香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊やガムラン音楽に関すること、日々の気付きや学び、海外生活で見聞したこと、大好きな植物や動物に関してなどを、私が感じたことを気ままに、ゆるゆると書いていきます

みんなからのギフトを受け取り損ねていた!~ガムラングループ・ランバンサリとの共演時に気付いたこと

2023年7月2日(日)15時から、愛知県小牧市味岡市民センターにて、こまき市民文化財団主催の「青銅楽曲ガムラン集団ランバンサリ~ジャワのガムランと舞踊」に舞踊で出演させていただいた。

舞踊の演目は仮面舞踊トペン・グヌンサリ。ラドラン・グヌンサリという曲を使う方のバージョンの10分弱の踊り。踊った後に、3分ぐらいの、座ってできるジャワ舞踊の動きのワークショップもさせていただいた。

コンサート全体でも、ジャワガムランをあまり聞いたことがない方たちに向けて考えられた参加型のコンサート。短いガムランワークショップも行われ、節目の楽器がなる時に、お客さんに手拍子をうってもらい、ガムランの曲の成り立ちが感じられるようなプログラムでした。

お客さんにもとても喜んでもらえたと感じます。

また、生演奏で踊れて、私は非常に楽しかった。やはり、ランバンサリの方々の演奏は素晴らしい。そして、樋口さんの太鼓が、ものすごく私の踊りをサポートしてくれる。私が踊り方を少し変えると、瞬時に太鼓が変化するのもすごすぎる!

ジャワ舞踊スラカルタ様式男性優型舞踊トペン・グヌンサリ by岡戸香里、演奏byランバンサリ 2023年7月2日

ジャワ舞踊を踊ってみよう!ワークショップ 2023年7月2日

愛知県ということで、父や知り合いが何人か見に来てくれた。以前一緒にガムラン練習をしていた方々や、私がガムランを教えている方、私の大事な友人が娘さん(中学生ぐらいかな)と一緒に来てくれたのも嬉しかった。

今回、私の大事な友人と娘さんのおかげで、私は大きな気づきをもらったような気がする。

彼らはすごく感動してくれたよう。終演後会うと、開口一番「素晴らしかった!人間じゃなかった!」

娘さんは、私が踊っているとき、「本当に神様が踊っているみたいで、途中視線が合わせられなかった」らしい。

二人とも、人外のものの存在感を普通に感じる敏感な方たち。

 

この友人(しんちゃん)も、この日のことをブログに書いてくれているので、リンクを貼っておく。

 

不思議事件簿②家の中で歩く者 - わたしからあなたへ

 

相変わらず、不思議な経験の多い人だ。このリンクの記事の最後の方に、公演を見に来てくれた感想が書かれている。

とても素晴らしいブログなので、他の記事も是非読んでみてください。

 

さて、元に戻ると、このような感想をもらって、とても光栄で、有難く思った。

初めて会った、初めて私の踊りを見てくれた女の子が、うそがなく、そう感じてくれたことで、とても素直に受け取れた。

 

でも、そこではたと気が付いてしまった!!

実は、これまでも「神様が踊っているみたい」という感想を、いろんな人から、しばしばもらっていたのだけれども、無意識のうちに本気で受け取ってこなかったのだと。そのほかの誉め言葉も同じように受け取ってなかったかも…。

私は、自信はあっても、自己肯定感が低い。というか、自分に厳しい。自分に完璧を求める。その分謙虚であれるともいえるけれども、いろんな人に、そのような素晴らしい感想をもらっても、私自身が納得できてなかったら、「私が神なんて、何かの比喩かしら?私そんなに素晴らしくないけどな。お世辞かしら?」などと、その誉め言葉から逃げてたように思う。それに気づいて、自分でも驚愕してしまった。自分に受け取るのを許していなかったというか…。

 

確かに、私が踊っていないのだから、そりゃあ神しかないよね。そこには、踊っている「私」はおらず、踊りだけしかないのだから。

実は、その4日前の東京でのアーティスト、すぎやまたくさやんとのコラボの時も、彼の友人が、スタッフだけに短時間ライブ配信されていた踊りの動画を見て、「あ、この人の中に誰もいない!」と感じて、飛んできて途中から見てくれたのだ。そう、踊っている時に私はいない。(というか、いつも私はいないともいえる。何にもない。)

 

(私はいないとはいえ…)謙虚であることは、芸術に携わるものをして、とても重要だと感じる。なぜなら、謙虚じゃない人のもの(踊りでも、音楽でも、絵でも、なんでも)は、気持ち悪くて見ていられないから。(それも起こることだと言ってしまえばそれまでなのだが…。)なので、慢心はしないけれども、誉め言葉は、これからはオープンに素直に感謝と共に受け取ろうと思った。

 

これは、みんなからのギフトだ。そして、全体へのギフトともいえる。これまで、どれだけ素直じゃなかったんだろうと自分でもびっくりする。受け取り損ねていたわ…。

 

最近、ずっと体が軽い。因果関係なんて存在しないから、「なぜか」なんかないけれども、(物語として考えるなら、思い当たることはいっぱいあるけれども)、身体を構成する分子(?)が、ばらけてきているというか、ほどけてきているような感覚。間のスペースが広がったような。たまに体がないんじゃないかと思うくらい。それが普段の生活でずっと続いている。身体が透明で、光に満ちている感覚。丹田あたりなんて、どこまでもどこまでも広がり過ぎちゃって収拾がつかない感じ。だから何というわけではないけれども、非常に自由に感じ、歓びを感じる。ますますオープンに、楽になってきている。そして、ますます踊りやすくなってきている。

 

ありがたいばかりです。

終演後の写真 2023年7月2日 小牧市味岡文化センターにて

 

読んでくださってありがとうございました。

皆さまにとって素敵な一日になりますように。

すぎやまたくや/岡戸香里コラボライブを終えて

去る2023年6月28日(水)19時~21時、北青山のギャラリーにて、アーティストのすぎやまたくやさん(タクちゃん)と舞踊家岡戸香里(私)とのコラボライブを行いました。

ギャラリーということでスペースが限られ、30人前後の方に見ていただきましたが、これが、おかげさまで、かなり評判がよく、身体が軽くなってしまった人が続出したり、感動してくれた方々も多かったので、ちょっと、記録に残そうかなぁと思い、このブログを久しぶりに書いています。

 

今回のコラボは、わたしともタクちゃんともお友達で、ヨガの先生のなおみちゃんが、「自分が見たいから」と企画してくれたもの

タクちゃんは、35歳の天才的な、神がかり的なアーティストです。彼の絵のエネルギーといったらすごい!私もものすごく好きな絵がたくさんあります。

絵を描くことにとどまらず、宝石や服のデザイン、楽器演奏、ヒーリング、俳優など多彩な方。透明感あふれる、輝いている方です。

最近、私は、ある場所や人(たとえ行ったことのない場所や会ったことのない人でも)を思うと、その場所や人のエネルギーがパーッと丹田あたりで感じられる(気がする)のですが、タクちゃんをイメージすると、透明でキラキラした光に満たされるような気がします。

 

今回、コラボをすることを決めたのが6月10日。タクちゃんが使っている北青山のギャラリーをいつまで使えるかわからないということで、6月中の日程が合う日で28日に決めました。

コラボをするにあたって決めたのは、流れだけ。

まず、私がジャワ伝統舞踊を一曲踊り(直美ちゃんのリクエストで仮面舞踊、ジャワ舞踊スラカルタ様式男性優型舞踊トペン・グヌンサリ(ボンデット)を選びました)、その後、即興コラボへ向けてのつなぎ(私の着替え)で、10分ぐらい、タクちゃんが、ケルパータンブラを演奏しながらホーミー(overtone singing、倍音唱法)を行い、私が着替え終わって出てきたら、楽器をギターに替え、演奏し、その演奏をループ録音して流しながら、ライブペインティングをする。その間私は踊り続ける。決めたのはそれだけ。後は出たとこ任せ。

私は今は主にジャワ舞踊を踊っているが、元々モダンダンサーで、16歳の時からプロのダンスカンパニーで踊り、アメリカに渡って大学でダンスを中心とする舞台芸術を学び、振付師、ダンサー、舞踊教師などをしていた。その頃、もちろんよく即興もやっていたし、ジャワでも日本でも、たまに即興で踊ることはあった。

ただ、まだ出会って間もない、それほど知らないタクちゃんとの即興で、何が起こるんだろうと、ワクワクしていた。

 

やってみて、流れがあまりにスムーズで驚く。

最初の伝統舞踊。出てきただけで、観客がワーッと湧きたつのが分かる。今回は、舞踊関係者は5人(そのうち4人はバリ舞踊の方)のみ。他の観客は、私も参加している禅サンガなど、オンラインで知り合った方々も多く来てくれていたけれども、ほとんどの人がわたしの踊りを見るのは初めてだったと思う。

ジャワ舞踊は、インドネシアジャワ島中部の古都、スラカルタジョグジャカルタの王宮を中心に発展してきた舞踊で、儀式的な舞踊から、インド発祥のマハーバーラタ、ラーマヤナ、ジャワ島発祥のパンジー物語などを題材とした舞踊、農村発祥の舞踊が発展してきた五穀豊穣を祈って踊られる踊りなど、ここには詳しくは書きませんが、他にもさまざまな種類の舞踊があります。

スラカルタ様式の仮面舞踊では、初めは仮面をつけずに出て、途中で仮面をつけ、最後に仮面を外すのが一般的。私が踊ったトペン・グヌンサリは男性優型(アルス)の舞踊で15分ぐらいの演目。12世紀東ジャワのパンジー物語から題材が取られている。トペンとは仮面のことで、グヌンサリとは人物名。「パンジー物語」に登場するドホ(Daha)王国のグヌンサリ王子が、ジュンゴロ(Jenggala)王国の美しいラギルクニン姫に恋焦がれる様子が描かれている。ほかのアルス(男性優型)舞踊に比べて、動きが大きく、力強いのが特徴で、グヌンサリ王子の若々しさや、そのキャラクターが表現されている。恋する男性の姿を描く、「ガンドロン」というジャンルの舞踊の一つである。もともとはスラカルタとジョグジャジャカルタの間にあるクラテン村で発祥した仮面舞踊劇ワヤン・トペンの登場人物の舞踊が独立したもので、そこからインスピレーションを得た、スラカルタの高名な舞踊家/振付師である故スナルノ氏によって創作された作品を踊った。スナルノ氏は、私がアメリカ在住のころから縁のある方で、そのこともあってか、私はこの作品を踊るのがとても好きである。

トペン(仮面)は、木製で、私の顔のサイズに合わせて作ってもらっており、美しく彩色されている。ひもなどで結わえるのではなく、口でくわえてつけるようになっている。クラテン村の仮面舞踊劇では、動いているときは仮面を口にくわえてつけているのだが、セリフを言う時は、仮面を手で取って、顔の前に少し浮かしながら、言う。スラカルタの仮面舞踊で口でくわえる仮面を使うのが一般的なのは、その名残ではないかと思う。ちなみにクラテン村での仮面舞踊劇は朝から夕方までとか、夜じゅう8時間ぐらい演じられるものなので、その方が演じやすいのではないかなと推測している。

仮面は、目の下に細く穴が開いているのと、鼻の穴が開いているだけで、つけていると視界のほとんどがさえぎられていて、非常にバランスがとりにくい。そこに仮面舞踊の難しさと面白さがある。また、普通のジャワ舞踊を踊る時と同じように踊っても、仮面が生きず、そこに動き方の工夫が必要になる。

それでも、踊っているときは、ただ踊りと音(音楽)と場がある。私が踊っているのではないのである。そのことを最近ますます強く感じる。(といっても、感じる私がいないのだけれども…。言葉で表現するのは難しい。)私が踊っているわけではないけれども、最近、以前よりももっと自由に丹田から動けるようで、とても気持ち良く踊れる感じがする。動きはすべて丹田から発生すると、モダンダンスでもジャワ舞踊でもいろんな先生に教わったけれども、最近になって、やっとわかってきたような気がする。

ジャワ舞踊スラカルタ様式男性優型舞踊トペン・グヌンサリby岡戸香里 2023年6月28日

ジャワ舞踊スラカルタ様式男性優型舞踊トペン・グヌンサリby岡戸香里 2023年6月28日

ジャワ舞踊スラカルタ様式男性優型舞踊トペン・グヌンサリby岡戸香里 2023年6月28日

ジャワ舞踊スラカルタ様式男性優型舞踊トペン・グヌンサリby岡戸香里 2023年6月28日

 

さて、コラボに話を戻す。

ジャワ舞踊を踊り終わると、控室に戻り、早替え。

ジャワ舞踊の男性舞踊を女性が踊る場合、着るのにはものすごく時間がかかる。私は、余裕をもって、着るだけに1時間は取っておく。そして化粧に1時間をとっておくので、大体準備に2時間かかる。でも、脱ぐのは早く、10分ぐらいの早替えで出られた。

 

着替え終わって、パフォーマンススペースに戻ると、タクちゃんが、お客さんのすぐ前で、ケルパータンブラを演奏しながら、ホーミーを歌っている。体が大きくて、声も良く、響く声だと思っていたけれども、その時のエネルギーは半端なかった。

ケルパータンブラは、ドイツ発祥で、音楽療法を目的として開発された楽器。たくさんの弦を両手でなぞるようにはじいて演奏する楽器。名前からも分かるように、効果としてはインドのタンブーラに似ている。開放弦を同じように繰り返しはじくだけ。でもなんとも落ち着く音のじゅうたんになる。ホーミーは歌い手が一人で二種類の声(普通の声と高い声)を同時に出す、モンゴル民謡などで使われる倍音唱法。(実は私もアメリカでの大学時代、ホーミーをみんなで歌おうというグループに入っていて、車を運転する時も、よくホーミーを歌っていたという縁があり、ホーミーは大好き。)

タクちゃんによるケルパータンブラとホーミーは、音の重なりや響き、エネルギーで本当に場がどんどん清められていく感じ。金色のエネルギーのように感じた。タクちゃんも、顔をあげて目をつぶり、瞑想的な感じで、演奏し歌う。

私は、後ろの方から、白いドレスとパンツに、白地に青のメガムンドゥン柄(ジャワ島チルボンのバティック伝統柄でスピリチュアルな雲のモチーフが描かれ、仮面舞踊の衣装にも使われる)の布をかけ、黒、赤、白色で染められた一枚のサンプール(ジャワ舞踊に使われる細長い布)を首からかけ、トペン(仮面)を三つ(スカルタジ、パンジー、クロノ)、サンプール3枚(白、青緑、赤)を持ち、登場した。

すぎやまたくや/岡戸香里コラボライブにて 2023年6月28日

すぎやまたくや/岡戸香里コラボライブにて 2023年6月28日

すぎやまたくや/岡戸香里コラボライブにて 2023年6月28日

しばらく動き、観客の前に、トペンをサンプールの上に、一つ一つおいていく。

タクちゃんは、後ろに下がり、アンプで音を調節したギターを演奏する。

そこからは、何も考えず、感じるままに動くだけ。

いろんなものが駆け抜けていく

たおやかさ、強さ、鋭さ、柔らかさ、呼吸…、水、風、土、炎…。

タクちゃんは、ずっと下を向いてギターを演奏しており、視線による交流は全くない。でもそこに、確実に、エネルギーの交流があった。交じり合うというより、目に見えないけど、響き合って、お互いに変化していくような感じ。これまで経験したのとはちょっと違う感覚の即興だった。本当に何も障害のない、何も間にない感じ。そして、何とも気持ちの良い音が流れてくる。自然と体が動く。本当にこの時の繰り返しのメロディが素晴らしく、今でもそれが耳に残っていて、それだけでも癒される。

前にも書いたけど、タクちゃんとは、このコラボ前に、数回お会いしたけれども、実はあまりよく知らない。あまりよく知らない人と即興するのって、とても面白いと感じた。

すぎやまたくや/岡戸香里コラボライブにて 2023年6月28日

すぎやまたくや/岡戸香里コラボライブにて 2023年6月28日

すぎやまたくや/岡戸香里コラボライブにて 2023年6月28日

気が付くと、演奏が録音のループになっており、タクちゃんは、ライブペインティングに入る。

そのスムーズさに驚く

すぎやまたくや/岡戸香里コラボライブ 2023年6月28日

すぎやまたくや/岡戸香里コラボライブにて 2023年6月28日

すぎやまたくや/岡戸香里コラボライブにて 2023年6月28日

すぎやまたくや/岡戸香里コラボライブにて 2023年6月28日

すぎやまたくや/岡戸香里コラボライブにて 2023年6月28日

 

残念なことに、ギャラリーの床は少し傾いていて、絵具が流れてしまうので、作品としては残せないようだけれども、勢いのある美しい絵が出来上がる。

すぎやまたくやさん、ライブペインティング作品 2023年6月28日

 

伝統舞踊から始まって即興が終わるまで、約45分。

そこには、作り物ではない、リアリティだけがあった。

 

10分休憩して、なおみちゃんをモデレーターをして、3人でお話し会(対談)

私は話はあまり得意ではないと自分では思っていて、本当に口について出てくること(口から出まかせ)しか話せない。(というより、私たちの口から出る言葉は、すべて口から出まかせで、私たちがコントロールしているものではないと感じている。)

対して、タクちゃんは、水が流れるようにスムーズに話す。素晴らしい話し手である。そして、聞き手に対しても、わかりやすく、親切に話しているなぁと感心する。そして、なおみちゃんはしっかり対談を形作ってくれた。

すぎやまたくや/岡戸香里/入江直美 お話会 2023年6月28日



たくさんの素晴らしい感想をいただいたので、ここで一部紹介させてください。

すごいことに、身体の変化を感じている方たちが何人かいらっしゃいました。実は私もその一人かも。身体がずっと軽い。

 

<来てくださった方々のご感想>

・とても気持ちのよい時間でした。身体が軽くなった気がしてます。

 

・素晴らしい舞をありがとうございました💕。たくちゃんとのコラボ時、何度かすごい目力を感じ、身体の中を何かが通って行った感じでした。帰宅時、身体が軽く混雑した車内も快適に感じ、なんじゃこりゃ〜浄化というもの?て思いながら、帰りました。

 

・イベントとても楽しかったです。かおりちゃんの生舞踊は、手と足の隅々まで意識が入ってて感動でした❣柔らかさと力強さ両方、素晴らしかった。タクちゃんのヒーリングホーミーも素晴らしかったし、ライブペイントと踊りのコラボもお話会もとても素敵で快適な時間でした❣️

直美ちゃんの企画と進行も👍👍

 

・かおりさん、素晴らしいダンスを見せていただき、ありがとうございました💕

昔バリ島に行った時見たパリ舞踊とは全く異なり迫力がありました!(良い意味😊)

お面をつけた時はかおりさんと違った美しさや洗練された動きに感激のあまり泣きそうになりました。

 

・本当に素敵なパフォーマンスをありがとうございました🥰💓✨

本当に奇跡としか言えない素晴らしいコラボレーション。

もう本当に言葉も出ない程に素晴らしくて、かおりさんが神々しく美し過ぎてほんとに涙を堪えるのに大変でしたし、鳥肌が立ちっぱなしでした😭✨

あの伝統舞踊の男の踊りは色気が本当にすごくて、力強いのに柔らかくて、指の動きや首や顔の角度の繊細さから作り出される表情がまるでお面とは思えない表現の奥深さを感じました。そしてジャワの宮廷がまるで見えるかの様な錯覚。

対してタクちゃんのホーミーと楽器のもの凄いエネルギーとかおりさんの神々しい踊りが見事な場を作り上げていて、正直時間も空間も何も無くて、美と舞とエネルギーと音とそれに対する反応だけがあって、本当のリアリティを示してもらったなと思いました😭💓✨

今まで(真理の)探求してきたのはどこか机上の空論の様なリアリティの無さを感じてしまいました。それ位本当にただ本物のリアリティだけがあったなという感じでした。

ただただ反応だけがあって、事実というリアリティだけがあって、それがアートというストーリーを創り出す。
沢山の本を読むよりも、誰かのお話を何十回聞くよりも本当に知りたかったこと、気付きたかったことが全部全部ここにあった。
本当に「これしかない」って感じ。

お話し会も素晴らしかった😍✨

そしたお誘いした方々みんな、すごくすご〜く興奮していた様でまた観たい❗️と言っていました💓翌日も朝から凄かった!とみなさんから連絡を頂きました😆

感想が文字で語り尽くせないーー😁💦

 

・昨夜は"お疲れ"様でした!が違う気がする程、湧き出る様な気持ち良さそうな舞台でした🌊

 

・とても素晴らしいライブを見せていただきありがとうございました!

友人たちも大興奮で、とにかく受け取ったものや感じたものが多くて頭がパンパンーーと騒ぎながら帰路につきました(笑)

早速揃ってタクヤさんのWS申し込みましたし😆

これまでみた事のあるコラボライブ(それほど機会があるわけではありませんが)とは比べものにならないくらい一体感がすごかったです✨これまで観たことがあるものはどうしてもコラボといっても別々に行われてる感じが否めなかったのですが、昨日のライブは本当に交流がみえるというか、観客も含めた一体感があって、とにかく濃密で、経験したことない感覚でした。

お二人のお話も興味深いものばかりで楽しく、もっと聞きたいくらいでした!

かおりさんがおっしゃる、「私」も「あなた」もなく、ただそこに踊りが存在してるという感覚…まだ経験したことがなく、自分もそんな感覚を味わってみたい!と思います。

また、ライブから帰宅して眠ってからもずっとタクヤさんがライブペインティングで描かれた緑色や青がずっと身体のなかを流れているような感覚があり、翌朝は睡眠時間が普段より短かったにも関わらず、すごく深く眠れたなぁーと起床し、なんだか細胞が一部入れ替わったような不思議な感覚がありました。すごい芸術に触れるとそういうことってあるんだなぁと、改めて芸術の力、お二人の凄さを実感しました✨❤️

 

・本当に凛としたなかにあるたおやかな動きに魅了されました!takuyaさんとのセッションでは深いところでは何でも見えてしまう。何でもわかってしまう。という域からの場と間の共演で素晴らしかったです。

 

・素晴らしかったです💖

仮面が思ったより鼻が高くて(笑)

手の動きが綺麗できっとそれぞれに意味があるんだろうなぁと思いながら、動きのしなやかさに見惚れてました。杉山さんとの繋がりも滑らかで。彼の演奏と声が不思議でたまりませんでした。

 

他にも、口頭で聞いた感想に

・コラボを見ている間は癌の痛みが消えていました。

・そこに全てのリアリティがあって、「さとり」なんてどうでもよくなりました。

・帰り道なぜか温泉に入ったようにゆるみました。

・パフォーマンスを見て以来、不整脈が出ておらず、身体が軽いです。

 

等がありました。

 

涙が出るほどうれしいご感想をいただきました。

踊っていた本人も、いったい何が起こっていたのかよく分かっていませんし、実際は何も起こってなかったのでしょうが、あの場をみんなで共有できたこと、本当に本当に嬉しかったし、感謝しかないです。

そしてあの美しい空間で、美しい絵と優しい人々、癒しの音楽に囲まれて踊れたこと、本当に嬉しく、気持ち良かったです。ありがとうございました。

 

以上です。


乱筆乱文、お許しください。

 

皆さまにとって、素敵な一日となりますように!

 

みんぱく音楽の祭日にてジャワ舞踊

このブログにご訪問頂き、ありがとうございます。

 

昨日、大阪吹田市万博記念公園内にある、国立民族学博物館(通称みんぱく)で行われた、音楽の祭日のイベントにて、ジャワ舞踊で出演させていただきました。

みんぱくのウェブサイトによると、

「音楽の祭日」は、プロ・アマを問わずにみんなで音楽を楽しむイベントです。フランスで1982年にはじまった「音楽の祭典」にならい、 2002年、関西からスタートしました。「音楽は全ての人のもの」という精神にのっとり、昼が一番長い夏至の前後の日に開催されます。

だそうです。

様々な人が、一緒に音楽を楽しむという、素晴らしいイベント!そして、さすが、民族学博物館らしく、世界各国の音楽が目白押しです。

ちなみに、出演は申込制で、多い時は抽選で出演者を決めるそうです。

私は出演させていただくのは3年ぶりですかね。毎年のようにこのイベントに出演なさっている大阪のジャワガムラングループ、ダルマブダヤにお誘いいただきました。

音楽の祭日ですが、舞踊の入るグループもたくさん。音楽と舞踊は切っても切れないものですからね。ジャワでももともと分かれているものではありませんでしたし。

 

ジャワガムランは、とにかく大きく、重量も重く、楽器の数も多く、5分間の入れ替え時間で、楽器の出し入れするのは不可能なので、毎年、朝一番で搬入させていただき、少し奥まったところに設置させていただくそうです。今年も、朝一番で搬入しましたが、出演は夕方の一番最後でしたので、自分のメークや着付けを始める前まで、いくつかにグループの公演が見られました。会場は2か所あったので、どちらを見ようか迷いましたが、結局、両方の会場を行ったり来たりして見ました。本当に、世界にはいろんな音楽がありますね。見たことのない楽器もたくさん。とても楽しめました。

ちなみに、国立民族学博物館の通常の展示も、とても興味深いですよ!一日中見て回っても飽きないです。

 

さて、私はメークと着付けに最低でも2時間はほしく、でも、少し余裕をもってやりたかたので、3時に出来上がっていることを目指して、12時半ぐらいから始めましたかね。でも、時間があるからと、ゆっくりやっていると、結局時間が無くなって、最後の方で焦るといういつものパターン。それでも、まあまあ余裕をもってできて良かったです。

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「Golek Manisの衣装と化粧」

上の写真が完成図。

 

今回は、「Golek Manis(ゴレッ・マニス)」という踊り。ゴレッはジャワ舞踊のスタイルのひとつ、マニスは甘いとか愛らしいという意味です。ラドラン・マニスという曲を使うので、この名前がついています。(ラドランはガムランの曲の一形式です。)

若い娘が美しく装い、化粧をしたりする様子を舞踊にした可憐な作品です。

 

今回のゴレッはスラカルタ様式の舞踊ですが、実は、私はスラカルタ様式でゴレッを公演するのは初めて。この曲は、ジャワ舞踊をジャワで学び始めたころに学んだ曲ですが、実は一度も公演で踊ったことがなかったのです。ジョグジャカルタ様式やマンクヌガラン様式のゴレッは何度も公演したことがあるのですけれどもね。それぞれ衣装も違うこともあり、この衣装はすべて初めて身に着けたもの。上着などは、13~14年前に作ってあったものですが、初めて着る機会があってよかったです。実は私は衣装もちでして、まだ着ていない衣装がたくさんあるのです…。ジャワで公演する時は、自分の衣装を着ることはあまりないですし、以前考えていたほど日本にもいないので…。今後もっと自分の衣装を着る機会が増えればよいなぁと思います。

自分で踊る曲を選ぶ場合、どうしても男踊りや、もう少し難しい女性踊りを選びがちな私ですが、今回は、ダルマブダヤの皆さんに、この曲を選んでいただいて感謝です。ジョグジャカルタ様式やマンクヌガラン様式のゴレッとは、一味も二味も違う、スラカルタ様式のゴレッの良さを、改めて認識した次第です。

 

ちなみに、ダルマブダヤさんのFacebookページの今回のイベントに関する記事は、以下からお読みいただけます。

<iframe src="https://www.facebook.com/plugins/post.php?href=https%3A%2F%2Fwww.facebook.com%2FDharmaBudayaJapan%2Fposts%2F2668267996516830&width=500" width="500" height="1029" style="border:none;overflow:hidden" scrolling="no" frameborder="0" allowTransparency="true" allow="encrypted-media"></iframe>

 

演奏するにあたって、私の細かい要望にも応えていただきましたし、とても楽しく、気持ちよく、踊りになりきって踊れました。踊っている時は自分がないですね。

たくさんの方々にも見ていただけて、楽しんでいただけて、感謝です。

 

ここのところ、以前、ジャワ舞踊の大御所、ダルヨノ先生から学んでブログにも書いたことを、少しずつ意識しながら踊っています。

私なりにジャワ舞踊を踊ることができ、多くの人に楽しんでいただけ、心豊かな気分になっていただければ幸いです。

 

ちなみに、ダルヨノ先生に学んだことの、以前に記事はこちらからお読みいただけます。

ジャワ舞踊、男性舞踊の大御所から学んだこと(1)~エネルギーの伝達 - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊、男性舞踊の大御所から学んだこと(2)~時間とスペース、気、深いところとの繋がり - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊、男性舞踊の大御所から学んだこと(3)~気とオーラ - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

 

 

今回はこんなところで。

今夜からジャワへ行ってまいります。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天河神社でジャワ舞踊を奉納

このブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

6月1日から4日まで、奈良県吉野郡天川村にある、天河大辨財天社での、瞑想リトリートに参加していました。

 

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「天河大辨財天社の鳥居」photo by Kaori

天河神社と2017年11月に初めてご縁をいただいてから、今回で5回目の訪問。そして、ちょうど1年ぶり、2度目の3泊4日の滞在です。

素晴らしい自然に囲まれた神社で、いまここに、ただあることを意識したすばらしい4日間でした。正式参拝から始まり、座禅、読経、瞑想、そしてこのリトリートを企画された阿部敏郎さんや、向禅師、柿坂宮司さまのお話を聞いたり、神仏の祈りと地護摩厳修のご神事に参加したり、神社をお掃除させていただいたり、柿坂宮司さまの真心のおもてなしに触れたり、参加者の皆さんと交流したり。そして、天河神社は、ただただ限りなく優しい、すべてを受け入れてくれるような場所です。今回、初日に正式参拝した時に、なぜか、弁財天さまと、私のハートからのつながり、太い絆を感じ、胸いっぱいに暖かいものが流れ込んできて、思わず涙がこぼれそうになりました。

こんなふうに感じたことは、どこにいても今までなかったので、自分自身、とても驚きました。

実は、ちょうど1年前に4日間天河神社に滞在して、夜、能舞台で瞑想をした時、弁財天さまが私の右脇にふわりと降りて来られたのを感じたのですよね。変な話だと思われるかもしれませんが。私自身、普段、そのようなことを感じる方ではないので不思議なのですが。顔などがはっきり分かるわけではないですが、その姿形のイメージが、いまでもはっきり残っています。その時以来、つながりが深まったような気がしていました。そのせいかもしれませんね。あの時は、瞑想中に、木々や山やカエルの声や、周り全てが私の中にあって、私の中で全てが起こっているような感覚があって、不思議でした。

今回、リトリートに参加して、余分なものが剥がれ落ちていき、非常にすっきりした、すがすがしい感覚です。キラキラした透明の衣をまとっているような感覚。そして体が軽いです。

そのリトリートでの経験で、いろいろ書いてみたいこともあるのですが、それは、機会があれば、おいおい書いていくとして、(と言いつつ、書いていないことがこれまでたくさんあるので、お約束はできませんが(笑))今回は、まず、弁財天さまの前で、天河神社能舞台で、ジャワ舞踊を奉納させていただいたことについて書きたいと思います。ジャワ舞踊をご奉納といっても、衣装も着ずに、普段の服で踊る素踊りで、音楽もガムランではなくて、バンドの即興でしたが、多くの素晴らしい能楽師、アーティストの方々がご奉納されている能舞台で踊らせていただけたのは、それは得難い経験でした。

あの能舞台は、とにかく華やかでかっこよい雰囲気にあふれた場所です。

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天河神社能舞台」photo by Kaori

ちなみに、この舞台は吉野檜で作られ、柱は全く節もなくまっすぐの、ほとんど手に入れるのは不可能のような材料だそう。一本一億円と聞きました。舞台の板も、一枚三千万円だとか。とても手をかけられ、大切に作られた舞台なんですね。神さまには最高のものをと、31年前に、何億円もかけてこの舞台を作られた今の宮司さまはすごいですね。明治の廃仏毀釈までは、全国に12万社も天河社があり、ここにも200人もの神主さんがいらっしゃったそうですが、廃仏毀釈後に廃れ、昭和40年代中頃までは、この神社は子供の遊び場になるほど廃れていたという話ですから。でも、歴代の首相は全員お忍びでやって来ていたのだとか。ここには何かがあるのでしょうね。

ちなみに、ここは神武天皇が「ひのもと」の啓示を受けられたまさにその場所でもあるそうです。

 

この能舞台は、拝殿のすぐ目の前にあります。

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天河神社の本殿(拝殿)」photo by Kaori


この写真は、能舞台のすぐ前の地面から撮影しているので、能舞台に登ると、もう少し高い位置から拝殿が見えます。 能舞台で踊ると、まさに神様に向かって踊るような感覚になります。

 

本当に、いろんな偶然が重なって実現したご奉納であったと思います。

実は以前から、ご奉納ができると良いなぁとは考えており、その機会があるかもというお話もいただいていたのですが、実現せずにいました。

今回、事前にある方から聞かれ、「衣装はかさばるのでもっていきませんが、ジャワ舞踊に使うサンプール(長い布)だけは、いつも持っているので持っていきます」という風にお伝えしていたのです。その方は私のジャワ舞踊を見に来てくださったことがある方です。

天河に着いた後、その方から、「いつ、突然(踊るように)ふられてもよいように、いつもその布は持っていてね。突然ふるかもしれないから」と言われたので、天河にいる間、いつもバッグに入れて持ち歩いていました。それでも、実現するかどうかの確証などなかったのです。

 

6月3日の昼前、初日に続いて、宮司さまが私たちがリトリートを行っている参集殿に来てくださり、いろんなお話をしてくださいました。その中で、地護摩厳修の話になり、宮司さまは、「私の護摩焚きは音の世界なのです」というお話をされました。

宮司さまは、心の赴くままにお話をされるので、話が飛んだり、聴きとりづらかったり、または、難しくて私が理解できなかったりで、はっきりとは分からないですし、誤解もあるかもしれませんが、少し書いてみますね。

昭和56年ごろまでは、護摩焚きの時は、般若心経や観音経をあげていらしたそうです。でも、その頃、「かごめかごめ」の歌にあるように、夜明けの晩であるということで、昭和57年ごろから護摩焚きに「音の世界」を取り入れられるようになったそうです。(間違っていたらすみません。そして、私も話のつながりがいまいちわからなかったりします。)そして、音は万国共通であること、それぞれの音に対応する神様の話(あめのみなかぬし様や、たかむすびの神様など)、神羅万象の音、音の波動、文化的にインプットされた音を超えた音を出していくこと、人だけではなく木や植物や岩との命と命での会話などに関して、話されていたと思います。(これも間違えていたらすみません。)

全て、理解できたわけではないですが、とても興味深いなぁ、もっと知りたいなぁと思いながら聞いていました。

さて、この部屋(参集殿)では、みんなそれぞれ好きな場所に座り、だいたい、座る場所が同じような場所になる傾向があったのですが、その時のセッションでは、たまたま私がいつも座っていた辺りに空きがなく、その時に空いていた、いつもと違う場所に座っていました。前の方の席が好きな私は、その時も一番前に座っていましたが、宮司さまがいらっしゃると、たまたま、そこの席が、宮司さまの目の前となったのです。

そのせいか、不意に、宮司さまに

「何か質問はありますか」と、指されて、聞かれたのです。

私は、「音の世界のお話がとても興味深くて、もっと知りたいなぁと思いました」

と答えると、

宮司さまは、ふと

「あなたは、なにかやっていらっしゃるの?」と聞かれたので、

「音楽もやっているのですが、インドネシアのジャワの舞踊をやっています」

とお答えすると、

なんと、驚いたことに

宮司さまが

「それなら、ぜひ、踊っていただきましょう。愛を持ってね」

とおっしゃってくださったのです。

隣にいた阿部さんも

「ぜひ踊っていただきましょう」

とおっしゃってくださいました。

 

話が、トントンと進み

まさか、こんな形でやってくると思わなかったので

本当にびっくりでした。

 

宮司さまも、なぜ、私が何か芸能関係をやっている人だとお分かりになったのでしょうね。

実は、宮司さまとは、個人的にお話ししたことはこれまでなかったのですが、集団ではお目にかかったことが何度かあり、その時にも、何度か、宮司さまがじっとわたしを数秒間見ているのに気づいたことが何度かあり、この大勢の中で、なぜ私をじっと見ていらっしゃるのかなと思っていました。でも気のせいかもしれないし、私は自意識過剰だけなのかなとも思っていました。でも、宮司さまは、多くの人のことをそうやってじっと見て、いろんなことを感じられているのかもしれませんね。

 

さて、その後、いつ踊る機会があるのかな、今回のリトリートでなくても、そのうちでも、私の舞踊を奉納させていただければ、嬉しいなと思いながら、少し、心の準備はしていました。

それでも、私はいつも、その場や、空気、自分の気持ちに従って、ぱっと変える性質なので、ゆるーくしか、心の準備はしていませんでしたけれども。

 

さて、お昼になり、みんなで禊殿までお弁当を持って行って食べたり、禊殿で瞑想したりした後、拝殿の方に戻ると、拝殿ではすでに、宮司さまが、翌日の早朝に予定されていた「神仏の祈りと地護摩厳修」のご神事の準備をされていました。また、そのご神事で演奏されるバンドの方々も、すでにサウンドチェックやリハーサルを始めていらっしゃいました。

私たちのために、多くの方々が、早くから動いてくださっていることに、ちょっと感動しました。

参集殿で、阿部さんのお話を聞いていたら、そこに宮司さまのお使いがいらして、今夜の7時2分が新月だから、明朝に予定されていたご神事を、その時間に合わせてやったらどうかと、ご提案されたのです。

それで、急きょ、夕方6時半ごろから、ご神事が執り行われることになりました。

非常に興味深いご神事でしたが、秘儀ということで、写真は撮っておらず、どこまで書いてよいのかわかりませんが、後で、滅多に起こらないような珍しいことが起きた、高いエネルギーのご神事であったと聞きました。機会があれば、このご神事についても、少し書けたらなぁと思っています。

 

さて、感動的なご神事が終わった後、

宮司さまが

「あの舞踊の方はどこにいったかな」

とおっしゃり、

「ここにいます」

というと、

「では、踊っていただきましょう」

と。

 

このタイミングで踊らせていただけるとは思っていなかったので、とても驚きました。

でも、実は、もしかしてこんなこともあろうかと、サンプールは、ご神事の間、ずっとバッグの上に置いていたのです。

 

宮司さまが

「バンドのメンバーも、インドネシアにも行ったことがあり、インドネシアの音楽も知っているから、彼らの演奏で踊っていただきましょう」

と。

 

それで、バンドと私のジャワ舞踊の即興セッションとなったのです。

 

私にサンプールを持ち歩くように言ってくださっていた方は、私が舞台に上がる前に、「本当に良かったですね。おめでとうございます」とささやいてくださいました。

 

ジャワ舞踊で使うサンプールの使い方は、踊りによって変わりますが、今回はどのように踊るか、その場で決めようと思い、融通が利くように、首からかけるだけにしました。

 

ゆっくりと女性舞踊のスンバハン(合掌)から始めました。

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「ジャワ舞踊奉納」photo by Coco

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「ジャワ舞踊奉納」photo by Coco

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「ジャワ舞踊奉納」photo by Coco

 

ゆっくり始めたのですが、バンドが意外にすぐに盛り上がって来たので、男性優型の動きに切り替えました。

途中で、宮司さまが、バンドの方にわざわざ歩いて行かれて、もう少しゆったり演奏するように言ってくださっているように、思いました。気のせいだったかな。

そして、舞台の上に一枚乗っていた座布団を自らどかしてくださったり、本当に、思いやりのある方です。

 

最初のうちは、どうしようかいろいろ考えながら踊っていたのですが、

途中で

「考えないで、この場、聞こえてくる音、空気に合わせて踊ればよい」という気持ちが湧いてきました。そして、そのように踊らせていただきました。すべてはその時の場の空気感、神気、バンドの音の響き、自然の音、見てくださっている方々の気を感じつつ、踊らせていただきました。

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「ジャワ舞踊奉納」photo by U

 

もちろん、伝統的なジャワ舞踊なので、決まりごとはたくさんありますが、その中での即興だからこその醍醐味もあるのです。

特に、ジャワ舞踊は表現することを抑えた舞踊でありますし、自分を出すということもありません。

 

また、ジャワガムランの演奏で、演奏者の経験があり勘もよければ、即興でもいろんなボキャブラリーで交流しやすいですが、今回は、全くボキャブラリーの違う、バンド。

私自身、バンドでジャワ舞踊を踊るのは初めてでした。これまで、即興もよくやってきましたが、即興で踊る時は、ジャワ舞踊の動きばかりで動くことはなかったのです。そして、バンドにとっても、おそらく初めてジャワ舞踊と合わせたのだと思います。

どうなるかなと思っていたのですが、そこはさすがで、しばらくすると、私の意図もくみ取ってくださるようになり、そこに交流が生まれました。

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「ジャワ舞踊奉納」photo by Coco

 

途中で、音楽がもっと盛り上がって来たので、男性優型の動きから、男性荒型の動きに切り替え、しばらく踊り、また男性優型にもどり、最後は、女性の動きに戻って、しっとりと終わりました。

 

約9分ほど踊らせていただいたでしょうか。

弁財天さまの目の前で、そしてパワフルな地護摩厳修のご神事のすぐ後に、あのような素敵な能舞台で踊らせていただけるのは、とても得難い経験でした。

弁財天さまにも喜んでいただけのなら、嬉しいです。

そして、同じく神々でもある、見てくださってみなさんにも。

 

踊り終わってみて、いろいろ考えていたようで、直感的に踊り、やはり無心だったのかなぁとも思います。でも、踊りは、その時の自分がすべて出てしまうので怖い。

果たして、愛を持って踊れただろうか。でも踊り自体が愛、交流だと思うのです。

 

 終わった後、踊りの説明をさせていただきました。

まず、即興で踊ったので、ストーリーや意味があったわけではなく、その場と音に合わせて、いろんなスタイル(型)で踊ったこと。

ジャワ舞踊にもいろんな種類があり、神にささげ、交流を持つ舞踊や、エンターテインメント性の高い舞踊など様々なこと。

そして、ジャワで考えられている、マクロコスモスとミクロコスモスの関係。人間の世界であるミクロコスモスが調えば、マクロコスモスも調い、舞踊は場を調える役割もあること。

そして、踊っている時は、自分がいないというか、何かが降りてくるというか、自分が抜けて、役のキャラクター(または、舞踊のラサ(フィーリングとでも訳しましょうか))がスポッとはいるような感覚であることなどを話したと思います。

阿部さんが、「自分が中空になるような感覚でしょう」とおっしゃっていましたが、その通りだと思います。

 

考えてみると、踊っている時は、まさに「いまここ」にいますね。

 

私の舞踊の後、すぐにみんなで瞑想をしました。

私は、踊ったすぐ後だったので、気持ちが高ぶっていたこともあり、あまり瞑想に集中できなかったような気もしますが、それでも、キラキラとした、色でいえば金色のようなイメージの、気持ちの良い波動を感じながら瞑想していたような気がします。

その後も、宮司さまの作られた歌(出会いの喜びを〜という歌です)をバンドの演奏でみんなで歌ったり、その曲で、宮司さまが、即興の歌詞で歌ってくださったり、阿部さんがバンドと共に歌ってくださったり、みんなで踊り狂って盛り上がったり、楽しい時間が続きました。最後はバンドがしっとりした、おやすみのナンバー(のように私には聞こえた)を、素敵な歌声で歌ってくださり、その夜はお開きになりました。

お開きになり、片付けが始まった時に、もう一人、若い男の子もコンテンポラリーの踊りを披露してくれましたよ。彼にとって大切な曲に振り付けしたものだそう。エネルギッシュで良いですね!途中から宮司さまが私に話しかけてくださったので、その受け答えで、途中までしか見れませんでしたけれども、見れて良かったです。

 

その夜から次の日にかけて、いろんな方たちが、私に感想を伝えてくれました。とても感動しましたとか、感動して涙が出そうになりましたとか、美しかった、かっこよかった、手の動きが美しかった、動きによってぱっと気が変わったのが良かったなど、身に余るお言葉をいただき、感謝感激です。

全てはお計らいだと感じたとか、芸能の神様でもある弁財天さまがお誘いくださったのではということを言ってくださった方々もいて、本当に、すべて起こることはお計らいだなぁと、改めて思いました。

 

実は、ビデオを撮ってくださった方がいて、後でビデオを見たのですが、ビデオを見ると、改めたいところしか見えない…。アラがよく見えてしまうのは、舞踊家の性ですね。もっとこうすればよかったとか、こういうところが見ていられないとか。もっとも、ものすごく練習した踊りの公演のビデオでも、私自身、満足することはめったにないのですけれどもね。ましてや即興であれば、アラが見えまくり。きゃ~~~。

 

でも、バンドとの即興で、いつもとスピード感も、音楽の感覚も全く違う中、よく踊った!えらいっと、自分をほめたいと思います!

(ん?おめでたい?笑)

 

それでも、もっともっと精進して、再度ご奉納できる機会があればよいなあとイメージしています。今度は、フルの衣装を着て、ガムランの生演奏で。

あの舞台にとても良く合うと思うのですよね。ジャワガムランの響きも、ジャワ舞踊の動きも精神性も。

 靖国神社能舞台でも、縁あって、仲間たちとジャワ舞踊をご奉納させていただきましたし、能舞台に縁があるのかな。ジャワ舞踊も能舞台に合うと思いますし。

 

全てはお計らいで、なるようになりますね!

 

今日はこんなところで。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日になりますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

つれづれなるままに ~平成お礼参り、そしてジャワ舞踊のことなど、色々感じたこと

このブログにご訪問ありがとうございます。

 

いよいよ、平成の時代が終わりますね。なんだか落ち着かないです。

日本でも、そして個人的にも、いろいろあった時代でしたが、平和な時代で良かったです。

 

そんな時代に感謝しようと、雨の中、近所の氏神様へ。ここは、私の産土の神様でもあります。

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「近所の神社へ平成最後のお礼参り」photo by Kaori

 

令和もみんなでよい時代にしたいですね。

次の天皇も、素晴らしい天皇であってくださるとうれしいですね。

 

やはり、それによって、かなりいろんな雰囲気や物事が変わってくると感じるのですよね。直接的ではないにしても。

やはり、上に立つ人がどういう人であるかって、とても重要ですよね。

そして、もちろん、一人一人がどのように在るかも重要ですよね。

 

以前、何年かぶりに日本に帰ってきて、とても気になったのは、ラッシュ時の電車の中にストレスが充満していること。もちろん、混んでいるストレスもあるのですが、それだけではないのですよね。ちょっとした悪意なんかも感じて。乗っていて、気持ち悪くなりました。

ストレスが減り、お互いに気持ちよく、優しい気持ちで過ごせるようになると良いなぁと思います。

私もそうですけれども、結局、知らず知らずのうちに「こうでなければならない」とか、いろんな恐れに縛られちゃってるのですよね。それはもう何重にも。

 

私は、長い間、舞踊や音楽に携わってきて、楽しみつつも厳しい訓練も積んできましてけれども、そこにあるのはやはり愛なんですよね。急に変ですかね。

独りよがりでは、やはり伝わらない。言葉や肉体を超えた交流と思いやり、全体に対する愛かなぁと思います。そして、芸術/芸能でしか伝わらないものがあると思うのです。

そういうものが、もっともっと重要になる時代が来るような気もします。(期待を込めて)

 

でも、結局、すべてはなるように流れていくのでしょう。その流れを信頼して過ごしていければと思います。

 

実は昨日はワールド・ダンス・デイだったのですよね。

私が以前長期間住んでいた中部ジャワのソロでは、ソロの国立芸術大学舞踊科が中心となって、毎年、24時間踊るというフェスティバルが行われています。今年で13回目だそう。毎年、だれか、24時間ぶっ通しで踊るのですが、その他にも、インドネシア中から何千人もの人が参加して、町中で舞踊コンサートが行われます。芸術大学では、丸一日(24時間)、ずっと舞踊コンサートが数か所で行われています。

特に、夜の芸術大学の大プンドポで行われるコンサートは、ものすごい観客であふれかえります。ソロにいるときは、一日、町中を駆け回り、夜は、早めにプンドポへ行って、席取りをして、なるべく良い席で見る(ビデオや写真を撮影する)ということをしていました。でも今は、便利なもので、ライブストリーミングで、多くで流されています。なので、日本にいながら、楽しむことができました。

それでも、今回は、ジャワの4王宮からの上演のみ、ライブストリーミングで見ました。ジャワ島中部には、もともと一つの王家から分かれた4つの王家(侯家)があります。ソロに2つ、ジョグジャカルタに2つです。その4王家が、それぞれ舞踊を出すのが恒例となっているのです。ここ数年、ソロのクラトン・カスナナンは、内輪もめなど、いろいろ問題が多いせいか、舞踊を出していませんでしたが、今回は、クラトン・カスナナン内のひとつの団体として、舞踊を出していました。クラトン・カスナナンから正式にというわけではありませんでしたが、これで久しぶりに4王家を代表する舞踊がそろったわけです。

 

ライブストリーミングは、音にいろいろ問題はありましたが、映像は格段に良くなっていて、見やすかったです。現場で遠くから見ているわけではなく、アップでも見れるので、迫力がありました。

 

それを見ていて思ったのは、「こんなに上に立つ人や、王宮内の雰囲気が、舞踊のパフォーマンスに如実に出てしまうものなのか」ということ。

私自身、すべての王宮に深くかかわっているわけではないですし、そんなに深い内情まで知っているわけではありませんが、おかげさまで、それぞれの王宮と少しずつ関係があり、王族やその他の中の人たちのことも知っていて、練習にも参加させてもらったり、また、様々なところから、いろんな話が耳に入るのです。

そういうところから判断しての、あくまで個人的な感想なんですが、踊りのパフォーマンスに直接的に影響しているわけではないかもしれませんが、やはり上に立つ人がどう在るかって、ここまで出てしまうんだ。怖いなと思いました。

とても素晴らしい、神がかったような上演のところもあり、大切に力を入れて準備してきているのが見てとれるところもあり、そうでもなく、エゴが丸見えのところもあり。

 

10代半ばで踊りを始めたころからずっと思ってきましたが、踊りって、本当に丸裸に全部見えてしまうのですよね…。隠せないです。

 

でも、踊り手自身のことや、上演場所の空気だけでなく、その背負うもの(王家とか)の雰囲気も、こんなに影響するものなのだなぁと、今回つくづく感じました。まあ、一人で上演するのではなく、大勢で一つのものを作り上げるので当たり前かもしれませんが。

 

折りしも時代の変わり目なので、日本も、たとえ、天皇に政治的権力や権利はなくとも、天皇の在り方や、国民と天皇の関係によって、かなり時代が変わるのだろうなと、改めて思ったわけです。

 

つれづれなるままに書いてみました(笑)

 

令和の時代が、みんなにとって平和で豊かな時代になりますように。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

 

 

 

 

 

 

新年のジャワ舞踊練習と明治神宮初詣

このブログにご訪問くださりありがとうございます😊

 

今年に入ってから、早速移動が例年にも増して多くなり、ブログの更新も滞り気味です…。今も実は長距離移動中。まあ、今年も、ゆるゆると、ぼちぼちとブログが書ければよいかなと思います。

 

ジャワ舞踊の方も、年明け早々から、ひとりでは練習していましたが、新年最初の週末に東京で練習会があって、みんなでたっぷり練習でき大満足です。ブドヨ公演も無事に終わったことですし、久しぶりに、様々な演目を矢継ぎ早に練習しました。

公演時とはポジションを変えてのブドヨ・ブダマディウンから始まり、スリンピ・パンデロリ、ゴレッ・ランバンサリ、モンドロリ二、スリンピ・ムンチャルと練習して時間切れ。これらはマンクヌガラン王宮様式の女踊りの演目ばかりなので、スラカルタ様式のスリンピや、男踊りもやりたかったのですが、次回のお楽しみですかね。

ひとりで練習するのも良いけれでも、複数人数が必要な演目は、大勢で練習すると、やはり楽しい。みんながそれぞれ、これまで研鑽を積んできて、一緒に踊れる方々が多くいるということは、本当にありがたいことだと感じます。ジャワ舞踊は、もちろん、初心者でも楽しめますが、長く経験を積めば積むほど、また違った深い味わいがあります。言葉ではないコミュニケーション、精神的な交流があります。良い踊り手と一緒に踊るといろんなことを、ビンビン感じます。私はそういう踊り手から、一緒に踊ることで多くを学んでいます。

言葉というのは、いろんなものを切り取って、矮小化してしまいがちなものだなぁと思います。言葉の限界というか。言葉のないところには、もっと深い豊かさがあります。舞踊というのは、そういう部分にダイレクトに通じる可能性があるのかなと思ったりします。

 

話は変わりますが、せっかく東京へ行ったのだからと、明治神宮へ初詣に行ってきました。もう5日だし、夕方だからそれほど混んでいないだろうとタカをくくっていたのですが、とんでもありませんでした。原宿の方から、2番目の鳥居を過ぎるあたりまでは混んでおらず、とても良い神気も感じられるほどだったのですが、2番目の鳥居を過ぎて次の角あたりから、ものすごい人が並んでおりました…。

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明治神宮にて>

せっかく来たのだからと並びましたが、結局、お参りできるまでに1時間半近くかかりました。さすが明治神宮ですね。でも、お参りできてよかったです。ちゃんと一番前まで行って、長くはないけど、割とじっくりお参りできました。お参りが終わったのは午後5時ごろだったからかもしれませんが、お守りやお札を売っている場所や、御朱印がもらえる場所は混んでいませんでした。御朱印をいただき、せっかくなので明治神宮鎮座百年祭記念事業に寄付をしましたよ。1,000円以上の寄付で、御神木から作られた小さな木の記念品がいただけました。

 

今回はこんなところで。

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な1日となりますように。

 

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<移動中の雪景色>

 

ジャワ舞踊、男性舞踊の大御所から学んだこと(3)~気とオーラ

本ブログにご訪問頂きありがとうございます。

 

最近、何冊かの良い本に出会い、いろいろハッとさせられることが多いです。それが、これまでジャワ舞踊やジャワ文化を通して学んだり、調べたりしたことと、いろいろシンクロしていたりして、なかなか面白いです。また、いろんなことが動き始めています。大きな流れの中で、身を任せている感覚です。いろんな意味で楽になってきています。

 

さて、今日は、前回の続き。東京で、ジャワ舞踊の大御所ダルヨノさんと、いろいろお話ししたり、踊りを見たりするうちに学んだこと、気付いたことなどのシェア、第3弾です。ダルヨノさんから学んだことも、最近の気付きとシンクロしているようで、でも相反するようでもあり、私にとってはとても興味深い流れです。そして、ダルヨノさんはジャワに帰られた後も、SNSを通して、たまに思い出したように、少しずつ、私の理解が深まるように、踊りに生かせるように、サポートしてくださるのが、とてもありがたいです。すごい先生です。そして、私も自分が受け取ったことを、次に伝えていけるように、まず、自分で体験し、そこから伝えていけたらなぁと思います。舞踊のことですし、やはり、自分が体験し、自分の体や感覚で感じてみないと、人には伝えられないことも多いと思うのです。ですので、私が書いていることは、今の時点の私が理解できること、または、私の推測となります。でも、ジャワ舞踊の奥深さを多くの人に知ってもらえればと、そして、踊る人たちの何かのヒントになればと願っています。

 

第1弾、第2弾の記事は以下からお読みいただけます。

ジャワ舞踊、男性舞踊の大御所から学んだこと(1)~エネルギーの伝達 - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊、男性舞踊の大御所から学んだこと(2)~時間とスペース、気、深いところとの繋がり - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

 

 

今回は、ちょっと専門的になるかもしれません。ジャワ舞踊をやっている人以外は分かりにくい部分があるかもしれませんが、何かのヒントになるかもしれないし、自分のためにも書き残しておこうと思います。

 

ダルヨノさんが、練習として教えてくれたのは、自分のオーラ、または、自分の体の感覚で、だんだんと広い空間を満たしていくというもの。

これは、これまで私自身、それほど意識してではないけれど、ある程度やってきたように思います。もともと、ジャズダンサー、モダンダンサーとして、舞台に立っている時に培ってきたことですし。そして、ジャワ舞踊でも、ある種の踊りでは、培ってきたと思います。

でも、ダルヨノさんがおっしゃるのは、それを、自分のいる空間のみではなく、地域全体へ、国全体へ、地球全体へとどんどん広げていくというもの。目を閉じて、それを意識してやっていると、私はちょっと怖くなることもあります。くつろいでの瞑想では、自分が自然にどんどん広がっていき、すべてが自分の中にあって、すべての音が自分の中から聞こえてくる感覚になることは、たまにあるのだけれども、意識して、自分から広げていくのは、なぜか怖い時があります。

でも、リラックスして楽しんでやっていると出来そうなので、少しずつやってみようかなと思います。一気には無理かもしれないので。何事も段階があるのかもしれませんね。ダルヨノさんによると、呼吸を意識しながら、ポジティブな祈りか、ポジティブなエネルギーをモチベーションとして行うとのこと。ポジティブのエネルギーと共にだったら、怖くなくなるのかもしれませんね。

(ちょっと、ポジティブという言葉に私は引っかかっています。ポジティブが必ずしも良いことだとは思えなくて…。まあ、それは置いておいて…。)

 

それでうまくいかなかったら、踊りながら意識してみるとよいとのこと。どちらにしろ、踊りに生かしていくものなので、次の段階では、踊りながら、それを感じていく練習になるのでしょうけれども。その時には、ブドヨのような踊りが良いということです。

 

ちなみに、ブドヨについては、以前、以下の記事に書いています。

マンクヌガラン王宮のブドヨ・ブダマディウン(ジャワ舞踊)に関して - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

 

11月18日に北とぴあでブドヨを踊った後、ダルヨノさんは、いくつかのアドバイスをくれました。ブドヨ上演時、ダルヨノさんは、歌に入ってくださっていたので、踊り自体は注意してみることができなかったそうで、いろんなアドバイスをいただけなかったのは残念ですが、関連することを伝えてくださいました。

 

ブドヨの踊り手には、ポジションに応じて名前があるのですが、その中で、中心的役割を果たすのが、バタッ(Batak)というポジション。11月18日に私が踊らせていただいたポジションです。そのポジションの役割について、ダルヨノさん自身の経験から話してくださいました。

ブドヨといえば、普通は、7人、または9人の女性による舞踊ですが、マンクヌガラン王宮には、マンクヌゴロ1世の治世には、3つのブドヨがあったことが伝えられています。ブドヨ・アングリルムンドゥン、ブドヨ・ディロドムト、ブドヨ・スコプラトモです。そのうちの後の二つは、男性の踊り手によるブドヨです。女性によるブドヨ・アングリルムンドゥンは、数奇な運命をたどって、1980年代にマンクヌガラン王宮に返され、今も、王の即位記念日の式典などに踊られていますが、あとの二つは名前と、どういう事柄が踊られているのかが残っているのみのようです。(ちなみに、3つとも、マンクヌゴロ1世の戦いがテーマになっています。)そこで、ダルヨノさんが、何年か前に、男性7人の踊り手によるブドヨ・ディロドムトを、再創作されました。そして、ブドヨ・スコプラトモは、現在、再創作の途中です。(出来上がってはいるけれども、まだ、変更したい部分があるとのこと。)私は、ブドヨ・ディロドムトを何度が見たことがあります。このブドヨに出演している踊り手は、いつもみんなスター級。本当に素晴らしい踊り手たちばかりなのです。存在感もオーラもすごいです。スターが7人揃って踊るようなものです。そんな中で、ダルヨノさんがBatakのポジションを務めるわけです。その時にどういう意識で踊られているのでしょうか。

 

Batakのポジションを踊る時は、ブドヨの中で起こっているすべてに意識(「気」)を向け、すべての他の踊り手を包むように、すべてを支えるように踊るのだそうです。Batakがブドヨの中で起こっているすべてに責任を持つのです。つまり、何が起こってもbatakの責任というわけですね。

 

う~ん。Batakは、非常に重要なポジションだとは思っていたけれども、そこまでの責任だとは、私自身は自覚がなかったです。ただ「ポジションの中のひとつ」という位置づけではなく、全然違う意味合いのものだったのですね…。先日の公演前に自覚していたかったですが、踊った後だったにせよ、こういう話をしていただけるのはとてもありがたいです。なかなか、こういう話をしてくれる人はいませんから。今後に生かしていきたいと思います。

 

あとは、ブドヨでは、最初と最後の座る前や、立ち上がった後、みんなで一斉に90度曲がるところがあるのですが、そこのところも、もっと、空気が重く動くようにというか、みんなで一斉に「気」を合わせて動くように回った方が良かったようです。そういうところも含めて、一つ一つの動きに、もっと意識と「気」を向けられるようにしたいものです。自分では注意深くやっているつもりでも、慣れてくると気を抜いてしまう部分があるのだなぁと、ハッとしました。

ブドヨは踊っていても、曲を聴いているだけでも気持ちよくなってしまいますが、ぼーっとして自分の中が「空 kosong」になってしまってはいけないとのこと。「中身 isi」が重要ですね。そういうところにも「気」のつながりがあるかなと思います。

 

また、ブドヨのみならず、どんな踊りでも、空間全体(先日の公演であれば、シアター全体)まで、「気」が届くようにする、「気」で包むようにするのだそうです。

このあたり、私は少し勘違いしていました。私自身、ジャスダンスやモダンダンスをやっていたころは、劇場の端まで、自分の気というか、オーラを届かせていましたし、そのことを意識していました。でも、ジャワ舞踊、特に女性舞踊はそういうものではないと思っていたのです。ジャズダンスやモダンダンスでは、自分を大きく見せよう、出来るだけ手も足も長く見せよう、シアターの端まで自分の気を飛ばそうとしますけれども、ジャワ舞踊、特に女性舞踊では、動きも大きくないですし、視線も落としています。ですので、自分を大きく見せようとはしない踊りだと思っていたのです。

それで、ダルヨノさんに「それは、男性荒型でも男性優型でも女性舞踊でも同じですか?」と聞いてみると、「同じであるべきだと思う」との答えが返ってきました。

それであれば、きっと、ジャワ舞踊では、モダンダンスなどとは違った「気」や「オーラ」の使い方なのだと思います。もっと繊細で精妙な。ジャワ舞踊では、「個性」は出ても、「自分」は出さないと思うので。私が、ジャワでジャワ舞踊を学び始めたころに、よく私の先生に注意されたのは、「表現しすぎ」ということでした。なので、モダンダンスのような舞踊と、ジャワ舞踊は、全く表現法が違うものだと思っています。それが、勘違いにつながっていたのかもしれませんね。でも、もっと場を「気」や「オーラ」で満たしても、良かったのですね。でも、ジャワ舞踊の場合は、非常に精妙な方法だと思うので、やりすぎないよう、間違えないように気を付ける必要はあると思いますが。

 

また、ダルヨノさんが「胸にリフレクター(反射板)があるように踊りなさい」というのも、少し驚きました。例として、ダルヨノさんが挙げていたのが、車のヘッドライト。ヘッドライトは、電球だけではあまり光が強くないけれども、リフレクターが付いているので、そこに光が反射して、強い光を放つことができます。そのようなリフレクターが胸にあるように踊る、そこから「気」を放射するということでしょうか。

そのように踊るのは、モダンダンスなどをやっていた時は、いつもやっていたことでした。でも、ジャワ舞踊も同じなんだと、いまさらながら、目からうろこが落ちました。ジャワ舞踊でも、男性舞踊を踊る時は、私もある程度やっていましたけれども、女性舞踊も同じとは…。

今後、このようなこと意識しながら踊って、いろいろ試してみたいと思います。

 

また、このように踊っていると、お客さんの「気」もわかるようになるそう。

 

お客さんの「気」に関しては、私自身が踊る時にはいつも意識していることで、とても重要だと考えています。お客さんの「気」によって、私自身、(群舞でなければ)踊り方も変えますし。踊りは、どういう場かや、一緒に踊る人、演奏者とだけでなく、見る人と一緒に作り上げていくものだと思うので。

 

ダルヨノさんのおっしゃるような訓練を重ねていくと、もっともっと人の「気」が感じられるようになるかもしれませんね。

 

今回も、ダルヨノさんから学んだことを、自分自身が思うところも交えて、自由に書いてみました。書くことによって、自分の中でもいろいろ整理ができたような気がします。

他にも、まだ、踊りのテクニック的なことなど、ダルヨノさんから学んだことがあるのですが、また、気が向いたら書いてみようと思います。

 

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「ダルヨノ氏によるクロノ・トペン」photo by Kaori

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。