香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊やガムラン音楽に関すること、日々の気付きや学び、海外生活で見聞したこと、大好きな植物や動物に関してなどを、私が感じたことを気ままに、ゆるゆると書いていきます

瞑想に関してのあれこれ

突然ですが、ここ数年、瞑想をするようになりました。日常的に少しでも瞑想の時間をとれるなったのはここ数ヶ月ですが、瞑想をするようになってから、とても心が落ち着いているように感じます。もちろん、かっとなって怒ったり、不満や、自己嫌悪や、いろいろな負の感情も相変わらず襲ってきます。でも、そこから、割合さっと抜け出せるようになってきました。瞑想というと、特に日本では怪しい宗教じゃないかと思われることも、以前は多かったようですけれども、最近は、「マインドフルネス」という言葉が普及してきて、瞑想も市民権を得たような感じもしますね。いまや、多くの大企業も、そして幼稚園に至るまで瞑想を取り入れていますし。

瞑想に出会ったのは、実はかなり前で、アメリカのサンディエゴでヨガ教師になるためのトレーニングを受けている時でした。1998年ぐらいだったかなぁ。あまり覚えていませんが、その前後です。

余談ですが、私の母もヨガの先生(確か沖ヨガ)をしている時期があり、私も子供のころヨガに縁がありました。よく母と並んで、ふすまの前で三点倒立をしていたものです。また、アメリカの芸術大学のダンス科にいた時に、かなり体に負担のかかる舞踊でしたので、週に2回は針治療に通わないと体がもたなかったのですが、ヨガの授業のある春学期だけは、針治療に通わなくても大丈夫だったという経験があり、ヨガのすごさを認識していました。ちょっと生活に不安を持っていた時期でもあり、何か手に職をつけたいと、ヨガ教師になるためのコースを受講したわけです。

それはRama Berchという、インドに長くいたアメリカ人の女性が始めたsvaroopa yogaというヨガでした。余談になりますが、Ramaというのは、インドの先生が付けてくれた名で、古代インドの大長編叙事詩ラーマーヤナの主人公のRamaとは発音が違うとのこと。ちょっとマニアックな情報でしたね。

ヨガ教師になるためのトレーニング自体は身体の動きのハサ・ヨガが中心でしたが、ラマが言うには、ヨガで一番重要なのは瞑想なのだそうです。ハサ・ヨガはヨガのほんの小さな一部のみ。ということで、コースでは瞑想の時間も結構ありました。その時が、瞑想初体験です。でも、その後、続けることはありませんでした。

その後、ジャワに渡りました。実はジャワでも、瞑想される方は結構いらっしゃいます。伝統的にそういう文化が根付いています。でも、瞑想は個人的にされている方が多いようので、あまり、そういう話をしたことはありませんでした。

集団で行う瞑想では、私がお世話になっていたスラカルタのマンクヌガラン王宮では、ジャワ暦の新年、午前0時から王宮内で多くの人が集まって瞑想を行います。スメディと呼ばれていました。私も参加させていただいたことがあります。0時になると王宮の門が閉められ、瞑想が始まります。ちなみに、誰でも参加できます。私は親しくさせていただいていた王族の方に誘われ、王家の関係者が集まって瞑想する場所で、参加させていただきました。余談ですが、王家と言うと、すごいと思われる方もいるかもしれませんが、この王家はとてもオープンな王家なので、私のように誘っていただけるのは珍しいことではなく、すごいことでも何でもないのです。

その時は、その前に儀式に参加していたので、ジャワの正装のままです。女性は腰から下はピタッと布を巻いているので、床に座るのは大変。確か1時間ぐらい瞑想だったと思いますが、足が痛くて、何度も坐りなおして、なかなか集中できませんでした。でも、暗い中で、燃やしている火がちろちろ見え、だんだん夢うつつのような感じになり、とても心が落ち着きました。とても素晴らしい経験でした。この儀式や瞑想に関しては、また別の日にブログに書きたいと思います。

そんなこんなで少しずつ瞑想の経験があっても、個人的に瞑想をすることは全然なかったのですが、ジャワ滞在も終わりかけの2016年初めごろ、ひょんなことから瞑想に興味を持ち始めました。呼吸に意識する方法で、自己流の瞑想を30分ぐらい、朝にやっていたのです。ある日、瞑想をした後、準備をして仕事に行こうとしている時、玄関先の鏡を見ると、顔が金色っぽく輝いているように見えるのです。肌もつやつやしているというか。心なしか若く見える!瞑想ってすごい!っと思い、がぜん、瞑想にやる気がでました。現金ですね(笑)。でも重要ですよね。

最近では、身体のチャクラに対応したマントラを使う瞑想もよく行っています。瞑想中は、自分の役割や仕事などはすべて脱ぎ捨てて、ただそこにあるだけ。本当に気持ちよいです。1回30分ぐらいですが、そういう時間があると、生活の質が変わってくるような気がします。習慣になってくると、やらないとなんだか落ち着かなくなります。余談ですが、現世的な利益があるといわれる種類の瞑想もあるらしく、たまにやりますけど、がぜんやる気になりますね!私も現金ですから(笑)。それは置いておいて、最近、頭でっかちに、頭でいろいろ理解するよりも、やはり「行」というのが重要なのではないかと感じるのです。私にとって今やれる「行」は、瞑想や座禅。それで、出来る限り、一日に一回は瞑想か座禅をするようにしています。

私は踊り手でもありますけれども、踊ることは、怖いくらい、その人の人となりが出てしまうのですよね。私も一緒に踊ると、相手の人となりがある程度わかります。観客からも、分かるはずです。そういうこともあり、やはり、踊り手には自分の人間性を高めることがとても重要だと思うのですよね。もちろん、普段の生活をしっかり行うことが一番重要なことで、それも「行」ですけれども、瞑想や座禅は、いつも先を求めて走りがちな私の精神を、今に戻してくれます。ちなみに、ここでは詳しく書きませんが、ジャワ舞踊も瞑想や座禅に似ていると感じることがしばしば。そう思うと、踊ることも「行」ですね。

 

読んでくださってありがとうございました。

あなたにとって素敵な一日となりますように。

 

<今日の植物(庭の植物シリーズ)>

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アデニウムの花がもう一輪咲き始めました。咲き始めは色が濃く、特に美しい。」photo by Kaori