倍音声明で体験した「聞こえない世界」
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先日、ヨガと倍音声明のワークショップに参加した。
ヨガでは、アサナ(ポーズ)だけではなく、呼吸や瞑想を通して、意識を繊細に整えていくことの大切さを学んだ。
一つひとつの呼吸を丁寧に感じ、呼吸が切り替わる瞬間にまで意識を向ける。
その感覚は、わたしがガムランで演奏している擦弦楽器ルバーブで、弓を返す瞬間を繊細にコントロールする感覚にもよく似ていて、とても腑に落ちた。
そして、この日の一番印象的な体験が「倍音声明」だった。
最初は円陣を組み、全員(女性4人、男性4人)で「う・お・あ・え・い」の母音を順番に響かせていった。
一つの母音をかなり長い時間響かせ、ティンシャ(ベル)の合図で次の母音へ移る。
音程は、高すぎず、低すぎず、それぞれが無理なく出せる高さで。
それだけでも、誰も出していないはずの高い笛のような音、いわゆる倍音(オーバートーン)が聞こえてきた。
特に「え」や「い」のときには、上のほうでキラキラと響くような音がよく聞こえた。
さらに、お経のような低い響きまで自然に現れ、不思議な音の空間が生まれていた。
「う・お・あ・え・い」と進んだ最後には無音の時間があり、ティンシャが2回鳴ると終了する。
さらに驚いたのは、その後、それぞれ(女性3人、男性3人)が違う母音を担当して、同時に声を響かせたときだった。
5つの母音と、無音(またはM、Nのハミング)を6人で担当する。
それぞれ違うところから始まり、ティンシャの合図に合わせて、
う → お → あ → え → い → 無音(またはハミング)
と、時計回りに役割が巡っていく。
無音、あるいはハミングを担当する人は輪の中心に入る。
中心では、立っていても、座っていても、横になって床に頭をつけてもいい。
これをかなり長い時間続けた。
たしか、3周はやったと思う。
そして、その間に聞こえてきた音が、本当にすごかった。
今まで聞いたことがないほど大きく、澄み切ったクリアな倍音が、空間いっぱいに響き渡ったのである。
「ピーン」
「ピロロロ……」
まるで誰かが笛を吹いているような音が、あまりにも鮮明に聞こえた。
しかも、誰もそんな音を出していない。
高い倍音だけではなかった。
誰もその高さで歌っていないはずの中間の音や、お経を唱えているような低い響きまで聞こえてきたのである。
実はわたしは以前、オーバートーン・シンギングを練習していたことがある。
一人で口や舌の形を工夫して、倍音を強調する方法は知っていた。
アメリカ・カリフォルニアに住んでいた頃、長時間車を運転する機会が多かったので、よくTuva(トゥヴァ)のオーバートーン・シンギングのCDをかけ、一緒に歌いながら運転していた。
余談だが、オーバートーン・シンギングそのものは、それほど難しいものではない。
コツさえつかめば、倍音の大きさに差はあれ、多くの人が体験できるものだと思う。
そして最初は、声の出し方以上に「倍音を聞き分ける耳」を育てることが肝要なのではないかと思っている。
ただ、今回の体験は、それとはまったく違っていた。
特別なオーバートーン・シンギングの技術を使っている人はいない。
ただ、それぞれが一定の母音を普通に響かせているだけである。
それなのに、なぜ、これほど豊かで、しかも驚くほど大きくクリアな倍音が生まれるのだろう。
「なぜ、こんな現象が起こるのだろう?」
体験しながら、倍音が生まれる仕組みをもっと知りたいという探究心が湧いてきた。
そして、輪の中心で響きを受ける体験も、とても興味深かった。
立っていると、エネルギーが身体を通って、上へ上へと抜けていくように感じた。
座っていると、身体全体が響き、特に眉間のあたりがジンジンと強く振動するような感覚があった。
横になってみると、今度は音やエネルギーが上から降り注いでくるように感じられた。
同じ音の中にいるのに、身体の位置や姿勢によって、響きの感じ方がまったく違うのも面白かった。
さらに興味深いことに、同じ空間にいても、聞こえる音は人によって違うという。
高い倍音を聞く人もいれば、鈴の音のような響きを聞く人、お経のような低い響きを聞く人もいるそうである。
同じ場所で、同じ時間に、同じ声を聞いている。
それでも、そこから受け取る「音の世界」は、一人ひとり違う。
その話を聞きながら、そして自分自身が、誰も出していないはずの音をあれほど鮮明に聞いたことで、
「わたしたちが普段見たり聞いたりしている世界だけが、世界のすべてではないのかもしれない」
と感じた。
そこにはもともと存在しているのに、普段の自分には気づけていないものが、まだまだたくさんあるのかもしれない。
何かの条件が整ったとき、それまで気づかなかったものが、突然くっきりと立ち現れる。
そんなことを、頭で考えるのではなく、身体を通して感じた時間だった。
そして何より印象的だったのは、声そのものが持つ力である。
ただ母音を長く響かせ続ける。
それだけなのに、自分の声の振動が身体の内側へ伝わり、さらに周囲の人たちの声と重なって、身体全体が一つの共鳴体になっていくような感覚があった。
その響きそのものが、とても心地よかった。
内側から整えられ、洗われていくような感覚。
声というものは、こんなにも身体に響くものなのか。
そして、人の声が集まることで、こんなにも豊かな音の世界が生まれるのか。
ヨガと倍音声明を通して、心も身体も深く浄化されたような、とてもクリアで清々しい時間を過ごすことができた。
そして今回の体験をきっかけに、倍音というものを、感覚だけではなく、その仕組みからもっと知りたくなった。
あの大きく澄んだ響きは、いったいどのように生まれていたのだろう。
少し調べてみたいと思う。
あの響きは、今も身体のどこかに残っているような気がしている。

〈夕陽〉
読んでくださって、ありがとうございました。
あなたにとって素敵な一日となりますように。








