マンクヌガラン王宮のバティック:「バティックと日本」展を終えて ~ バティック編(4)
いつも読んでくださってありがとうございます。
まだまだ続く「バティックと日本」展に関してです。
今日は、王宮のバティックに関して。
☆なお、バティックの写真は、所有者の許可を得て掲載しています☆
私が長い間お世話になっているソロ(スラカルタ)のマンクヌガラン王宮では、結婚の儀式関連に使用するバティックなどが展示されていました。その他にも、26日に、ディスプレイを手伝ったので、いろいろ見せてもらいました。
まず、このバティック。どういう模様なのか、たぶん説明してもらったのですが、残念ながら忘れてしまいました。もしかして、Sekar Jagadに一種だったのかな。
そして、こちらがSekar Jagad。世界の花を意味します。世界中の花々が集まったようなモチーフ。
そして、以下のバティックは、名前はわかりませんが、男子の割礼の儀式の時に着用されるものだそうです。
これを見せてくれているのは、マンクヌガラン王族のバサラさん。「僕がもう一度割礼したら、死んでしまうよ~」とジョークを言いながら、見せてくれました。
そして、こちらが、マンクヌガラン王家の結婚関連の儀式で着用されるバティックのディスプレイ。でも、いろいろ持ってくるのを忘れたようで、完全なものではないですけれども…。そんなところもインドネシアらしい。
まだ、準備段階で、説明書きも張られていない状態ですけれども…。
ちょっと私なりに説明しますね。英語で書かれているパンフレットをいただいたので、それを基に説明しますが、そのパンフレットの英訳自体がちゃんと合っているかが不安ですので、それを加味してお読みくださいね(笑)。
左の一番上の布は、マンクヌガランの伝統では、Pasang Tarubと呼ばれる、結婚関連儀式の一番初めの儀式に、花嫁のご両親が着用するもの。Dhengklungと呼ばれるモチーフです。Panembahan Senapati王の時代(1587-1601)に発祥したLurikと呼ばれる織物の一種だそうです。実は、このモティーフのパターンは老年の無力さを表すとか。しかし、年を取った人は、豊かな知識、科学、経験、知恵を身に付けているので、腰を低くかがめているのであると、パンフレットには記載があります。
そして、右の一番上は、Siramanと呼ばれる儀式で、これから結婚する二人のご両親が身に付けられる模様です。モチーフの名前はCakar。これは地のモチーフの名前です。この布には、その上にガルーダ(鳥)のモチーフが描かれていますね。Cakarの模様には、これから結婚するカップルが、自立した人生を送れるようにとの願いが込められているとのこと。
そして、左の上から2番目の布は、Nyantri (花婿の結婚前夜の儀式)に花婿の両親によって着用されるもののひとつ。Grompolと呼ばれるモチーフです。Grompolには、集まる、または一緒になるという意味があり、円満な成長への希望のシンボルだそうです。
右の上から2番目の布は、Wahyu Tumurunと呼ばれるモチーフ。これは、マンクヌゴロ7世の王女であるGusti Noeroel 所有のバティック。Gusti Noeroelは、上記のバサラさんのお母上。バサラさんは連れ子で、本当のお母さまではないそうですが、本当の子供の様にかわいがってくださったということです。
余談になりますが、Gusti Noeroelは、超美人で有名な王女様で、1937年のオランダのユリアナ女王の結婚式にご両親とともに招かれ、結婚式のプレゼントとして、ジャワ舞踊を舞われたそうです。その時の音楽は、マンクヌガラン王宮からラジオを通しての生放送だったそうで、それがジャワ初のラジオ放送とされています。当時のラジオ放送のことですから、途中で音が途切れることもあったそうですが、その時は、父のマンクヌゴロ7世が、ビートを取って、無事踊り終えたとか。ちなみに、母はジョグジャカルタのスルタン王家の王女様です。Gusti Noeroelも、毎週日曜日にジョグジャカルタへ舞踊の稽古に通われたということですし、マンクヌゴロ7世の時代は、結婚を機にマンクヌガランの踊り手をジョグジャカルタへ学びに行かせ、ソロ様式とジョグジャカルタ様式が混じって、今のマンクヌガラン様式が確立された時代です。
話をバティックに戻します。
Wahyu Tumurunのモチーフのバティックは、Siramanの儀式や、Midodareni(花嫁の結婚前夜の儀式)で、花嫁になる人が身に付けます。また、花婿になる人がSiramanの儀式の前か後にも身に付けるそうです。美徳と知恵によってあらわされる神からの祝福のシンボルとされています。
また、左の上から3番目はSida Asihと呼ばれるモチーフ。花婿となる人が、花嫁となる人の家族の家を訪れる時に、このモチーフのバティックを身に付けるのだそうです。愛情深い雰囲気の醸成と二人が作っていく家族の愛を象徴しているとのこと。また、結婚儀式の時も身に付けられることもあるそうです。
右の上から3番目と、一番下の段の2枚は、Sida Muktiか、Sida Luhurのモチーフだと思いますが、私には、いまいち違いが分かりません。どれも、結婚の儀式の時に身に付けられることがあるとのこと。Sida Muktiは裕福な繁栄している人生への希望を象徴、Sida Luhurは、着る人の身体と精神がいつも高潔であることへの希望を象徴しているそうです。
長くなったので、今日はここまでにしますね。
バティックの模様に込められた意味、どれも深い意味と希望が込められているのですね。その願いが込められて、一枚一枚バティックが作られていると思うと、感動です。
読んでくださってありがとうございます。
あなたにとって素晴らしい一日となりますように。
<今日の植物(庭の植物シリーズ)>
「エゾリンドウの花」photo by Kaori
戸津コレクションとエピソード:「バティックと日本」展を終えて ~ バティック編(3)
「バティックと日本」展を終えて数日たちますが、まだまだ興奮冷めやりません。また、やはり疲れが取れきっていないらしく、昨日は朝方に悪夢をみました。踊らなければいけないのに、衣装の一部が足りない。それで、取りに帰る(すぐ近くの設定でした)ために、踊る順番を変えてもらったのですが、その前に、メークを終わらせようと思っているのに、メークが失敗ばかりでなかなかできない。何度やり直してもうまくできない。でも刻々と時間は迫ってきて、非常に焦っているという悪夢でした。その悪夢のせいか、雨模様のせいか、昨日は一日、体が硬くて、どよーんとした感じでした。
それはさておき、昨日までは、主に私がお手伝いしていた、プカロンガンのCahyoさんのバティックを紹介していましたが、今日から数日に分けて、他のバティックをご紹介しますね。とはいっても、私はバティックに詳しいわけではないので、詳しくは説明できませんが、エピソードも加えて、出来る範囲でご紹介します。また、私は、踊っている日以外は、Cahyoさんのブースに張り付きだったので、他のブースのバティックを見る時間がほとんどなかったのも残念でしたが、隙間時間に撮影した写真です。
まず、国士舘大学の名誉教授でいらっしゃる戸津先生のコレクション。戸津先生は確か政治がご専門だったと思いますが、学生の頃から、ジャワのバティックを集めていらっしゃり、そのコレクションはとても貴重で素晴らしいです。あまり写真を撮れなかったのが残念ですが…。
分かりにくいかもしれませんが、左端にあるのが、ジャワの鹿鳴館の柄なんだそうです。貴重なもの。それから、良いアンティークバティックは手触りがとてもよい。薄くてサラッとしていて、ひんやりしています。
残念ながら、あまり写真を撮っていませんでした。記念撮影の写真の後ろも戸津コレクションのバティックです。ハルジョナゴロという、ソロの有名な高級バティック工房のもの。
そして、こちらも、戸津コレクションのバティックの前でパチリ
まだまだ引き出しにしまってあるものや、棚の上に並べられているものなど、大量の貴重なバティックがありました。
はじめにどう集め始めたのかのお話を戸津先生にお伺いしたのですが、紹介されて王族の方々の家を次々まわって、貴重なバティックのコレクションを見せていただけるようにお願いしたのだそうです。普段は、ロスメンのような安宿に泊まっていても、王族の家にお伺いする時は、五つ星のホテルに泊まっていたそうです。だいたい、王族の方の家からお暇するときに、「どちらにお泊りですか」と聞かれるので、ホテル名を答えるのだそうです。すると、後におつきの方がホテルにやって来て「もしご興味があるなら、少しならお譲りしても良いと、奥様がいっていらっしゃいます」と言われるのだそう。そこで、結構奮発して、王族のアンティークのバティックを買い取られていたそうです。そうして、その王族の方にまた別の王族の方を紹介していただき、その家にも行ってバティックを見せてもらい、後に買い取るという繰り返しだったそうです。そうして、貴重なバティックを集められ、保管をし、私たちが見れるようになっているのですね。私にとっては、非常に興味深いお話でした。
戸津先生は、ジョグジャカルタの障がい者学校のために、毎年車いすを寄付するという、素晴らしい活動も続けていらっしゃる方です。また、日本の伝統芸能をジャワへもっていったり、日本とジャワの交流にも力を入れていらっしゃいます。ソロの大学でのジャワ研究の推進にも多大な貢献をされています。私も、いろいろと目をかけていただいて、ありがたいばかりです。
また、私がお手伝いをしていて、昨日のブログで取り上げた、今は有名バティック作家になったCahyoさんにも、戸津先生は大きな影響を与えているそうです。まだ無名で、ジョグジャカルタで自然染料を使ったバティックづくりをしていたCahyoさんが、プカロンガンに来た戸津先生をホテルに訪ねてきたのだそうです。そして、有名になりたいけれども、どうすればよいのかと、戸津先生にアドバイスを求めたのだそうです。戸津先生のアドバイスは、私も全部記憶していないですが、「自然染料はやめて、化学染料で自然染料のような色を出す。暗い色合いで勝負する。バティックには必ず自身の名前を入れる。絵がうまくなくてはいけない。」などなどがあったとおもいます。それでCahyoさんは、出身地のプカロンガンへ戻り、戸津先生のアドバイスの通りにしたら、今や超有名バティック作家になったというわけです。戸津先生のバティックの本にも取り上げられ、日本からもバイヤーが多く行っているそう。そして、ジャカルタからもバイヤーがたくさんやってくるそう。高額のバティックがすぐに売れてしまうのだそうです。このエピソードもすごいですよね。
長くなるので、今日はこれくらいで。
読んでくださってありがとうございます。
あなたにとって素晴らしい一日となりますように。
<今日の植物(庭の植物シリーズ)>
プカロンガン・バティックの鳥、蝶々、花:「バティックと日本」展を終えて ~ バティック編(2)
いつも読んでくださってありがとうございます。
今日は、引き続き、バティック展に関する記事です。
☆なお、写真は制作工房の許可を得て掲載しております☆
数日前に、私がお手伝いしていた、Cahyoさんによるプカロンガンのバティック工房の柄にある鳥と花を特集しましたが、今日はそのまとめ、プラス蝶々です。プカロンガンのバティックでは、どのように鳥、蝶々、花が表現されているのか、お楽しみください。昨日ご紹介した作品も交じっていますが、悪しからず。
この鳥は何か聞いてみたら、「Burung gagak」と。つまり、カラスです。日本のカラスとは違う種類なのでしょうね。カラフルです。
上の鳥は鳳凰だそうです。
この鳥は鳩だとか。きれいです。
この上は孔雀ですね。右が雄、左が雌だそうです。
そして、花々。以前アップしたものもありますが、ここにまとめます。花は、一枚の布の中でも、ひとつひとつ花が違っていて、素晴らしかったです。
菊かと思ったら、ひまわりなんだそうです。日本の一般的なひまわりとは、種類が違うのかもしれませんね。
お楽しみいただけましたでしょうか。
素晴らしい作品を見ると、心が満たされるような気がします。こういう作品は愛の結晶ですね…。そして、ここまで描くには、私心を捨てて、無心で描いているのでしょうね。そういう意味では、舞踊も同じかな。
バティック展の記事、もう少し続くと思います。飽きずに読んでくだされば幸いです。
読んでくださってありがとうございます。
あなたにとって素晴らしい一日となりますように。
<今日の植物(庭の植物シリーズ)>
「バティックと日本」展を終えて ~ バティック編(1)
昨日は、舞踊について書きました。
今日は、バティック展でのお手伝いに関して書きますね。バティック展期間中も、少し書きましたけれども、終わってやっと時間ができたので、もう少し詳しく描きます。ちなみに、バティックとはインドネシアのろうけつ染めの布のことです。
舞踊のない28日、29日、1日、2日は急遽、販売の通訳をお手伝いすることになりました。インドネシアから、10以上もの工房が店を出していて、お客さんとのコミュニケーションを取るには、確かに通訳が必要なのですが、全然足りていなかったので。それで、最終日までお手伝いしてきました。通訳というより、販売もせざるを得なかったですけれども…。長時間の慣れない仕事でくたくたですが、楽しかったです。でも、販売って難しいですね…。
私がお手伝いしていたブースは、最高級のバティックを作る工房が出店していたところ。プカロンガンという、中部ジャワの北岸にあるバティックで有名な町の工房です。
☆なお、写真は制作工房の許可を得て掲載しております☆
一枚175万円のバティックには、びっくり仰天しました。値段ももちろんのこと、その超絶技法に…。写真ではわかりにくいかもしれませんが、アップしますね。
一枚175万円の値段がついていたバティックです。強いライトが当たっている部分もあり、写真にとるのが難しかったです。このバティックは、表と裏の色が違うのです。これにはびっくりでした。普通、染めたら、裏まで色が染みてしまうはず。どうやって、表裏違う色で染めるのか、私も聞きましたし、何人ものお客さんにも聞かれました。オーナーのCahyoさんが説明してくれるのですが、いまいちよくわからず…。説明するのは難しいから、工房まで来て見なさいと言われました。ですので、行くつもりにしています。ここ1年ぐらいの新しいやり方のようです。作り上げるまで、15か月。ひとりの工員さんが、一人ですべて手作業でロウ付けをするのだそうです。ちなみに、ここの工房は、18歳から50歳ぐらいまでの150人ぐらいの女性工員がいらっしゃるとのこと。すごいです。
それにしても、手書きのすばらしさと言ったら。この細かさは信じられません。それに、両面から染めているので、1面を書いたら、裏面も全く同じようにロウ付けしていく必要があります。もう、神業としか思えない。
この点々の細かさが信じられません。もちろん、バックグラウンドの模様もすべて手描きです。気が遠くなるような作業ですね。綿の布なのですが、非常に手触りが良く、最高級のものを使用しているそうです。
もう一枚、175万円のバティックをアップしますね。こちらも両面で色が違います。
アップにするとこんな感じ。
これもすごいですね。ちなみにこちらも素材は綿です。ジャカルタで買うともう少し安いそうですが、それでも150jutaルピア(日本円で120万円ぐらいでしょうか)で、ガンガン売れるのだそうです。主に、中華系の富裕層がコレクションとして買うのだそうです。
そして、次の作品も、175万円の値段が。でも本当は145万円の予定だったようです。
ちょっと日本人好みの色ですかね。きれいなピンク色。何人も、足を止めてみていらっしゃいました。こちらは、アップの写真がないのですが、非常に細かかったです。それに、白地が多いって難しそうですね…。こちらも素材は綿です。
ここのバティック工房は、なんといっても色がとても綺麗でした。
そして、私がとても気に入ったバティック。145万円です。
これは、4分の1の写真です。この絵が4つあるわけです。ちょっと写真ではわかりにくいですが、黄色も緑色もとても美しい作品でした。孔雀の部分の細かさには舌を巻きました。
どうしたら、こんなに細かくできるのでしょう。それも両側から全く同じように描かないと、だめになってしまうそうです。
そして亀甲の部分。これは、蜘蛛の巣なのだそうです。これも、手描きでは非常に難しいとのこと。
そして花の部分も。
ため息が出ますね…。こちらも綿素材です。
ちなみに、以下はジョグジャカルタの例なので、少し違いますが、こんな感じの道具で描いていきます。ロウを溶かして、右下にある細長い棒状の道具で描いていくのです。プカロンガンでは、道具の大きさも、ロウの種類も違うそうですが、参考までに。
そして、このシルクのスカーフ。両面の色が違うものです。いくらだと思いますか?525,000円の値段がついていました!もうだんだん値段感覚がおかしくなってきます。
たくさん色違いがありました。もっと明るい色もありましたよ。
そして、私が気に入ったシルクのスカーフ。
これを実際にまとってみると、非常に上品で、センスが良いです。お値段は30万円。これは、片面からしかロウ付けをしていないので、多少安いのでしょう。
そして、店の背面にかけてあった布。写真では光線の関係であまりよくわかりませんが、本当に美しかったのです。素晴らしい色合いと、細かさ。綿素材です。
こちらは、片面からしかロウ付けをしていないですし、背景も無地なので、かなりお値段が下がって、21万円。100万円以上する布を見た後だと、「あら、安い。」と思ってしまいますよね。怖い…。
アップも数枚載せますね。
そして、私がとても気に入った布
これを巻いてみると、本当にかっこいいんです。そして、模様の細かさも、鮮やかさも一級品。21万円…。
色違いはこちら。
今日は、私がお手伝いさせていただいていたブースのプカロンガンのバティックをご紹介いたしました。私は、スラカルタとジョグジャカルタに長く住んでいたのですが、そこのバティックとは全然違う図柄と色彩のプカロンガンバティックに興味津々です。
ちなみに、オーナーのCahyoさんはこんな方です。
ちょっと強面ですが、笑うとかわいい。親しみやすい方です。インドネシアでは有名なバティック作家なのだそうです。ちなみに、彼がすべてのデザインを手掛けています。
バティック展シリーズは、まだ続くかもしれません。
読んでくださってありがとうございました。
あなたにとって素晴らしい一日となりますように。
<今日の植物(庭の植物シリーズ)>
「バティックと日本」展を終えて ~ 舞踊編
昨日、阪急うめだ本店での「バティックと日本」展、無事に終わりました。結局、一週間がっつり関わらせていただき、貴重な経験をさせていただきました。ここ数日、時間がある時は、少しずつこのイベントについて書いていましたが、終わってやっと時間ができたので、もう少し詳しくご紹介いたしますね。今日は、私が踊った舞踊に関してです。
26日のプレオープニングイベント、27日のオープニング日に2回、週末の30日には、ガムランの生演奏で2回、踊らせていただきました。
私の他にも踊りがあったのですが、私的なブログですので、私の舞踊を中心に少し写真でご紹介いたしますね。
まず、26日のプレオープニングパーティーでの舞踊。マンクヌガラン王宮様式のガンビョン・ルトノクスモという踊りです。
マンクヌガラン王宮では、お客様をお迎えするときに良く踊られる踊りです。歓迎の踊りとでも言いましょうか。私もよくマンクヌガラン王宮で踊らせていただきました。王宮では司会の方は、外国人のお客様の時は私が日本人ということを伏せて、インドネシア人のお客様の時は、私が日本人ということをお客様に伝えていましたね。まあ、外国人だったらジャワ人の踊りが見たいでしょうし、インドネシア人なら、外国人が踊るのも面白いでしょうしね。幸い(と言うべきか)、私は日本人とバレることはほとんどなく、ジャワの人だと思われることが普通でした。自分ではよくわからないのですが、なぜなんでしょうね…。
ガンビョンというのは、舞踊の種類で、もともと、農村部で、繁栄と豊穣を願って踊られたものですが、王宮に入り、洗練された舞踊スタイルに変わりました。また、マンクヌガラン王家は、ジョグジャカルタの王家との婚姻関係にあるので、この舞踊はマンクヌガラン様式とジョグジャカルタ様式の舞踊を混ぜ合わせて創作されたものです。
そして、記念写真。ちょっとぼけてしまっていますけれども…。
右の方は、ジョグジャカルタのパクアラマン王家の王妃さま。着物がよくお似合いですね。非常に気さくな方でした。そして、左の男性はスラカルタ(ソロ)のマンクヌガラン王族の方。ソロの正装をしていらっしゃいます。私がソロに滞在していた時から、何かとよくしてくださり、今回のイベントもぜひ私にマンクヌガラン様式の踊りを踊ってほしいと、各方面に掛け合ってくださった方です。
他に、在大阪インドネシア総領事など、関係者が大勢いらっしゃっていました。
27日は、マンクヌガラン様式のガンビョン・パレアノムを2回踊りました。ガンビョンは踊りの様式です。パレアノムのパレはニガウリ、アノムは若いという意味で、若いニガウリを指し、マンクヌガラン王宮のシンボルカラーである、緑と黄色で表されます。そんなわけで、私も緑と黄色の入った衣装です。写真ではわかりにくいかもしれませんが、上半身にまとっている衣装は深緑色です。この舞踊も、お客様をお迎えするときによく踊られます。また、結婚式でもとてもポピュラーな演目です。
ちなみに、頭や耳に付けているものの材質は、Kuningan(黄銅)でできていて、結構痛いです…。
公演では、踊りの衣装に関しても少し話させていただいたのですが、この衣装を着る時に、安全ピンと待ち針を多用するという部分で、観客の皆さんに受けていました。確かに、安全ピンや待ち針を使っているなんて、普通は思いませんよね。
そして30日は、生演奏のガムランで、マンクヌガラン様式男性優型舞踊のメナッコンチャルを2回。この舞踊は、マンクヌガラン王宮に伝わる、ラングンドゥリヤンという舞踊オペラの一部から取られたものです。ですので、途中で踊り手が歌います。マジャパヒト王国時代の若き勇者メナッコンチャルが、恋人デウィ・スカティを残し,後ろ髪引かれるような思いで戦に出ていく様が描かれています。ガンドゥルンGandrungと呼ばれる舞踊のジャンルのひとつで、恋の相手は登場しませんが、相手を思って身なりを整えたり、そこに相手がいるかようにふるまったりする動きで恋焦がれる様が表現されます。
それにしても、やはり、生演奏は良いです。感じるエネルギーが違います。そして、上演というのは生き物だなぁとつくづく感じられます。今回は、以前の違った感じで踊ろうと準備をしてきたので、私にとっては、新しい表現方法がトライでき、また評判も上々でよかったです。
素敵なお着物の前で記念撮影。
右端の方は、マンクヌガラン王族の方。26日にソロの正装をされていた方です。またバティックシャツだと違った感じですね。また、左から二人目は、パクアラマン王妃さま。26日には着物を着ていらっしゃいましたが、この日はジャワの服装です。パクアラマン王宮に伝わる、バティック柄の哲学的な意味に関してのレクチャーもされていました。そして、残りの二人は私の大事な友人たち。真ん中の方は、生ガムランで歌を担当した友人。素晴らしい声の持ち主です。彼女は、個のイベントでの舞踊とガムランのコーディネーターとしても今回重要な役割を果たしました。そして、左端の方は、後ろにあるステキな着物を作られた作家さん。ソロでバティックの勉強をされていた方です。
そして、ジョグジャカルタ様式の女性舞踊、ゴレッ・アユンアユンを踊った友人たちと記念撮影。ジョグジャカルタの衣装は、羽が華やかで可愛いですよね。後ろはハルジョナゴロというソロの有名なバティック工房のバティック。
こんな素敵なイベントで何度も踊らせていただけて、光栄でした。また、多くの友人たちも見に来てくれ、とても嬉しかったです。いらしてくださった方々、ありがとうございました。
舞踊のない日は、通訳として販売の手伝いをさせていただいたのですが、長くなるので、それはまた明日書きますね!
読んでくださってありがとうございました。
あなたにとって素晴らしい一日となりますように。
バティック展でのジャワ舞踊公演
昨日、阪急うめだ本店の9階で行われている「バティックと日本」展で、ジャワ舞踊を披露させていただきました。27日は女性舞踊でしたが、昨日は、ジャワガムラン生演奏での男性優型舞踊。一人で踊るジャワ舞踊は、私は実は男性舞踊の方が好きなのです。今回はマンクヌガラン様式のメナッコンチャルという演目。マジャパヒト時代の勇者メナッコンチャルが恋人を思いながら踊り、後ろ髪を引かれながらも戦いへと向かうというストーリーです。
よく踊る演目ですが、今回は、いつもより動きをより男らしく工夫してみました。ちなみにマンクヌガラン王宮では、女性が男性の役柄を踊ることは一般的です。でも、どうしても女性の体なので、男性のように表現するのには工夫がいります。私もいろんな男性が踊るメナッコンチャル見て、そこから自分なりのメナッコンチャル像を作ってきたつもりです。
今回はどうだったのかな。観客のみぞ知るですね。評判はとても良かったので、それなりに踊れたのかなと、思います。でも、芸能はどこまでやっても終わりがないですね。満足してしまったら、そこで終わりかなと、よく思います。自分が慢心してしまっていないか、動きがいい加減になっていないか、自省しつつ、日本では先生がいないので、自分で練習からビデオを撮ってチェックしています。ジャワ舞踊は本当に深い。今後も精進していきたいです。
ジャワ舞踊を2回公演したあと、夜はジャワ舞踊練習会。今回は人数も多く、和気藹々と盛り上がりました。みんな上達目覚ましいのがうれしいです。
この一週間、ずっとバティックと日本展で踊ったり、通訳したりで、朝から晩まで忙しく、なかなか、ブログをしっかり書く暇がありません。また、後日、いろいろ書きたいなと思います。
読んでくださってありがとうございます😊
あなたにとって素敵な一日となりますように。