香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊やガムラン音楽に関すること、日々の気付きや学び、海外生活で見聞したこと、大好きな植物や動物に関してなどを、私が感じたことを気ままに、ゆるゆると書いていきます

雨期の中部ジャワ

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

先週から、インドネシアの中部ジャワのソロ(スラカルタ)に滞在してます。

現在は雨期の真っただ中。

だいたい、Imlek (中華新年・春節)までは、雨がよく降ると言われています。ちなみに、今年のImlekは1月25日(土)だそう。ソロでも市役所の辺りでたくさんの提灯が飾られ、盛大に祝われます。

 

先週は、本当に毎日のように、まさにバケツをひっくり返したようなゲリラ豪雨に、何度も見舞われていましたが、日曜日から今日(火曜日)まで、良い天気。今日、少し雨が降った程度。

でも湿度が高くて蒸し暑いのなんのって。

このブログを書いている夜8時半現在、ソロの私の住処では、(冷房がないので)部屋の中で、気温30度、湿度73パーセントです。

寒い日本から来た身にはこたえる。扇風機でしのいでいます。

昼間は、事務所の冷房のある一室にこもって仕事していました。

 

雨期(musim hujan) は、ソロにしては気温が低い方なのか、地元の人たちが「Musim dingin 寒い季節」と呼ぶのを聞いたことがあります。(でも、乾期をmusim dinginと呼ぶのもきいたことがある。その辺適当か。)とはいえ、毎日気温は22℃~33℃ぐらい。私にとっては暑い…。湿気高い…。

先日も、夜8時ぐらいに踊りの先生の家に行くと、先生はテラスの椅子で待っていてくれたのだけれども、「寒い…」と…。私にとっては暑かった…。

これが、しばらくソロにいると、少し気温が低めになると、寒く感じるようになるのですよね。人体は不思議だ。

 

ソロの住処の庭には、雨が降っていなければ、毎日たくさんの蝶々が舞っています。20~30羽。蝶々を写真に撮るのは至難の業ですが、撮影してみました。わかりにくいとは思いますが、一応載せますね。

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「ソロの住処の庭のナンヨウザクラにやってくるたくさんの蝶々」photo by Kaori

 

 

移動の疲れと、気温差、湿度差のせいか、土曜日にはちょっとダウン。午後からずっと寝ていた。その後も、風邪気味だったり、お腹が痛かったりして、調子はいまいち。

そして「お腹が痛いのは大腸内視鏡検査の後遺症じゃないの」と友人に言われ、痛いところが、内視鏡検査直後に痛かった箇所に近いので、2日間ほど心配に襲われていました。

でも、よく寝たら調子が上がってきました。やはり睡眠って一番の薬かも。大腸も大丈夫な気がしてきました。(内視鏡検査からもう3週間近くたつので、よほど大丈夫だとは思うのですが…。)

 

さて、雨期は果物がおいしい季節。まだ、忙しかったり、週末はダウン気味だったりで、買い物にも行っていないので、あまり果物にありつけていないのですが、私の先生の家で、果物の王様、ドゥリアンをいただきました。

匂いは強烈で、それがだめで食べられない人もいますが、私は割合平気。でも、たくさんは食べられません。

 

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「ドゥリアン」photo by Kaori

割れ目から、パカッと割ることができます。

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「二つに割ったドゥリアン」photo by Kaori

果肉はこんな感じ

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「ドゥリアンの果肉」photo by Kaori



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「ドゥリアンの果肉」photo by Kaori


果肉のひとつはこんな感じ

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「ドゥリアンの果肉」photo by Kaori


中の種は大きいです。

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「ドゥリアンの種」photo by Kaori

 

好きな人はたくさん食べるようですが、食べすぎも体に良くないよう。食べ過ぎて入院する人も。また、高血圧の人には良くないとか。

ちなみに、ドゥリアンはやはりとても臭いので、手も臭くなります。そんな時は、ドゥリアンの分厚い皮の実の入っていたところのくぼみに水を入れ、そこで少し皮の内側の白い部分(くぼみの部分)を削るようにして洗うと、匂いが取れます。

そして、食べ終わったドゥリアンもやはり臭いので、ビニール袋に入れて、遠くへ捨てに行く人も。その先の人が迷惑だと思うのですが…。


事務所ではサラック(スネークフルーツ)をいただきました。

皮が蛇みたいですよね。

果肉はさくさくとした食感です。

 

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「Salak (スネークフルーツ)」photo by Kaori

食べかけですが、サラックの果肉と種も

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「Salakの果肉と種」photo by Kaori

  

 さて、今日は、月の第二火曜日。ソロにいれば、夜にRRI Surakartaのワヤンオランを見に行くのですが、バタバタしていて忘れていた…。

ワヤンオランは、ちょっと乱暴に例えれば、ジャワの歌舞伎のようなものでしょうか。特にRRI Surakartaのグループはレベルが高いですし、私は好きでよく見に行きます。私は、ジャワの人物表現は、ほとんどワヤンオランを見ることで学びました。

今夜はまだ始まったばかりだけれども、まだ体調がいまいちだし、今夜は一緒に行ってくれる人もいなさそうなので、行かないことにする。

それで、ネットで調べてみると、YouTubeライブストリーミングされている。何と便利な時代だろう。人物の表情もよく見えるし、なかなか良いです。集中して見れて、セリフもよく聞こえるし、言葉の勉強にもなりそう。

興味のある方は、Punakawanというチャンネルで見られます。

ワヤンオラン、日本でもやりたいものです。

 

最近、ジャワの伝統芸能は、現地から本当に盛んにライブストリーミングされています。私としてはありがたい限り。

最近、ネットの発達で、距離があまりなくなってきましたね。

もちろん、実際に空気を共有し、その場にいる方が、私は好きですけれども、ネットで見ることは、それなりの良さがあるなぁと思います。

 

今日も思いつくままにつづってみました。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

 

 

 

 

 

シンガポール航空で関空からシンガポールへ。そしてシルクエアでシンガポールからジョグジャカルタへ。(2019年6月24日~25日)

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現在、インドネシア中部ジャワ州にあるソロ(スラカルタ)に滞在しています。

仕事が主にですが、ジャワ舞踊やジャワガムランに関することをやる時間も、結構あります。そして、肩の治療も…。

日本よりもジャワに知り合いの多い私は、ソロやジョグジャカルタにいると、なかなか大忙し。出来るだけ、静かな気持ちで過ごすように心がけてはいるのですけれども、なんだか前のめりで生きているような気もします…。でも最近は、いろんな物事に取り込まれず、取り込まれてもすぐに出られるようになってきたように思います。ですので、いろんな意味でとても楽です。瞑想効果かな。

 

さて、今回は、関空からの旅。

シンガポール航空は今回が初めてかと思っていたのですが、客室乗務員の制服を見て、そういえば、シンガポール航空は、アメリカに住んでいた時にアメリカと日本の往復で使ったことがあることを思い出しました。それも一回じゃないかも。20年以上前かしら…?もう忘却の彼方ですね。

今回は、ジャカルタに寄る必要もなく、ジョグジャカルタかソロの空港に着けばよかったのですが、検索したら、シンガポール航空が一番安かったのですよね。(エアアジアは除きますが。)シンガポール航空は高いイメージがあったので、びっくりでした。

23時25分発の夜中の便なので、あまりシンガポール航空の評判のサービスを味わうという感じではありませんでしたが、それでも、さすがのサービスでした。とても合理的で、行き届いている感じ。座席の作りも、小さなスペースに、とても使いやすくセッティングされていました。シンガポールのチャイナタウンで以前泊ったことのある、安めのホテルを思い出しました。そこでは、狭いスペースに、関心するほどいろんなものが、合理的に、使いやすく配置されていたので、この飛行機の作りと似ているなぁと。ちょっと座席間のスペースが狭いようにも感じましたが、座席は座りやすかったです。(ちなみに、エコノミークラスです。)

そして、持ち帰ることのできる、ヘッドホーンも使いやすかったです。耳に入れるタイプで、大中小の部品が付いており、耳に合わせることができて不快ではなく、音漏れも少ないのではないかと思いました。そして、映画などのセレクションもとても多かったです。

また、携帯電話なども、切る必要なしでした。こういう航空会社が増えてきているのでしょうね。もちろん、エコノミークラスでは有料ですけれども、wifiもあります。

 

シンガポールへの飛行時間は6時間強あったと思うのですが、やはりあまり寝る時間はありませんでしたね。ラッキーなことに、隣の座席が空いていたので、かなり楽ではありました。でも、着陸の2時間前(日本時間の4時前ぐらい)には、朝食が出てくるので起きてしまいますし。夜出発なので、昼間に少し寝ておくべきでしたね。

朝食はまあまあおいしかったかな。生姜ご飯がおいしい。

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シンガポール航空関空シンガポール便の朝食」photo by Kaori

二種類あって、もう一種類はワッフルだったと思います。

 

シンガポールチャンギ空港でトランジット。第2ターミナル着で、第2ターミナル発。シルクエアは、シンガポール航空のグループ会社だからか、乗り換えのゲートもすぐ近くで、とても便利でした。もちろん、預けた荷物もシンガポールで受け取る必要はなく、ジョグジャカルタまで持っていってくれますし。

また、ターミナルでも、座ったり、休憩したりする場所もふんだんにあり、なかなか快適。寄りかかれるソファがあったり、多くの充電ソケットがあったり。

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チャンギ空港であちこちにある充電ソケット」photo by Kaori

3時間40分ほどのトランジットの時間がありましたが、まあまあ快適に過ごせました。

 

搭乗時間が近くなったので、ゲートまで行くと、そこには、たくさんのジャワの方々。みんなジャワ語で話しているので、もうすでにジャワにいるようでした。

 

朝8時40分発のシルクエアの便。シルクエアに乗るのは初めてです。以前は、ソロまでも飛んでいたのですが、最近は、シンガポール~ソロ間の便はなくなり残念です。ということで、今回はジョグジャカルタまで。

飛行時間も2時間弱と短いからか、座席には個人用スクリーンはなし。でも、あらかじめ、シルクエアのアプリをスマホタブレットにダウンロードしておけば、飛行中、自分のスマホタブレットで、いろんなエンターテイメントを楽しめるようです。

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「シルクエアの機内でのエンターテインメントの楽しみ方の説明」photo by Kaori

朝の便で、天気も良く、窓際の席で景色を堪能できました。私はジャワ島の山々を見るのが好きなので、だいたい山々が見えそうな側を推測して、座席を取るのですけれども、今回もどんぴしゃり。山々がとても綺麗に見えました。

また、雲や太陽もとても綺麗でした。

最近、太陽のエネルギーが強いような気がするのは、私だけですかね?

なんだか、最近、太陽の写真を撮るのが好きで、よく撮っています。

 

 

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「シルクエア シンガポールジョグジャカルタ間の飛行機の中からの景色」photo by Kaori

 

 

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「シルクエア シンガポールジョグジャカルタ間の飛行機の中からの景色」photo by Kaori

 

雲もとても綺麗で堪能しました。

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「シルクエア シンガポールジョグジャカルタ間の飛行機の中からの景色」photo by Kaori

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「シルクエア シンガポールジョグジャカルタ間の飛行機の中からの景色」photo by Kaori

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「シルクエア シンガポールジョグジャカルタ間の飛行機の中からの景色」photo by Kaori

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「シルクエア シンガポールジョグジャカルタ間の飛行機の中からの景色」photo by Kaori

 

そして、ここでも朝食。今日2度目。

ごはんメニューもありましたが、オムレツにしました。チキンのトマトソースがおいしかったです。

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「シルクエア シンガポールジョグジャカルタ間の朝食」photo by Kaori



太陽の光が強くなってきたので、ブラインドを閉めていましたが。しばらくして開けてみると、ジャワ島の上に差し掛かっていました。

山がきれい!

推測ですが、これはSlamet山ですかね。

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「飛行機の中から、ジャワの山々(Slamet山か?)」photo by Kaori




 遠くの方まで山々が連なっています。

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「飛行機の中から、ジャワの山々」photo by Kaori

 

中部ジャワの山々が近くなってきました。

たぶん、Sundoro山とSumbing山かな。

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「飛行機の中から、ジャワの山々(Sundoro山とSumbing山か?)」photo by Kaori

 

Merbabu山とMerapi山らしき姿も見えてきました!(写真の右側)

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「飛行機の中から、ジャワの山々」photo by Kaori

 

尖がっているほうがMerapi山。私にとっては思い入れの強い山です。

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「飛行機の中から、ジャワの山々(Merbabu山とMerapi山か?)」photo by Kaori

 

この後、ジョグジャカルタ空港が混んでいたため、飛行機は着陸できずに、この辺りをぐるぐる回る羽目に。10回以上回ったでしょうか。30分は上空で待機していたと思います。ジョグジャカルタ(アジスチプト)空港に着陸の時は、こういうことが頻繁にあります。それで、着陸した時にはぐったりの時も多いですが、今回はなぜか平気でした。

 

ジョグジャカルタ空港に無事に到着。いまは、30日以内の滞在であれば、日本人はビザは必要ないですが、私は仕事の関係上、有料のVisa on arrivalを取得します。このビザは、30日間有効ですが、一度、インドネシア国内で30日間まで延長することができます。まあ、その手続きも煩雑ではありますが…。

いまは、Visa on arrivalを取得する人も少ないと思います。まず、窓口でビザ代を支払い。聞かれるのは、何日間滞在する予定なのかだけです。前回のジャカルタでも同じでした。以前は、USドルで35ドルだったのですが、先月ぐらいから、インドネシアルピア払いになりました。50万ルピア。それでも、くれる領収書は、以前から使っているUS$35の領収書なのですけれどもね。それらを持って、イミグレーションの窓口へ。

窓口では、Visa on arrivalを扱えるところが一か所だったらしく、そこの窓口に行くように言われましたが、そこでもVisa on arrivalのシールの用意がされておらず、ちょっと手間取りました。最近は、よほど少ないのですね。でも、インドネシアに家族がいるのかと聞かれたぐらいで、何の問題もなくイミグレーションを通れました。

 

ちなみに、ジョグジャカルタでは新空港がすでにオープンして、いくつかの便はそちらから発着しているとのこと。でもかなり町から遠く、まだ公共交通機関もなく、かなり不便なので、今後そちらの空港に移ったら、しばらくはとっても不便になるかも。特に、ソロからは非常に遠いのですよね。願わくば、ソロの空港に、国際線を含むもう少し多くの飛行機が発着しますように。

 

ジョグジャカルタからソロへは、時間帯によっては電車も使えるのですが、本数も少なく、時間によってはチケットが売り切れることも多いので、ちょっと不便かも。私も今回は、荷物も多かったので、車でソロに向かいました。

 

以上、今回の旅のレポートでした!

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

なぜ断食を行うのか

このブログにご訪問ありがとうございます。

 

今回は前回に続き、イスラムの断食に関しての話題。

 

断食ってなぜ行うのでしょうね~?

 

ジャワの友人に聞いてみたところ、

 

断食月

 

良くない行為、例えば、人の陰口をたたいたり、作り話をしたり、人を騙したりなどをの行為を自制する。

浪費しながら生きることや、無益な行為を自制する。

 

などを意識する月だそう。

 

そして、断食は、「神」にもっと近づくための訓練としてでもあるそう。

 

断食とともに、自分の行為を振り返り、正す時期ということでしょうかね。

断食明けの大祭の時期には、かならず「私があなたに対して何か悪いことをしていたら、すみませんでした」という風に、会う知り合いごとに、お互いに謝りますものね。

 

また、断食によって自分の欲望を律し、思いやりの心をはぐくむ。食事を共にしたり、寄付をしたりすることで分かち合うということでもあると感じます。

 

そして、身も意識もきよめて、神とひとつになるということでしょうか。(勝手な解釈ですけど。)

 

話は変わります。

私は、イスラムの教えについては、全く詳しくないですが、間近で暮らしていて、良い習慣だなぁと思うのは、一日5回のお祈りですね。

私がジャワでガムラン音楽や踊りの個人レッスンを受けていた頃、先生方が、キリの良い時間に、「ちょっとお祈りするね」と、お祈りしているのを、何度も間近で見ていました。時間は決まっているようですが、でも、夕方のお祈り以外は、その通りの時間というより、その辺りの時間でキリが良く、都合がよい時間で、お祈りされていましたね。決まった作法でのお祈りです。顔や手足を洗う時間を入れても、ほんの5分、あるかないかぐらいでしょうか。

でも、お祈りの後、決まって、先生方の顔はすっきりしていて、落ち着きと輝きがあるのですよね。

こういう風に、一日に何度か、日常生活の手を停めて、祈ることって、重要だなぁと思います。

祈らなくても、やっていることをすべて止めて、静かに感謝する短い時間があるだけでも、意識がずっと一日走り続けるように過ごすのとは、大きな違いですよね。

 

今日はこんなところで。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

<今日の植物(家の植物シリーズ)>

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「庭の紫蘭の花」photo by Kaori

 

 

 

 

 

断食月

このブログにご訪問ありがとうございます。

 

イスラム圏では断食月が始まりましたね。祈りの月ですね。

 

私が住んでいたジャワでは、イスラム教徒が大多数を占めるので、大勢の方が断食をしています。

私は、おなかがすくと機嫌が悪くなったり、手が震えたりするので、断食をトライしたことはありませんが、断食はすっきりするらしいですね。やってみたい気もするのですが、なかなか意志が弱く…。

 

ジャワでイスラム教徒の方は、断食をされない方もたくさんいらっしゃいますが、多くの方がされています。最近、ジャワでのイスラム情勢も変わってきて、以前に比べて熱心になってきたのではないかと感じます。

 

だいたいみんな朝のお祈り前(4時半ぐらい)までに、サウールと呼ばれる朝食を食べたり飲んだりしないと、その日は日没まで、何も飲むことも食べることもできないので、3時や3時半ごろに起きて、食べていらっしゃるようです。たまに、寝坊して食べられなかったという話も聞きますが、その場合でも、日没まで飲食はしないそうです。

 

ジャワは暑いので、食べないのはまだしも、何も飲めないのはとてもきついだろうなと思っていつも見ています。でも、結構平気で、日常通り、バドミントンなどの運動も行い、普通に活動している人が私の周りでは多かったですね。芸術大学にいた時は、先生たちの方が学生たちより元気で、学生たちがぐったりしていても、先生たちは平気という状況をよく見かけました。舞踊やガムラン楽器の個人レッスンも、私はかなりの数やっていたのですが、断食月でも、先生たちは個人レッスンをいつもと変わりなく教えてくれていましたね。私はレッスン中、水を飲ませてもらっていましたが、先生方は「どうぞどうぞ」といつも言ってくれていました。それぞれの信条や在り方が尊重されているのですね。

それにしても、断食ってすごいなぁと思っていつも見ていました。

そして、夜は毎晩タルウェという、お祈りの集会がモスクであるので、その後の8時半ごろからが活動の時間。その時間から、リハーサルや、ガムランや舞踊のコンサート形式の最終試験なども、普通にやっていましたね。

ガムランのリハーサルなど、夜中の12時までやって、それで3時半に起きるなんて、超人ですよね。

 

学生たちは、私がいた頃は、結構甘く断食をやっている子も多く、午後3時ぐらいになると「ああ、今日はもう耐えられないから断食はやめ!」となる子もいました。「それでもいいんだ」とすごく印象に残って覚えています。

旅行中の人、病人、生理中の女性(多分妊娠中や授乳中の女性もでしょうね)などは、断食はしなくてもよいようですが、まじめの人は、後でその分、個人的に断食したら、モスクに寄付を行ったりするそうです。

 

王宮では、ガムランの音を21日目まで鳴らせないので、ガムランを使った練習や上演はすべて休みになっていました。そして、録音の音源を使った舞踊練習なども、いつもより早めに初めて早めに終わり、断食明けの時間に食べ物や飲み物にありつけるように配慮されていました。

 

それでも、やはり工場などで働いている人の中では、倒れる人も出てきて、生産性は落ちるようですね。私がジョグジャカルタで一緒に働いていたNGOの職員たちも、一応5時まで就業時間でしたが、断食月中は、4時を過ぎると三々五々いなくなっていましたね。断食明けの準備があるので、その辺りは許されるようです。そして、ラマダン明けの大祭に向けてボーナスなどもでるよう。また、コメや油、砂糖なども職場などから支給されているのを見ました。私の仕事場だったNGOの事務所でも、近所の人々を招いての断食明けの食事会も行い、近所の方々にも、コメや油、砂糖などを配っていました。そういうことが、ジャワではとても重要だと感じます。

断食月中は、確かに仕事のペースは落ちましたけれど、人生、仕事だけではないですものね。そういう面が尊重されるのは素晴らしいと思います。

 

断食中は、みんなで集まっての断食明けの食事会が多く行われ、絆が強くなる機会でもありますね。イスラム教徒でなくても、食事会には招待されます。

 

ただ、ラマダン明けの大祭に向けて、お金が入用な時期でもあるので、治安が悪くなるのがちょっと残念です。

 

この断食月が滞りなく過ぎて、みんな楽しいラマダン明け大祭が迎えられますように。

 

今日はなんだか眠くて、あまり頭がまわっていません。

なんだか箇条書きに書いている感じ?

 

ということで、今日はこんなところで。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

 

<今日の植物(家の植物シリーズ)> 

 

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ルピナスの花」photo by Kaori

 

 

 

 

 

マンクヌガラン王宮での舞踊練習 ~それにまつわる思い出といろいろ思うこと

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

引き続き、1月末から3月半ばまでジャワに滞在した時の記録です。

 

今回は、マンクヌガラン王宮でのジャワ舞踊の練習について。

でも、書いているうちに、だんだん思い出話が多くなってしまいました。(笑)

 

まず、背景に関して

私は、2003年からの留学当時から、ずっと縁あってマンクヌガラン王宮での舞踊練習に行かせていただいています。

話はちょっと逸れますが、実は、留学した時がジャワへ初めて行ったときでもあります。今考えると、行ったこともない土地によくぞ行ったなぁと思います。まあ、縁があったのでしょうね。あ、でも考えてみれば、アメリカに留学した時も、ハワイ以外のアメリカに初めて足を踏み入れた時でした。怖いもの知らずでしたし、それが普通だと考えていたのでしょうね。

その当時住んでいたアメリカ西海岸から、飛行機は日本経由だったにもかかわらず、日本にも寄らず、そのままソロへ行ったわけですが、もちろん、アメリカでは、ジャワ舞踊やジャワガムランに縁があったからこそ、ジャワ行きを決めたわけです。実は、当時はバリ舞踊とバリガムランもやっていて、どちらかと言えば、バリ芸能の方がその当時はやる機会も断然多く、舞踊もガムランもバリの方が断然よくできたと思います。でも、ジャワ舞踊もガムランにとても魅かれていたのですよね。良いジャワ舞踊の先生に出会ったことも大きかったかな。(ちなみに、その方はソロの芸術大学出身で、今でもアメリカに住んでいらっしゃいます。)そして、何より、バリには日本人が何百人もバリ芸能を学んでいると聞いていたので、ひねくれものの私は、そんな日本人がたくさんいるところに行ってもつまらないと思ったこともあり、ジャワ行きを決めたわけです。今は、日本は素晴らしいと思いますが、アメリカに出たころの私は、自由に生きたい私のような人間には日本は住みにくく感じ、あまり好きではなかったのです。まあ、他にもいろいろ複雑な事情も絡んでいましたが、それは置いておいて、何事も縁ですかね~。

 

かなり脱線しましたが、そんなわけで2003年9月からジャワへ留学したわけです。当時、アメリカで何度かお会いしたことがあった、ソロのもう一つの王家、カスナナン家の王族の方に連絡を取ってあったので、その方や、ソロの芸術大学の外国人受け入れ部署の関係者が空港まで迎えに来てくれていたことを覚えています。

 

カリフォルニア芸術大学留学中に、誘われたことから、カリフォルニアでジャワ舞踊・ガムランと、バリ舞踊・ガムランを始めたわけですが、先生方は、みんなジャワやバリの方々でした。そして、ジャワガムランの先生が、ジャワに留学するならソロにするように勧めてくれたので、ソロにしたわけです。

また、縁あって、ロサンゼルスのインドネシア領事館でのイベントで踊らせてもらったり、練習で使わせてもらったりしていたのですが、当時、経済担当の領事だった方の、お母様がマンクヌガラン王宮の舞踊の先生ということで、紹介を受けていました。タルウォ先生という方。もちろん本名はもっともっと長く、Suyati Tarwo Sumosutargyoとおっしゃいます。Tarwoさんというのは、旦那様のお名前ですね。ちなみに、ジャワでは苗字というものはないです。

タルウォ先生が、私がソロに行ったら学ぶべき先生のリスト(私のジャワガムランの先生に、いろいろ聞いてリストにしていたのです)に入っていたこともあり、アメリカにいる時から、縁を感じていました。

また、ソロに着いてから知り合った、日本人の舞踊を学んでいる方々も、みんなマンクヌガラン王宮で学んでいたので、その方々のご紹介もあり、ソロに到着して、早いうちからマンクヌガラン王宮の練習に参加することができるようになりました。

そして、タルウォ先生にも、留学してすぐに個人レッスンを受け始めました。

 

もう、16年近くにもなるのですね。何と早い。その間、素晴らしいことも、権力闘争などに巻き込まれて嫌な思いをしたことも、本当にいろいろありましたが、今でも関わらせていただけるのは、ありがたいばかりです。

 

さて、背景はここまでにして、私がマンクヌガラン王宮で参加させてもらっている舞踊練習は、主に3つあります。

 

まず、王宮の大プンドポの上で行われる練習。生のガムラン演奏で行う練習です。水曜日の10時から12時まで。平日の昼間なので、今回の滞在中は一度もいけませんでしたけれども、大プンドポは、音の響きが素晴らしく、そこでのガムラン生演奏での舞踊練習は至福です。私にとっては、大事な練習の場です。以前は、うまい踊り手と一緒に踊る機会も多く、多くを学んだ場でもあります。うまい踊り手と一緒に踊ると、エネルギーの交流をビンビン感じ、その中から、そこでしか学べないようなこと、言葉では言い表せないような、大事なこと、素晴らしい感覚を受け取れます。それを自分の踊りに生かしていくわけです。

タルウォ先生によると、昔は、この水曜日の練習は、みんな9時には来て準備をし、10時にちゃんと舞踊練習が始まっていたそうですが、だんだんみんな遅くなってきて、今では、10時に来ている踊り手はほとんどいないですね。(私はなるべく遅くとも10時には行くようにしていたので、知っていますけれども…。)着替える時間も必要なので、時間もかかり、たくさん踊りの練習をしたい私としては、踊りの練習の時間が少なくなることが残念です。何時に始まっても、必ず12時か、その前には終わりますので。残念ながら、最近、ますますみんな来るのが遅くなってきているような気がします。演奏家も必ず早くから来ている一部の方々を除いて来るのが遅く、10時過ぎに一応始まりますが、少ない人数で、グンディン・ボナンという種類の曲を演奏し始め、だんだん人数が増えていく感じです。

だんだんみんなが来る時間が遅くなるのは、やはり、王宮というか、王家としての求心力が無くなってきているのが原因なのでしょうかね。それだけ、魅力が無くなってきているとか。

まあ、経済を最重視する今の世の中では、それも致し方ないのかもしれませんし、のんびりしているところが、ジャワの良いところでもありますが、こういう面はちょっと残念に感じます。

あとは、昔からそうなのかもしれませんが、人間関係や権力争いの問題。本当に、みんな仲良くやればよいのにと、いつも残念に思います。私自身、なるべく中庸に立つようにしているつもりですが、なぜか決めつけられ、巻き込まれて嫌な思いをすることもあるので、本当に残念に感じます。もっとも、私にも欠点はあると思うので、一方的な見方をするわけにはいきませんけれどもね。

ジョグジャカルタの王宮での練習にも参加していましたが、もちろん、そちらでもいろいろ問題は耳に挟んでいましたが、練習時の雰囲気や、練習にくる踊り手や演奏家の人数の多さ、そして、みんな王家や王宮を愛し、敬意を払っている態度が随所に見られ、舞踊やガムランがとても隆盛している模様をみているので、マンクヌガラン王宮の状況は本当に残念です。争っている場合じゃないだろうと思うのですけれども…。

まあ、人間ですからいろいろあっても仕方ないかもしれませんが、多くの人が気持ちよく練習できる場になってほしいなと願っています。その方が、みんな気持ちよいと思いますし、マンクヌガラン王宮の芸能にとって大切だと思うのですけれどもね。

まあ、私自身は、踊りの練習がしたいだけなので、いろいろあってもあまり気にせずに練習に行きますし、何と言われようと、自分が思うように行動しますけれどもね。

この練習も参加させていただけて本当にありがたいです。そして、状況が変わるとコロッと(仲間外れにされるのが怖いからでしょうか)一斉に180度態度が変わる人たちの中にあって、いつも変わらない態度で接してくれる友人たちや先生方のありがたさが身に沁みます。何事も、良い経験ですね。

そして、みんなそれぞれの立場でいろいろあって大変なのでしょう。でも自由で豊かな心でお互いに接することができたらどんなに素晴らしいだろうと思います。

 

なんだか話が逸れましたね。

 

さて、マンクヌガラン王宮の舞踊練習は、月曜日と土曜日の夕方4時半から6時、録音した音源を使っての舞踊だけの練習もあります。こちらは、大プンドポの上ではなく、脇で行われています。こちらの練習も、4時半に来ているのはごくわずか。結局、5時ぐらいに始まり、一曲踊って長い休憩があり、もう一曲でおしまいという感じ。

以前は、もうすこし熱心にやっていた記憶があるのですけれども、最近は、練習に来る人もわずかで、なんだか、だらだらやっているという印象が否めません。覇気がないというか。

そんなわけで、私も行ける時は行きますが、無理して時間を作ってまで行こうという気にはなれないでいます。なので、今回の滞在でも、この練習に参加したのは一度きり。貴重な練習機会ではあるのですけれども、頑張って行っても、人が集まらずに練習がなしになることもよくあり、まあ、のんびりしているというかなんというか。

 以前はいろいろ勉強になる練習だったのですけれどもね。なんだか残念です。また、盛り上がることを願っています。

 

私がジャワ留学当初から参加し、今回の滞在でも、出来るだけ参加していたのは、Pakartiと呼ばれる練習グループ。マンクヌガラン王宮の東門側にあるプランウェダナンと呼ばれる小さなプンドポで、水曜日と日曜日の夜行われている、一般の方の参加もウェルカムな練習です。私が留学していたころから、多くの外国人留学生も練習に参加していました。そして、近所のおじさんたちも参加。最近では、若い子たちがものすごく増えましたね。そして珍しく、男の子の踊り手がとても多い。

私が留学していたころは、ガムラン練習が主で、踊りの曲もやりましたが、やっても1曲か2曲。それで、踊れる人がいて踊りたかったら踊るという感じの練習でした。そして、7時に始まり、9時きっかりに終わっていました。私は、芸術大学で、ジャワ舞踊だけでなく、ジャワガムランの授業もたくさん受けていましたし、Pakartiを指導してくださっているHartono先生にも、留学当初から舞踊曲の太鼓やボナンを学んでいたので、私にとっては、ガムランの練習ができる、貴重な機会でした。Hartono先生に学んだことだけではなく、よく、芸術大学の授業などで学んだ曲の練習をやらせてもらったものです。専門的な話になりますが、今のPakarti の練習ではほぼ絶対にやらない、Gd Onang onang などのirama rangkep のある曲も練習させてもらっていたのです。あの頃は、他のガムラン練習にもいくつか顔を出していましたが、Pakarti では、踊りの曲の練習もでき、いろいろリクエストを聞いてくれたのも貴重でした。

 

2006年に留学が終わって日本へ帰国後も、毎年ジャワへ行く機会があり、なんだかんだとジャワで長期滞在する機会に恵まれ、結局、トータルにすると、10年ぐらいジャワに滞在する機会があったように思います。その間、ジョグジャカルタに住んでいた時期も長いですが、毎週のようにソロに行き、ソロにいれば、この練習へ行ったものです。

2011年だったでしょうか。ある時、Gusti Heru(現王マンクヌゴロ9世の弟君)が、Pakartiの練習に頻繁に顔を出されるようになりました。彼自身も踊り手でいらしたので、多くのマンクヌガランの踊り手たちと仲良くされていて、彼が誘ったのか、その頃、多くの踊り手が練習に参加するようになりました。

Pakartiの練習も、いつもは9時きっかりに終わっていたのですが、Gusti Heruがいらっしゃるのに、さっさと練習を終わるわけにいかず、Gusti Heruにお伺いを立てながら、Gusti Heruがやりたいと思われる踊りを練習し、10時半ぐらいまで練習をするようになりました。

私もGusti Heruには、本当にいろいろ引き立てていただき、仲良くしていただき、いろんな場面でマンクヌガラン王宮の踊り手として踊る機会も与えていただき、いろんなところに遊びに連れていっていただき、舞踊衣装も彼秘蔵のものをコピーして作らせていただいたりして、本当に感謝でいっぱいです。残念ながら、彼は2012年の7月に50代前半の若さ(ちょっと年を忘れてしまいましたが51歳だったかな)で急死され、私はちょうど日本に一時帰国している時で、ものすごくショックでした。

いつも、Pakartiの練習に来るときは、8時前後にいらしたと思いますが、みんなで食べるように、たくさんのお菓子を持ってこられ、にこにこと明るく、そしてジョークも満載でいらっしゃっていたことを覚えています。

Gusti Heruがいらっしゃり始めたころは、多くのうまい踊り手のお姉さんたちが来てくださっていたのですが、来たり来なかったりで、忙しいのか、だんだん来なくなり、また、踊りのうまいお姉さんたちも、実は、踊りの振りは、実はあまり良く覚えていなかったのですよね。だいたい、大プンドポでの練習でも、覚えている人についていけば踊れてしまいますし、よほどポピュラーな踊りでない限り、みんな舞台などがある直前に思い出す/覚えるぐらいで。今でも、それは変わっていない部分もあります。

加えて、そのお姉さんたちがいらっしゃらないと、後は、まだ新しい子たちばかり。私は、もともとモダンダンサーで、振りを覚えるのは得意で、よく練習もしていてマンクヌガランの舞踊もよく覚えていたので、結局、私がいつも一番前で踊る羽目になっていました。私は外国人なのに、こんなことでよいのだろうかと思いましたよ。でも、きっとそれが私のお役目だったのだろうと思います。私自身、しっかり学んできましたし、誰よりも、多くの踊り(男性舞踊も女性舞踊も)を学んできた自負もあったので、学んできたことを伝えるつもりで、先頭に立って踊っていました。でも、マンクヌガラン内でも様式のいろんな解釈があり、私なりに解釈したり、取捨選択している部分もあり、そういう部分は私の解釈でみんなに伝わってしまっているだろうなとは思います。時々、私と同じように踊っている子を見て、ドキッとしたりしていました。その点は、どうだったのかなと、今でも思うことがあります。でも、人から人に伝わっていくものは、どんどん変わっていくのも、私自身、この15年間で多くと見聞きしていますし、いろんな批判はあっても、結局はその芸能自体を豊かにし、いろんな踊り手との交流や長い文化の流れの中で淘汰されていくでしょう。

 

話はずれますが、私自身、ちょっとした様式の解釈の違いで、「自分のやり方の方が正しく、伝統を守っている」と争っているのを、波はあるとはいえ、この15年間、マンクヌガランでずっと見て、双方から聞かされきているので、その辺りかなり辟易していますね。そんなこと、その時の状況や、踊り手の体型、癖や嗜好にによって変わる程度のことだと思うのですが。この15年間、本人たちは気付いていないかもしれませんが、私にすれば、どちらもかなり変わってきていると見えるのですがね。多少の違いがあっても、豊かになるだけでよいではないかと。芸能なんて、その時の文化や社会情勢によって変化するのが当たり前だし、変化しなければ、生き残っていけないではないかと、私は思うのですが。もちろん、守るべきところはあるのでしょうが、それは、いがみ合ったり、人を傷つけたりしてまで守るべきことなのかと思います。まあ、私には理解できない、感情の行き違いもあるのかもしれませんし、それでも、最終的には、芸能はあるべき形に落ち着いていくのだろうと、私は考えているのですが、私はいつも「みんな仲良くやってよ」と思いながら、見ています。そんなにいがみ合っていて、醜い顔になっているよ~と思いながら。

 

話を戻します。私は、私の存在が刺激になって、みんなが成長し、もっとマンクヌガランの芸能が発展すると良いなという気持ちもありました。なので、よく、最近踊られない踊りのリクエストもしたものです。長いバージョンの踊りや、しばらく踊られていなかった男性舞踊なども、いろんな人にその存在を聞いて、リクエストしていました。ある意味、外国人であるからこそ、心おきなく、そういうことができたのかもしれません。私自身、マンクヌガランの伝統である、女性が男性荒型も踊り、女性演者だけで行われるラングンドゥリヤンという歌いながらのジャワ舞踊オペラのようなものもやりますし。今となっては、やれる人が本当に少なくて、残念です。機会があれば、ジャワの子たちにもやるようにと、かなりプッシュしているのですが、マンクヌガランの踊り手(マンクヌガラン様式舞踊を理解している人)でやる人は、やはりとても少ないですね。私が大プンドポでの練習で、男性荒型を踊ったり、ラングンドゥリヤンのメナッジンゴ(男性荒型の役)をやったりすると、タルウォ先生がいつもとても喜んでくれてました。私自身、マンクヌガラン様式の男性荒型は彼女に学んだので、きっと、Tarwo 先生は、この伝統を残したいと願っているに違いないと思い、他の女性の踊り手もいつも一緒に踊るように誘っていたのですけどね。やりたい人はすごく少ないです。

 

さて、Pakarti に戻ります。私はと言えば、Gusti HeruがPakartiの練習にいらしていた頃は、実は、私はPakartiでは、もっとガムランの演奏の練習をしたかったのですよね。それで、いつも、いろんな人の視線を感じながら、ぎりぎりまでガムランのところにいました。どんな視線かと言えば、その頃、練習に来る外国人が多かったので、みんな、演奏したい楽器があるのですが、そこに私が座って演奏しているので彼らが演奏できず、早く立って踊ればよいのにという視線、そして、Gusti Heruはじめ、踊り手側からも、みんな振り覚えていないんだから、かおりが早く立って踊ればよいのにという視線。でも、私は、絶対に8時まではガムランを演奏するんだと意地になって決めていました。

あ、Hartono先生の奥様で、舞踊の指導をされているUmi先生は、もちろん、踊りは覚えていらっしゃいますが、Umi先生は、クプラッという、踊り手に合図を出す楽器を演奏されることが多いので、やはり、踊りを覚えていて、前に立って踊る人が必要だったのですよね。

それで、Hartono先生にもいろいろ気を使わせてしまいましたね。私が難しい楽器の練習ができたら、満足してさっさと立って踊るだろうと思われたのか(実際そうなのですが)、とにかく、私には最初から、太鼓、ボナン、グンデル、ルバーブなどの難しめの楽器をやらせて、早く満足させようとしているのを感じましたね。なんだか申し訳なかったですが、本当にありがたいことです。

 

ジョグジャカルタで仕事をし始めた2014年ごろからは、仕事も忙しく、ジョグジャカルタからソロの移動も、距離的には60キロしかないですが、交通事情が悪くてとても大変で、Pakartiの練習も、基本的に日曜日しか行けませんでした。また、ジョグジャカルタで学術調査に入っていた2011年か2012年ごろから始めていたジョグジャカルタ様式舞踊も熱心にやっていたので、ジョグジャカルタ様式と、マンクヌガラン様式、ソロ様式をきちんと踊り分けられるようになるべく(これがなかなか至難の業なのです)、なるべく多く踊る機会がほしかったので、Pakartiでは、最初の1曲のみ演奏して、その後は、ずっと踊りに入るようになりましたね。この頃はすでにPakarti では、踊り以外の曲は、最初に演奏するグンディン・ボナンと、最後に演奏する短い曲だけになっていましたし。

 

ガムランの方は、それまで学んだことを忘れない程度に、自宅で先生に練習に付き合ってもらっていました。

ソロ様式舞踊も、先生のご自宅で、個人レッスンという形ではなく、一緒に練習するという名目で、練習に付き合っていただいたり。本当に恵まれた環境だったと思います。

ジョグジャカルタ様式舞踊も仕事の後、週2回程度、結構フラフラになりながらでも、レッスンしてもらいに行っていました。

そして週末はソロへ行くことが多く、月曜の一番の列車でジョグジャに戻り出勤と、自分でもよくやっていたなぁと思います。

 

あれ、また話が逸れましたね。

さて、Pakartiの練習です。

2011年、2012年ごろから来始めて、今でも継続してきている子たちが何人かいますが、彼らが本当にうまくなって、頼もしいばかりです。嬉しいことに、今では、彼らから学ぶことも多いですね。

そして、新しい若い子たちも来ていますね。すぐ横に、マンクヌガラン芸術学院という、マンクヌガランの芸術を教える学校があり、学位はとれませんが、ディプロマがとれ、夕方から授業のようで、働いている子たちが通っています。そこの子たちが、多くPakartiの練習にも参加しています。

今回参加した時、外国人留学生で、Pakartiに参加する人が減ったなぁとは感じました。でも、ジャワ人の若い子たちも以前に比べて、ガムラン演奏の練習にくる人が増えたように感じます。それでも、たまに、ぽっと、いつも太鼓をたたいている人たちが誰もいなかったりする日もあり。以前は、Hartono先生が叩いていたので、問題なかったのですが、お年を召されて、手に問題があるので、ご指導だけで演奏はされず、演奏者の数が少ないと、いくら踊り手がたくさん来ても、練習にならないのですよね。

そんな日は、踊り手で太鼓が演奏できる人が太鼓をたたいたり、私自身も叩かしていただいたりしました。私にとっては、貴重な練習機会で、逆にありがたかったりして。踊り手なので、踊りの太鼓はよくわかっていますが、実際に叩いてみると、「あれっ」となることが結構あるのですよね。

Pakartiの練習で何が良いかと言えば、練習に来る人たちの感じがとても良く、雰囲気がとても良いこと。そして、多くの踊りの練習ができることですかね。もちろん、マンクヌガランの「どちらが正しいか」争いの一端になっているなど、気になる問題点も多々ありますけれども、明るい雰囲気の中で、和気あいあいと練習できることがどんなにありがたいことか。

そんなわけで、今回の滞在中も、少し無理してでも、出来る限り水曜日、日曜日は練習に参加していました。

 日本では、私の住んでいる辺りでは練習仲間が全くおらず、東京や大阪での練習の時以外は、一人で練習するのみなので、大勢で練習できるのは、とてもありがたく、楽しいです。そして踊ったり、演奏したりしていると、心が満ちていきます。

今回の滞在でも、私にとってとても大切な時間となっていました。

 

思ったより、かなり長くなりましたね。書き始めたら、いろいろ脱線してしまいました。

今回はここまで。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

<今日の植物(家の植物シリーズ)>

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「家のミディ/ミニ胡蝶蘭たち」photo by Kaori

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャワでのお葬式に関して少し…。

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

今回も、1月末から3月半ば過ぎまでのジャワ滞在時の記録と、その時に感じたことの続きです。

 

実は、今回の滞在中、何人か知り合いの方がお亡くなりになったのですよね…。

50歳代から70歳代の方々。

ジャワでは、長生きの方ももちろんいらっしゃいますが、日本に比べて、やはりまだ若い時にお亡くなりになる方が多いように感じます。私自身、若くして(20歳代~50歳代で)亡くなった友人が何人もいますし。

特に、今回はジャワに到着した日に、わりに仲良くしていた芸術大学の先生がお亡くなりになっていたのが、とてもショックでした。確か、まだ60歳ぐらいだと思います。

 

長くジャワに住んで思ったことは、残念ながら、ジャワの医療水準は概して低いということ。日本だったら助かったかもしれないと思う、すでに亡くなられた方たちも結構周りにいます。余談ですが、ジョグジャカルタの空港でシンガポール行きの飛行機の待合室には、シンガポールで治療や健康診断を受けるジャワのお金持ちがたくさんいます。

 

長生きが必ずしも良いとは思いませんし、死が悪いものだとも思いませんが、やはり、お別れというのは悲しく、寂しいものです。

それでも、受け入れるしかないですけれども。

そして、ジャワの方たちは、しなやかに受け入れる力が大きい方が多いような気がします。

 

ジャワは圧倒的にイスラム教徒が多いのですが、イスラム教徒の場合、基本的に24時間以内に埋葬となります。ですので、早朝お亡くなりになれば、その日の午後に、お葬式も埋葬もすべて終わることが多く、午後にお亡くなりになれば、次の日の午前中にはすべて終了することも多いです。ただ、家族が遠方にいて、すぐには来れない場合は、その限りではないようです。

そんなわけで、付き合いの濃いジャワでは、誰かが亡くなると、すぐに駆けつけなければならず、日本とはかなり事情が変わってきます。

芸術関係者が亡くなると、芸術大学の先生たちでも、少数の先生たちを大学に残して、みんなお葬式に行ってしまいます。

そして、お葬式も、自宅で、自宅前の道路を通行止めにして行うことも多いです。

 

私は、今回、仕事が忙しかったこともあり、急に抜けるわけにもいかず、お葬式は失礼してしまったのですけれども、行かないのかとびっくりされましたね。

ジャワでは本当に付き合いが濃いです。

 

今日はこんなところで…。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

<ジャワの庭の花>

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「ジャワのイランイランの花」photo by Kaori

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャワでの携帯電話と携帯電話番号の取得~これがなければ何も始まらない 2019年1月29日

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

先日に引き続き、1月末から3月半ば過ぎまでのジャワ滞在の個人的記録です。プラス、ジャワで生活していて思い出したことも少し加えています。

 

ソロ到着の翌日、とにかく、携帯電話番号がなければ何事も始まらないので、朝から携帯電話と携帯電話番号を買いに行きました。

携帯電話がないと困るというのは、縛られているようで、嫌な部分もあるのですが、仕方がないですね…。ちなみに、私は2003年にジャワへ留学したのですが、それまで住んでいたアメリカでは携帯電話を持っていませんでした。自由で良かったです~。

ジャワへ行って、初めて携帯電話を持ったのですが、それは家電話があまり普及しておらず、いろんな人と連絡を取るのが大変だったからです。特に、その頃はジャワ舞踊やジャワガムランの個人レッスンを、盛んにやっていたのですが、携帯電話がないと、その先生方と連絡を取るのも大変でしたので…。ちなみに、その頃は、SMSで連絡を取るのが普通で、なるべく安くあげるために、単語を短縮することが普通で、何のことやらわからないことも多々ありました。でも、だいたい母音を省略していたような気も…。

今は、ジャワではWhatsAppを使うことが多いですかね。Lineと似たようなアプリです。ジャワではWA(ウェーアー)と呼ばれます。もちろん、SMSもいまだ健在ですが…。

 

ジャワでは、携帯電話はプリペイド式が多く、携帯電話番号は、使い方や入れた金額によって有効期限が変わり、しばらく何もしないと、その番号は無効になり、使えなくなってしまいます。日本からでも、その番号に入金しておけばよいのですが、今回、こんなに早くジャワに戻ってくると思っていなかったので、また番号を変えればよいやと思って、番号を失効させてしまっていたのですよね。

ちなみに、現在、インドネシアの携帯電話番号にプリペイドの金額を入れるのには、便利な方法がいくつもあり、GojekやGrabといった、スマホを利用した配車サービスのアプリを使ったり、Link Aja!、Mandiri e-cash、Ovoといったスマホのe-cashアプリからも入れることができます。それらのアプリにお金をあらかじめ入れておけば、日本にいても、簡単に携帯電話のプリペイドのお金を入れることができるのです。それらのアプリには、インドネシアの銀行口座を持っていて、internet bankingの手続きをしていれば、日本からも入金することができますが、そうでなければ、インドネシアのコンビニなどで入金することができます。

 

さて、まず、朝ご飯というわけで、ソトを食べました。おいしい。

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「朝食のソト」photo by Kaori


そして、マタハリというデパートへ。私が留学していた時からある、老舗のデパートで、一階にはたくさんの携帯電話ショップがひしめいています。

携帯電話は、以前使っていたインドネシアで購入した携帯電話が壊れてしまっていたので、新しく買いなおすことにしたもの。お値段もお手頃で、でもramも私の使用法には十分にあるOppoというブランドのA3sという携帯電話にしました。思ったより大きい…。

買った携帯電話は使いやすいですが、やはりカメラがしょぼい。まあ、日本では、iphone 7を使っているので、それと比べたらいけないでしょうが、それにしても、使えない感じですね。安いから仕方ないですけれども…。

でも、赤い色でかわいい。

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「購入したスマホ」photo by Kaori




携帯電話は、結構すんなり買えたのですが、携帯電話番号を取得するのに、かなり時間がかかりました。SIMカードを買って、携帯電話会社のオフィスで、パスポートを持って登録に行かなければ使用できません。そして、そこが大抵混んでいるのです。

Telkomselという会社の携帯番号を使いたいので、Grapariへ。そこの入口外でSIMカードを買い、中でかなり待って、携帯電話用とモデム用の2つの番号をやっと登録でき、これで、みんなと繋がれるようになりました。

ちなみに、モデム用のSIMカードは、古いスマホに入れて、そこからデザリングをして、自宅でノートパソコンなどに繋ぐためのもの。家には、ネット環境がないので、いつもこうやってネットに繋げています。もちろん、新しいスマホでのデザリングでもできるのですが、電池が早くなくなるし、なんとなく、分けて使っています。

 

話はそれますが、SIMカードの種類について少し。最近は、TelkomselのSIMカードを使うことが多いのですが、あまり意識していなかったのですが、TelkomselのSIMカードでも、何種類かあり、それぞれ、使用ルールが違うことに気づきました。私は、Telkomsel=Simpatiだと思い込んでいたのですが、Simpatiは、Telkomselが出しているSIMカードの一種で、今は他にも、Kartu ASやLoopなどいろいろあるようです。今回、SIMカードを買う時に、そういう説明は一切なく、「(ネット接続のために)何ギガ入っているSIMカードを買いたいか」と聞かれ、大きめのギガ数のものを選んだら、Loopというカードだったわけです。Simpatiだったら、プリペイドのお金を入れれば、どんどんSIMカードの有効期限が長くなっていくのですが、Loopは全く違うのです。Loopは、現在の有効期限が切れるまで、次の有効期限がいつまでになるのか、出てくれないらしく、なかなか面倒です。そして、延長のルールもSimpatiと全く違う。なかなかややこしいです。これから、ジャワでSIMカードを買われる方、その辺り注意が必要です。でもLoopの方がお得な面もたくさんあるので、何が重要なのか吟味してSIMカードを選ばれたほうがよいと思います。また、もちろんほかの会社のSIMカードもたくさんあります。私は、Telkomselであれば、つながる場所が多いのでそうしていますが、山のほうなど、場所によっては、Indosatの方がつながるところもあります。

 

 

さて、無事に携帯電話の購入とSIMカードの登録が終わったのがお昼過ぎだったので、昼食は、以前よく行っていた、Gudanganが食べられる店へ。

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「昼食に食べたGudanganとテンペ」photo by Kaori

 

その後、やっと事務所へ出勤。


ジャワにいると、日本にいる時よりも食事の量が少なくなるので、仕事が終わるころには腹ペコ。そして、いつも行っている店に、cap cayを食べに行きました。

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「夕食のcap cay」photo by Kaori

 

なんだか、ソロにいると、同じような店にしか行きません。あまり食にこだわりがないというか…。もちろん、おいしいものが好きですけれどもね!食事に制限があるので、新たな冒険をするのが面倒だということもあり…。

 

今日はこんなところで。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように!