香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊やガムラン音楽に関すること、日々の気付きや学び、海外生活で見聞したこと、大好きな植物や動物に関してなどを、私が感じたことを気ままに、ゆるゆると書いていきます

中国の思い出(1)~中国へ行くことになったきっかけ

いつも読んでくださってありがとうございます。

 

最近、中国を旅した時のことを、たまに思い出します。ずいぶん前の事なのですけれども。記録のために、忘れてしまわないうちに、思い出したらぼちぼち書いていこうかなと思います。

 

中国では、実は、3回に分けて、計10か月ほど滞在する機会がありました。初めて行ったのは、1999年の事。実は、3回とも、ある基金にお金を出していただいたのです。長くなるのですが、まず、その話から始めようかなと思います。

 

その頃、私はアメリカに住んでいました。カリフォルニア芸術大学を卒業し、在学時代から始めていた音楽と舞踊のグループの活動を続けていたころです。このグループは、私と、出会ったばかりの頃の元夫を中心に作ったグループで、私が舞踊の振り付け、彼が作曲を担当していました。使っている楽器に特徴があって、ガムランからヒントを得て、石の板で作った楽器のアンサンブルだったのです。一定の良い評価も得ましたし、一から楽器を作って、いろいろ実験をして、ジャワのように、踊りと音楽が密接な関係を持つ作品を作らせてもらい、とても素晴らしい経験をさせてもらいましたが、そのことについては、また別の機会に書ければよいなと思います。

いろいろ公演しているうちに、中国に昔、石の楽器のアンサンブルがあったと教えてくれた人がいたのです。

 

その頃、アメリカの文房具会社が作ったある財団が、カリフォルニアの7つの大学の在校生、最近の卒業生、職員を対象に、中国限定で、1年以内の期間で滞在できる奨学金(グラント)を出すことになったのです。その文房具会社の創立者が、1920年代に中国に1年滞在し、人生が変わるような経験をしたので、今の若い人たちにも、そのような経験をしてほしいとの目的で創設されたグラントです。そして、中国で冒険をしてきてほしいということ。冒険ですし、出来るだけ現地の人たちと交流してほしいということで、中国国内では原則、飛行機の利用は禁止で、遠距離でも夜行電車やバスを使うことになっていました。そして、アメリカに戻ったら、自分のいるコミュニティに、その経験を何らかの形で還元することになっていました。なんだか、こういう奨学金を出すのが、アメリカらしいなぁと思います。

私がその数年前に卒業したカリフォルニア芸術大学もそのグラントの対象になっていました。私自身は、それほど興味があったわけではないのですが、冒険好きの私の元夫(その頃は、結婚したばかりの夫)が、このグラントを取って、中国へ石の楽器を探しにいかない手はないと主張し、グループのほかのメンバーも誘って、それぞれ、このグラントに応募することになったのです。

 

いろんな事情があって、最終的に、グループのメンバーでこのグラントに応募したのは、私と(その頃の)夫のみでしたけれども、二人とも、無事に4か月分のグラントを得ることができ、石の楽器のアンサンブルを探しに、中国へ旅立つことになったのです。応募には、中国へ行く目的、中国でやりたいこと、詳細な旅行計画、予算などを提出したと思いますが、財団側も、なかなかの冒険だと気に入ってくれたようです。出たお金は4か月分だったのですが、二人がそれぞれグラントをもらっていて、でも夫婦だったので、ホテルの部屋は一つで済んだこともあり、また、その時の中国の物価が思ったより安く、お金があまりにあまって、結局、その時は6か月滞在しました。

 

グラントを得てから、実際に中国に旅立つまで、どのくらいの時間があったのか、今となっては覚えていないのですが、二人とも忙しくて、中国語もあまり勉強せずに、ポンっと行ってしまった覚えがあります。私は、本などで多少勉強した覚えはあるのですけれども、夫はほとんどしていなかったと思います。でも、世界どこでも、英語なら通じるだろうと、たかをくくっていた面もあったと思います。

 

中国へは上海から入りました。もう初日から困りましたね。言葉が通じなくて。ご飯を食べるのも一苦労でした。ちょっと外れた地域だと、ご飯が食べられる場所もわからず。今なら、英語が通じる人も増えたのでしょうけど、1999年の中国は、英語よりもロシア語ができる人の方が多かったように思います。英語が通じる人は、本当に少なかったです。幸い、日本人の私は漢字の読み書きができるので、筆談でなんとかしのいでいました。

 

それにしても、初めての中国は衝撃でした。夫は、アラブと北欧系のハーフでしたけれども、概して西洋人の顔つき/体つきでしたし、上海の外灘(観光地)などを歩いていると、それなりに目立つと思うのですが、一緒に歩いている私の方が、じろじろと見られるのです。それも、頭のてっぺんから足の先まで、なめるようにじろじろ見られる感じ。日本やアメリカで、そんな風に見られることはまずないので、衝撃でした。

その頃の私は、かなり気が強い方だったので、逆に睨み返していましたけれども…。

思うに、私は現地の人だと勘違いされていて、西洋人の男と歩いているなんで、どんな女だろうという感じだったのかもしれませんね。その後も、あちこちで、私は現地の人だと勘違いされることがしばしばだったので。

 

上海では、楽器の事だから、音楽学院へ行けば何かわかるだろうし、大学なら英語がわかる人もいるだろうと、上海の音楽学院を訪ねることにしました。そこでの詳しいことはあまり覚えていないのですが、石の楽器のアンサンブルは、湖北省武漢の近くで発掘されていることが分かり、とりあえず武漢にある音楽学院を訪ねていくことになったのです。

 

今回はここまで。

また、気が向いたら、ぼちぼち続きを書きたいと思います。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

<今日の植物>

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「外出先で見かけた不思議な花」photo by Kaori