香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊やガムラン音楽に関すること、日々の気付きや学び、海外生活で見聞したこと、大好きな植物や動物に関してなどを、私が感じたことを気ままに、ゆるゆると書いていきます

響いた言葉~YesとNo

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

ここのところ、ちょっと久しぶりに感情のアップダウンが非常に激しい時があり、あまり考えたくないことや、不安やらが浮かんできて、完全にそれに囚われてしまい、苦しくて、そんなことが浮かんでくる自分が嫌になり、自己嫌悪に陥ったり、こんなに苦しいなら人生なんて終わってしまえ~なんて、考えたりしていました。

 

そんなときに、目に留まったのがOshoの本に書かれていたこと。

最近は、しばらく前に入手した『究極の旅―OSHO禅の十牛図を語る』を、少しずつ読み進めていたところでした。

Osho(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の本は、実はすでに父が持っているものが家に数冊あったのですが、読んでおらず、私自身が、たぶん1年ほど前に『TAO永遠の大河ーOSHO老子を語る』1~4巻を購入したのをきっかけに、少しずつ、休み休み、ゆっくり読みはじめました。

究極の真実が語られていて、何度でも繰り返し読みたい本。

でも、日常生活のごたごたに巻き込まれて、なかなか読み進めなかったり、ジャワに持っていくには本が重すぎて持っていけず、しばらく読まなかったりして、なかなか読み終わらない本。

でも、これらの本は、私にとっては、これまで、日本で子供のころから触れてきたこと、感じてきたこと、大人になって、アメリカやジャワや日本での経験から何となく感じていたこと、ジャワ芸能や文化を通して学んできたことが、こういうことだったのかと、多くの気付きや納得があります。

同時に、思いもかけない、ハッとさせられることもたくさん。

 

ちょっと話が逸れましたが、今回、ハッとさせられたのは、YesとNoについて。

うまく説明できるかどうかは分かりませんが

自分なりにまとめてみると、

 

<心>というか、<エゴ>はいつも否定的に、「ノー」を言うようにできているということ。心にくる最初のものが「ノー」で、「イエス」というのは至難の業ということ。

 

「イエス」と言う方が簡単な時に何度「ノー」と言うか、沈黙を守ってきたことだろうか。

 

「イエス」という時には、必ずエゴに反する。エゴは「イエス」を食えず、「ノー」を食って生きている。

 

「ノー」と言うことは、自分はあたり前の人ではなく、権力があるという感覚を与える。

 

エゴがそれ自身を養い、それ自身に栄養を補給するのは「ノー」の毒によってである。

 

ここで言う「イエス」は、<服従>や<妥協>ではなく、<降参>であること。すなわち、トータルに実存とともにいること。

 

<降参>でエゴを明け渡す。<降参>は、ただ自分は<somebody>であるという間違った観念を落とし、 楽になる。そこに<私>という感覚はないけれども、あなたの個性は無くなるのではなく手つかずののままで、そこにとてつもない成長が起こるだろう。

 

といったようなもの。

 

前回の接心に関するブログ記事でも少し触れた「絶対他力」、「身心脱落」ですね。

 

私には、とても響いた部分ですが、わかりにくいですかね…。

まあしょうがないか~。

興味のある方は、Oshoの本を読んでみてください。(丸投げですね~。)

 

 

日曜日に出席した、阿部敏郎さんのセミナーでもそんな話が出ました。

同じような時期に、同じようなメッセージが入ってくるので面白いものですね。

 

それは、

どういうことが浮かんできても

それに対して、

ああ浮かんで来たわ~。以上!

で終わるということ。

そのことに対して、「ダメ!No!」と言わない。

Noに対してNoと言い続けると、それがどんどん雪だるまのようになっていって収拾がつかない。

 

なんだかものすごく納得。自分自身でもそういう経験がたくさんあるから。

2週間ほど前に、その前何週間かに渡って浮かんでは消え浮かんでは消えしながら、ぐるぐるしていたネガティブな考えや感情にマックス押しつぶされそうになっていた時、これは、それを打ち消すのではなく、見るだけで良いのではないかという結論に、なんとなく達していたのですよね。

今回、それがさらにクリアになった感じ。

たしかに、Noはそういったものに栄養を与えているわ~。

 

つまりは、そういう状況にYesということ。

ただ、そういう状況にある。それを、何の判断も評価もせずに、ただあるということ。

 

 

あるがままでこれしかない

 

それにストーリーを持ち込まない

目の前のことに何ら評価、判断をさしはさまない

 

それが結果

何かになろうとするのではなく、ただあるということ。

 

でも、人は、あるがまま以外に何かあると思ってしまう。

そして、ストーリーを作り上げる。

それで苦しんでしまうのですよね。

 

結局は

全ては今!

今があるだけ

あるがままでこれしかないに尽きる。

 

 

いろんな嫌な感情が湧いてくる自分がつくづく嫌になり、苦しかった。一方で、自分自身が自分を苦しめているのをわかっている、外から冷静に眺めている自分がいるのも知っていた。

でもどうしたらよいのかわからなかった。

というかもしかして苦しむのが好きなのか?

 

ただ、どんな覚者だって、この世に生きている限りは、怒りがわく時もあれば、心穏やかでない時もあるということ。そんなものがなくなった人はいないということ、最近、よく耳に入ってくる。

なんだかちょっと勇気をもらった感じ。

 

どういうことが浮かんできても、それは仕方のないこと。

でも

ああそうか。以上!

で、終われる練習、しよう。

 

結局、自分がすべての創造主なのよねぇ…。

 

それにしても、阿部さんのセミナー

「幸福な富者への道」というセミナーだったのに、

「あなたの夢が叶おうが、欲しいものが手に入ろうが、あなたは今以上には幸せになれません!(きっぱり)」ですって(笑)

 

確かにその通り~!

いま幸せなのかどうなのか。

今しかないよね。

 

おかげさまで、阿部さんのお話には、いつも助けられています。

 

あ、おかげさまで、嫌な気分のぐるぐるは、この10日ほど前から徐々におさまり、快調。

また、姿かたちを変えて戻ってくるだろうけど、楽にやり過ごしたいものです。

そして、優しい気持ちで過ごしていきたいものです。

 

読んでくださってありがとうございました。

わけわからないことを書いていたらすみません。

 

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

 

<今日の植物(家の植物シリーズ)>

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デンマークカクタス(シャコバサボテン)エバの開花」photo by Kaori