今回、インシュリン分泌が9.8という数字を見て、ようやくその言葉が心に入ってきた。

 

もちろん、努力をやめるつもりはない。

食事も工夫する。

身体とも向き合い続ける。

薬をどうするかもまだ決めてない。

でも、自分を責め続けることは、もう手放してもいいのかもしれない。

前回のブログで書いたように、

「起きることは、ただ起きる。」

そして、

「心配するのではなく、信頼する。」

この身体もまた、わたしに与えられた一つの条件なのだろう。

だから今日も、この身体を責めるのではなく、この身体に感謝しながら、一緒に生きていこうと思う。

病気だったからこそ気づけたこともある。出会えた人もいる。変わった生き方もある。

そう考えると、この身体もまた、わたしにとって大切な先生なのかもしれない。

 

あとがき

もしこの記事を読んでいる方の中に、糖尿病で自分を責めている方がいたら、お伝えしたいことがあります。

糖尿病には、さまざまなタイプがあると思います。

もちろん生活習慣が大きく影響する場合もありますが、それだけでは説明できない人もいます。

少なくとも、わたしの場合はそうでした。

だから、努力は続けながらも、自分まで責め続けないでほしい。

それは今回、何年も同じ言葉をかけ続けてくれた主治医から、ようやく受け取ることができた、一番大きな贈り物でした。

 

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〈庭のハイビスカス〉

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。

どうぞ良い一日をお過ごしください。

心配を手放し、信頼と豊かさで満たす 〜椿大神社にて〜

前回、「心配するのではなく、信頼する」という言葉についてブログを書いた。

そして昨日、その言葉を胸に、椿大神社へお参りに行ってきた。

もうすぐ夏越の大祓。

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境内に設けられた茅の輪を前に、「何を手放し、何で満たすか」を静かに心に決めた。

わたしが手放したのは、

・自分を責める心
・心配
・「稼がなければ生きていけない」という思い込み

どれも、これまでの人生でわたしを守ってくれたものでもある。

だから、「もういらない」と切り捨てるのではなく、

「今までありがとう。」

そんな気持ちで感謝しながら送り出した。

そして、茅の輪をくぐった後に迎え入れたのは、

信頼。

安心。

豊かさ。

人生を信頼すること。

自分を信頼すること。

流れを信頼すること。

そして、豊かさをすべて受け取り、喜びに満ち、とても幸せであること。

そんな思いで心を満たした。

ご祈祷は、まず修祓の儀から始まる。

椿大神社では長い大祓詞が奏上され、通常のものでは省かれる、残酷とも思える罪や穢れについての言葉も含まれる。

修祓の儀を務められた御神職の方の声は本当に素晴らしく、所作も美しく、その響きを聞き、動きを見ているだけで心が洗われていくようだった。

そして、その御神職の方は、

「自分のためだけでなく、世界や周りの人のためにも少しでも祈られると良いと思います。」

とお話しくださった。

実は、ご祈祷の願意には、

・父とわたしの病気平癒
・ジャワ渡航の安全と成功
・芸道成就
・心願成就
・世界平和

を書いていた。

だから、その言葉を聞いたとき、「世界平和」と書いてよかったな、と静かに思った。

自分の願いだけでなく、世界へも祈りを向ける時間の大切さを、あらためて感じた。

続いて本殿へ移り、ご祈祷を受けた。

ご祈祷の前には、猿田彦大神は「みちひらき」の神様であり、人生の岐路や新しい一歩を導いてくださる神様であることをお話しくださった。

椿大神社のご祈祷で、わたしが毎回ありがたいと感じることがある。

それは、一人ひとりの住所と名前を読み上げ、それぞれの願意に寄り添いながら、神様へ丁寧に祈りを届けてくださること。

だから、ご祈祷には時間がかかる。

今回も多くの方が参列され、全体で一時間ほどだった。

それでも少しも長く感じなかった。

その間、わたしはほとんど瞑想しているような心持ちで、静かに祈っていた。

わたしの願い一つひとつにも心を寄せ、雅な言葉で神様へ届けてくださった。

芸道成就では、芸能の神様である天鈿女命のお守りとお導きにも触れてくださり、とてもありがたく感じた。

不思議なのだが、ここでご祈祷を受けると、いつも猿田彦大神さまが「願い(祈り)は聞き届けられたり!」と言ってくださるように感じる。

ご祈祷の後には御神楽を拝した。

椿の枝(造花)を持った舞。

若い巫女さんがいつも舞ってくださるのだが、なかなか味があってよい。

最後に、ご祈祷を担当されたご神職がお話しくださった。

「ご先祖様を大切にしてください。」

「地元の神社を大切にしてください。」

「神様やご先祖様に守られていることに感謝し、健やかにお過ごしください。」

とても飾らない言葉だった。

でも、その一つひとつに真心が感じられ、胸に深く残った。

お話の後、椿講の名誉会員として本殿の奥へ回り、昇殿玉串拝礼を行った。

本殿の奥はさらに氣が満ちて、清々しい感じである。

最後に、お札や御守、お神酒などをいただき、すべての神事を終えた。

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帰り際、軒下を見上げると、燕の巣に雛たちがいた。

もう巣からはみ出すほど大きく育ち、巣立ちも近そうだ。

寄り添うように並ぶ姿がなんとも愛らしく、思わず見入ってしまった。

半年の節目の日に、未来へ向かって羽ばたこうとしている小さな命に出会えたことも、とてもうれしかった。

わたしもまた、新しい半年へ。

心配を手放し、

信頼と安心、そして豊かさで満たす。

そんな気持ちで迎える、新しい半年。

とても清々しく、幸せな一日だった。

心配ではなく、信頼を。

そんな気持ちで、新しい半年を迎えたいと思う。

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最後まで読んでくださってありがとうございました。

どうぞ良い一日をお過ごしください。

流れを信頼する

先日、岐阜羽島で開かれたイベントに参加した。

 

そこで、いくつもの言葉に出会った。

 

「心配するのではなく、信頼する。」

「Can・Want・Need。」

「全部受け取る。」

「『稼がなければ生活できない』を手放す。楽しむ。」

 

そして、もう一つ印象に残った言葉。

宇宙の法則は SOS。

S そう
O 思えば
S そうなる。

 

どれも短い言葉だけれど、不思議と一本の線でつながっているように感じた。

ちょうど夏越の大祓を前に、「何を手放し、何で満たそうか」を考えていた時期だったからかもしれない。


「心配するのではなく、信頼する。」

これは、相手のことを信頼するというお話だった。

たとえ相手が悲しみに打ちひしがれていたとしても、「大丈夫だろうか」と心配し続けるのではなく、その人には乗り越える力があり、その人なりの人生や学びがあることを信頼する。

手を差し伸べることはあっても、「この人はきっと大丈夫」と信じること。

そんなお話だった。

帰り道、その言葉を思い返しながら、ふと気づいた。

これは、自分にも向けられる言葉なのではないか、と。

わたしは昔から、人生を細かく計画して歩んできたわけではない。

アメリカへ渡ったことも、ジャワへ留学したことも、その後の仕事も、舞踊も。

その時々で「行ってみよう」と思う方向へ一歩踏み出し、その先は流れに任せてきた。

振り返ると、ずいぶん行き当たりばったりの人生だったようにも思う。

でも、それは何も考えていなかったということではなく、流れを信頼していたということだったのかもしれない。

そして、「信頼する」ということは、ときには手放すことでもあるのかもしれないと思った。

相手を信頼して手放す。

自分を信頼して手放す。

そして、流れを信頼して手放す。


「Can・Want・Need。」

自分ができること。

自分がやりたいこと。

そして、必要とされること。

この三つが重なるところに、自分の役割があるという。

最近始めたYouTubeでのおしゃべりも、ジャワ舞踊も、通訳の仕事も、その重なりの中にあるのかもしれないと思った。


「全部受け取る。」

この言葉も心に残った。

実はその日の夜、寄付のお願いをお断りした。

無理だったわけではない。

でも、自分の中で「今回は違う」という感覚があった。

その日に「全部受け取る」という言葉を聞いたばかりだったので、「これも受け取るべきなのだろうか」と迷った。

でも考えているうちに、「全部受け取る」ということは、「全部引き受ける」という意味ではないのだと思った。

出来事を受け取る。

相手の思いを受け取る。

自分の迷いも受け取る。

その上で、自分で選ぶ。

それもまた、「受け取る」ということなのだろう。

そして、相手の強さや、その人自身の学びを信頼して、あえて手を出さないこともある。

そんなことも、この言葉から感じた。


「『稼がなければ生活できない』を手放す。」

この言葉は、少し心に刺さった。

わたしは昔から「稼がなければ」と強く思って生きてきたわけではない。

むしろ、「なんとかなる」と思って生きてきた。

実際、不思議なくらい、その時々で必要な仕事やご縁に恵まれ、なんとかやってこられた。

でも振り返ると、「生活するには稼がなければならない」という考え方を、知らず知らずのうちに自分の中へ取り込み、思い込みにしてしまっていたのかもしれない。

もちろん、お金は大切だ。

でも、その思いに縛られるより、「やってみたい」「楽しそう」という気持ちから動いた時の方が、わたしの人生は豊かに動いてきたように思う。

 

「宇宙の法則、SOS。」

そう思えば、そうなる。

未来は誰にも分からない。

でも、「心配」を選ぶのか、「信頼」を選ぶのかで、見える景色や、自分の行動は変わってくるのだろう。

思い込みは、ときに現実の見え方をつくる。

だからこそ、自分がどんな思いを育てるかは大切なのだと思う。


夏越の大祓を前に、手放したいものが少し見えてきた。

心配。

自分を責める心。

「〜しなければ」という思い込み。

未来を自分でコントロールしようとする力み。

でも、それらは決して悪いものではなかった。

これまでのわたしを守り、ここまで導いてくれたものでもある。

だから、「もういらない」と切り捨てるのではなく、

「今までありがとう。」

そう感謝して手放したい。

そして、その空いた場所を満たしたいものも見えてきた。

信頼。

楽しむ心。

豊かさを受け取ること。

そして、流れを信頼すること。

振り返れば、流れはいつも、わたしが思い描いていた場所とは少し違うところへ連れて行ってくれた。

でも、その先には、いつも思いがけない出会いや景色が待っていた。

だからこれからも、一歩は自分で踏み出しながら、その先は流れを信頼して歩いていこうと思う。

もっとも、そんなふうに「わたし」と「流れ」を分けて考えること自体、本当は必要ないのかもしれない。

起きることは、ただ起きる。

でも今は、このくらいの距離感が心地いい。

 

そんな思いで、今年の夏越の大祓を迎えた。

 

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最後まで読んでくださってありがとうございました。

どうぞ良い一日をお過ごしください。

ただ、踊りがある ― スリンピ・ルディロマドゥを15年ぶりに舞って

スリンピ・ルディロマドゥ。


4人の女性で舞う、ジャワ王宮に伝わる舞踊である。(今回は短縮版。)

 

15年ぶりに、この曲を公演する機会をいただいた。

 

15年前はスラカルタの芸術高校で、尊敬する芸術大学の先生方3人と共演した思い出深い作品。

 

その後、いくつかのスリンピを先生方と踊らせていただいたが、この曲が最初だった。

 

 

今回は東京・日暮里サニーホールで行われたガムラングループ・ランバンサリの自主公演で踊らせていただいた。

 

公演するのは15年ぶりとはいえ、コロナ禍に始め、今も続けているオンライン練習会でも何度も練習してきた曲なので、振付も曲もすでに身体に染み込んでいた。

 

この曲を今回踊ることになるまでには、いろいろあって感情も揺れ動いた。

 

それでも、この曲を聴くと、不思議と幸せな気持ちになる。

 

遠方に住んでいるため、オンラインで練習に参加することも多く、一人で踊る時間も多い。

 

それでも、一人で踊っている時間さえ幸せなのだ。

 

ここ数年、ジャワ舞踊を踊っていると、ご先祖様(自分のご先祖様だけでなく、ジャワ舞踊を受け継ぎ、伝えてきてくださったジャワのご先祖様も)とのつながりを強く感じるようになった。

 

そして、それと同時に、自然とのつながりも深く感じるようになっていた。

 

踊っていると、

 

「ここは波」

 

「ここは風」

 

「風に揺れる木々」

 

と、自然にイメージが立ち上がってくる。

 

 

その時、わたしはそのものになっている。

 

 

そして、光に満たされる。

 

 

なんとも幸せな時間である。

 

 

わたしは自然を表現しようとしているわけではない。

 

けれど、呼吸も身体も、いつの間にか自然のリズムに重なっていく。

 

 

以前から思っていることがある。

 

本当に良い踊りには、どんなに激しい動きの中にも、何とも言えない静けさがある。

 

それは動きが少ないということではない。

 

本来ある静けさに還ったときに感じる「閑けさ」、ぶれない中心にある「閑けさ」なのかもしれない。

 

その閑けさとともに、わたしの身体を通して踊りが現れてくる。

 

 

ただ、踊りがある。

 

 

本番は少し緊張もして、リハーサルの方が良く踊れた気もする。

 

それでも本番では、床にも、壁にも、椅子にも、空気にも、光にも、衣装にも──わたしを取り巻くありとあらゆるものに、自然と感謝が湧いてきた。

 

そして、一緒に踊る仲間にも、演奏してくださる方々にも、支えてくださるスタッフの方々にも。

 

観客の皆さまにも。

 

送り出してくれた家族にも、これまで支えてくださった先生方や友人たちにも。

 

そして、この場にわたしが立つために力を貸してくださった、すべての人に。

 

見えるものにも。

 

見えないものにも。

 

ものにも。

 

出来事にも。

 

全てがあってこそ光となる。

 

 

その踊る歓びや静けさ、光に満たされるような感覚、そして感謝の気持ちが、少しでも観てくださった方に伝わっていたなら、踊り手としてこれ以上の幸せはない。

 

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〈2026年6月21日夏至、公演後、日暮里サニーホールにて〉

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。

どうぞ良い一日をお過ごしください。

見えている世界が真実とは限らない

最近、ありがたいことに工場で通訳の仕事をいただくことが多い。

 

普段のわたしの活動とはまったく違う分野だ。専門用語も多く、なかなか大変なこともあるが、とても興味深い。工場ならではの社会や人間模様を垣間見るのも面白い。

 

そして何より、わたしたちが日々当たり前のように使っている便利なものが、こうした現場で、多くの人たちの手によって丁寧に作られていることを知るのは楽しい体験だ。

 

前回数週間は、ベルトコンベアでラインが流れていく職場にいた。

 

ベルトコンベアを見ていると、ときどき自分の方が動いていると感じることがある。

 

「動いているような気がする」のではない。

 

その瞬間には、本当にわたしが動いている。

 

 

そして面白いことに、そのときわたしはベルトコンベアが動いていることを知覚できない。

 

わたしが動いている世界と、ベルトコンベアが動いている世界。

 

その二つを同時に認識することはできず、どちらか一方しか見えない。

 

 

もちろん現実にはベルトコンベアが動いているのだが、この体験は、人間の知覚が必ずしも現実そのものではないことを教えてくれる。

 

 

わたしたちは世界を見ているつもりで、実は世界についての解釈を見ているのかもしれない。

 

日常でも同じだ。

 

物事には複数の見方や可能性があるのに、わたしたちはしばしばそのうちの一つだけを現実だと思い込んでしまう。

 

ベルトコンベアを眺めながら気づいた。

 

見えているものが、いつも真実のすべてとは限らない。

 

だからこそ、ときには「別の見え方もあるかもしれない」と立ち止まってみることが大切なのだと思う。

 

 

見えている世界が真実とは限らない。


見えていない世界もまた、そこに存在している。

 

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〈新幹線から見た富士山 2026年6月14日〉

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。

どうぞ良い一日をお過ごしください。