香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊やガムラン音楽に関すること、日々の気付きや学び、海外生活で見聞したこと、大好きな植物や動物に関してなどを、私が感じたことを気ままに、ゆるゆると書いていきます

断食明け大祭(イドゥル・フィトリ)

今日は、イスラム教徒の断食明け大祭(レバラン)ですね。私が以前住んでいたインドネシアでは、Idul Fitri(イドゥル・フィトリ)とも呼ばれます。

インドネシアでは、この前後、計1週間ほど休みになります。多くの人は、自分の故郷へ帰るため、日本の盆と正月が一緒に来たような混雑となります。

 

まずは、ジャワのイスラム教徒の方へご挨拶。

 

Selamat merayakan hari raya Idul Fitri. Mohon ma'af lahir dan batin. Semoga Tuhan melimpahkan anugerahnya kepada kita semua. (インドネシア語

Ngaturaken sugeng riyadi. Nyuwun pangapunten sedaya kalepatan. Mugi lineburna ing dinten riyadi punika. (ジャワ語)

「イドゥル・フィトリおめでとうございます。今まで何か私が間違ったことをしていたら、お許しください。神様からの恵みで満ち溢れますように」といったような意味です。

 

イドゥル・フィトリを迎えた後、初めて会った時は、「イドゥル・フィトリおめでとうございます。」の後、「今まで何か私が間違ったことをしていたらお許しください」と言い合います。そのための集まりは、ハラル・ビハラル Halal bihalalと呼ばれて、あちこちで開かれます。同時に食事会もあることが多いと思います。イスラム教徒だけではなく、私のような外国人も、異教徒も、そのような集まりに参加して、謝り合います。ちなみに、ハラル・ビハラルは、アラブ社会にはなく、インドネシアイスラム社会特有のものだということです。

この時に使われる言葉は、インドネシア語では、簡略化して「Mohon ma'af lahir dan batin」と言います。若い友達同士だと「lahir batin〜」だけだったりします。Mohon ma'af = お許しください。lahirは生まれるという意味ですが、そこから身体的なことを表し、dan = & 、 batinは精神を表します。なので、ただ、身体的に謝るのではなく、心、精神の奥底から謝るという意味になります。誠心誠意謝るということですね。それまでのわだかまりなども流せるような気がします。良いシステムだなぁといつも思います。

余談ですが、lahir =生まれる=有形物、物質、肉体、外側 というのは、なんだか深いですね。生まれるのは、肉体、外側、物質、有形物のみで、内側(精神、本質)は、生まれもせず死にもせずに、ずっと続いているということを象徴しているようにも思えます。

先ほどのあいさつの時は、必ず握手をします。この時だけではなく、会った時と去る時はいつもです。ジャワでは左手は不浄の手なので、握手は必ず右手を出します。右手だけの握手もあれば、外側から左手を添えることもあります。そして、握手の後、右手を自分の胸に当てます。私は、それがくせになってしまって、日本にいても、握手をすると、その後、胸に手を当ててしまいます(笑)。そうしないと落ち着かないというか、無意識にそうしてしまいます。余談ですが、インドネシアでは、人にものを差し出す時は、必ず右手を使います。左手でものを渡すと失礼に当たります。それも、今ではすっかりくせになってしまい、日本でも、左手で人にものを渡せません。左手に持っていても、必ず右手に持ち替えてから渡してしまいます。なんだか、左手で渡すのが申し訳なくて…。習慣というのは怖いですね。

また、目上の人と握手をするときは、握手したまま、頭を下げて、相手の手を自分の額まで持っていき、相手の手の甲を自分の額につけます。私は、なぜかそれがなかなかできなくて…。どうしてもアメリカにいた時の「みんな平等だ」という意識が強くて…。本当は、ただ単に礼儀作法なのですけれどもね。その他に、親しい人と、または、女性同士の場合、両頬を、交互に当てて、あいさつしたりもします。

 

断食最終日の断食明け(日暮れ)の後、モスクからは、ずーっとお祈りの歌が、スピーカーから大音量で流れます。朝までだったかな。それが、うまい人だと良いのですが、いろんな人が交代で歌うため、下手な人もいたりします。それが大音量で流れてくるわけで、本当に耳を覆いたくなったりもしたことを思い出しました。うまい人だと、うっとりしたりして。ちなみに、モスクはあちこちにあるため、だいたい、複数のモスクからのスピーカー音が混ざって聞こえてくるわけです。大祭の時だけでなく、普段から、一日5回はアザーンが大音量で聞こえてきます。いつもそこまで大音量にしなくても聞こえるよと思うのですけど…。まあ、文化ですかね。

 

留学生たちは、学校も休みで、だからといって家族のもとに帰るわけでもないので、みんなで集まって、料理して、パーティなどをしていたことを思い出します。イスラム教徒は豚肉を食べられないので、普通のレストランやスーパーでも豚肉を見かけることはないのですが、実はジャワの豚肉はおいしいのです。ソロでは、パサール・グデという市場の上階に、肉売り場があり、そこには豚肉を売っていました。ジャワでも中華系の人は多く、豚肉を食べる人口もそれなりにいるのです。市場では、冷蔵庫もなく、肉が吊るしてあったり、置いてあるだけです。スーパーのパック詰めの肉しか見たことがない身には、最初はぎょっとしますが、肉は新鮮です。イドゥル・フィトリの時に、そこで豚肉を買って、とんかつにしたり、豚の生姜焼きをしたことを覚えています。イスラム教徒じゃないぞという主張?(笑)寂しさを和らげるため?(笑)普段はなかなか食べられないものを食べて、お祭り気分を味わうめ?(笑)いずれにしろ、豚肉は柔らかくてとてもおいしかったです。ちなみに、ソロでも、最近は豚肉が食べられるレストランが増えたような気がします。

 

なんだか、話がそれてしまいましたね。ちょっと文句も書いてしまいましたが、私自身は、イスラム教徒の友人も多く、イスラム教の素晴らしいところも見て知っているので、イスラム教を尊重しています。ちょっと、原理主義者には賛同できませんけれども、幸い、私の周りは良い人ばかりでした。ジャワの場合、純粋なイスラム教徒というより、いろいろな信仰が混じっている人が多いですしね。

 

あ、それから、子供たちはイドゥル・フィトリの時に、日本でいうお年玉がもらえます。ポチ袋に入れられたお金。そのお金は新札が良いのですが、ジャワでは、普段の生活で、新札を見ることはまれでした。お財布を持たない人もいるので、お札はくちゃくちゃ。首都のジャカルタに行くと、なんてお札が綺麗なのだろうと感激したものです。それで、イドゥル・フィトリの前には、道路沿いのある一定の場所で、何人かの人(10人ぐらいでしたかね)が並んで、新札をひらひらさせながら売っています。もちろん、額面より少し高めに…。この風景は、イドゥル・フィトリ前のジャワの風物詩ですね。日本なら、お金を売るなんて法律違反でしょうが…。

 

イドゥル・フィトリの時は、私はジャワに家族はいないですが、私の王宮の踊りの先生が、いつも必ず、ご家族の集まりの時に私を招待してくれて、とてもありがたかったです。その方は、お子さんが12人もいらして、その孫、ひ孫、玄孫まであわせると、もうなんだかわからなくなります。私も、個人的に親交のある方以外、いつも誰が誰だかわからずにいます(笑)。あまりに多いので、ご家族の交互にやってくるのだそうです。楽しい思い出です。また、私がお世話になっていた王宮でも、ハラル・ビハラルの集まりがあり、そこにも参加させていただいたりもしていました。

 

断食月が終わると、いつも、やっと普通の生活に戻るような気がしていました。断食月の間は、学生の集中力も低くなり、仕事の効率も悪くなり、踊りや音楽、影絵芝居のパフォーマンスも少なく、イスラム教徒は断食月は結婚できないので、結婚式もほとんどなく。夕方になると、みんなそそくさと帰ってしまったり、夜は、モスクへ行く人が多く、夜の行事は始まる時間が遅くなり、やはり普段とはかなり違いましたね。王宮でのガムランを使った練習も21日目まではできませんし。そんなわけで、イドゥル・フィトリが来ると、イスラム教徒ではない私でも、わくわくしたものです。

 

最後にまたまた余談ですが、以前、ジャワに住んでいた時に、イドゥル・フィトリの日付が、インドネシア政府の見解と、あるイスラム団体(確かムハメディアだったかな?)の見解が1日違い、みんな混乱していたことがありました。友人に「結局、いつなの」と聞いても、分からず。友人たちも、「今日かと思っていたら、明日だって。でも、もう面倒だから、今日、断食が開ける方のモスクへ行って、今日で断食は終わりにしたよ」という 感じだったことがあります。なんだか、ゆるいというか、インドネシアらしいというか。今年はどうなのでしょうね。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

<今日の植物(庭の植物シリーズ)>

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デュランタ宝塚の花」photo by Kaori