ジャワ舞踊、男性舞踊の大御所から学んだこと(2)~時間とスペース、気、深いところとの繋がり
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今日は、前回の続き。東京で、ジャワ舞踊の大御所ダルヨノさんと、いろいろお話ししたり、踊りを見たりするうちに学んだこと、気付いたことなどのシェアです。
前回の記事は以下からお読みいただけます。
ジャワ舞踊、男性舞踊の大御所から学んだこと(1)~エネルギーの伝達 - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~
まず、ダルヨノさんは、いつも平常心という感じで、全く動じない。いつも、静かに話されます。
ダルヨノさんとのおしゃべりで、とても印象に残っているのが、踊っている時の「waktu(時間)」と「ruang(スペース)」のこと。このあたり、もしかして、私が誤解しているかもしれませんが、踊っている時に、時間とスペースを創り出すといったことだと理解しています。または、時間とスペースを操作するというか、時間とスペースで遊ぶというか。時間とスペースを「objektif (客観的)」に見るのか、「subjektif(主観的)」に見るのかで違うという風に、ダルヨノさんは表現されていたと記憶しています。客観的に見る場合、時間は刻々と一定に動いていき、スペースも目で見えるような、この地球とか、空間であるけれども、そういう共通の観念ではなくて、主観的に見ると違うということ。私が「主観的な時間とスペースは、自分で創り出せるものということですか」と聞くと、「そうだ」との答えが返ってきたので、そういう意味も含まれていると思います。(でもそれがすべてではないと思います。)主観的な時間とスペースであれば、自分次第で変わりますよね。そして、動きによって作り出される時間とスペースは、いろんなスケール、いろんな側面があるような気がします。
それは、自分の中から出るものだけではなく、外から入ってくるものも関係しているよう。
時間とスペースに関しては、私自身、理解できるような気もするのですが、うまく言葉では表せません…。機会があれば、また、ダルヨノさんにいろいろ聞いてみたいなぁと思っています。
ダルヨノさんの踊りは、どこから見ても綺麗です。踊っているとき、どの瞬間を写真に撮っても決まっているのです。形だけではなく、そのエネルギーも、雰囲気もすごいです。品があるのに、力強さもある。
ダルヨノさんの踊りは美しいだけではなく、やはり動きに個性があるというか、特徴があるのです。個人的には、スムーズそうに見えて、でも、ちょっとデコボコするような、なんというか朴訥さもあり、その両方が併存しているのが、何とも言えず印象的です。美とその反対のものとの2元の両方があるというか。
今回、ダルヨノさんの踊りを、リハーサルなどで何度か間近で見ていて、とても印象に残っているのが背中。背中の雰囲気がすごい。前面だけではなく、体全体が、丸く、気に包まれているよう。
聞けば、大学生のころ、毎晩寝る前に、眠くなるまで、シャツのボタンを使って、踊る空間に見立てたスペースで、そのスペースをどう動くのか、ボタンを指で動かして、シュミレーションをしていたそうです。イメージトレーニングのようなものでしょうかね。ボタンを使うのいうのは、体の周りの気が丸くボタンのようだからとのこと。やはりそうだったのですね。
他にも、いろいろな興味深いトレーニングの話もしてくださいました。
まず、目の前の一点を見つめる。そこに集中する。そこから、自分の真横まで、左右に、半円状に線をイメージで引いていく。そして、目の前の点から、自分の真上を通って、自分の真後ろまで、半円を描くように線を引く。そして、自分の真後ろの一点から、自分の真横まで、左右に半円状に線を引いて、前の一点から引いた左右の線と繋げて、円を作る。
また、「今あるがままを感じる」という禅行のような、トレーニングも。
ダルヨノさんは、ヴィパッサナーという言葉を使っていらっしゃいました。
ヴィパッサナーと言えば、ヴィパッサナー瞑想(観行)が有名ですね。物事をありのままに見るということに焦点が置かれているようです。話はずれますが、仏陀はヴィパッサナー瞑想で悟りに至ったと聞いたことがあります。私は最近、日常的にサマタ瞑想(止行)の方を行っていますけれども…。ダルヨノさんは、いわゆる「瞑想」は行っていないそうですが、踊ることが瞑想だとおっしゃっていました。確かに。踊ることは瞑想だと、私も感じますね。
ダルヨノさんは、ヴィパッサナーの他にもう一つ、キリスト教関係の言葉を何か言われていましたが、ちょっと私が知らない言葉だったので、覚えていないです。でもきっと同じような意味だったのだと思います。
さてトレーニングの話です。これは、IKJ(ジャカルタの芸術大学)の教授であり、前の学長であり、高名な舞踊家/振付師のサルドノさんがまだソロに住んでいらっしゃるとき、または、サルドノさんの家がまだソロにある時の話だと思います。ISI(インドネシア国立芸術大学)スラカルタ校の修士課程コースで、ダルヨノさんが、サルドノさんのアシスタントをしていたのだそうです。サルドノさんのソロに家(小さなプンドポもあり、そこで、良くコンサートも行われていた)で、舞踊関係の修士コースの学生(といっても、その頃は、大学を卒業したての学生よりも、もっと年上の学生の方が多かったと思います)たちが集まって、もちろんダルヨノさんも参加して、夕方から朝まで、非常にゆっくり動くというトレーニングをしていたのだそうです。みんなでお金を出し合って、食べ物や飲み物を買っておき、途中食べたいときは食べ、とにかく、トイレに行く時以外は、非常にゆっくりと動くのだそうです。日がだんだん陰ってくる感じや、時間によって変わってくる虫の声、風、やがて夜になって変わる空気など、その時その時を感じながら動くわけです。(途中で気が狂いそうになって、抜けた人もいたとか。)あとで、何をしたのかシェアするのだそうですが、ある人は、何時間も、そこにいたカタツムリを観察しながら動いていたり、ある人は、柱に虫(白アリ?)が作った模様を、ずっとなぞって観察していたり、またある人は、落ち葉の葉脈を感嘆しながら何時間も眺めていたり。
その話を聞いて、「いまここにいる」「いまここを感じる」という、禅の接心などでの経験を思い出しました。
そんな風にずっとゆっくり動いていたら、どんな風になるのでしょうね。ちょっとやってみたい気もします。
舞踊って、本当に、自身の深いところとの繋がりが大切なんだなぁと感じるエピソードでした。
なんだか思いつくままに書いてしまいましたね。
長くなるので、今回はここまでとします。
まだ続きます。
読んでくださってありがとうございました。
あなたにとって素敵な一日となりますように。