踊りそのものになった
踊っている「私」はいなかった。
わたしは踊りそのものだった。
ぴったりひとつ
ぴったりひとつ
これしかない
分けようもない。
改めまして、このブログにご訪問いただきありがとうございます。
日々の気づいたことや、気になったこと、面白いと思うこと、思い出を、徒然なるままに、気が向くままに書いています。
長い間書いていなかったけれども、最近復活する気になりました。
コロナのパンデミックが始まってからこの2年間、ずっと週2回、踊り仲間を誘って、Zoomでジャワ舞踊の練習会をやっているのですよね。参加人数は少なくても、もしくは全く参加する人がいない時でも、好きで続けていて、私にとっては大事な時間。誰か一緒に練習してくれれば、とても楽しいし、一人でもジャワ舞踊にじっくり向き合える。
先日、そのZoomジャワ舞踊練習会で、ジャワ舞踊マンクヌガラン様式女性舞踊のブドヨ・ブダマディウンを数人で練習していた時に起こってきた感じが、最初に書いた詩のようなもの。
本当に気持ち良かった。肚の底から気持ち良かった。
禊ぎ祓いが勝手に起きていくような感覚。
全身が満ちていて、満ち足りた感覚。
なぜ、ブドヨや、ブドヨの踊り手(彼女たちもブドヨと呼ばれる)が、ジャワの哲学では小宇宙の中心とされる王の宝(プソコ)であり、王の超自然的な力(シャクティ)の源であるのかという意味が、分かったような気がした。
勝手な解釈だけどね…。
ここで言うブドヨは、ブドヨ・クタワンと呼ばれる門外不出の神聖な踊りのことだけれども、すべてのブドヨはこのブドヨ・クタワンから派生したと言われるし、すべてのブドヨは神聖さを秘めていると私は感じるし、私自身よく練習するブドヨ・ブダマディウンは、いつも敬意を持ちながら踊っている。公演するときは必ずお祈りを行う。
ジャワ舞踊は「個人を立てない」舞踊なのだけれども、ブドヨはその最たるもの。
禊ぎ祓う舞踊を、もっとやっていきたいなぁと言う気が起きました!
人生面白いね。
読んでくださってありがとうございました。
あなたの日々が素敵なことで満たされますように!