香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

ジャワ舞踊やガムラン音楽に関すること、日々の気付きや学び、海外生活で見聞したこと、大好きな植物や動物に関してなどを、私が感じたことを気ままに、ゆるゆると書いていきます

好きなように生きる

いつも読んでくださってありがとうございます。

 

連日暑いですね。子供の様に、あせもができてしまいました。

 

私が以前住んでいたジャワは、赤道に近いため、年中暑いのですが、こんなに暑くないです。それに、6月7月は、ジャワでは一番涼しい時期。ジャワに行きたいなぁ。

 

あ、でも、今月末、ジャワへ行くのです。楽しみです。

 

ジャワへ行くと、いつも、ジャワ舞踊とガムランの練習に明け暮れ、その他は、順番に友人や知り合いに会いに行き、スラカルタジョグジャカルタ、そして、ムラピ山辺り以外には全く行きません。ですので、ジャワには長く住みましたが、インドネシアのほかの地域をほとんど見ていないのですよね。それが残念と言えば残念なのですが、ジャワへ行くと、ジャワ以外に行きたくなくなってしまうのですよね。

大切な友達もたくさんいる。家族のようによくしてくださる方々も。彼/彼女たちに会うのがとても楽しみです。

 

インドネシアでは、日本に比べて、平均寿命が短いです。気候や食べ物、医療の問題など、いろいろ原因はあると思うのですが、40代、50代で、またはもっと若くして亡くなっていく方々も多いです。私の周りでも結構います。もちろん、長生きの方もいらっしゃいますけれども。

そう思うと、会える時を大切にしなければなぁと思います。

また、私自身も、思いっきり、好きなことをして生きなければなぁと思います(笑)。

人生はつかの間の夢のようなものなのかもしれません。それならば、間違えようが、躓こうが、自分の納得いくように、でも、ゆるゆると、流れる水のように、生きていきたいです。何が起こっても大丈夫だから。

 

読んでくださってありがとうございます。

あなたにとって素晴らしい一日となりますように。

 

<今日の植物(庭の植物シリーズ)>

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「ランの一種、クロウェセタム。葉が大きく展開してきました」photo by Kaori



 

 

 

 

ジャワ舞踊・ガムランとの出会い ~ 私の歴史/記録、アメリカの思い出

いつも読んでくださってありがとうございます。

 

今日は久々に、私の歴史/記録シリーズです。主に自分の記録のために、忘れないうちに書いています。今までは、番号をつけていたのですが、これからは、時系列は関係なく、思いつくままに書くと思うので、番号をつけるのをやめました。今回は、アメリカでジャワ舞踊・ガムランに出会った時の思い出です。

 

私の歴史/記録シリーズ、これまでの記事は以下からお読みいただけます。

私の歴史/記録 カテゴリーの記事一覧 - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

 

そして、重なっている記事も多いですが、アメリカの思い出の過去記事は以下からお読みいただけます。

アメリカの思い出 カテゴリーの記事一覧 - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

 

さて、以前、私がカリフォルニア芸術大学に入学した時に、ジャワ舞踊をやらないかと誘われたことを書きました。

 

ちなみに、以下からお読みいただけます。

カリフォルニア芸術大学(CalArts)入学に至るまでの思い出 ~ 私の歴史/記録(9) - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

 

 

それでも、ジャワのジャの字も知らず、アメリカにはモダンダンスを学びに来た私は、すぐにジャワ舞踊を始めませんでした。でも、ずっと気にはなっていました。

そして、最終学年になって心の余裕もでき、その頃とても仲の良かったシンディと一緒に、ジャワ舞踊の授業を受講することにしたのです。

その後、ほどなくして、ガムランも始めることになりました。そのきっかけはこうです。

最終学年では、作曲科の学生との共同作品作りの授業もありました。

その背景を少し説明すると、この大学では、踊るだけではなく、舞踊を創作するということに重きを置いていました。ソロ、デュエット、グループで踊る作品を、少なくとも一つずつ創作し、年に何度もある大学での公演へのオーディションに受かって、その作品を発表できなければ卒業できませんでした。そして、他の科の学生との共同作品作りも、推奨されていました。例えば、演劇科の衣装デザイン、照明デザイン専攻の学生たちとのコラボレーションです。その中の一環として、作曲専攻の学生とのコラボレーションがあったのです。そこで大きな出会いがありました。

 

作曲専攻の学生との授業の初日、授業は、ダンス科の持っているシアターで行われました。いわゆるブラックボックスシアターというのですかね。真っ黒の箱状のシアターで、舞台も客席も自由に作り上げていける場所です。実は、その年の初めに、ロサンゼルスでは大地震があり、震源地が大学に近かったため、大学には9か月も入れなかったのです。その時の思い出は、また別の機会に書きますね。

それで、大学も改修され、やっと使えるようになったので、シアターの中も、まだまだいろいろ揃っておらず、移動できるコロコロの付いた椅子が、いくつか並べてあっただけでした。たぶん、椅子の数も足りなかったと思います。私はシンディと並んで椅子に座っていたのですが、その椅子と椅子の間のスペースの床に、すっと座った作曲専攻の男子学生がいたのです。ちなみに、日本と違って、アメリカでは(というかカリフォルニアではですかね)、床に座ることは普通でした。私は、私の友達との間に座られたので、ちょっとびっくりして、「なんだこいつ」と思ったことを覚えています。

最初の授業で、早速、ペアを組んで、作品作りに取りかかることになりました。それで、隣の床に座った男子学生と目があったので、彼と作品を作ることになりました。その年から修士課程に入った学生です。

縁というのは面白いもので、実は、その彼が、私の元夫です。まあ、彼とはいろんなドラマがあり、楽しいこともあり、苦しいこともあり、素晴らしい思い出もあり、どん底に落ち込んで死にたいと思っていた期間も長くありました。別れたのは随分前ですけれども、けっこう最近まで、いろんな意味で引きずっていましたね。今振り返ればおかしいですが、もう人生終わったと思っていましたし。自分自身に対する信頼も打ち砕かれましたし。もっとも、それは打ち砕かれて良かった面も多々ありますけれどもね。そして、落ち込んでいた時も、ずっとそうであったわけではなく、いろんな楽しいことも、たくさんあったのですけれども。もう、完全に吹っ切れたと思っていたのに、今でも、こう書いているだけで、感情が乱れて、涙が出てきて、自分でもびっくりです。かなりの時間がたつのに、まだまだ私の中に残っているのですね。しつこいとですね~。夢から覚めたと思っていたのに、夢の名残が残っていたという感じですかね。もっとも、普段は忘れていて何とも思っていないのですけど、思い出すとだめですね…。書くことで癒しにもなるような気がしますので、いつか、いろんな人に迷惑にならない範囲でこの件に関して書くかもです。ただ、最近は、自分で好ましくない感情からすぐに抜け出せるようになったので、まあ必要ないかもですね…。気が向いたらということで。

彼の名誉のために書くと、まあ、欠点ももちろんありましたけど、いろんな意味で本当に素晴らしい人でしたよ。私は今でも、彼の常識にとらわれないスケールの大きな発想、才能、頭の良さに嫉妬しています。負けたくないです(笑)。でも、私の人生も彼のおかげで多彩になったと思います。出会うべきして出会い、別れるべくして別れたのでしょうね。事情があったとは言え、ちょっと結婚を急ぎすぎたかも。私は自由が大好きなので、結婚にはあまり向いていないのかも。ちなみに、今の私は、彼と別れた後の私の人生も好きです。様々な事があっての今の私。何があっても受け入れるしかない。流れる水のように生きていきたいです。

 

なんだか、話が大幅にずれてしまいました…。

 

話が飛びましたが、元に戻します。その彼が、ガムランの演奏者だったわけです。ガムランだけでなくて、様々な楽器を演奏する人ですけれどもね(いまでもそうだと思いますが)。出会って、最初の作品作りをして、ほどなくして、彼と付き合うことになったのですが、それがきっかけで、私もガムランの演奏を始めることになったのです。もう、20年以上前のことです。(それだけではなく、西アフリカの音楽やら、中国の胡弓やら、日本の太鼓や尺八やらをかじる羽目に。インド音楽やイラン音楽にもちょっと関わり。まあ、自分が望んだことですけど。)人生って本当にわかりませんね。

 

カリフォルニア芸術大学では、音楽科の中に、ワールドミュージックの専攻があり、ガムラン音楽の専攻で学位を取ることができました。ちなみに、カリフォルニア芸術大学で取得できる学位は、BFAとMFA。論文ではなく、パフォーマンスや創作で、学位が取れます。もちろん、専攻しなくても普通に授業を取ることも可能です。ガムラン音楽にジャワ/バリ舞踊が付随しているという考えで、ジャワ/バリ舞踊の授業も音楽科の授業の中にありましたが、他の科の学生も受講することができました。

ガムランは、ジャワガムランとバリガムラン、舞踊も、ジャワ舞踊とバリ舞踊がありました。外の芝生の広場に面した、ガラス張りのだだっ広い部屋に、ジャワガムランのフルセットとバリガムランのセットがド~ンと置いてあり、大勢で踊るための十分なスペースもあるという、恵まれた環境でした。

先生にも恵まれていましたね。カリフォルニア芸術大学では、ジャワガムラン界の超大御所であった、Cokro Warsito氏が20年ぐらい教えていたという伝統があります。私が入った時は、ちょうど、Djoko Walujo氏にかわった時でしたけれども、彼も、ものすごい音楽家です。アメリカはそういう先生を長期で迎え入れる環境が整っていることがすごいですね。また、ジャワ舞踊は、Cokro氏の娘である、Nanikさん、そして、バリガムランは、Nanikさんの旦那さまである、Nyoman Wenten氏が教えていました。Wenten氏は、ガムランも踊りも非常にうまい方でした。それにバリのTopeng pajegan(仮面舞踊劇)でのコメディ役者ぶりといったら!いつも大笑いしていました。そして、絶対にNOと言わない人。彼は、バリ出身ですけれども、ジャワのジョグジャカルタ芸術大学に行っているので、ジャワのジョグジャカルタ様式の男性舞踊も教えていました。またNanikさんは、ジャワ舞踊もバリ舞踊も教えるというマルチぶり。

ジャワガムランとバリガムランが同じ部屋にあり、先生方もお互いに協力し合っていたので、学生たちは、特に何も考えずに、両方のガムラン/舞踊に参加していました。そんなわけで、私も何も考えずに、ジャワガムランもバリガムランも、ジャワ舞踊もバリ舞踊も学んでいたわけです。演奏もできて舞踊もできるのが当たり前だと、両方学ぶことは疑問にも思っていなかったです。いま思うと、非常にラッキーだったなと思います。それに、私は負けず嫌いですから、負けるもんかと、それはもう一生懸命練習しましたよ。ガムラン音楽だって、音楽科の学生に負けたくなかったですし。また、多くの機会にも恵まれました。卒業してからも、1年ぐらいは近所に住んでいたので、その間も練習に参加させてもらっていましたね。

 

その頃は、ジャワガムランと舞踊よりも、圧倒的にバリガムランと舞踊を公演する機会が多かったので、バリガムランと舞踊の方が熱心にやっていた記憶があります。何せ、ジャワガムランは移動するだけでも大変ですしね。それに比べれば、バリガムランの方が圧倒的に楽です。バリの場合、グンデルワヤンだったら、それこそ二人でも完結してしまいますし。アメリカにいた頃は、バリガムランは、グンデルワヤンも含めて、結構いろんな楽器が演奏でました。ちなみに、私はオフビートの方をいつも演奏していましたよ。(バリガムランをやっていらっしゃる方しかわかりませんね…。)ついていくだけなので楽です。今では、バリガムランはすっかり忘却の彼方ですけれども…。アメリカにいた頃は、ジャワガムランは、比較的簡単な楽器しか演奏していませんでしたね。ジャワガムランを本格的に学び始めたのは、2003年のジャワ留学からです。アメリカから、日本にも寄らずにジャワに直行して留学してしまったのですよね。ジャワ舞踊は、ジャワ留学前に、アメリカで良い先生との出会いがあり、そこから本格的に学んでいましたけれども。その辺りのこもごもは、また改めて書きますね。

 

こう書いてみると、いろんなきっかけがあって、ジャワ舞踊・ガムランに引き寄せられて行ったのだなと思います。面白いものですね。すべて起こることは必然ですね。

 

起こることはすべて私が作り出した幻想かもしれませんけど、この幻想はなかなか面白い。そして、幻想のある意味もあるはず。楽しんで、よい気分でいきたいですね!

 

読んでくださってありがとうございます。

あなたにとって素晴らしい一日となりますように。

 

<今日の植物(庭の植物シリーズ)> 

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ジャスミン・ホワイトプリンセスの花。良い香りです」photo by Kaori

どうでもよい話(日々思うこと)

昨日、無事、初めてのミッション終わりました。

いろいろ、心配していたけれども、結局、まあ、楽しくできました。大きなサポートもあり、感謝です。

自分でも、かならず出来るとわかっていて、本当に心配することはないと思うのに、新しいことを始める時は、いつも心配になってしまう。人の目を気にしているのですよね。また、間違えるのが怖い。ということは、自分にいまいち自信がない。やめたいくせです。

でも、この緊張感のおかげで、自分でもわかっていると思っていたことが、実はわかっていなかったのだということに気づけました。そこから、いろいろ改めて知ることができました。そう思うと、そういう緊張感も良いのかも…。それがあるから、何でも自分の納得いくレベルまでもっていこうと努力する。何事も、考えようですかね~。

思い返してみると、今回始まったことは、ずっと前、何年も前に私が望んだことの一部が叶っているのです。気が付くと叶っているって、ありがたいですね。こんな叶い方もあるんですね。どう展開していくのか楽しみになってきました。どう展開しても、すべては最終的に大丈夫なはず。

なんだか、歯に衣を着せるような話ですみません…。

でも、この心配事がとりあえず過ぎたので、やっと次のことに取り掛かれそうです。

 

さて、実は、昨日、久しぶりに、高速道路を運転しました。家の近所に、スマートICがオープンして、とても便利になったのです。

スマートICは使ったことありますか?私は初めて使ったのですが、普通の高速道路の出入り口とは違い、ETCカードでの出入り口しかありません。また、ゲートでは、数秒、完全に止まらなければなりません。普通のETCカードを使っての出入り口では、減速するだけで、ゲートが開くので、その感覚で、ゲートに突っ込んでいってしまう人が絶えないと聞きました。初めて、スマートICを使われる方は、お気を付けください。

 

久しぶりに高速道路を運転したので、緊張して、なんと、腕が筋肉痛になってしまいました。なんてこった。どれだけ緊張して運転してたのでしょうか。アメリカにいたころは、毎日のように高速道路を運転していたのになぁ。

高速道路では、流れに乗って運転すればよく、緊張などしていない方が、もしもの時に、とっさに動けると、分かっているのですけれどもね。トラックが多かったせいもあり、がちがちでした。

まあ、でも、知らない道だったので仕方がない部分もありますね。高速道路も、やたらと分岐の多いところを通ったし。でも、帰りはちょっと、余裕で、高速道路では、大声で歌を歌いながら帰ってきました。

実は、私は運転しながら歌うのが大好き。高速道路なら、他に人に聞かれる心配もないし、歌うのには絶好の機会。そして、眠気覚ましにも良い。歌の練習にもなる。大きな声を出すことで、ストレス発散にもなる。アメリカにいた時には、練習中に、よくホーミーの練習をしていました。

ホーミーって、知っていますか。ホーミーとは、いわゆるオーバートーン・シンギング、倍音を強調する歌い方で、有名なところではモンゴルの方たちが、その歌い方をされます。興味のある方は調べてみてください。舌を英語のRを発音する時のような形にすると、出やすくなります。練習すればするほど、ある特定の倍音が大きくなるので、とても面白いのです。まるで、天から降ってくる音のようです。

そして、ジャワにいた時も、主にバイクでの移動でしたが、ムラピ山の友人宅に泊まって、早朝、ジョグジャカルタにバイクで戻る時、まだ、田舎の方で、人が少ない辺りでは、眠気覚ましに、大声でジャワの唄を歌っていました。ヘルメットをかぶっているので、顔も見えないし。信号で止まっている時は、さすがに歌うのをやめていましたけれども。

 

なんだか、今日は、話が支離滅裂で、まとまらなくなってきました。

う~ん。ここからどうまとめようか。

まあ、日々、いろんなことを感じながら生きています。

 

 

なんだか、どうでもよい話をつらつらと書いてしまい、失礼しました~。

 

読んでくださってありがとうございます。

あなたにとって素晴らしい一日となりますように。

 

<今日の植物(庭の植物シリーズ)>

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カサブランカの花。今年の一番花」photo by Kaori

 

 

 

心地よくない感情はさっさと終わらせる。

いつも読んでくださってありがとうございます。

 

今日は、新しいことが始まるので少しドキドキしています。

私は、その場になれば、度胸が据わるのですが、その前まで、要らぬことをいろいろ考えたり、心配したりして、他のことが手につかなくなります。

 

悪い癖だと思いつつ、どうしようもない感じ…。そんなに心配しなくても、ちゃんと、何とかなるとわかっているのですがね…。準備もそれなりにしているし。新しいことが始まる時はどうしてもこんな感じになります(笑)。踊る時は程よい緊張しかしないのですけれどもね、なぜなんでしょう…。もっと肝が据わった人になりたいです…。

 

でも、最近は、いろんな感情にどっぷり漬からなくなり、楽になりました。

以前は、まるで趣味のように、どっぷり漬かっていたこともあったのです。その方が楽ですしね~。悲しんだり怒ったり、心配したりで、自分が被害者でいる方が。

でも、どっぷり漬かったり、引きずってたりしていると、やはり、自分で自分の心と体を傷つけているのですよね。それが、自分でもわかるのです。それで、結局、私と傷つけているのは、結局は自分自身だと気づいたわけです。私自身が選んでいるのですよね。

 

先日、「怒りや悲しみの感情は、勝手に向こうからやってくるから、やってくるのは止められないけれども、7秒以上、その感情が続くのは、自分が、その感情に餌をやって、増幅、持続させているのだ」と、いったような話を聞いたのです。

なるほど~!と思いました。

ですので、いわゆる負の感情が湧いてきても、それは仕方がないこととして、「なぜ、そんな感情が起こったのだろう」と、自分を責めることはしないことにしました。そして、1,2,3.....と7つまで数えて、その感情は終わり!という感じを心掛けています。

毎回できるわけではないけれども、なかなか効果あり。

おかげで、良い気分でいられることが多くなっています。

 

ぜひ、お試しあれ!

 

良い気分でいると、いろんなことが、良い方向にまわっていくように思います。それに、何か、今、良くないことが起こっているように見えても、後に、それがどんなことにつながっていくのかわかりませんしね。すべて無駄なことはない、と、私の経験からは思います。

 

読んでくださってありがとうございます。

あなたにとって素晴らしい一日となりますように。

 

<今日の植物(庭の植物シリーズ)>

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「気がついたら、ガーベラの花が綺麗に咲いていました」photo by Kaori

7月の椿大神社と小岸大神社への旅

いつも読んでくださってありがとうございます。

 

昨日は、妹と一緒に、椿大神社と小岸大神社へ行ってきました。

え、この間行ってきたばかりだって?

 

そうなんです。実は2週間前に行ってきたばかり。椿大神社へは、月に一度行きたいと妹が言うので、私も一緒に行っています。今月は、いろいろ忙しく、昨日午後しか、私と妹の時間が合う時がなかったので、行ってきたわけです。幸い、天気も良くて恵まれていました。

 

午後3時までにお参りを終わらせたいと思っていましたし、椿大神社参拝の後は、すぐ近くの椿茶園でまったりしたかったので、今回は、前回に導かれるように行きついた、小岸大神社から行くことにしました。

 

前回、小岸大神社を訪れた時の話は、以下からお読みいただけます。

導かれるように小岸大神社へ - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

 

今回は、桃林寺にさっとお参りさせていただき、その奥の小岸大神社へ。

前回来た時より明るい感じに見えました。でもやはり、誰もいない静かな場所。そして、ジブリの映画に出てきそうな場所です。

 

手水場は、水が常時流れているわけではなく、水道管が引いてあって、蛇口をひねって水を出すようになっています。手水場だけの写真は撮っていないのですが、以下の写真では、階段の下の、小さな屋根のある場所です。

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「小岸大神社」photo by Kaori

 

手を洗おうとすると、なんと、手水場の向こうに蛇が!結構大きな綺麗な蛇でした。不思議に怖い感じはしません。「失礼します」と挨拶すると、じっと私たちを見た後、するっと踵を返して、参道階段脇の林の中へ入っていきました。

邪魔はされませんでしたし、これは、参拝しても良いよということかなと思い、そこから参道を上がって、参拝させていただきました。

 

その前に、前回参拝させていただいた時からちょっと気になっていたのですが、石碑の字の部分、最後の2文字が消されているようですよね。まだ読めるのですが、字が埋められている感じです。神社の跡であるという意味の部分だと思いますが。どういう経緯でこれが消されたのでしょうね。まだ、月に一回は宮司さんがいらっしゃって、ご神事が行われていると桃林寺の方に聞いたので、神社としての役割はまだ残っているのかなとは思いますが。とにかく、気持ちの良い場所です。私の産土神社と同じ神様がお祀りされているからかな。

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「小岸大神社の鳥居から参道の階段」photo by Kaori

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「小岸大神社の参道の階段」photo by Kaori

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「小岸大神社の社殿」photo by Kaori


社殿裏のお社にも、お参りさせていただきました。

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「小岸大神社社殿裏のお社」photo by Kaori


村中安全と祈願された灯篭が立っています。

 

さっとお参りさせていただき、小岸大神社を後にしました。

車に戻る途中で、木には、きれいな植物〈蔦の一種ですかね〉が生えており、思わずパチリ。大雨の後だったので、湿気も高く、木々も濡れていました。

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「木の幹に巻き付く植物」photo by Kaori

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「小岸大神社近くの小道」photo by Kaori

 

そして、桃林寺に軽く挨拶して、椿大神社へ向かいます。

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「桃林寺の門」photo by Kaori

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「桃林寺の門前からの景色」photo by Kaori

なんだか、亀か魚のような雲ですね。

 

 

さて、椿大神社です。

ざっと写真でご紹介しますね。

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椿大神社の入り口」photo by Kaori

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椿大神社の手水場」photo by Kaori

手水場はカエルです。カエル好きな私としては嬉しい。


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椿大神社の参道」photo by Kaori

今回は、前回までは気付かなかった場所にお参りしました。御舟岩坐です。

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「御舟岩坐の説明」photo by Kaori

鳥居は低く、かなり身をかがめないとくぐれません。

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「御舟岩坐の鳥居」photo by Kaori

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「御舟岩坐、立ち入り禁止の場所」photo by Kaori

お参りをして進みます。

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椿大神社参道の鳥居」photo by Kaori

そして、大黒天さまと恵比寿神さまにお参りします。

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「大黒天と恵比寿神」photo by Kaori

高山土公神陵

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「高山土公神陵」photo by Kaori


そして、本殿へ向かいます

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椿大神社本殿へ向かう参道」photo by Kaori

あれ、前回来た時にあった茅の輪が残っています。

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椿大神社狛犬」photo by Kaori

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椿大神社狛犬」photo by Kaori

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椿大神社、まだ茅の輪があります」photo by Kaori

茅の輪がまだあったので、また3回くぐってみました。

そして本殿でお参りをします。猿田彦大神が祀られています。なぜか気になり、縁を感じる神様。

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椿大神社本殿」photo by Kaori


この後、御朱印をいただきました。聞いてみると、椿大神社だけではなく、別宮の椿岸神社、そして、7福神の寿老神の御朱印もあるということで、すべて書いていただくことに。

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椿大神社御朱印」photo by Kaori

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「椿岸神社の御朱印」photo by Kaori

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「寿老神の御朱印」photo by Kaori


そして、別宮椿岸神社参拝。天鈿女がお祀りされています。芸能の神様でもあり、こちらも縁を感じる神様です。

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「椿岸神社の入り口」photo by Kaori

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「椿岸神社」photo by Kaori

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「椿岸神社の手水場」photo by Kaori

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「椿岸神社」photo by Kaori

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「扇塚」photo by Kaori

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「招福の玉」photo by Kaori

そして、かなえ滝へ。この辺りはとても気持ち良いです。今回は、大雨の後だったからか、水の勢いが半端ない!ごうごうと流れていました。水は冷たくて気持ちよかったです。ここに水の勢いから元気をもらった感じです。

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「かなえ滝」photo by Kaori

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「かなえ滝」photo by Kaori

そして、行満堂神霊殿の方へ向かいます。

振り返るとこの景色。ここの景色好きです。

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「椿岸神社の入り口付近」photo by Kaori

途中の小川も、今回は水がたくさん流れていました。

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「行満堂へ向かう途中の小川」photo by Kaori

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「行満堂へ向かう途中の小川」photo by Kaori

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「茶室・鈴松庵付近」photo by Kaori

大雨続きのせいか、木の皮が黄色くなっています。

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「茶室・鈴松庵付近の木」photo by Kaori

行満堂神霊殿には、寿老神像があります。お参りしました。その他にも、近所の廃寺から引き取られた仏像がたくさん祀られています。

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「行満堂神霊殿」photo by Kaori

そばの、椿立雲龍神社にもお参り

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「椿立雲龍神社」photo by Kaori

私は、以前、松下幸之助財団からジャワでの1年間の調査の奨学金をいただいたことがあるので、感謝を込めて、松下幸之助社にもお参りしました。

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松下幸之助社」photo by Kaori

お隣には、二宮金次郎像が!初めて知りました。

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二宮金次郎像」photo by Kaori

そこから、本殿の方に戻ったら、なんと、茅の輪が解体されていました!びっくり

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「解体された茅の輪」photo by Kaori

そして、参道を戻ります。

途中で、球形の碑を撮影したら、こんな風に移りました。綺麗。ここは何の場所だったのかな?

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椿大神社境内」photo by Kaori

そして、参道には、椿岸神社の入り口が。本当はこちらから入るのですね。

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「椿岸神社の入り口」photo by Kaori

その前には百度

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百度石」photo by Kaori

神社から出て振り返りました。

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椿大神社の鳥居」photo by Kaori

 

そして、椿大神社前の、庚龍神社にもお参り

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「庚龍神社」photo by Kaori

とても良い参拝でした。

 

そして、お楽しみの椿茶園

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「椿茶園」photo by Kaori

今回は、「拝啓おかあさん」という煎茶を飲み、ふまんじゅうを食べました。やっぱりおいしい!まったりしました~。

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「お茶とふまんじゅう」photo by Kaori

そして、一路、家へ帰ります。

赤い大鳥居。今回は反対側から撮りました。

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椿大神社の赤い大鳥居」photo by Kaori

帰り道、不思議な雲に遭遇

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「不思議な雲」photo by Kaori

鳥か天使のよう!

 

以上、椿大神社と小岸大神社の旅でした!

長々とお読みいただき、ありがとうございます。

 

あなたにとって素晴らしい一日となりますように。

 

<今日の植物(庭の植物シリーズ)>

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「ピンクのペチュニア」photo by Kaori



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャワ舞踊奉納公演のお知らせ(靖国神社にて)

いつも読んでくださってありがとうございます。

みなさまの地域では、大雨は大丈夫でしたか?大きな被害が出たニュースに心が痛みます。被害に遭われた方にお見舞い申し上げるとともに、犠牲になった方々のご冥福をお祈りいたします。

私の住んでいる地域では、雨はけっこう降りましたが、豪雨ではなく、幸い被害はありませんでした。でも、当たり前と思っている日常が、本当にありがたいものなのだなと感じます。

 

今日は、ひとつ宣伝をさせてください。

7月16日(月・祝)、東京の靖国神社のみたままつりにて、ジャワ舞踊を奉納させていただきます。靖国神社境内の能舞台にて、16時から17時の間です。

 

以下、友人がアップしてくれたFacebookでのお知らせです。

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=10216913795344897&id=1465744424

 

みたままつりに関しては、以下からご覧ください。

新着情報詳細|靖國神社

また、奉納芸能スケジュールに関しては、以下からご覧ください。

http://www.yasukuni.or.jp/img/mitamageinou2018.pdf

 

今回は、ブドヨ・ブダマディウンと、ガンビョン・パンクルの2曲が奉納されます。

私が踊るのは、ブドヨ・ブダマディウン。私にとっては、とても、大切な舞踊です。いつか、日本で、日本人の踊り手で上演したいとずっと思っていたので、素敵な仲間たちと、それが実現するのがとても感慨深いです。今回は、録音した音楽で上演いたしますが、11月18日(日)には、東京の北区の北とぴあで、生演奏のガムランで上演いたします。また、そのうちにお知らせさせていただきますね。

 

さて、ブドヨというのは、ジャワ舞踊の中でも、儀礼的要素が強く、とても重要な、重い意味合いの踊りです。女性9人、または7人で踊られます。私たちが踊る、ブドヨ・ブダマディウンは、スラカルタのマンクヌガラン王家もの。マンクヌガラン王家は分家のため、ブドヨの人数も7人となります。

ブドヨを持っている事は、ジャワの王にとっては、(霊的)パワーの源、王としての印でもあります。そして、国(世界)を平安に導くものでした。ブドヨは踊りを指すとともに、踊り手もブドヨと呼ばれていました。現在ではそのような意味合いは薄れていますが、まだ、非常に霊的なパワーのある、門外不出のブドヨはジャワに残っています。そして、そのブドヨにまつわる神話も多く残っています。

今回の、ブドヨ・ブダマディウンは、そこまで重い舞踊ではありませんが、王家にとっては重要な意味を持ち、神聖さのある舞踊のため、今回は、マンクヌガラン現当主(現王)のマンクヌゴロ9世に、特別に許可をいただきました。許可をいただけて、本当にありがたく、感謝の気持ちでいっぱいです。また、そのために尽力してくださった方々にも、感謝しかありません。ですので、軽々しく踊れる踊りではないという自覚のもと、上演したいと思います。

 

ブドヨは、踊り手が同じ衣装を着て、ほぼ同じ動きをしますが、いくつかの形に、踊り手の位置(フォーメーション)が変わっていきます。踊り手が地面に描くパターンに様々な意味があるとも言われています。また、踊り手一人一人が、人の体の一部を象徴しているとも言われます。7人の場合だと、欲望、頭、首、胸、お尻(背骨の一番下)、両手でしょうか。9人の場合は、それに両足が加わります。また、9人は人間の体の9つの穴を象徴すると言われることもあります。

ブドヨ全般に関しては、また機会があれば、もう少し詳しくご紹介するかもしれません。

 

実は、それぞれのブドヨにはストーリーがあるのですが、みんな同じ衣装で、ほぼ同じ動きで表されるため、非常に抽象的表現であると言えます。ただし、全編通して歌われる歌にはストーリーが含まれています。ブドヨでは歌/詩が非常に重要です。動きでは、ブドヨ・ブダマディウンの場合、後半に2人が立って踊り、他の5人が座って踊っている場面があるのですが、そこに、ストーリーが現れています。イスラム・マタラムの王、パヌンバハン・スノパティPanembahan Senopati が、マディウンを攻めた時の、マディウン領主の娘、ルトノ・ドゥミラ Retno Dumilahとの戦い、そして恋に落ちるというストーリーが背景にあります。ドラマチックですね。でも、ジャワ舞踊、特にブドヨのような踊りでは、顔の表情はナチュラルのままで、表情での表現は全くありません。そして、優雅に踊りは流れていきます。作られたものではなく、踊り手の内面、奥深くから自然に流れ出るものが重要かなと思います。うまく説明できませんが…。深い精神性が要求される踊りです。自己がない踊りかもしれません。

 

この踊りの練習に関しては、以下の記事からお読みいただけます。

ジャワ舞踊練習で感じたこと - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

 

 衣装に関しても、数週間前に書いていました。

ジャワ舞踊の衣装(1) - 香りの舞い ~流れる水のように 燃える火のように 静かな大地のように 自由な風のように~

 

 以前、私は、マンクヌガラン王宮でもブドヨ・ブダマディウンを踊らせていただいたことがあります。外国人の私を重要なイベントで使ってくださったマンクヌガラン王宮の関係者に、とても感謝しています。その経験があってこそ、日本でこの踊りを伝えたい、日本でこの踊りを皆さんに見ていただきたいという夢も持てたわけで、それが実現する今につながっているのですよね。縁というのは不思議ですね。この公演がマンクヌガランへの恩返しのひとつにつながっていけば良いなぁと思っています。

 

マンクヌガラン王宮での様子を、少し、写真でご紹介しますね。

まず、王宮での練習風景です。私の知り合いが撮ってくださった写真です。

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「マンクヌガラン王宮の大プンドポにて、ブドヨの前日リハーサル」

そして、公演の様子

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「マンクヌガラン王宮の大プンドポにて、ブドヨ公演」

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「マンクヌガラン王宮の大プンドポにて、ブドヨ公演」

 

 

靖国神社での奉納公演、とても楽しみです。今回は、デワンダル・ダンスカンパニーのご厚意で、ブドヨがこの舞台に乗せていただけることになりました。ブドヨ公演をきっかけに結成されたグループ、「ラングン・ブクソ・さくら」としては、初公演です。

もうひとつの踊り、デワンダル・ダンスカンパニーのメンバーによって踊られるガンビョン・パンクルは、もともと農村発祥で豊穣を祈りつつ踊られていたものが、洗練されたもの。最近では、お客様を歓迎する時や、結婚式で踊られることが多いです。ブドヨとはガラッと違う趣向です。

お近くの方、もしお時間がありましたら、ぜひいらしてください。お待ちしております。

 

読んでくださってありがとうございます。

あなたにとって素晴らしい一日となりますように。

 

<今日の植物(庭の植物シリーズ)>

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「黄色のカンナの花。華やか」photo by Kaori



 

 

 

パクアラマン王宮のバティック:「バティックと日本」展を終えて ~ バティック編(5)

いつも読んでくださってありがとうございます。

 

昨日は、スラカルタのマンクヌガラン王宮のバティックについて書きました。

今日は、ジョグジャカルタのパクアラマン王宮のバティックについて、少し書こうと思います。

 

その前に、ジャワの王家について少し

もともとひとつの王家だったのですが、1755年にスラカルタのカスナナン(ススフナン)家とジョグジャカルタのスルタン(カスルタナン)家に分かれました。さらに、1757年にスラカルタではマンクヌゴロ(マンクヌガラン)家が、そして1813年には、ジョグジャカルタではパクアラム(パクアラマン)家がわかれ出ました。その頃、ジャワはオランダの植民地でした。4つに分かれたのはオランダの画策ともいわれています、王家といえども、政治的権力はなく、文化によって、その王権の正統性を争ったので、それぞれの王家は、それぞれ特徴のある文化を発展させてきました。

 

さて、パクアラマン王宮のバティックです。私は、パクアラマン王宮には、あまり出入りをしていなかったので、あまり詳しくないですが、「バティックと日本」展で得た情報を基に書きますね。おまけに、写真もあまり撮っていない…。写真を撮っている部分で書きます。

 

以下は8神の描かれたバティックです。Asthabrataと呼ばれます。Asthaは8、Brataは自身を律する行動のことを指すそうです。平穏で、幸せで、繁栄する人生を送るために8神によって教えられた自らを律する行動のことです。

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「パクアラム家のAsthabrataのバティック」photo by Kaori

まず、一枚目は、Batara Indra インドラ神(帝釈天)、Batara Yama ヤマ神(焔魔天)、Batara Bayu バユ神(風天)、Batara Wisnu ウィスヌ神が描かれています。

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「パクアラム家のAsthabrataのバティック」photo by Kaori

二枚目は、Batara Surya スルヤ神(日天)、Batara Candra チャンドラ神(月天)、Batara Brama ブラマ神(梵天でしょうか?火天かもしれません)、Batara Baruna バルナ神(水天)が描かれています。気を付けていなかったので、ブラマ神が切れてしまっていますが悪しからず…。

 

これらの8神からインスピレーションを受けてモチーフにしたバティックも展示されていました。あまり写真を撮っている時間がなかったのですが、少しご紹介しますね。

 

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「パクアラマン王宮展示エリア」photo by Kaori

 

ちなみに、白い布のかかった台に乗っているのは、バティックのロウ付けに使われる道具です。火でロウを溶かして、使います。最近は電気もよく使われています。



まず、後ろ側の左側の白っぽいバティックは、ウィスヌ神をモチーフにしたもの。Wisnu Mamujaというモチーフだそうです。Mamujaは、崇拝という意味だそう。香炉などがモチーフに使われていますね。精神性と敬虔さを大切にすることが表されているそう。

 

その右側の黒っぽいバティックは、ブラマ神をモチーフにしたもの。Brama Sembadaというモチーフだそうです。ブラマ神の勇敢さを表すモチーフだそう。

 

以下は、インドラ神をモチーフにしたもの。Indra Widagdaと呼ばれるそうです。Widagdaは賢いという意味。地球に白鳥の羽でできたペンが刺さっていて、その上に王冠があるモチーフだそう。これが、インドラ神が文学者たちの王であるとともに、望むものには、深遠な知識への理解を与え続けていることを表しているとのこと。地球のところにPAの文字が見えますね。Paku Alamのことですね。

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「パクアラム家のIndra Widagdaのモチーフのバティック」

 

次は、スルヤ神のモチーフ

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「パクアラム家のSurya Mahyarjaのモチーフのバティック」

Surya Mahyarjaという名前のモチーフ。Mahya は貴族、Arjaは繁栄を表す。(と書かれているけど、ちゃんと合っているのかは未確認。)ひまわりの花がモチーフになっているそう。また、スルヤ神の好きな金貨の形と色も表すとのことである。正しい行いで豊かになることを意識させるものになっている。

 他にもいろいろありましたが、写真が撮れませんでした~。残念。

 

でも、バティックの布にはいろんな意味や祈りが込められているのだなぁと、感心しました。

 

今日はここまでにしますね。

「バティックと日本」展シリーズもここまでとします。

 

読んでくださってありがとうございます。

あなたにとって素晴らしい一日となりますように。

 

<今日の植物(出先の植物シリーズ)>

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「斑入りカンナの群生」photo by Kaori