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縁あって、1年と数ヶ月前から、月に2回ほどのペースで、ある場所にジャワガムランの演奏を教えに行っています。
仕事で日本にいない時期もあるので、その時は、他の先生に教えに行っていただいたりしながらも、ありがたいことに、続けさせていただいています。
ゆっくり、ゆっくり進んでいますが、今週から新しい曲。
今のグループにとって、ちょっとチャレンジングな曲で、でも難しすぎず、面白い曲をと思い、ラドラン・スマル・マントゥ(PL 6) という曲を選んでみました。スラカルタ様式のほう。私自身、あまり演奏する曲ではないのですが、教えてみると、やっぱり面白い!
一人で、たくさんの楽器のあるガムランを教えるのは、なかなか大変ですが、ガムラン経験者もいて、大変助けられています。私自身、先生としては未熟だなぁと自分でも思いますが、教えることで、私自身、たくさん学ばせてもらっています。
こういう機会をいただけることは、私にとって、本当に感謝しかないです。
そして、教えることは、結構好きかも、と思っています。楽しい!
思えば、2003年に最初にジャワに留学した時、アメリカから直接ジャワへ行き、アメリカへ戻る予定にしていました。そして、ジャワガムランが一人で指導できるように、多くのジャワガムランの楽器を(歌も含めて、ほぼすべての楽器を)まんべんなく学んだのでした。
私のアメリカでのジャワやバリの音楽の先生たちは、 すべての楽器が演奏できたし、踊りもできたので、それが当たり前で、そうなるべきだと疑いもしなかったこともあり、私は踊りも楽器も、一つに絞ることなく学んだのでした。
何より好きで楽しかったですし。もともと凝り性なのかも。
最初は留学は1年の予定で、期間が短いからと、個人レッスンもかなりの量をこなしていたのですが、結局、もっともっと学びたくなって、2年9か月いましたね。そしてその間、ずっと同じように走り続けた感じ。
そんなわけで、ジャワの芸術大学留学中の2年9か月ほどの多くの期間は、授業や市井のグループの練習に参加する他に、カラウィタン(ガムラン演奏)と舞踊を合わせて、一日2~3個人レッスン(4時間~6時間)はあたり前の毎日を続けたものでした。さすがに、踊りのレッスン3つやった日はへとへとだったので、なるべく、カラウィタンと踊りを混ぜるようにしていました。その頃は個人レッスン料もかなり安く(1レッスン3万~5万ルピアぐらい)、恵まれていましたね。
もちろん、かなり努力もしましたよ。大学の授業も、留学は3年弱だったとはいえ、その間ダブルで受講したりして、1年生から4年生の前期までの舞踊科とカラウィタン科の実技の授業は、(ジャワ以外の芸能の授業以外)すべて出ましたし、単位や学位をいただける立場ではなかったですが、外国人だからと甘く見てもらうこともなく、現地の子たちと同じように授業についていけるように準備をし、ちゃんとテストも受けていました。
カラウィタンの授業では、子供の頃から演奏している子たちに付いていくのは、かなり大変でしたけど、授業中に交代しながら演奏するのも、演奏できないと特定の楽器や歌うのを飛ばすことなく、授業で学ぶ全ての楽器や歌はできるように頑張りましたし。楽しかったのでね〜。
ジャワ舞踊も、アメリカに戻っていろいろ教えられるようにと、スラカルタ様式とマンクヌガラン様式の神聖な洗練された女性舞踊や、少しセクシーな女性、かわいらしい女性、恋する女性、勇敢な女性など様々な女性舞踊、かっこよく洗練された静かな男性舞踊(優型)や、荒々しい悪役の男性舞踊(荒型)、戦いの踊り、恋の踊り、チャキルやブリスロウォといった鬼系の踊りや猿の踊り、子供が学ぶ踊り、そして仮面舞踊に至るまで、習いつくした感があります。2週間ごとに新しい踊りを2~3曲学ぶペースでしたし。よくもやったものだと自分で感心したりして…。ほとんど気狂いですよね。
早く学べば良いというわけではないかもしれないけど、あの時の私には、それが一番良いペースだったと思います。私はたくさん学ぶことで、深くしていくのが合っているかなと思います。踊り込みは公演前にかなりしますしね。
衣装も舞踊団が作れるほどいろいろ揃えたものです。
まあ、教えられるようにというより、自分が好きなので、すべてやってみたのですけれどもね。いろんなキャラクターになりきって、踊り分けるのも楽しくて仕方がない。キャラクターを学ぶために、よくワヤンオランも見に行きました。
でもその間、人生いろいろ転換して、結局アメリカに戻ることはなくなり、予定はかなり狂いましたね。
日本に戻り、でも、その後もジャワといろいろ縁があって、多くの時間をジャワで過ごさせてもらいました。合計で10年ぐらいになるかも。
ジャワの芸術大学に留学していた時ほど集中して学ぶことは、その後ないですけれども、舞踊劇を学んだり、ジョグジャカルタにも縁ができて、ジョグジャカルタ様式の舞踊もゆるゆると学ぶこともできましたし、それ以前に学んだことも、少しずつ深めることができているなぁと思います。仕事や調査をしながらも、ジャワに長く生活して、呼吸をし、風土と文化を感じ、都会でも田舎でもいろんな人たちと出会い、上手い方たちと一緒に練習して、一緒に公演をし、多くの公演を見て、刺激を受けて、ジャワのフィーリングを自然に受け取ることができて。そう思うと、ありがたいばかりですね!感謝しかないです。
もともとプロのジャズ/モダンダンサーだったこともあり、ジャワ芸能でも、踊りはかなりやりましたが、カラウィタン(ガムラン音楽)の方は、一通りは出来ても、もう少しうまくなりたいものだと、最近つくづく感じています。ジャワ芸能をやっていると、どこまで行っても終わりはないですが、楽しみつつ進んでいきたいものです。
日本にいる時間も今は飛び飛びですし、今は、学んだことを誰かに伝えるということがあまり出来ていないのですが、日本で、ガムランも、そして踊りも、少しずつでも、私が好きで、学んできたことを伝えられる機会があることは、大変ありがたいです。
もっとこういう機会が増えると良いなぁ。
私が長い時間をかけて学んできたことに価値があると思ってくださる方もいることは、本当にうれしいことです。そして、ジャワ芸能を堪能するために、楽しむために、遠慮せずに、私をもっと利用してほしいです。
とはいえ、自分自身がその価値を一番よく知っているので、それだけでもよいのですけれどもね。でも、もし、私のやってきたことが、誰かの役に立つことがあれば、こんなに嬉しいことはないです。
考えてみたら、本格的に学び始めたのは2003年ですけど、最初にアメリカでジャワ芸能に出会ってからもう25年!びっくり!
ジャワ芸能から学べることはとても深い。そして、人生を豊かにします。もっと多くの人に、ジャワ芸能に触れていただけると良いなと思います。
私の住んでいる辺りでは、仲間がいないのがなかなか厳しいですが…。たまにめげそうになりますが、それでも、一人でも、場を清める気持ちで踊りの練習をしたり、カラウィタンの練習も続けていますよ。
もう少し、仲間を増やす努力をすればよいのでしょうがね。まだ、なかなか…。
何せ、自分の好きなように生きているので…。
慢心だけはせずに、これからも真摯に、でも楽しみつつ、愛を持って精進していきたいです。
まだまだ改善していきたいなぁというところたくさんあるし。楽しみ!
そして、みんなが仲良く集い、それぞれの能力を発揮でき、自由に芸術活動/創造活動ができ、それをたくさんの人に見てもらえる/伝えていける場を作れたら良いなぁと密かに(!?)考えています。
アメリカに戻ることがなくなって、その後、つい数年前までの長い期間、半分死んでいるような気持ちでいましたが、振り返ってみると、その間、多くのことを、一生懸命やって来て、楽しいこともたくさんあったなぁと思います。これで良かったのだと。
そう考えると、本当にすべては幻想ですね。
いろいろあって、必ずしも自分が思ったように物事が進んでいくわけではないけれども、大きな流れの中で生きているのだなぁという気がします。でも、大きな流れで見ると、やはり、すべては自分が創り出していると気付きます。
そして、何があっても大丈夫。
心配せずに、楽しみつつ目の前のことをこなしていきたいです。
読んでくださってありがとうございました。
あなたにとって素敵な一日となりますように。
<散歩中の景色>