香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊やガムラン音楽に関すること、日々の気付きや学び、海外生活で見聞したこと、大好きな植物や動物に関してなどを、私が感じたことを気ままに、ゆるゆると書いていきます

年末の時期に思い出したこと(土地変われば文化も変わる)

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今日は冬至ですね。私が住んでいる辺りでは、この時期にしては、温かい冬至になりましたが、朝から雨模様。午後になって、天気が回復してきました。

これから、まだまだ寒くなるのでしょうが、だんだん昼間の時間が長くなっていくと考えると、明るい気分になります。

 

もうすぐ2018年が終わると思うと、あっという間すぎて、信じられません。

でも今年も無事に過ごしてこれたことに感謝です。

 

さて、年末年始の挨拶の季節ですね。私は海外生活が長かったこともあり、海外に行く前の知り合いとの縁も多くは切れてしまっていて、知り合いがあまり多くないこともあり、ここのところ年賀状は全く書いていないです。まあ、それは言い訳で、ただの面倒くさがりだということですけれども…。メールやSNSで新年のあいさつはしていますけれどもね…。

 

最近思い出すのは、アメリカに行ったばかりの頃。あの頃は、この時期になると、知り合いに季節の御挨拶のカードをせっせと送っていました。その時に新鮮だったのは、送る相手の宗教を考えてカードを送るということ。日本の年賀状ではそういうことはありませんものね。

アメリカに多いキリスト教徒には、Merry Christmas & Happy New Yearというカードを送っていましたが、他の宗教の人、または、宗教が分からない人には、Season's greetings(季節の御挨拶)というカードを送っていました。日本では、キリスト教徒でなくてもクリスマスを祝う人も多いですけれども、そんなことは、ほかの地域ではあまりないように思います。もちろん、他の地域でも、他宗教の人でも、クリスマスパーティーに呼ばれれば参加しますし、キリスト教徒にはクリスマスのお祝いの言葉も言いますけれどもね。日本では、キリスト教徒の人以外には、クリスマスはただのイベントですから仕方ないですし、それはそれで楽しめばよいのですけれども、私はちょっと違和感を感じますね。とは言っても、私も機会があれば適当に楽しんじゃいますけれども!でも、クリスマスだからこうしなきゃいけないというこだわりはないです。

また、私が住んでいたアメリカやインドネシアでは、キリスト教徒にとっては、やはりクリスマスは家族で過ごすものでした。日本では、一般的に、クリスマス・イブがビックイベントで、クリスマスの日になると、もうすべて終わってしまっている感が強いですけれども、アメリカでは(少なくとも、当時の私の家族の習慣では)、クリスマス・イブは動物たちのクリスマスと言われていました。家でも、その当時飼っていたワンちゃんたちにお祝いをしてあげていましたよ。(ちなみに、ラサ・アプソというチベット原産の種類の犬を3匹飼っていたのです。シーズーのもとになった種類です。)そして、クリスマス当日に、人間たちはクリスマスを家族で一緒に教会へ行き、食事をし、プレゼントを交換してお祝いしていました。

 

プレゼントのことで思い出したことを一つ。アメリカのデパートやモールなどで、服などをプレゼントに買うと、値段の付いていないレシートをくれます。それをプレゼントに同封するわけです。もし、貰ったプレゼントの色が気に入らなかったり、サイズが合わなかったりすると、そのレシートで交換できていました。いまはどうだか知りませんが、なかなか良いシステムだなぁと感心した覚えがあります。

 

話を戻しますね。

実は、私もキリスト教徒だったことがあるのです。以前アメリカで結婚した時に、元旦那の宗教に合わせたわけです。もっとも古いキリスト教と言われ、とても儀式の美しい正教会。今でも、ギリシャや東欧、アラブ地方、エチオピアやロシアは、正教会が多いですよね。カトリックより古いキリスト教です。ちゃんと、クリスチャンネームも持っています。もっとも、大人になってから洗礼を受けたので、クリスチャンネームは自分で決めました。アメリカでは教会にも通っていましたし、教会のクワイアでも歌っていましたよ。その時は、ギリシャ正教会と縁があってそこに通っていたので、感情豊かな(!?)ギリシャアメリカ人の方たちと、意味は分からないけど、古いギリシャ語で歌っていました(笑)。今ではよく出てきた「キリエ・エレイソン」ぐらいしか覚えていないですけど。正教会は、儀式なども、このようにやれと押し付けられるのではなく、伝統的に、その土地の文化を取り入れてやりなさいという主義だったそうなので、その土地によって正教会の儀式はかなり違うようです。文化的にも征服するというやり方ではないのが私にとっては好感が持てます。私が通っていた教会にしても、通常、正教会はチャンティングだけで、クワイアはないのですが、カトリックなど他の教会のようにクワイアを作ってオルガンも使いたいという要望があったらしく、それでクワイアがあったわけです。ちゃんと歌う曲や神父さんとの掛け合いも本になっていて、それを見て歌っていたので、アメリカでのギリシャ正教会は、そうしているところが多かったのかもしれませんね。

実は、私とキリスト教は、ちょっと縁が深く、中学校からプロテスタントの学校に通っていて、聖書の勉強もしていました。ある意味、仏教や神道より、その頃はキリスト教のことの方をよく知っていたと思います。今でも、「主の祈り」や、聖書の一節を暗記していますよ。

そして、その後、とくにキリスト教を抜けたとか、そんなことはないので、今でも、キリスト教徒だと言えば、そうなのかもしれませんが…。でも、私にはなんだかしっくりこないのですよね。思えば、初めから、キリスト教は好きではあったけれども、しっくりこなかったことを覚えています。「ちょっと違うのではないか」と思う部分があるわけです。そんなわけで、今は、自分ではキリスト教徒だとは思っていないのですが。でも、何を信じるかは人それぞれ自由なので、キリスト教を否定しているわけではないですよ。

ちなみに、正教会では、クリスマスは12月25日ではないそうです。毎年変少しずつずれるそう。当時の私の義理の父は、クリスマスの日にベツレヘムで生まれ、現地の言葉でキリストを意味する名前を付けられていますが、たしか1月生まれです。(ちなみに、こんなに良い人には他に会ったことがないほど良い人でした。)イースター正教会は、カトリックなどとは日程が違うのですよね。ただ、アメリカでは、正教会でもクリスマスは12月25日に祝っていました。でも、イースターだけは、カトリックなどとは違う日程でしたね。キリスト教徒にとっては、実は、クリスマスよりもイースターの方が重要なのですよね。

90パーセント以上がイスラム教徒といわれるジャワでも、私の周りは比較的キリスト教徒が多かったです。クリスマスパーティなんかも呼ばれますし、クリスマス関連のイベントで踊ったことも何度かあります。クリスマスパーティは、もちろん、他の宗教の方々も招待されます。ジャワでは、クリスマス関連のイベントは、1月いっぱいまではやっていますね。日本だと、なんでもその当日よりも早くやり、その日が過ぎるとすべて終わる感じですが、ジャワでは逆です。誕生日もしかり。インドネシア独立記念日関連のイベントも、独立記念日の後、しばらくはやっていますね。そのあたり、日本とは考え方が全く違いますね。

ちなみに、私はジャワででも、イスラム教徒には、イスラム教の祝日にお祝いの言葉を送り、キリスト教徒には、キリスト教の祝日にお祝いの言葉を送るようにしています。もっぱらSNSを通してですけれども。ジャワでの仏教徒ヒンドゥー教徒の知り合いはほとんどいないので、その辺りのお祝いの言葉はそういえば送ったことはありませんね…。日本でも、これからますますに海外からやってくる人が増えれば、そういう気づかいも、ますます重要になるでしょうね。

 

土地変われば、文化も違いますね。興味深いです。

そして、それぞれを尊重しあっていく世界であればと思います。

 

今日は、なんとなく思い出したことを、筆が流れるままに書いてみました。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

<今日の植物(家の植物シリーズ)>

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クリスマスローズ」photo by Kaori

今年は、クリスマスローズの開花が早いです。クリスマスローズという名前はついていますが、この辺りでは、クリスマスには開花せず、もっと後になって開花するのですが、今年はやはり天候がちょっと異常なのかもしれませんね。