香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊やガムラン音楽に関すること、日々の気付きや学び、海外生活で見聞したこと、大好きな植物や動物に関してなどを、私が感じたことを気ままに、ゆるゆると書いていきます

天河神社、特別御開帳

いつも読んでくださってありがとうございます。

 

今日は、天河神社での出来事を書きますね。

天河神社へは18日の昼過ぎに着きました。天河神社を訪れるのは、昨年11月、今年6月に引き続き3回目です。

天河神社では、御造営三十周年記念大祭が行われており、天河大辨財天神像、天宇受賣命像、後醍醐天皇像の特別御開帳が行われていました。それで、早速、昇殿参拝をしてきました。

 

まず、左側の扉の後醍醐天皇像から。黒っぽい感じの、割合小さな、品のある像でした。こちらには、南朝の4天皇がお祀りされているそう。

中央の扉に、天河大辨財天神像。天河神社には二つの辨財天神像があるとのことで、今回御開帳となったのは、十五童子を従えた八臂辨財天神像。もうひとつは、日輪辨財天神像で、こちらは60年に一度の御開帳とのことで、右側の天宇受賣命像の後ろの扉にいらっしゃるようで、見ることができませんでした。日輪辨財天が陽(日)、八臂辨財天が陰(月)であると聞きました。また、八臂辨財天神像の左右には、大黒天神像と毘沙門天神像、そして、手前の左右には、吉野と熊野を象徴する、大きなご神像があったと思いますが、名前を忘れてしまいました…。八臂辨財天、十五童子、大黒天、毘沙門天のご神像は、奥の方にあり、暗くて、目を凝らしたのですが、あまりよく見えませんでした。まあ、目で見るのではなく、感じるものなのかもしれません。

そして、左側の扉の、天宇受賣命像。30年前に稲田光胤という仏師の方が、天河の山にこもって作られたものと聞いています。平成元年の8月に出来上がった時に、ちょうど、天河神社の特設ステージで、北島三郎さんのコンサートがあったそうです。ちなみにこの時のために作られ、奉納された曲が「まつり」だとか。大勢の方が来ていましたが、突然、見たこともないような雷と大嵐になったという話を、宮司さまからお聞きしたことがあります。それで、「岩戸開きか」と感じられたそうです。天宇受賣命さまには、人々の本当の心を開くために、今、お出まし願わないと困るということでした。

天宇受賣命像御開帳は今回が初めてということで、木の色も新しく見えるような、きれいな立像でした。たしか、右手に剣(鉾なのかな?)、左手に笹を持っていたと思います。いまから岩戸の前で踊られるところなのでしょうか。

参拝し終わって、降りる時にご神符をいただきました。

私の友人たちは、いろいろ感じたり、感動して涙が出たようですが、私は、特に何も感じずでした。私にとっては、ご神像は、像であって、神さまそのものではないという気持ちが強いのかもしれません。どちらかというと、造形にとても興味があったというか。でも、参拝後、身体が、というか、背骨の下の方が緩んだようには、感じました。まあ、人それぞれですね。

でも、秘仏(例えば、今回は御開帳になりませんでしたが、日輪辨財天神像など)が御開帳になるということは、国に何か出来事が起こるということと、聞いたことがあります。そういう意味では、ご神像の御開帳には、多くの精神的な、象徴的な意味があるのかもしれませんね。

実は、大祭期間中、毎朝9時に、本殿開扉のご神事があり、19日、20日の朝に参加させていただいたのですが、ご神像が安置されている三つの扉を開ける時の、ご神職の方(たぶん、禰宜さまだと思います)が、「おー。おー。」と言いつつ、扉を開けられているのが、非常に美しく、感動してしまいました。たぶん、私は、ご神像という、目に見えるものよりも、声を含む響きというものに、心揺さぶられるのだなぁと思いました。

このご神事自体は、あまり詳しく覚えていないのですが、雅楽(録音ですが)が流れる中、行われ、ご神職の方が祝詞を上げられ、その後、開扉、ご神職の方々が、お供え物を供えていらっしゃいました。その後、みんなで弁財天様の御真言を7回唱え、そして役行者さまのご真言を7回唱えた覚えがあります。そして参列者の代表が昇殿して玉ぐしをささげられていました。たぶん、いろいろ抜けていると思いますが、こんな流れだったと思います。

18日に昇殿参拝している間、なんだか気が急いて、あまり落ち着いて参拝できなかったような気がします。そのこともあり、また、名残惜しい気持ちもあり、実は、滞在最終日の20日の帰る直前に、バスまでの時間が30分以上あったので、もう一度、参拝させていただきました。その時は、一人で参拝し、また、私の前に参拝されている方々も、とてもゆっくり参拝されていたので、私も、ゆっくり、心静かに参拝させていただけました。私は、前の方が次に移動されてから、移動するようにしていたのですが、みなさん熱心にお祈りされていて、ご神職の方に「それでは、順にお進みください」と、毎回せかされるほどでした。でも、そのおかげで、18日に暗くて見えにくかった八臂辨財天神像も、しばらくすると、目が慣れてだんだん見えるようになってくるのです。ご神像の美しさ、本殿の在り方の美しさが印象に残っています。20日朝のご神事の時に、禰宜さまが、ぜひ天河の神さまに、何かお約束をしておかえりくださいとおっしゃっていたので、6月の時と同じことですけれども、お約束をし、また感謝をすることができました。

ご神像は、天河神社本殿の磐座の向こう側の、上段に鎮座されていました。磐座の横を通る時は、一礼して通るようにと、ご神職の方に言われ、そのようにしていました。そして、磐座の手前にも、丸い鏡の置かれたご祭壇がありました。ご神職の方に神符をいただいた時、そちらのご祭壇にもお参りするように促されました。そこには、手のひらより少し大きいぐらいのサイズの、金の五十鈴が置かれていて、それを鳴らしてからお参りするようにと。どう鳴らせばよいかわからずに、ご神職の方にお尋ねすると、中指を真ん中の穴に入れて持ち上げ、手のひらを返して、手のひらが上に向くようにし、手首を使って、平らにまわすようするとよいと、教えていただきました。手首と使って平にまわすというのが、ちょっとよくわかりませんでしたけれども、五十鈴は、ころころと美しい音がしました。サイズの割にはずっしりと重かったです。そして、そこで心置きなく参拝させていただきました。

 

神社というのは、心静かに、自分を取り戻す場所なのかもしれませんね。宮司さまが、私たち一人一人が神だ。神とはすなわち自分のことと考えて良いでしょうと、おっしゃっていましたけれども、まさに、そのことを思い出す場所なのでしょうね。

 

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天河神社、本殿と五十鈴」photo by Kaori

 

今日はこの辺にします。

 

 読んでくださってありがとうございます。

あなたにとって素晴らしい一日となりますように。