ここ
<ここ>
ここは
みるものも
みられるものもなく
気づくものも
気づかれるものもなく
ぴったりひとつ
ぴったりひとつ
こことも言えないところ
分けられないところ
分からないところ
大安心
改めまして、このブログにご訪問いただきありがとうございます。
最近、勝手に言葉が紡がれるようで、出てくるままに書いています。
不思議~!楽しい~!
そして、無責任~!
(平にご容赦を!)
でも、言葉って難しい…。
さて、最近日の出時間もめっきり早くなり、日の出る場所も北の方に日に日に移動していき、静かな季節の流れを感じます。
植物たちも目に見えて変化するものが多い時期
植物好きの私としては楽しい季節♬
なんだかありがたい
なんだか安心しています。
とりとめもないですが、今回はこんなところで!
読んでくださってありがとうございました。
あなたが素敵な日々を過ごされますように。
近所の公園では八重桜が咲き始めていました。愛らしい。
ひっくり返った
わたしの世界は完全にひっくり返った
内が外になり
外が内になった
そして実は外なんてなかった
全てはわたし
全てはわたしの中で起こっている
わたしに映ったもののみ現実
それ以外にはない
全ては勝手に起きて、勝手に消える
因果関係もない
そこに解釈を展開する必要はない
展開する個人なんてもともといない
そこに完全な調和がある
改めまして、このブログにご訪問頂きありがとうございます。
なんだか最近、いろいろひっくり返った感じでして。
でも、一気にがんっとひっくり返ったのではなくて、じわじわと、やんわりと。
気づいたら、「あれっ」という感じ。そんなのもあるんですね。
まあそれもストーリー(解釈/幻想)ですけどね~。
でも面白い!そして楽!
読んでくださってありがとうございました。
あなたが素敵な日々を過ごされますように!
かみごと(神事)
<かみごと(神事)>
個人がいない、その中で起こってくることはすべてかみごと(神事)
布団をたたむことも、掃除も、料理も、かかとの角質を削るのも、髪をとかすのも
すべてかみごと
言葉を交わすのも、踊るのも、歌うのも、文章を書くのも
すべてかみごと
見ることも、聞くことも、読むのも、味わうのも、感じるのも
すべてかみごと
ただぼーっと座っているのも、ぶらぶらと歩いているのも
すべてかみごと
喜ぶのも、悲しむのも、怒るのも、楽しむのも
すべてかみごと
日常の、そして非日常のすべてがかみごと
全て起きては通り過ぎていく
すべて新鮮で輝き、ありがたいなぁと心に響く。
改めまして、このブログにご訪問いただきありがとうございます。
ふと思いついたことを、詩のような形にして上に書いてみました。
中空の竹のように、すべてが通っていく感じ。
でも満ちている感じ。
全て自然に起きて通り過ぎていくはたらきって、かみごとだなぁと
なぜか感じたのでした。
読んでくださってありがとうございました。
あなたにとって、素敵な日々でありますように。
踊りそのものになった
踊っている「私」はいなかった。
わたしは踊りそのものだった。
ぴったりひとつ
ぴったりひとつ
これしかない
分けようもない。
改めまして、このブログにご訪問いただきありがとうございます。
日々の気づいたことや、気になったこと、面白いと思うこと、思い出を、徒然なるままに、気が向くままに書いています。
長い間書いていなかったけれども、最近復活する気になりました。
コロナのパンデミックが始まってからこの2年間、ずっと週2回、踊り仲間を誘って、Zoomでジャワ舞踊の練習会をやっているのですよね。参加人数は少なくても、もしくは全く参加する人がいない時でも、好きで続けていて、私にとっては大事な時間。誰か一緒に練習してくれれば、とても楽しいし、一人でもジャワ舞踊にじっくり向き合える。
先日、そのZoomジャワ舞踊練習会で、ジャワ舞踊マンクヌガラン様式女性舞踊のブドヨ・ブダマディウンを数人で練習していた時に起こってきた感じが、最初に書いた詩のようなもの。
本当に気持ち良かった。肚の底から気持ち良かった。
禊ぎ祓いが勝手に起きていくような感覚。
全身が満ちていて、満ち足りた感覚。
なぜ、ブドヨや、ブドヨの踊り手(彼女たちもブドヨと呼ばれる)が、ジャワの哲学では小宇宙の中心とされる王の宝(プソコ)であり、王の超自然的な力(シャクティ)の源であるのかという意味が、分かったような気がした。
勝手な解釈だけどね…。
ここで言うブドヨは、ブドヨ・クタワンと呼ばれる門外不出の神聖な踊りのことだけれども、すべてのブドヨはこのブドヨ・クタワンから派生したと言われるし、すべてのブドヨは神聖さを秘めていると私は感じるし、私自身よく練習するブドヨ・ブダマディウンは、いつも敬意を持ちながら踊っている。公演するときは必ずお祈りを行う。
ジャワ舞踊は「個人を立てない」舞踊なのだけれども、ブドヨはその最たるもの。
禊ぎ祓う舞踊を、もっとやっていきたいなぁと言う気が起きました!
人生面白いね。
読んでくださってありがとうございました。
あなたの日々が素敵なことで満たされますように!
個人はいない
このブログを訪問していただき、ありがとうございます。
超久しぶりの更新です。
突然ですが、
「個人はいない」ということに対する疑いが、完全に落ちてしまい。
いま、とても軽やかで、楽で、喜びに満ちています。どんどん軽くなっていく感じ。
この感じを表したくて、ブログ書いています。
この感じ、どう表せばよいのかな…。
本当に何もないところに、すべてただ現れて、次の瞬間には変化して、いつの間にか消え、また新たに現れて、消えるだけ。
そこに個人が介在する余地はなく、すべて完璧に現れ、次の瞬間にはもう変化している。
瞬間という言葉も正確ではないけれども。時間も距離もなく、私という個人もいない。私不在で全て勝手に起きている。
頭でいろいろストーリー(解釈)をつけず、ただ注意深く観察してみるとそうなっている。まあ、観察する個人もいないけどさ。
そして、いま、ここしかない。そしてそれがわたし。いま=ここ=わたし。
いま見えているこれ、きこえているこれ、五感で感じているこれがわたし。これと私が同じ。
大安心というのは、いつかどこかここではないところや、何かの境地ではなくて、本当にいまここにしかない。個人を介在させず、赤ちゃんの目で見れば、よくわかる。
全てはいまここにある。いま、見えているもの、聞こえているもの、五感で感じているもの以外は本当に存在しない。もちろん、感じている個人もいないけど。
ああ、言葉にするのは難しい。
頭では全く理解できないけれども、腑に落ちた。
この世界は謎だね~。面白いね。
これも戯れとして、ご笑読いただければ幸いです。個人不在で無責任なので~!
そして、「これだ」と掴むのも違う。それももう変化してないから。
皆さま、流れの中で素敵な日々をお過ごしください。(そんな個人はいないけど一応…。)
一期一会
このブログにご訪問いただきありがとうございます。
久しぶりの更新です。
最近、一期一会という言葉が、胸に響いています。
ここのところ、ジャワの知り合いや日本の少し遠い親戚の訃報が続いていることもあります。
でも、人だけでなく、モノや物事など、これまで出会ったことがあるものや経験があることでも、ひとつひとつ、初めて出会ったように、新鮮な感覚で出会っていけたら、いいなぁと思うのです。
子供の時のように。
そうやって物事を見ると、すべて輝いているように見えるから不思議です。
散歩をしていても、周りの緑がキラキラしています。
そして、ひとつひとつ心を込めて丹念に、やっていけたら良いなぁ。
アップダウンの激しい時もあるけれども、起きていることはすべて良いこと。
何でもオッケー。何でも大丈夫。
全て受け取る側の問題。
嫌なら受け取らなければよい。
私は良い気分、又はニュートラルでいたい。
おかげさまで、いろんな気づきをいただいています。
そして、やはりすべて「愛」だなぁと感じる今日この頃。
触れるもの、感じるもの、関わりのあるもの、すべて。
あ、でも、恋人や家族間のいわゆる「愛」のことじゃないです…。うまく言えないけど、わかりますかね?
「愛」としか言いようのないもので、埋め尽くされている。
ありがたいです。
軽やかに、柔らかに過ごしていきたいです。
なんだか散文のようになってしまった。あはは😅
読んでくださってありがとうございました。
あなたにとって素敵な一日となりますように!
徒然なるままに
このブログにご訪問いただきありがとうございます。
本当に本当に久しぶりの更新です♬
やっとこのブログを書く気分になりました。
徒然なるままに、書いてみようと思います。
独り言のようなものです…。
人生いろいろありますよね。
気が付くと、あれこれ過去のことを思い出したり、未来を心配したりして、今にはない、独りよがりな物語をどんどん膨らませて、ストレスがたまったりするだけでなく、それで健康や人間関係を壊していったり。
かと思えば、とても楽しい、幸福な気分になったり。
次には嫉妬に狂ったり、怒ったり。自分が一番不幸だと思ったり。
かと思えば、みんなに愛されていると感じたり…。
まるで狂人ですよね…。でも、みんな似たり寄ったりなのではないでしょうかね~。それとも、私だけ?
最近、自分の思考って、自分でコントロールできないことだなぁと思います。
ついさっきも、買い物から帰ってくると、なぜか「Ten Little Indians」という英語の童謡が、口をついて出てくるのに気づいたのです。まったく理由もなく…。こんな歌、たぶん何十年も思い出したことないのに。
One little, two little, three little Indians
Four little, five little, six little Indians
Seven little, eight little, nine little Indians
Ten little Indian boys. ♬
ってやつです。
何で突然…。不思議~
調べてみると、もともとのメロディーも歌詞の全然違って、ちょっと残酷な歌詞だったようですね…。人種差別的でもあって。
でも、残酷とか人種差別的って、結局はその時々の人たちが決めることで、実際のところは、もっとおおらかな世界だったかもしれないし、全く違った考えの時代だったかもなぁとも思います。今の考え方でジャッジできないことも多いだろうなと。
話はちょっと違いますが、神道の祭祀に使われる大祓詞も今一般的に使われているものでは省略されている部分には、結構な残酷な表現が列挙されています。今の観念とは違うし、差別的ととられるかもしれないから省略されているとのこと。
三重県鈴鹿市にある椿大神社の行満堂神霊殿で、以前、大祓詞をプリントしたものをいただいたのですが、そこに書かれている大祓詞が、私が普段親しんでいる大祓詞と違うのでびっくりした覚えがあります。椿大神社では宮司さんの考えで、古くからの大祓詞を使っているのだとか。
でも、一般的には、何事も、その時々によって変わっていくものですよね。それも佳しですね。
話が逸れました…。
思考って、自分でコントロールできているのではなくて、流れてくるんだなぁ。その思考の塊や記憶を「私」だと勘違いしているのだろうなぁと、最近実感しつつあります。ということを書きたかったのでした~。
今も、コロナに関連して、いろいろ不本意なことも多いですし、考え方が一般的ではないものを、排除しようとする風潮と圧力が大きいこと、とても窮屈だなぁと思います。
結局、みんな何が正しいのかわからないのだし、第一、正しい vs.間違っているって、何だろう。正しいがなければ、間違っているもないし。
それぞれ、違いがあって当たり前。
みんな、お互いに、やさしい気持ちで過ごせたら、それでいいのになぁと思う。
でも、結局、人生、何が幸いするかわからないですし、起こることが起こっているだけなので、何事も、良いとか悪いとか言えないなぁと思います。
今を、心静かに、今あるものを感じながら、淡々といくしかないですね。
さて、今年は梅雨入りがすごく早く、家の植物たちの開花が早いものもいくつか。
すかしゆりがもう開き始めていて、びっくりです。
いつも6月ぐらいだと思うのですがね~
最後に、開き始めた矮性すかしゆりの一種、フェアリーリリー・ゴールデンマトリックスの写真を。
去年の秋に鉢に球根を植え付けたものです。
植物たちって、本当に歓びしかないです。
独り言にお付き合いくださり、読んでくださってありがとうございました。
あなたにとって素敵な一日となりますように!