上野不忍池辯天堂の巳成金大祭
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
先週末の9月22日、上野不忍池辯天堂の年一度の大祭、巳成金大祭へ行って来ました。前回行った時に、感じが良かったのと、秘仏である八臂辯才天さまが、この日だけご開帳になるということで、ちょうど、東京へ行く用もあったので、行くことにしたのです。
ホームページには八臂辯才天さまの縁起が書かれていたので、転記しますね。
秘仏ご本尊の縁起
辯天堂にお祀りされるご本尊さまは「辯才天」です。音楽と芸能の守り神として広く信仰され、また「辯財天」とも書くことから、金運上昇といったご利益があります。琵琶を持ったお姿で知られていますが、辯天堂の辯天さまは八本の腕があり、手に手に煩悩を破壊する道具を意味する武器をお持ちになっている「八臂辯才天(はっぴべんざいてん)」さまです。
ご開帳は年に1日、9月に行われる「巳成金(みなるかね)大祭」の日です。
ついでに同じページにあった、不忍池辯天堂の歴史も転記しておきますね。
不忍池(しのばずのいけ)辯天堂(べんてんどう)は、江戸初期の寛永年間に、天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正(1536~1643)によって建立されました。
天海大僧正は、「見立て」という思想によって上野の山を設計していきました。これは、寛永寺というお寺を新しく創るにあたり、さまざまなお堂を京都周辺にある神社仏閣に見立てたことを意味します。例えば「寛永寺」というお寺の名称は、「寛永」年間に創建されたことからついたのですが、これは「延暦」年間に創建された天台宗総本山の「延暦寺」というお寺を見立てたものです。
こうして天然の池であった不忍池を琵琶湖に見立て、また元々あった聖天(しょうてん)が祀られた小さな島を竹生島に見立て、さらに水谷伊勢守(みずのやいせのかみ)勝隆(かつたか)公と相談して島を大きく造成することで竹生島の「宝厳寺(ほうごんじ)」に見立てたお堂を建立したのです。
琵琶湖と竹生島に見立てられたお堂であったため、当初はお堂に参詣するにも船を使用していたのですが、参詣者が増えるにともない江戸時代に橋がかけられました。
昭和20年の空襲で一帯は焼けてしまいましたが、お堂は昭和33(1958)年に復興し、また昭和41(1966)年には芸術院会員であった児玉希望(こだまきぼう)画伯による龍の天井絵が奉納されました。
以上、ホームページ:http://bentendo.kaneiji.jp/about からでした。
さて、辯天堂について見ると、ご本尊を拝むための長い列が。
天気は、時折雨がぱらぱら。運良く、雨が降り出したときは、屋根の下に達しました。
どうも、巳成金大祭の時は、雨が降ることが多いよう。
ご本尊の八臂辯才天さまは、丸くて穏やかで美しい顔。
お参りするときに、八臂辯才天像の絵が入った、しおりのようなものを頂けるのですが、その絵は、なぜか実物より細く書かれているのです。実際はもっとふくよかな感じでした。写真撮影は禁止と書かれていたので、写真は撮りませんでしたが。
また、巳成金大祭は、この日に金・銀・銭を紙に包んでおけば富むという故事に由来しているということで、境内のテントでは、小判のお守りや、福財布が販売されていました。
私も小判のお守りをゲットしました!
大祭の日でも、だれでも参加できる、毎日のお勤め(読経)は行われていて、9時のお勤めに参加しました。狭いこともあり、あふれんばかりの人。最後の方に入ったので、後ろの方に立っていました。お経は、弁才天さまに関するお経だったのかな?私の知らないお経でした。お経は読むために貸し出しもしているのですが、すごい人でしたし、私は、読まずにただ立っていました。周りも読んでいない方が多かったですが、私の隣の男性は、大きな声でお経を読み、そして、後ろには、弁才天さまのご真言を、お経の間中、ずーっと、結構大きな声で唱えている男性がいました。
お勤めも終わりにさしかかった頃、なぜか、胃の辺りから、急激に気持ち悪くなり、立っているのもつらくなり、倒れそうになりました。多分、顔も青ざめていたのではないかと思います。このまま、この場所に立っていたら、倒れると思い、早々にお堂から出ました。お堂脇の池の脇にあるベンチで座ったり、周りを少し歩いたら、回復しましたけれども。いったい何だったのでしょうね。実は以前、全く違うシチュエーションで、同じような感じになったことはあるのですけれども…。エネルギー的な問題なのですかね。
でも、その後再び、お堂のある階段の上に上がると、やはり、ちょっと無理な感じがしたので、今日はだめなのだなと思って、池脇のベンチの辺りで、休みつつ、池のハスの葉を楽しんだり、ハトや雀などを見ていました。
そこからの景色はこんな感じ。
近くに曼殊沙華も咲いていました。
巳の日だったので、聖天島も開いていましたので、参拝しましたよ。
聖天島の中には、たくさんの石碑があります。
そしてこの像
裏側は実はこんな感じでした。役行者さまだったのですね。
年に一度の上野不忍池辯天堂の巳成金大祭、ちょっと、くらくらしてしまいましたけれども、なかなか興味深かったです。行こうかどうか少し迷ったのですが、行けてよかったです。やはり、自分自身でいろいろ経験して、いろいろ見て歩くのがが、私は好きです。そして、その自由があるのに、感謝あるのみです。
この日は、夕方まで上野公園内外を散策しました。
そのことは、また機会があれば、別の記事に書きますね!
読んでくださってありがとうございました。
あなたにとって素敵な一日となりますように。