香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊やガムラン音楽に関すること、日々の気付きや学び、海外生活で見聞したこと、大好きな植物や動物に関してなどを、私が感じたことを気ままに、ゆるゆると書いていきます

天河神社でジャワ舞踊を奉納

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

6月1日から4日まで、奈良県吉野郡天川村にある、天河大辨財天社での、瞑想リトリートに参加していました。

 

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「天河大辨財天社の鳥居」photo by Kaori

天河神社と2017年11月に初めてご縁をいただいてから、今回で5回目の訪問。そして、ちょうど1年ぶり、2度目の3泊4日の滞在です。

素晴らしい自然に囲まれた神社で、いまここに、ただあることを意識したすばらしい4日間でした。正式参拝から始まり、座禅、読経、瞑想、そしてこのリトリートを企画された阿部敏郎さんや、向禅師、柿坂宮司さまのお話を聞いたり、神仏の祈りと地護摩厳修のご神事に参加したり、神社をお掃除させていただいたり、柿坂宮司さまの真心のおもてなしに触れたり、参加者の皆さんと交流したり。そして、天河神社は、ただただ限りなく優しい、すべてを受け入れてくれるような場所です。今回、初日に正式参拝した時に、なぜか、弁財天さまと、私のハートからのつながり、太い絆を感じ、胸いっぱいに暖かいものが流れ込んできて、思わず涙がこぼれそうになりました。

こんなふうに感じたことは、どこにいても今までなかったので、自分自身、とても驚きました。

実は、ちょうど1年前に4日間天河神社に滞在して、夜、能舞台で瞑想をした時、弁財天さまが私の右脇にふわりと降りて来られたのを感じたのですよね。変な話だと思われるかもしれませんが。私自身、普段、そのようなことを感じる方ではないので不思議なのですが。顔などがはっきり分かるわけではないですが、その姿形のイメージが、いまでもはっきり残っています。その時以来、つながりが深まったような気がしていました。そのせいかもしれませんね。あの時は、瞑想中に、木々や山やカエルの声や、周り全てが私の中にあって、私の中で全てが起こっているような感覚があって、不思議でした。

今回、リトリートに参加して、余分なものが剥がれ落ちていき、非常にすっきりした、すがすがしい感覚です。キラキラした透明の衣をまとっているような感覚。そして体が軽いです。

そのリトリートでの経験で、いろいろ書いてみたいこともあるのですが、それは、機会があれば、おいおい書いていくとして、(と言いつつ、書いていないことがこれまでたくさんあるので、お約束はできませんが(笑))今回は、まず、弁財天さまの前で、天河神社能舞台で、ジャワ舞踊を奉納させていただいたことについて書きたいと思います。ジャワ舞踊をご奉納といっても、衣装も着ずに、普段の服で踊る素踊りで、音楽もガムランではなくて、バンドの即興でしたが、多くの素晴らしい能楽師、アーティストの方々がご奉納されている能舞台で踊らせていただけたのは、それは得難い経験でした。

あの能舞台は、とにかく華やかでかっこよい雰囲気にあふれた場所です。

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天河神社能舞台」photo by Kaori

ちなみに、この舞台は吉野檜で作られ、柱は全く節もなくまっすぐの、ほとんど手に入れるのは不可能のような材料だそう。一本一億円と聞きました。舞台の板も、一枚三千万円だとか。とても手をかけられ、大切に作られた舞台なんですね。神さまには最高のものをと、31年前に、何億円もかけてこの舞台を作られた今の宮司さまはすごいですね。明治の廃仏毀釈までは、全国に12万社も天河社があり、ここにも200人もの神主さんがいらっしゃったそうですが、廃仏毀釈後に廃れ、昭和40年代中頃までは、この神社は子供の遊び場になるほど廃れていたという話ですから。でも、歴代の首相は全員お忍びでやって来ていたのだとか。ここには何かがあるのでしょうね。

ちなみに、ここは神武天皇が「ひのもと」の啓示を受けられたまさにその場所でもあるそうです。

 

この能舞台は、拝殿のすぐ目の前にあります。

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天河神社の本殿(拝殿)」photo by Kaori


この写真は、能舞台のすぐ前の地面から撮影しているので、能舞台に登ると、もう少し高い位置から拝殿が見えます。 能舞台で踊ると、まさに神様に向かって踊るような感覚になります。

 

本当に、いろんな偶然が重なって実現したご奉納であったと思います。

実は以前から、ご奉納ができると良いなぁとは考えており、その機会があるかもというお話もいただいていたのですが、実現せずにいました。

今回、事前にある方から聞かれ、「衣装はかさばるのでもっていきませんが、ジャワ舞踊に使うサンプール(長い布)だけは、いつも持っているので持っていきます」という風にお伝えしていたのです。その方は私のジャワ舞踊を見に来てくださったことがある方です。

天河に着いた後、その方から、「いつ、突然(踊るように)ふられてもよいように、いつもその布は持っていてね。突然ふるかもしれないから」と言われたので、天河にいる間、いつもバッグに入れて持ち歩いていました。それでも、実現するかどうかの確証などなかったのです。

 

6月3日の昼前、初日に続いて、宮司さまが私たちがリトリートを行っている参集殿に来てくださり、いろんなお話をしてくださいました。その中で、地護摩厳修の話になり、宮司さまは、「私の護摩焚きは音の世界なのです」というお話をされました。

宮司さまは、心の赴くままにお話をされるので、話が飛んだり、聴きとりづらかったり、または、難しくて私が理解できなかったりで、はっきりとは分からないですし、誤解もあるかもしれませんが、少し書いてみますね。

昭和56年ごろまでは、護摩焚きの時は、般若心経や観音経をあげていらしたそうです。でも、その頃、「かごめかごめ」の歌にあるように、夜明けの晩であるということで、昭和57年ごろから護摩焚きに「音の世界」を取り入れられるようになったそうです。(間違っていたらすみません。そして、私も話のつながりがいまいちわからなかったりします。)そして、音は万国共通であること、それぞれの音に対応する神様の話(あめのみなかぬし様や、たかむすびの神様など)、神羅万象の音、音の波動、文化的にインプットされた音を超えた音を出していくこと、人だけではなく木や植物や岩との命と命での会話などに関して、話されていたと思います。(これも間違えていたらすみません。)

全て、理解できたわけではないですが、とても興味深いなぁ、もっと知りたいなぁと思いながら聞いていました。

さて、この部屋(参集殿)では、みんなそれぞれ好きな場所に座り、だいたい、座る場所が同じような場所になる傾向があったのですが、その時のセッションでは、たまたま私がいつも座っていた辺りに空きがなく、その時に空いていた、いつもと違う場所に座っていました。前の方の席が好きな私は、その時も一番前に座っていましたが、宮司さまがいらっしゃると、たまたま、そこの席が、宮司さまの目の前となったのです。

そのせいか、不意に、宮司さまに

「何か質問はありますか」と、指されて、聞かれたのです。

私は、「音の世界のお話がとても興味深くて、もっと知りたいなぁと思いました」

と答えると、

宮司さまは、ふと

「あなたは、なにかやっていらっしゃるの?」と聞かれたので、

「音楽もやっているのですが、インドネシアのジャワの舞踊をやっています」

とお答えすると、

なんと、驚いたことに

宮司さまが

「それなら、ぜひ、踊っていただきましょう。愛を持ってね」

とおっしゃってくださったのです。

隣にいた阿部さんも

「ぜひ踊っていただきましょう」

とおっしゃってくださいました。

 

話が、トントンと進み

まさか、こんな形でやってくると思わなかったので

本当にびっくりでした。

 

宮司さまも、なぜ、私が何か芸能関係をやっている人だとお分かりになったのでしょうね。

実は、宮司さまとは、個人的にお話ししたことはこれまでなかったのですが、集団ではお目にかかったことが何度かあり、その時にも、何度か、宮司さまがじっとわたしを数秒間見ているのに気づいたことが何度かあり、この大勢の中で、なぜ私をじっと見ていらっしゃるのかなと思っていました。でも気のせいかもしれないし、私は自意識過剰だけなのかなとも思っていました。でも、宮司さまは、多くの人のことをそうやってじっと見て、いろんなことを感じられているのかもしれませんね。

 

さて、その後、いつ踊る機会があるのかな、今回のリトリートでなくても、そのうちでも、私の舞踊を奉納させていただければ、嬉しいなと思いながら、少し、心の準備はしていました。

それでも、私はいつも、その場や、空気、自分の気持ちに従って、ぱっと変える性質なので、ゆるーくしか、心の準備はしていませんでしたけれども。

 

さて、お昼になり、みんなで禊殿までお弁当を持って行って食べたり、禊殿で瞑想したりした後、拝殿の方に戻ると、拝殿ではすでに、宮司さまが、翌日の早朝に予定されていた「神仏の祈りと地護摩厳修」のご神事の準備をされていました。また、そのご神事で演奏されるバンドの方々も、すでにサウンドチェックやリハーサルを始めていらっしゃいました。

私たちのために、多くの方々が、早くから動いてくださっていることに、ちょっと感動しました。

参集殿で、阿部さんのお話を聞いていたら、そこに宮司さまのお使いがいらして、今夜の7時2分が新月だから、明朝に予定されていたご神事を、その時間に合わせてやったらどうかと、ご提案されたのです。

それで、急きょ、夕方6時半ごろから、ご神事が執り行われることになりました。

非常に興味深いご神事でしたが、秘儀ということで、写真は撮っておらず、どこまで書いてよいのかわかりませんが、後で、滅多に起こらないような珍しいことが起きた、高いエネルギーのご神事であったと聞きました。機会があれば、このご神事についても、少し書けたらなぁと思っています。

 

さて、感動的なご神事が終わった後、

宮司さまが

「あの舞踊の方はどこにいったかな」

とおっしゃり、

「ここにいます」

というと、

「では、踊っていただきましょう」

と。

 

このタイミングで踊らせていただけるとは思っていなかったので、とても驚きました。

でも、実は、もしかしてこんなこともあろうかと、サンプールは、ご神事の間、ずっとバッグの上に置いていたのです。

 

宮司さまが

「バンドのメンバーも、インドネシアにも行ったことがあり、インドネシアの音楽も知っているから、彼らの演奏で踊っていただきましょう」

と。

 

それで、バンドと私のジャワ舞踊の即興セッションとなったのです。

 

私にサンプールを持ち歩くように言ってくださっていた方は、私が舞台に上がる前に、「本当に良かったですね。おめでとうございます」とささやいてくださいました。

 

ジャワ舞踊で使うサンプールの使い方は、踊りによって変わりますが、今回はどのように踊るか、その場で決めようと思い、融通が利くように、首からかけるだけにしました。

 

ゆっくりと女性舞踊のスンバハン(合掌)から始めました。

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「ジャワ舞踊奉納」photo by Coco

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「ジャワ舞踊奉納」photo by Coco

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「ジャワ舞踊奉納」photo by Coco

 

ゆっくり始めたのですが、バンドが意外にすぐに盛り上がって来たので、男性優型の動きに切り替えました。

途中で、宮司さまが、バンドの方にわざわざ歩いて行かれて、もう少しゆったり演奏するように言ってくださっているように、思いました。気のせいだったかな。

そして、舞台の上に一枚乗っていた座布団を自らどかしてくださったり、本当に、思いやりのある方です。

 

最初のうちは、どうしようかいろいろ考えながら踊っていたのですが、

途中で

「考えないで、この場、聞こえてくる音、空気に合わせて踊ればよい」という気持ちが湧いてきました。そして、そのように踊らせていただきました。すべてはその時の場の空気感、神気、バンドの音の響き、自然の音、見てくださっている方々の気を感じつつ、踊らせていただきました。

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「ジャワ舞踊奉納」photo by U

 

もちろん、伝統的なジャワ舞踊なので、決まりごとはたくさんありますが、その中での即興だからこその醍醐味もあるのです。

特に、ジャワ舞踊は表現することを抑えた舞踊でありますし、自分を出すということもありません。

 

また、ジャワガムランの演奏で、演奏者の経験があり勘もよければ、即興でもいろんなボキャブラリーで交流しやすいですが、今回は、全くボキャブラリーの違う、バンド。

私自身、バンドでジャワ舞踊を踊るのは初めてでした。これまで、即興もよくやってきましたが、即興で踊る時は、ジャワ舞踊の動きばかりで動くことはなかったのです。そして、バンドにとっても、おそらく初めてジャワ舞踊と合わせたのだと思います。

どうなるかなと思っていたのですが、そこはさすがで、しばらくすると、私の意図もくみ取ってくださるようになり、そこに交流が生まれました。

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「ジャワ舞踊奉納」photo by Coco

 

途中で、音楽がもっと盛り上がって来たので、男性優型の動きから、男性荒型の動きに切り替え、しばらく踊り、また男性優型にもどり、最後は、女性の動きに戻って、しっとりと終わりました。

 

約9分ほど踊らせていただいたでしょうか。

弁財天さまの目の前で、そしてパワフルな地護摩厳修のご神事のすぐ後に、あのような素敵な能舞台で踊らせていただけるのは、とても得難い経験でした。

弁財天さまにも喜んでいただけのなら、嬉しいです。

そして、同じく神々でもある、見てくださってみなさんにも。

 

踊り終わってみて、いろいろ考えていたようで、直感的に踊り、やはり無心だったのかなぁとも思います。でも、踊りは、その時の自分がすべて出てしまうので怖い。

果たして、愛を持って踊れただろうか。でも踊り自体が愛、交流だと思うのです。

 

 終わった後、踊りの説明をさせていただきました。

まず、即興で踊ったので、ストーリーや意味があったわけではなく、その場と音に合わせて、いろんなスタイル(型)で踊ったこと。

ジャワ舞踊にもいろんな種類があり、神にささげ、交流を持つ舞踊や、エンターテインメント性の高い舞踊など様々なこと。

そして、ジャワで考えられている、マクロコスモスとミクロコスモスの関係。人間の世界であるミクロコスモスが調えば、マクロコスモスも調い、舞踊は場を調える役割もあること。

そして、踊っている時は、自分がいないというか、何かが降りてくるというか、自分が抜けて、役のキャラクター(または、舞踊のラサ(フィーリングとでも訳しましょうか))がスポッとはいるような感覚であることなどを話したと思います。

阿部さんが、「自分が中空になるような感覚でしょう」とおっしゃっていましたが、その通りだと思います。

 

考えてみると、踊っている時は、まさに「いまここ」にいますね。

 

私の舞踊の後、すぐにみんなで瞑想をしました。

私は、踊ったすぐ後だったので、気持ちが高ぶっていたこともあり、あまり瞑想に集中できなかったような気もしますが、それでも、キラキラとした、色でいえば金色のようなイメージの、気持ちの良い波動を感じながら瞑想していたような気がします。

その後も、宮司さまの作られた歌(出会いの喜びを〜という歌です)をバンドの演奏でみんなで歌ったり、その曲で、宮司さまが、即興の歌詞で歌ってくださったり、阿部さんがバンドと共に歌ってくださったり、みんなで踊り狂って盛り上がったり、楽しい時間が続きました。最後はバンドがしっとりした、おやすみのナンバー(のように私には聞こえた)を、素敵な歌声で歌ってくださり、その夜はお開きになりました。

お開きになり、片付けが始まった時に、もう一人、若い男の子もコンテンポラリーの踊りを披露してくれましたよ。彼にとって大切な曲に振り付けしたものだそう。エネルギッシュで良いですね!途中から宮司さまが私に話しかけてくださったので、その受け答えで、途中までしか見れませんでしたけれども、見れて良かったです。

 

その夜から次の日にかけて、いろんな方たちが、私に感想を伝えてくれました。とても感動しましたとか、感動して涙が出そうになりましたとか、美しかった、かっこよかった、手の動きが美しかった、動きによってぱっと気が変わったのが良かったなど、身に余るお言葉をいただき、感謝感激です。

全てはお計らいだと感じたとか、芸能の神様でもある弁財天さまがお誘いくださったのではということを言ってくださった方々もいて、本当に、すべて起こることはお計らいだなぁと、改めて思いました。

 

実は、ビデオを撮ってくださった方がいて、後でビデオを見たのですが、ビデオを見ると、改めたいところしか見えない…。アラがよく見えてしまうのは、舞踊家の性ですね。もっとこうすればよかったとか、こういうところが見ていられないとか。もっとも、ものすごく練習した踊りの公演のビデオでも、私自身、満足することはめったにないのですけれどもね。ましてや即興であれば、アラが見えまくり。きゃ~~~。

 

でも、バンドとの即興で、いつもとスピード感も、音楽の感覚も全く違う中、よく踊った!えらいっと、自分をほめたいと思います!

(ん?おめでたい?笑)

 

それでも、もっともっと精進して、再度ご奉納できる機会があればよいなあとイメージしています。今度は、フルの衣装を着て、ガムランの生演奏で。

あの舞台にとても良く合うと思うのですよね。ジャワガムランの響きも、ジャワ舞踊の動きも精神性も。

 靖国神社能舞台でも、縁あって、仲間たちとジャワ舞踊をご奉納させていただきましたし、能舞台に縁があるのかな。ジャワ舞踊も能舞台に合うと思いますし。

 

全てはお計らいで、なるようになりますね!

 

今日はこんなところで。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日になりますように。