香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊やガムラン音楽に関すること、日々の気付きや学び、海外生活で見聞したこと、大好きな植物や動物に関してなどを、私が感じたことを気ままに、ゆるゆると書いていきます

カリフォルニア芸術大学での衝撃 ~ 私の歴史/記録(10)

今日は、昨日に引き続き、私の歴史/記録シリーズです。前回は、カリフォルニア芸術大学(CalArts)入学までを書きました。これまでのお話は以下からお読みいただけます。↓

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さて、無事に念願のカリフォルニア芸術大学舞踊科に入学できたわけですが、入学してみて、衝撃を受けたことがいくつもありました。カルチャーショックというべきでしょうか。

 

まず、トイレの落書き!壁にもドアにも落書きがあふれていました。隙間もないほど。ペンキで塗られた絵も多かったです。まあ、その落書きを読むのも楽しいと言えば楽しいのですが、自由というかなんというか。また、トイレットペーパーが持ち去られないように、鍵がかかっていたのも衝撃でした。

 

そして、舞踊科は、先生も含めて、男性はほぼ全員ゲイかバイセクシャルでした。男性でゲイかバイセクシャルではないのは、学生の数人のみでした。女性もゲイかバイセクシャルが多かったと思います。(ちなみに、女性の同性愛者もゲイと呼ばれていました。)ただ、男性よりも女性の方が、パッと見てわかりにくいので、何割ぐらいがそうなのか、確認したことはないですけど。舞踊関係者は、特に男性は、なぜか同性愛者が多いので、日本でも何人も知り合いがいて、特にショックでもありませんでしたが、男性のほとんどがゲイという状況がびっくりでしたね。

余談ですが、私の友人の中華系オランダ人のダンサーはバイセクシャルでしたが、「だって、僕は男だから、女だからと好きになるのではなく、人間が好きなんだもの」と言っていて、すごく納得した覚えがあります。もっとも、私は極めてノーマルですけれども。

 

あと、10月にハロウィーン・パーティがあったので、変装して大学のパーティへ行ったのですが、入り口でコンドームを配っていたのが衝撃でした。そういう状況になっても、コンドームだけは使ってねということでしょう。確かに、エイズも流行っていましたしね。ただ、そのパーティがあった夜にレイプ事件があり、ガテマラからの男子留学生が退学になりました。舞踊科で結構仲良くしていたのでショックでしたね。でも、それ以上にショックだったのが、男性が男性をレイプしたということです。そんなことあり得るのか。私は早くに帰りましたが、遅くまでいた人たちは、みんなけっこう酔っぱらっていたようですし、アメリカの大学では麻薬も蔓延していたので、もしかしてその影響もあったかもしれませんね。それでも、それはないだろうという感じでした。

 

また、舞踊科の場合、週に4日、バレエとモダンダンスの授業があり、結構汗をかくので必ず着替えるのですけれども、多くの人が、全部脱いで素っ裸になってから、着替えを着始めるのには、びっくりでした。ダンススタジオなどで着替えたりもしていたので、素っ裸の状態で、男女混じって、おしゃべりしていたりして。ダンサーは、体の線がはっきり見えるような衣装で舞台に立つことも多いので、身体に対する羞恥心は薄いとは思います。また舞台では、衣装の早替えもあって、とにかくいそいで全部脱いで、次の衣装を着、舞台に走り出るということはよくあります。でも、みんなの前で、ゆったりと素っ裸で、おまけにその状態でおしゃべりとは…。どこを見たらよいのかわからない…。でも、しばらくすると慣れるものですね。私も平気になりました。もう、裸を見てもびくともしません(笑)。

でも考えてみれば、日本でも公衆銭湯では裸でしたね。外国人には、それが信じられないようですが…。そういう意味では、日本はとても開放的な国なのかもしれませんね。

他にも、もともとアメリカ軍人だった男性で、手術をして女性の胸を形成していた学生もいました。彼(彼女?)は、日によって、男性の格好をしている時もあれば、女性の格好をしていることもありました。名前は女性の名前を使っていましたね。何科の学生か忘れましたが、確か演劇関係だったかな。ある日、ある授業でかわいらしい格好をした彼(彼女)が私のすぐ後ろに座っていて、てっきり女性だと思い込んでいたら、発言をした声が男でびっくりした覚えがあります。彼(彼女)は、女性の胸を持っていましたが、まだ男性の一物を持っていて、ある日、外部の工事作業員のいる前で、大学の寮のプールで素っ裸で泳いで、大騒ぎになったことがありました。

まあ、変わった人の多い大学ですよね。でも、それらをすべて受け入れるだけの度量のある大学でした。

とにかく、カリフォルニア芸術大学は、とても自由な校風でした。それが、創作意欲を刺激するのですかね。自分の中の殻を取り払い、創作するには絶好の環境でした。学生も、高校を卒業したばかりの人よりも、もう少し年上で、いろんな経験を積んできた人が多かったように思います。一癖も二癖もある感じの。もちろん、高校を卒業したばかりの人も、そればかりか、優秀で飛び級をして16歳で入学してきた子もいましたけれども。

そんなこんなで、非常に刺激的で、面白い学校でした。いつでも創作できるよう、大学は24時間開いていました。そして、いろんなことに、自由にトライできる体制が整っていました。コンセプトさえしっかりしていれば、裸で舞台や外で踊ってもかまわないわけです。実際、一年の内、少なくとも一人は全裸で踊る作品を発表していましたね。慣れてしまって、ああ、またかという感じでしたけれども。私自身も、上半身裸でなら踊ったこともありますよ。それは、ある先生の作品で、18人ぐらいの女学生が選ばれて参加した、とても美しい舞踊作品でした。最初に、後ろ向きで、Tシャツを脱ぎ、そのTシャツを持ったまま踊るので、後ろ向きでは上半身裸ですが、前を向くときはTシャツを胸の前に持ってきて隠すように振付されていました。でも、音楽科の男子学生などが、なるべく横の方から見ようとしていたいて、「そんなに胸見たいんか!」と思っていたのを覚えています(笑)。

他にも、ビデオで見たのですが、舞踊科の学生が大人数で、近所の原っぱで裸で踊っていたこともあるようです。完全に、コミュニティから浮いていますね…。あの周りは、かなり保守的な方たちが住んでいる地域なので、自由闊達なCalArtsの学生たちは白い目で見られていたようです。余談ですが、白人至上主義団体KKKの人も多く住んでいるような地域だったので、私も差別を受けたことがあります。

それにしても、ファインアーツ科の学生が、多くの男性の一物の写真を、大学のメインホールで展覧会していたのは、さすがにビビりました。大学内の男性にコンセプトを話して撮影させてもらったとか。コンセプトはよくわかりませんでした…。

裸のことがあまりにも衝撃で印象に残っているので、なんだか、そのことばかり書いてしまいました。でも大学ではもちろん、素晴らしい作品もたくさん生まれていましたし、素晴らしいダンサーや演奏家も多かったです。そして、科をまたいでの共同作品作りも活発に行われていました。

CalArtsは、もともとウォルト・ディズニーが作った学校が基になっているので、アニメーションも強かったです。他には、ジャズ音楽も有名で、学生でもすでにCDデビューをしているグループもありました。そのグループには、この大学の学生ではありませんでしたが、日本人ピアニストも参加していて、彼が、たまげるほどうまかったのを覚えています。一見、小さな普通の人なんですけど、演奏するとあそこまで変わるのかとたまげました。残念なことに、名前も忘れてしまったのですけれども。他にも、ジャズで留学している日本人が何人かいました。作曲科でも、ハッとするような素晴らしい曲を作る日本人男性がいました。私も、彼の作品からインスピレーションを得て、舞踊を振りつけたことがあります。なぜか、在学途中で行方不明になってしまい、名前も覚えていないのが残念です。映像分野でも後まで親交を持つことになる女性がいて、いろいろお世話になったのを覚えています。

先生方も、その分野で第一線の方々ばかり。その一流の演奏や作品が間近で見られるわけです。メインホールでは、毎週のようにいろんなコンサートや展示会がされていました。また、ゲストで来る方々も、一流の方ばかり。CalArtsでは本当に良いものをたくさん見させてもらいました。

 

今日は、なんだか変な話ばかりになってしまいましたが、この辺で終わりにします。

また、何か衝撃を受けたことを思い出したら書くかもしれません。とてもとても楽しい、学生生活でしたので。学生生活の思い出は、また別の機会に書こうと思います。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素晴らしい一日となりますように。

 

<今日の植物(庭の植物シリーズ)>

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「種から育てた金蓮花。今年の一番花が咲きました」photo by Kaori